大江健三郎さんの『「伝える言葉」プラス』に「親密な手紙」というタイトルの文章がある。大江さんは、「子供の時、本を読んでいてある言葉を(ある文章を、そして時には本の全体を)、これは自分にあてて書かれている、と思い込むことがありました。」と書き起こしている。また他の箇所では「感情に希望を与え、人間たろうとするわれわれの決意に特殊な逞しさを与え、われわれの肉体的生命に緊張をもたらす。そういうイメージを包含している書物は突如われわれにとって親密な手紙となる」と、フランスの哲学者バシュラールの言葉を引いている。私に向けて差し出された「親密な手紙」、そのような手紙と出会えることは、とても幸運なことだ。
その言葉に誘われて思い出す一つに、野田寿子さんの詩「母の耳」がある。
この病室にやってきて
日がな一日語りかける私に
相槌を打つでもなく
たしなめるでもなく
朽ちた木彫のように
うごかぬ母
その腹を膨らませ
はらわたをねじり
血ぐるみひきずり去ろうとする力に
耐えている母
意識は白々とほとび
もはやただよいはじめ
ときどき見開く眼の行方を
知るすべもない
その顔に
わたしはなおも話しつづけ
さて帰ろうとするうしろから
かすかな声が迫ってきた
“またおいで、なんでも聞いてあげるから”
一瞬うしろ手にドアを閉じ
恥じて立つ私の行手に
耳だけになった母が
じっと佇んでいた
くも膜下出血で倒れた母が死の淵を行ったり来たりしながらも一命を取りとめ、寝たきりの生活に入ってしばらくたった頃だった。月に1回、2回と千葉の母のもとに足を運び、ベットの傍らで短い時間を過ごした。母は、詩にあるように「朽ちた木彫」のようだった。何を話すでなく、また息子が来ていることも、語りかけられていることも解することなく、清潔で白々とした部屋の空間の一点を見つめているのだった。母は何を思い、何を願っているのだろう。いつまでこういう時間を母の傍らで過ごすことになるのだろうか。時折、開いた窓から入る風が淡いモスグリーンのカーテンを揺らした。そんなことを思っていたときだった。この詩に出会ったのは。
生きているだけの「朽ちた木彫」のような母、その母を支えなくては。そんな息子としての責任とも気負いともいう思いがどこかにあった。でも、この詩に出会って気づかされた。母は寝たきりでありながらも、なおも私を支えている、私を支えるためにいまだ生きている母という存在に。それから10年近くを施設で暮らし、母は亡くなった。母は最期まで母だった。
野田さんの詩は、私にとって大切な「親密な手紙」の一つだ。( キヨ )