mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

『おかえりモネ』と、忘れられない気象予報士

 今月17日から始まったNHK朝の連続テレビ小説を、見落とししないように録画しながら、毎日観ている。理由はドラマの舞台が宮城であるからというのが一番である。主な舞台である登米気仙沼、いわゆる県北地方。私にとっては、その地で暮らしたこともなく、仕事の関係や小旅行で訪れるだけの地であったが、車のハンドルを握りながら初めて見る景色は、時には車を止めて立ち止まり、まぶたに焼き付けたことも何度かある。北上川登米の町並みもその一つである。 ドラマを観ながら、<ああ、ここは行ったことがある>と昨日のように思い出す場面が、今週だけで2度3度とあって、懐かしくなるのでした。ドラマは主人公が気象予報士になるという設定であるが、第一週のなかで、西島秀俊が演じる人気の気象キャスター・浅岡覚が登場し、彩雲や移流霧などを主人公のモネに語る気象現象の解説が、とても興味深い。詳しいことはネタバレになるので控えます。

 さて、今回の本題は、タイトルに書いた「忘れられない気象予報士」です。
 私が初めて気象予報士ってすごいなあと思ったのが、倉嶋厚さんというNHKの1980年代の後半、夜の番組、「ニュースセンター9時」の天気予報で活躍していた方です。当時は天気図と、やっと定着しはじめた気象衛星からの映像をみながら次々と天気の予想をする。それだけでなく、何よりの楽しみだったのが、倉嶋さんが話す気象に関わるお話が、気象現象の単なる豆知識だけでなく、花や虫にも触れながら新たな自然との出会いに導いてくれたり、時には人間社会の在り方に結びつけて考えさせてくれたのでした。
 ということで、当時、倉嶋さんの書かれた著書が本棚の奥に眠っているのを思い出し、一昨日、やっと見つけた一冊が『暮らしの気象学』(草思社)。奥付をみると1984年11月発行でした。改めて読み直したのですが、今更ながら、その博識と慧眼に驚いたのでした。
 以下、いくつかを引用して紹介します。

「宇宙から見る時代に」から
 人間は大気という、海の底に住む海底動物ということができる。これまでの気象観測は、その海の底から上を見て行われてきた。つい近年まで、だれ一人として、大気の海の上に出て地球を上から見下ろしたり、空気のない宇宙空間を見た者はなかった。

「当たらない天気予報」から
 頭上の天気は、大スケールの現象の他に、様々のスケールの現象によって形成されている。1000㎞程度で1~2日のライフタイムの小低気圧、直径100㎞で半日から1日程度の積乱雲群、直径10㎞、6時間以下の集中豪雨域など、数多くの現象がからみ合い、その時その時でそれまでの主役が脇役になり、脇役が主役になるなど、めまぐるしく交代しながら、実際の天気を作り出している。天気図の上に描き出される大スケールの気圧系の変化は、たとえてみれば、封建社会の後に資本主義社会が来るといった大きな歴史の流れで有り、頭上の天気は個人の運命ということができる。長い時間スケールで見た歴史の流れは新しい明日に向かっていても、短い個人の一生は時代の逆流の中で終わることがある。これが「はずれ」である。

 そして最終章『異常気象はなぜおこる』の「被災性が増大し複雑化している」で、次のように結んでいる。

 天気の異常はいつの時代にもあったとしても、それが人間社会に及ぼす影響の様相、規模、意義、重要度は、時代によって異なる。そして現代の異常気象問題は、第一級の重要性を帯びてきたのである。それは人間社会の異常気象からの被災性(バルナラビリティ)が大きくなったからである。(中略)
 世界経済の発展、国際分業の進行などによる各国経済の相互依存性の強化と複雑化、食生活の変化、生産調節などの食糧政策、投機的行為などのため、従来は、それぞれの国の国内経済にしか影響の及ばなかった異常気象でも、世界的な影響を及ぼしはじめ、世界的な人口の増大、資源の逼迫などと相まって、深刻な状況を作り出しているのである。(中略)近年は防波堤に囲まれた低地帯への人口の密集、急傾斜地への生活圏の拡大、道路建設などによる人口崖の増大、ダムなどの建造物の増加、レジャー人口の増大による野外における激烈な気象現象との遭遇率の増加などにより、「災害ポテンシャル」(災害を受ける潜在的可能性)が急増しており、人間の気象現象に対する防衛手段が破れた場合に起こる災害の規模は、従来に比べてはるかに大きく深刻になっている。

ということで、次週からも天気キャスターに関わる場面には、注目していきたい。そして主人公モネがどのような気象予報士になるのか楽しみである。<仁>

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