mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

毎日新聞「宿題さよなら革命」を読んで

 Kさんから送られてくる「宮城の会ニュース」に載っていた毎日新聞の「ウラから目線 宿題さよなら革命」をおもしろく読んだ。

  執筆者は外国の事例を紹介しながら、最後を「政府は『人づくり革命』なるふしぎ政策を始めるようだけど、『宿題なし』を第1弾としては?  不安なら、まず宿題の功罪について自由研究をしてみるといい。」と結んでいた。

 塾に行くのが当たり前になっている昨今、何寝言をと叱られそうだが、私は「宿題なし」に大賛成である。これも今とは違う時の話じゃないかと言われそうだが、在職中に1年間しか宿題を出したことがなかった。夏休みの作品は、全校での作品展があるうちは出していたが。
 ある年の休み明け、自作の木工の車にランドセルを積み、胸を張ってガラガラと引っ張ってきたY君の姿は今でも覚えている。Y君も木の車もピカピカと見えた。後でY君に製作記を書いてもらったら、その苦労が手に取るようにわかったことも印象を強くしたのだろう。

 通常、私はよほどでないと宿題を出さなかったが、ある年、持ち上がりの6年生が「宿題を出してくれ」と言う。なぜか今でもわからない。一人二人が言うのではない。「それでは毎日出す!」と宣言した。私の中では、(彼らが思い描いていない宿題を出そう)と決めたのだ。
 1年間、そのタネ探しがたいへんだった。図書室をのぞいたり、書店に走ったりもした。その時の宿題メモが見つからないので、子どもたちの日記から、2つ3つ紹介する。

 「今日の宿題は、一人あたりの国民所得が高い国のベストファイブを先生が黒板
 に書き、その国の形を地図帳を見て書きうつし、その中に首都を書くというもの
 でした。~~」

 「今日の宿題は、6枚のタタミの敷き方は何種類あるかでした。~~」

 「今日の宿題は、分数を小数に直すことでした。前の授業参観と同じように何か
 きまりがあるんだなと思いました。1/13~5/13です。~~」

 「宿題は、1,4,6,9で1~20までの答えを出す式をつくるのでした。お
 母さんはもうつかれたみたいです。お父さんはいみがわからなくてお母さんに教
 えてもらいました。~~」

というような宿題の1年間。「家の全員でやってもできないのがあって、次の日、お父さんが会社にもっていってもダメでした」ということもあった。

 この年の私は出題疲れだった。とは言いながら、子どもの日記のタネに宿題がとりあげられた年でもあった。
 とにかく、子どもの世界をより広げることを考えると、宿題には賛成する気にはなれない。( 春 )

 ※ なお、毎日新聞の記事「ウラから目線 宿題さよなら革命」は、以下の通りです。

 夏休みも残りわずか。片や宿題は山のように。厄介なのは自由研究だ。子ども以上に親が悩む。

 でも心配ご無用。例えば、ネット通販のアマゾンを使えば、翌日には、「自由研究」が自宅に届く。
 親切なことに、学年別、制作日数別に選ぶことができる。切羽詰まっているこの時期、生き物を育てて観察する2週間コースなど論外だ。
 「1日でできる」「ベストセラー1位」指定の、色の研究ができる実験キットを注文してみた。なぜか「男の子向き」とあるが無視。1500円で翌日には自宅に。色とは何だろう?という解説文や、絵の具、スポイト、試験管など全部そろっていてとっても便利だし、きれいだ。
 でも……。ふと、事故で絶望的事態に陥りながら、見事地球に生還したアポロ13号を思い出す。楽に課題を処理する習慣がついた人間からは、宇宙船内の物で利用できそうな物は全部、靴下まで使って次々とトラブルを克服したチームのあの工夫とねばりは、まず生まれないだろう。
 それにしても、なぜ夏休みに宿題か。学校のドリル、塾のドリル、読書感想文に絵日記、自由研究。家庭内で休む権利を侵食し過ぎだ。これなら授業を続けた方がましでは?
 欧米など多くの国は夏の時期に学年が変わることもあり、夏休みの宿題そのものがない。さらに、フィンランドみたいに、学校のある時期も宿題がほとんど出ない国もある。
 米フロリダ州のマリオン郡は、域内の全公立小学校に宿題禁止令を出した。代わりに子どもたちは、毎日20分本を読むか、親に読んでもらう。
 子どもの学力低下が心配? それでは、宿題がほとんどない国の子は学力が低いのかというと、少なくともフィンランドは国際ランキングでトップクラスだ。
 そしてこの日本はというと--。文部科学省がまとめた「科学技術指標2017」というのがある。子どもが成長した後の話だけど、それによると、日本の研究開発費や研究者数は主要国中3位、論文の総数は4位なのに、「注目度の高い論文」は9位で年々低下しているという。
 政府は「人づくり革命」なるふしぎ政策を始めるようだけど、「宿題なし」を第1弾としては? 不安なら、まず宿題の功罪について自由研究をしてみるといい。(論説委員 福本容子)

