mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより76 サンカヨウ

  ひっそりと咲く高山の花  雨にぬれガラス細工の花に 

 サンカヨウとは、初めてその名前を聞く人がいるかもしれません。山歩きの好きな人にとっては憧れの花。本州の中部から北海道あたりまでの亜高山などの林床に自生しているメギ科サンカヨウ属の多年草です。平地で栽培するのが困難な高山植物で、世界でたった3種類しか知られていません。

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      サンカヨウの花。ハスのような大きな2枚の葉が特徴です。

 サンカヨウは「山荷葉」と書きます。荷葉とはハスの葉のこと。葉がハスのように大きく目立ち、山に咲くハスのようなのでこの名になったといわれています。(もともとは、中国のユキノシタ科の「山荷葉」を誤って当てたもののようです。)
 ハスのような広い葉は一本の茎に2枚だけ、大きいものと小さいものがついて、サンカヨウはその小さい葉の上に、白い花を数個から10個ほど寄り添うように咲かせます。
 その花の清楚な美しさはもちろんですが、雨にぬれると花びらが透き通るので、その姿が山好きの人の心をとらえるのです。

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    葉の上に花茎を伸ばす。     花は数個から10個ほど寄り添うようにつける。

 サンカヨウの花が見られるのは5月~7月頃。花の見頃は生育環境によって大きな幅があり、しかも、開花期間が1週間ほどで短く、強い雨や風などで花びらがすぐ落ちてしまうので、よほど幸運でなければ、咲いている花の姿を見ることができません。透明な花びらの姿が見られるのは、開花時期が梅雨と重なったときですが、そのようなチャンスはさらに少なくなります。

 でも、出会いたいと思い込んでいると、突然その機会がやってくるものです。
 初めてサンカヨウを見たのは、6月の終わりごろに蔵王連峰を訪れたときでした。大黒天から刈田岳山頂に向かう登山道でミヤマスミレの群生を見つけカメラを向けていたら、その先の沢沿いの奥の斜面に何か白く咲いているのが見えたのです。気になって低木が絡みあう沢の奥へと足を踏み入れたその先が、サンカヨウの小さな群生地でした。

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    低木林の斜面の林床に咲くサンカヨウ         1本の立ち姿

 サンカヨウは低木の生える急斜面に数株ずつ立ち並んで、白い花を咲かせていました。傍らに腰を下ろしてしばらく見とれていました。ちょうどつぼみがほころび始めた時期です。ふんわり開いた花の花びらは6枚、花の中心に黄緑色のめしべが1本、そのめしべをとり囲むように6本の濃い黄色のおしべが並んでいます。葉の緑と白い花、花びらの白と黄色いおしべ、2つの単純な色の組み合わせなのに目に鮮やか。遠目でもよく見えるのでしょう。見ていると昆虫たちが盛んに集まってきていました。

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    緑の苞につつまれているつぼみ        ほころび始めのようす

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    開いた花。花びらはガクの変形したもののよう。    花にやってきた小さなハチ

 8月、再び群生地を訪ねましたが、群生地はクロヅルなどのつる植物におおわれて暗く、サンカヨウの葉も果実も見つかりませんでした。低木の生える林床が暗くなる前に素早く実をつけ姿を消していったようです。

 それから、何年かあとに栗駒山のブナ林でサンカヨウと出会います。時期は5月末、その年は雪解けが早かったのか、蔵王連峰で見た時より早い時期でした。
 雪解けのあとに咲き出したキクザキイチゲオオバキスミレなどに混じってサンカヨウがその白い花を咲かせていました。

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    ブナ林の林床に咲くサンカヨウオオバキスミレの花がまわりを囲んでいます。

 落ち葉の上に、緑の葉をクシャクシャと丸めたようなものが、にょっきり立っています。葉の間には小さなつぼみ。サンカヨウの芽吹きの姿でした。
 見渡すと、開いた葉の上でつぼみがふくらんでいるもの、満開に花を咲かせているもの、もう花びらを散らして小さな実をつけたものと、サンカヨウの姿はさまざま。同じ群生地に咲いていても、芽を出す地面の雪解けの進みしだいで成長の早さが違うのです。サンカヨウの育つ姿を連続映像で見せてもらったようでした。

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クシャクシャの葉 (芽吹き)      日当たりのよい林床に咲く花

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      散り始めた花          花が散ったあと    初期の果実