武器なき平和の島 沖縄  ~淮陰生「一月一言」から~

 先に、淮陰生の「一月一言」から引いたことがあるが、今日も同書から別の話を紹介する。

 この話は「武器なき平和の島沖縄という一事が、晩年のナポレオンを驚倒させたいう話がある。」と始まる。
 1817年8月というから、場所は、ナポレオンの最後の地セント・ヘレナになる。朝鮮半島西岸・琉球諸島への調査航海の帰途だったイギリス軍艦が寄港し、物好きな艦長がナポレオンに会見を求めたらしい。ナポレオンも暇だったろうからすぐ実現したのだろう。
 著者淮陰生は、その会談での沖縄についての話をおおよそ次のように書く。
 まず艦長が、沖縄という島には武器というものが一切ないということを話すと、これにはナポレオンが、まったく理解に苦しんだ。そこで、ふたりのやりとり。 

 「武器といっても、それは大砲のことだろうね。小銃ぐらいはあるだろうが」
 「いや、それもありません」
 「じゃ、投槍といったようなものは?」
 「それもありません」
 「じゃ、弓矢はどうだね。まさか小刀くらいはあるだろう」
 「いや、それもありません」
 すると、ナポレオンはワナワナと拳をふるわせながら、大声で叫んだ。
 「武器がなくて、いったい何で戦争をするのだ?」
 「いえ、戦争というものをまったく知らないのです。内外ともに憂患というよう
 なものは、ほとんどみられませんでした」

とたんにナポレオンは、さも冷笑するかのように眉をひそめた。そして、「太陽の下、そんな戦争をやらぬ民族などというものがあるはずがない」と答えたという。

 ナポレオンと艦長のやりとりはいろいろなことを考えさせてくれそうに思ったが、「私はこんなことを考えた」などとつまらないことを付けないことにする。ただ、沖縄は、武器なき島だったことをいつまでも忘れないようにしようと思う。

 淮陰生は、「それにしても、500年に及ぶ武器なき平和の島だったのである。それが沖縄戦以来、大軍事基地群の島、そしてまた自衛隊の島になるとは、変わったといえば変わった。ずいぶんひどい話ではある。」と結んでいる。

 これが書かれたのは1972年7月。2か月前が「沖縄本土復帰」になる。( 春 )

ブラボー高校生  ~安田菜津紀さんの東北スタディーツアーに参加~

今日は8月11日。3.11東日本大震災の、所謂、月命日である。
少し前の7月のことになるが、とてもうれしい話があった。
フォトジャーナリストの安田菜津紀さんから知らせが入った。
 8月5日から8日までの4日間の日程で行われる3.11の被災地、福島・宮城・岩手の3県を回る今回で4回目となる東北スタディーツアー。テーマは、被災地の今を知り、これからの復興について考えよう。その参加者を募集したところ、全国からたくさんの申し込みの中に、5月にセンターが主催した安田菜津紀講演会に参加していた宮城の高校生が申し込んでくれたというのである。
 センターが高校生公開授業や各種講演会を開催する大きな目的の一つに、『学びと出会い』がある。少なくとも、スタディーツアーに参加することを決めたこの高校生には、センターの願いが届いたのだろうと思うと、とてもとてもうれしいことである。 

安田菜津紀さんの8月9日のブログには、次のような文が書かれていた。


長崎市山王神社。樹齢600年と言われる、被爆したクスノキ。熱線にされてもなお緑を取り戻した、その生命力に圧倒される。「話さない語り部なんです」と宮司さんが教えてくれた。宮司さんご自身も、当時三歳。そんな残された過去の手がかりが、きっと私たちのこれからを照らしてくれる。
 私たちが72年間の歴史をさかのぼることはできない。けれども苦痛を伴いながらなお人々が残しきた言葉を灯に、想像し続けることはできる。思考する勇気を、手放さないこと。私たちに課せられた、大きな宿題。

 

 そしてもう一話。今日(11日)夕方のNHKニュースを見ていると、全国の高校生が呼びかけて集めた核兵器廃絶署名が過去最高の21万筆集まり、代表が高校生平和大使として国連に届けるという。

 私たちも高校生のように『学び、想像し続け、思考する勇気を手放さない』ようにしなければと。<仁>

宮川健郎先生、今年も来仙!