 7月の終わりに、再びブナ林の群生地を尋ねました。サンカヨウの果実を見たかったのです。ところが木々が鬱蒼と茂り群生地がわかりません。蔦や藪が絡む道をかき分けてサンカヨウの葉を探しあて、3個の果実を見つけました。
 藍色の美しい果実。白い粉を帯びて熟しています。食べられるはずと、ひとつぶ口に含むと、甘酸っぱい味。山ぶどうのようです。種子が9個入っていました。
 この美味しい果実を山の動物や小鳥たちが見逃すはずはないでしょう。サンカヨウは、果実が食べられて遠くまで運ばれていくのを待っていたのです。

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      多くの実は食べられたもよう      甘酸っぱい山ぶどうのような実

 雨にぬれたサンカヨウの花を見たのは、それからまた何年か過ぎてからでした。
 ブナ林の群生地にサンカヨウの花が咲き出した頃、夕方から夜は雨になり、明け方に晴れるという天気予報を聞いて、早朝に群生地をめざしました。
 予報どおりの昨夜の雨で、晴れの日には真っ白な花びらが、先端からしだいに透明になっていました。たっぷりと雨にぬれた花びらはさらに透明度を増して、ガラス細工の花のよう、触ると砕けてしまいそうです。
 花びらが透明になるのは、水をたくさん含んで、光が吸収されたり、光の屈折や反射が弱まったりするからといわれています。その仕組みについては、まだ解明されていないようです。
 透明になった花びらは、太陽が顔を出し、花びらが乾燥するにつれ、また元の白い色に戻っていきます。
 森や林の奥でひっそりと咲くサンカヨウの花は、誰に知られることもなくこのミステリアスな変化を繰り返しているのです。

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 花びらが水分にぬれただけでは透明にはならないようです。雨や朝露にぬれて、
 花びらがたっぷりと水分をふくんだときに起きる現象のようです。

 蔵王連峰で見たサンカヨウは荒々しい斜面に生えてたくましく、栗駒山のブナ林の林床で見たサンカヨウは、清楚で静かなたたずまいを見せていました。同じ花なのに、その生育地によって、花の印象が違って見えてくるのです。
 『花の百名山』の中で、著者の田中澄江さんはヒグマに会うのを警戒しながら見た北海道の大雪山山麓の湿原「沼の平」のサンカヨウを紹介しています。
 「渓川のほとりの山ぞいにはサンカヨウが群れをなして白い花をつけていた。これも上高地や白山などで見たものよりずっと大きい。」(文春文庫『花の百名山』)
 田中さんは、大雪山の谷筋で見る花々は尾瀬で見る花より大きくたくましく「太古の面影が残っているようだ」と書いています。これは現地を訪れなければ感じられない感覚でしょう。
 同じ花でもその花の表情は、その花が生まれ育った自然が作り出したものです。

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      花の数が10個以上も。           蝶? こんな姿も。 

 サンカヨウが見られる場所として、県内では蔵王連峰栗駒山の他に泉ケ岳の群生地が知られていますが、私が出会った蔵王連峰栗駒山サンカヨウは、ガイドブックには出ていない小さな群生地でした。
 群生地というのは、最初からあったわけではなく、小鳥たちが運んだ種子が、生育環境の適した地面に落ちて芽を出し、大きな葉で根に栄養を蓄えながらしだいに育っていったものでしょう。県内に群生地があるということは、似た環境の他の場所でも、サンカヨウが育っている可能性があるということです。

 蔵王連峰や泉ケ岳、栗駒山の麓には、それぞれ「自然ふれあい館」や「自然の家」があって、多くのこどもたちが野外活動で現地を訪れています。こどもたちが目の前に広がる自然を散策したり、野外活動をしたりする傍らで、サンカヨウがひっそりと白い花を咲かせているかもしれません。
 野外活動といえば、生活訓練や心身の鍛錬をねらいに、ただ自然環境を利用するという活動が多く見られます。こどもがもっと自由に自然に触れて、ふだんは眠っている野生の感覚が呼び起こされるような活動がほしいものです。
 自然につつまれて風や空気、匂いや音を体で感じ、草木や虫や野鳥などの生きものたちに親しみを覚えて嬉しくなる。そんな自然との共感の体験は、長いあいだには、自然界の生態系のしくみを理解することにつながり、将来の生き方に示唆を与えてくれるものになるでしょう。(千)

◆昨年5月「季節のたより」紹介の草花

『おかえりモネ』と、忘れられない気象予報士

 今月17日から始まったNHK朝の連続テレビ小説を、見落とししないように録画しながら、毎日観ている。理由はドラマの舞台が宮城であるからというのが一番である。主な舞台である登米気仙沼、いわゆる県北地方。私にとっては、その地で暮らしたこともなく、仕事の関係や小旅行で訪れるだけの地であったが、車のハンドルを握りながら初めて見る景色は、時には車を止めて立ち止まり、まぶたに焼き付けたことも何度かある。北上川登米の町並みもその一つである。 ドラマを観ながら、<ああ、ここは行ったことがある>と昨日のように思い出す場面が、今週だけで2度3度とあって、懐かしくなるのでした。ドラマは主人公が気象予報士になるという設定であるが、第一週のなかで、西島秀俊が演じる人気の気象キャスター・浅岡覚が登場し、彩雲や移流霧などを主人公のモネに語る気象現象の解説が、とても興味深い。詳しいことはネタバレになるので控えます。

 さて、今回の本題は、タイトルに書いた「忘れられない気象予報士」です。
 私が初めて気象予報士ってすごいなあと思ったのが、倉嶋厚さんというNHKの1980年代の後半、夜の番組、「ニュースセンター9時」の天気予報で活躍していた方です。当時は天気図と、やっと定着しはじめた気象衛星からの映像をみながら次々と天気の予想をする。それだけでなく、何よりの楽しみだったのが、倉嶋さんが話す気象に関わるお話が、気象現象の単なる豆知識だけでなく、花や虫にも触れながら新たな自然との出会いに導いてくれたり、時には人間社会の在り方に結びつけて考えさせてくれたのでした。
 ということで、当時、倉嶋さんの書かれた著書が本棚の奥に眠っているのを思い出し、一昨日、やっと見つけた一冊が『暮らしの気象学』(草思社)。奥付をみると1984年11月発行でした。改めて読み直したのですが、今更ながら、その博識と慧眼に驚いたのでした。
 以下、いくつかを引用して紹介します。

「宇宙から見る時代に」から
 人間は大気という、海の底に住む海底動物ということができる。これまでの気象観測は、その海の底から上を見て行われてきた。つい近年まで、だれ一人として、大気の海の上に出て地球を上から見下ろしたり、空気のない宇宙空間を見た者はなかった。

「当たらない天気予報」から
 頭上の天気は、大スケールの現象の他に、様々のスケールの現象によって形成されている。1000㎞程度で1~2日のライフタイムの小低気圧、直径100㎞で半日から1日程度の積乱雲群、直径10㎞、6時間以下の集中豪雨域など、数多くの現象がからみ合い、その時その時でそれまでの主役が脇役になり、脇役が主役になるなど、めまぐるしく交代しながら、実際の天気を作り出している。天気図の上に描き出される大スケールの気圧系の変化は、たとえてみれば、封建社会の後に資本主義社会が来るといった大きな歴史の流れで有り、頭上の天気は個人の運命ということができる。長い時間スケールで見た歴史の流れは新しい明日に向かっていても、短い個人の一生は時代の逆流の中で終わることがある。これが「はずれ」である。

 そして最終章『異常気象はなぜおこる』の「被災性が増大し複雑化している」で、次のように結んでいる。

 天気の異常はいつの時代にもあったとしても、それが人間社会に及ぼす影響の様相、規模、意義、重要度は、時代によって異なる。そして現代の異常気象問題は、第一級の重要性を帯びてきたのである。それは人間社会の異常気象からの被災性(バルナラビリティ)が大きくなったからである。(中略)
 世界経済の発展、国際分業の進行などによる各国経済の相互依存性の強化と複雑化、食生活の変化、生産調節などの食糧政策、投機的行為などのため、従来は、それぞれの国の国内経済にしか影響の及ばなかった異常気象でも、世界的な影響を及ぼしはじめ、世界的な人口の増大、資源の逼迫などと相まって、深刻な状況を作り出しているのである。(中略)近年は防波堤に囲まれた低地帯への人口の密集、急傾斜地への生活圏の拡大、道路建設などによる人口崖の増大、ダムなどの建造物の増加、レジャー人口の増大による野外における激烈な気象現象との遭遇率の増加などにより、「災害ポテンシャル」(災害を受ける潜在的可能性)が急増しており、人間の気象現象に対する防衛手段が破れた場合に起こる災害の規模は、従来に比べてはるかに大きく深刻になっている。

ということで、次週からも天気キャスターに関わる場面には、注目していきたい。そして主人公モネがどのような気象予報士になるのか楽しみである。<仁>

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何を書いてもいいんだよ ~ 作文教育学習会の案内 ~

 作文の授業はどうするの? 何を書かせればいいの?
 週末作文で「お出かけ作文」になっていませんか? 学校行事の後、いつも教師の指示で「行事作文」を書かせていませんか?

 「何を書いてもいいんだよ。」と言ったって、何でもいいわけないじゃないと思っていますよね。子どもが書いたものが出発点です。そこから始めるのです。

 当日は、2本のレポート発表から「日記や作文を書くことが子どもたちを元気にする」「日記や作文を書いて読み合うことで、学級の子どもたちとつながりあえる」と感じることができるでしょう。
 コロナ禍の中、子どもたちをつなぐことを、学校だからできることを、みんなで探していきませんか。
 教師が元気じゃないと、子ども達も元気になれない。学習会に参加して教室に元気を届けましょう。(高橋)

 宮城作文の会の高橋さんに、参加お誘いの文章を寄せてもらいました。
 今年度最初の学習会は、宮城作文の会のみなさんとの共催となります。コロナ禍のなか先が見通せない状況ですが、できることから少しずつ始めていきたいと思います。ぜひ皆さんご参加ください。お待ちしてます。

【作文教育学習会】

  何を書いてもいいんだよ     ※ 参加費は、無料

  ◆日 時:2021年6月5日(土)13:30~16:30
  ◆場 所:フォレスト仙台2F  第1会議室
   (仙台市青葉区柏木1-2-45 地下鉄北四番丁下車、徒歩7分) 
   ◆レポート報告
    「作文のある教室」堀籠智加枝さん
(鳴瀬小)
    「はじめまして作文」千葉早苗さん
(南小泉小)               

  新型コロナウイルスの感染防止のため、健康不良の方は参加をお控えください。また参加の際には、手洗いマスク着用など感染防止にご協力ください。 

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本をまくらに2『チッソは私であった』

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 私の生地は、北上川北上山地に挟まれた盆地状の小さい部落で、一目で全体が見渡せ、その様子は、今になるもほとんど変わっていません。小学校6年間を分校生活、“ 儀式 ” があるときは、川の流れを見下ろす崖沿いの道を本校にいかねばなりませんでした。子どもの足で小一時間かかったでしょうか。それでも、私の部落は本校には一番近かったのですから、私たちの倍の時間も費やして本校まで歩いた人たちがいたのです。

 歳を重ねるにしたがって昔を思い出す頻度は多くなっています。そのほとんどは、自然とひとつになっている自分(たち)の四季のいろいろです。
 夏の暮らしは北上川になります。川はどこまでも澄んでいて、泳いでいる場所の底近くにはメダカの群も私たちにかまわず泳いでいるのでした。大雨の直後は一挙に増水し、濁り川になるのですが、それも少しの我慢で、すぐ元のきれいな川にもどります。
 石巻と岩手の間を蒸気船が上り下りし、ポンポンポンという音が聴こえてくると、家を飛び出し堤防に駆け上がり、手を振り、声をあげ、音が小さくなるまで見送るのもいつもの例でした。
 終戦の翌年から、これまでにない台風が来て、川の増水・流れの激しさはこれまでにないものになり、水かさが減ってくるまで震えて過ごしました。水量が元にもどっても、年々、川の水の濁りはひどくなって泳ぎもできない川になってしまいました。
 秋の学校帰りは、途中の山越えで、ランドセルを道端に置いて山に入り、キノコを採るのも楽しみの一つだったのですが、それも、年々、キノコが見つけにくくなってきました。山が荒れだしたためです。働き手が次々と戦地に行き、ほとんどは帰ってこない。川水が濁り川になっていったのも山の荒れとなんとなく無関係でないと思ったのでした。

 なんで突然こんなことを・・・。時々あることとは言え、先日、『チッソは私であった』(緒方正人著 河出文庫)を読みながら噴き出してきた私の思い出の断片です。
 著者の緒方さんは、1963年生まれで、不知火海で漁業を営む方です。父親を水俣病で亡くし、20歳の時から患者たちの運動に参加、先頭に立って動き、逮捕歴もあるようです。
 その緒方さんが、「自らが求めつづけていた患者としての認定申請を取り下げた」のです。なぜか。緒方さんは繰り返し次のように言います。
 「確かに水俣病事件のなかでは、チッソが加害企業であるし、国や県がそれを擁護して産業優先の政策を進めてきたのも事実です。その意味では、三者とも加害者であることは構造的な事実です。しかし、チッソや国や県にあると思っていた水俣病事件の責任が、本質的なものなのかという疑問がずっとありました。そういう構造的な責任の奥に、人間の責任という大変大きな問題があるという気がして仕方がなかったわけです。」と。
 そして、「水俣病事件は問われているのは加害者で、まさか自分が問われているなどとは一度も思ったことがなかった」とも言っています。
 その緒方さんが、事件の意味を考えつづけているうちに、「私自身ももう一人のチッソだった」と考えるようになったというわけです。「命のつながりから自分自身も遠ざかっているのではないかという危機感があった。水俣、芦北の方でも自然が壊されている。農業、漁業のあり方そのものが壊している面がある。でも、壊していることの痛み、自然の痛みをさまざまに感じとっていかなければいけないのに。自然の命に目覚めることが私たちの大きな課題ではないか」と自問をつづけます。それが「チッソは私であった」になったわけです。

 『チッソは私であった』を読むと、故郷を離れた地で暮らしているうちに自然を見る目が鈍感になったなあと自分が恥ずかしくなります。
 自問をつづけながら緒方さんは、「わたしは海山と繋がりたい。そして、人間だけでなく自然に対する信頼をもっていたいと思いつづけているんです。これははっきりしたわたし自身の意志です。なんちゅうかなあ、好きなんですね。・・」と言い切ります。不知火の海に浮かぶ舟の大半はプラスチック製。緒方さんは木の舟をつくります。その舟を石牟礼道子さんは「常世の舟」と言います。「常世」、なんといい言葉でしょう。これひとつとっても緒方さんの魂を感じます。

 ここにも別の魂が・・・。
 3・11後、福島県大熊町歌人・佐藤祐禎さんの歌集『青白き光』が知人から届き、以来、私は常に身近に置いています。その中で福島原発に関する歌を詠みつづけています。佐藤さんにとっては、「安全」でも「想定外」でもなかったのです。それらの歌に佐藤さんの魂を感じるのです。5首紹介します。

  小火災など告げられず原発の事故にも怠惰になりゆく町か(1989年)
  原発が来りて富めるわが町に心貧しくなりたる多し(1990年)
  原発に縋りて無為の20年ぢり貧の町増設もとむ(1991年)
  反原発のわが歌に心寄せくるは大方力なき地区の人々(1991年)
  地震には絶対強しといふチラシ入る不安を見透かすごと原発は(1994年)

「青白き光」もまた「チッソは私であった」と同じ魂の書だとあらためて思ったのです。( 春 )

季節のたより75 ブナ

 肥沃な土壌をつくり、いのちを育むブナの森

 5月、栗駒山のブナの森におそい春がやってきます。
 県北の温湯温泉をとおって秋田の湯沢に抜ける国道398号線を車で走り、途中の湯浜峠に立つと、残雪が残る栗駒山が姿を見せます。眼下には淡緑色に色づき始めたブナの樹海が広がります。
 峠を下って樹海のなかを走ると、左右は残雪のなかに立ち並ぶブナの大木。幹のまわりには大きな空洞ができていました。ブナが目覚めて活動を始めると、その体温で根元の雪が解け始めます。ブナの森の春はブナの足元からやってくるのです。

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         残雪の上に立つブナ、足元には空洞ができています。

 固くしまった雪の上には芽吹いた冬芽の殻や折れた小枝が散乱していました。見上げると、ブナの梢では黄緑色の若葉が開いています。ブナは芽吹き始めると、次から次へと新しい葉を出していきます。ブナは秋のうちから冬芽に幼い葉を準備し、前の年に蓄えた養分を使って、またたく間に一年分の葉を開き切ります。
 黄緑色の若葉の色で1日1日山が膨らんでいくように見えるのがこの季節です。

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        ブナの若葉で、森は日に日にふくらんでいきます。

 ブナは冬芽が開くと同時に花が咲きます。若葉と雄花が同時にあらわれ、雄花は柄を伸ばしてぼんぼりのようにぶらさがっています。雌花は枝を伸ばした若葉のつけねに上向きにちょこんとついています。
 ブナの花は風の力を利用して受粉する風媒花です。風が吹くと雄花がゆれて花粉が飛び散り、風にのって雌花に運ばれていきます。
 ブナの森では時期を合わせたように一斉に開花します。風媒花はそのほうが単独で花を咲かせるよりもずっと受粉率が高くなるからでしょう。でも雌花に届くのはほんのわずか、大量の花粉が土に落ちて死滅してしまいます。それでも、ブナの雄花はできるだけ遠くの雌花に花粉を届けて丈夫な種子をつくろうとしています。

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  ぼんぼりのような雄花    上が雌花、下が雄花   大量に地面に落ちる雄花

 ブナが活動を始めると、ブナの体温と春のあたたかさで根元の雪解けが進んでいきます。黒い地面があらわれると、待っていたとばかりにミズバショウが芽を出し、昆虫たちも活動を始めます。カタクリ、イワウチワ、スミレなどのスブリングエフェメラルと呼ばれる植物たちが、地面を華やかに彩ります。
 冬眠から目覚めた熊やカモシカ、テンなどの動物たちも動き出し、ワラビやゼンマイ、山菜とりをする人たちでブナの森がにぎわい、ブナの森はブナの目覚めとともに躍動を始めます。

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      カタクリの花            オオバキスミレの群落

 雪解け水を吸い込んで落葉の下からブナのこどもが芽を出しているのを見つけました。昨年できたブナの実が熊や野ネズミたちに食べられずに残ったものでしょう。でもこの実生たちが運よく育ち若木になったとしても、多くは森の動物たちに食べられたり、地上に倒れたりして数を減らしていきます。

 ブナの森の奥に分け入り、長い年月を生き延びてきた巨木に出会いました。その荒々しい樹肌には、風雪に耐え生きてきた森の時間が刻まれていました。上空に広がる無数の枝葉を見上げて、あの小さな実生から育つ若木たちのことを思いました。すべての若木たちが育ったら、このような巨木や大木は存在できなかったでしょう。大木が育つには、栄養や水分、日光の配分などの大木を支えるだけの環境が必要です。多くの若木たちは、大木になる道を他者にゆずり、新たな森のいのちへと還元されていったのです。生存競争に負けたのではなく側面から大木になる若木を支え、種のいのちをつなぐ任務をその若木に託したのです。
 自然界の厳しい「選択」には、人間の思いや感傷を超えた叡智を感じます。

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     ブナの芽生え(実生)            ブナの若木の林

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 梅雨の季節にブナの森に入ってみました。森は雨と霧につつまれ煙っています。
 渓谷は水であふれていると思ったのですが、いつもと変わりがありません。
 降った雨はどこにいったのでしょう。降ってくる雨は、上向きに開いたブナの木の葉でじょうろのように受け止められています。葉にたまった雨は葉から枝へ、枝を伝って幹へと送られ、ブナの幹を伝い川のように流れています。そしてそのまま落ち葉の厚く積もった根元に吸い込まれていきました。
 地面に吸い込まれた雨は、落ち葉の下の土の層に豊かな地下水として蓄えられます。地下水は長い時間をかけて清水となって湧き出し、川となって一年中枯れることがなく豊かな水量を保ちます。
 ブナの森から流れ出す川の水は、森が作り出した栄養たっぷりの土も運んで、川の下流の広がる田畑を潤しイネや作物を育ててきました。

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   幹を流れる水   落葉に吸い込まれる水  年中枯れることのない谷川の水

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栗駒山の山肌に4月の終わり頃、残雪が「駒の姿」(左側)と「種まき坊主」(右側、山の陰になってしまいました)の姿を現します。この姿を見て、昔の人は農作業の準備をしたと言います。

 夏になると、ブナの森は濃い緑色に変わります。森のなかに足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌をつつみます。外の暑さとは別世界です。
 ブナの木々は大きく広げた葉で夏の日ざしを受け止め、根からはさかんに水分をすいあげて光合成の真っ最中。夏はブナがたくさんの栄養分を作り出し、幹を太らせ翌年の花を咲かせ実を実らせようと活動している季節なのです。

f:id:mkbkc:20210507155348j:plain                    夏は、緑の葉をいっぱいにつけ幹を太らせます。

 夏が過ぎると1日1日と陽が沈むのが早くなります。ブナの森が朝夕冷え込み、霧でおおわれるようになると、低木のハウチワカエデが真っ赤に染まり、ブナやミズナラ、トチなどがそのあとを追うように色づき始めます。
 寒暖の差が大きいと、ブナの木は一気に黄色に染まり、わずかの間に茶色に変わって落ち始めます。ときおり木枯らしがふきつけるとあっと言う間に丸裸。落ち葉は高く舞いあがり、地面に落ちてあつく積み重なっていきます。

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     木々が混生するブナの森の紅葉          ブナの木の黄葉

 落ち葉の下を掘ってみました。朽ちた落ち葉が何層にも積み重なっています。なかから、ミミズやトビムシヤスデなどの生きものたちが出てきました。
 落ち葉の層には、他にも多くの生きものたちが住んでいます。積み重なった落ち葉を食べてかみ砕くのは、ミミズやトブムシなどの仲間。森に住む動物たちの排泄物や死体をかたづけるのが、シデムシやゴミムシなどの仲間です。これらの土壌生物が砕いたものを、さらにキノコやカビや目に見えない微生物が、細かく分解して、養分たっぷりの柔らかい黒い土に変えていきます。
 その土が、また新たなブナや他の植物を育てます。そしてその植物の葉や花や実を食べて、森に住む生きものたちのいのちをつないでいます。
 ブナの森のなかは、人がよけいな手を加えなくても、植物たちが作り出す栄養を中心にした食物連鎖と循環のしくみが永遠に続いていくのです。

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  倒れたブナの木、落ち葉と一緒に土に還る    キノコは枯れ木の分解者

 森の豊かな環境があるかぎり、植物たちは日光と水分と大気から取り入れた二酸化炭素を原料に、栄養分を作り続けます。さらに人も含めてすべての生きものたちが必要とする新鮮な酸素を、大気中にはきだします。この自然のしくみの恩恵がどんなに貴重なものかを、人が森の大気にふれながら、理屈ではなく体をとおして感じていたら、自然破壊はこれほどまでに進行することはなかったでしょう。

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     秋の終わり、木の葉を落とすと ブナは冬の眠りにはいります。

 ブナは漢字で「橅」と書きます。ブナ材は、狂いが激しく、加工が困難で建築材には向かないので、役に立たない「歩の合わない木」、あるいは「ぶんなげる木」が転訛してブナになったなどと言われています。
 それをそのまま受け止めていいのか、ずっと疑問でした。昔の人々は、経験上、ブナの森が全てのいのちを育む水源の森であるとわかっていたはず。それなのに、ブナを「役立たずの木」としているのが、どうも腑に落ちないのです。

 八溝山系の山中に猟犬・クマと自給自足の暮らしをする猟師の義っしゃんは、森を訪ねてきた友人に、「橅」について、土地のことばでこんなふうに語ります。

「・・橅ってない。木偏に無とかくばい。これにはちゃんと意味(わけ)あってよ。親父が言ってたげどない。『木では無い』っていう意味なんだど。それはない、この木を使って家(うち)建でっとよ、その家は土台から傾ぐもんだから、木でねんだから建物に使っては駄目だって教えらっちゃぞい」「橅は本当はうまく乾燥して使えばとても優れた建築材になるんだけど、」「とにかく、大切な樹木なものだから、勝手に切って家を建てたら、土台が傾いて罰(ばち)が当たるぞっていう教えなんだなあ。」  (小泉武夫著・『猟師の肉は腐らない』・新潮社)

 ブナの森の豊かな恵みを知っていた昔の人々は、ブナを永遠に守るために「橅」の漢字にあてていたようです。そこには後に続く世代を思いやる祖先の想像力と深い想いを感じるのです。(千)

◆昨年5月「季節のたより」紹介の草花

2021 教科書問題を考える県民のつどい・案内

 子どもと教科書みやぎネット21を中心に、私たち研究センターも呼びかけ団体の一つとして、毎年この時期に「教科書問題を考える県民のつどい」を持ってきました。昨年は、残念ながらコロナで開催することができませんでした。現在もコロナ禍ではありますが、いつまでも手をこまねいているわけにはいきません。今年度は、感染防止の手立てを取りながら開催することにしました。
(感染状況等によっては、やむを得ずZOOMによるオンライン開催に変更となる場合があります。ご理解のほどよろしくお願いします。)

 今回は、子どもと教科書全国ネット21の事務局長をされている鈴木敏夫さんをお迎えして、このコロナ禍に便乗して推し進められる「GIGAスクール構想」と「令和の日本型教育改革」について講演いただきます。ぜひみなさん、ご参加ください。

 なお、感染防止対策のため【事前申し込み制】とさせていただきます。参加の方は、必ず下記URLよりお申込ください。ご了承ください。

   https://forms.gle/gh8fGKCrPMkdcBKE6 

【学習講演会】
 GIGAスクール構想と
 『令和の日本型教育』を読み解く 
  ~ 新高校用からデジタルまで教科書をどうするか ~

  ◆日 時:2021年5月15日(土)13:30~16:30
  ◆場 所:フォレスト仙台2F 第6会議室
       (仙台市青葉区柏木1-2-45)
   ◆講師:鈴木 敏夫さん
                         (子どもと教科書全国ネット21事務局長)

※ この企画は、「子どもと教科書全国ネット21東北ブロック交流学習
 集会を
兼ねています。講演の他、東北各県の情報交流や宮城県の「育鵬
 社」採択につ
いても話題提供があります。 

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えっ本当! フォーラム仙台で上映『あこがれの空の下』

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 今年の正月、東京は和光小学校の藤田さん(この3月で退職されました)から届いた封書を開くと、なかから出てきたのは年賀状と、映画『あこがれの空の下~ 教科書のない小学校の一年 ~』のチラシ。年賀には「よかったら上映会を開いていただけませんか?」と書かれていました。
 私もかつて、短かったとはいえ和光幼稚園に勤め、子育て・教育を見つめ考える貴重な経験をしました。この経験がなければ、今の自分はないだろうと思っています。

 藤田さんの年賀に応えたいと思いながらも、和光を知らない人がほとんどだろう宮城・仙台ではなかなか難しいなあ・・・と思っていました。ところが先日、フォーラム仙台に映画を観に行ってビックリ。なんと近日上映のチラシのなかに、正月に藤田さんからもらったチラシがあるではありませんか。え~っ、映画館で上映してくれるんだ。すごいぞフォーラム。東京の藤田さんに「映画館での上映」が行われることを、すぐさま連絡。藤田さんに映画紹介をお願いすると、快く引き受けてくれました。以下に、その文章を掲載します。ぜひ、みなさん映画館に足を運んでください。コロナが上映に影響しませんように。(キヨ)

    上映は、仙台フォーラムで
  5月14日(金)~ 5月20日(木)の予定
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 学習指導要領改定に伴い小学校に英語・道徳の教科化、プログラミング教育の導入が進められました。この映画は今の教育制度に対して疑問を持つディレクターが一つの試みとして作りました。和光小学校の取り組みを取材し、伝えることが何かしらの波紋を投げかけることになるのではないかと考えたそうです。当初はNHK特集に向けて企画されたものでしたが、映画として作られました。私たちは作成の意図に共感し協力しました。主に2018年の1年間が収められています。

 和光小学校は今では「変わった学校」と珍しがられることもあります。しかし、私たちが続けてきた学校づくりは何も変わったことをしているつもりはなく、当たり前のことをしてきたまでです。むしろ変わってしまったのはその他の学校の方ではないかと感じています。学校って何だろう? 学校でできることって何か? という問いを持ちながら見ていただくと嬉しいです。

 映画の題名「あこがれの空の下」は和光小学校の校歌のことばからつけられました。この歌は和光学園の園長だった丸木政臣さんの作詞です。曲は丸木さんのお友達の池辺晋一郎さんにお願いしました。

  和光小学校校歌「この道をゆく」
  作詞:丸木政臣 作曲:池辺晋一郎

桜が咲いて 顔もほころび 朝の光が 輝きわたる
肩を並べて 元気にゆけば 憧れの空の下 雲は流れ
自由のあかりが 行手を照らす

庭のいちょうが 黄いろく萌えて こずえを見れば 歴史の流れ
夢を描いて 集う人たち 未来への空の下 僕らはみな
希望を抱いて 歩き続ける

木枯らしの中 顔をほてらせ みんなでうたう 命の讃歌
山の彼方に こだましあって 朝焼けの空の下 喜びあふれ
平和の未来を 語り続ける

                                                                             藤田康郎(元和光小学校教員)