 昨年の『夏休み こくご講座』でお話しいただきお世話になった宮川先生が、今年は宮城教育大学の企画で、ふたたび仙台にやってきます。先日、宮川先生とお話した際にお知らせいただきました。
 一般公開の企画なので、興味関心のある方は、ぜひご参加くださいとのことです。

 ◆宮城教育大学付属図書館スパイラル・セッション
             対談 宮川健郎 ✕ 中地文

        児童文学とは何か、児童文学研究とは何か
                ~ その楽しみ と 意義 ~

 ◆日時 2017年8月9日(水)13:30~15時

 ◆会場 宮城教育大学附属図書館 スパイラル・ラボ

         ※ 事前申し込み不要、参加費は無料 です。    

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三島孚滋雄を知ってますか ~ 教師として生きるとは ~

 5年がかりで、田中武雄さんと2人で、『教育の良心を生きた教師―三島孚滋雄の軌跡』という書名のものをまとめた。三島の書き残したものを集め、少数であったが三島を知る方の話を聞いて、できるだけそれらをそのまま生かす形で三島という教師の生き方を知ってもらおうとした。もっと早く取り組めば、もっと多くの方の話をきくことができ、全体を膨らませることができたであろうと思うと、たいへん残念である。

 その三島は、白石中学校長5年目に、職員向けに「河童通信」という名の通信を発行した。校長が職員向けの通信を発行したということに私は驚きながら、そんなことを教員時代、校長に期待することなど寸毫も私はもたなかったし出会いもなかった。
 しかも、「河童通信」は、1号たりともいいかげんなつくりではないのだ。さりげない叙述の体をとりながら、教師として何を大事にすべきかを全エネルギーをぶつけるように職員へ語りかけている。

 全体を通して驚くことのひとつは、そのための読書量だ。「そのための」という言い方はまちがっていて、常日頃の読書量が通信の内容を支えていると言えるだろう。
 たとえば、「河童通信」3号は1957年5月23日発行だが、この号では、岩波新書「一日一言」(桑原武夫編)をとりあげてつくっている。ちなみに、この「一日一言」の初版発行は1956年12月10日である。編者の桑原は「はしがき」の中で次のようなことを書いている。

・・・本書において私たちは、ただ、すぐれた言葉を思いつくままに無秩序に集めるのではなく、一年、365日の日々に、それぞれその日にゆかりのある人物の言葉を収録し、略伝と肖像とをそえ、読者諸君が、毎日ひとつずつの言葉を味わいうるようにしたいと思った。・・・

  私は今になるも「一日一言」を読んでいなかったので、あわてて古本屋に走った。それは新書でありながら小さい字の2段組みでびっしりとつまっており、桑原のなみなみならぬ力の入れようが伝わってくる。三島はそれを、発行後半年も経っていない時に、職員に紹介しているのだ。

 世界の有名人の言葉が毎日並ぶ中、「一日一言」の8月15日は、「太平洋戦争敗戦」の小見出しで、一未亡人の手記。間もなく、またその日がやってくる。全文を以下に紹介する。 

 八月の十五日、とうとう神風は起こらなかった。前線の兵隊さんはどうしていることだろう。痛歎の余り自決! ああそんなことはない、私達を、可愛い子供を残して死ぬものか、きっと帰ってくる、私もとうとう子供を守り通した。もう爆弾で殺されることはない。終戦―何と空々しい静けさであろう。ただ呆然として、夫が帰って来たら・・とそればかり思う。しかし夫は私達に前以上の試練を下されたのでした。
 終戦と同時に軍隊の消滅、物価の暴騰、僅かばかりの貯金の封鎖に、帰還の日の一日も早からんことを祈りつつ、夜ふけてコツコツと聞こえて来る靴の音に今度はと何度胸をおどらせたことでしょう。(いとし子と耐えてゆかん)

                                                                                                                  ( 春 )              

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人とつながり希望を紡ぐ② ~学びでつながり希望を紡ぐ~

 夏休みは、先生たちにとって日頃できないことを始めたり、自分の興味・関心を広げたりするよいチャンスです。研究センターはその一つとして、8月6日(日)に『夏休みこくご講座』を開きますが、先日の被災地支援ツアーでお世話になった宮城県職員組合も、『明日の授業のための教育講座』を開催するとのこと。さまざまな学びの内容が用意されています。早速、雄勝の徳水さんの合い言葉「人とつながり希望を紡ぐ」にあやかり、diaryで紹介します。

 ちなみに『明日の授業のための教育講座』は、この週末1泊2日、29日(土)・30日(日)の開催です。まだまだ今からでも参加申し込みは大丈夫だそうです(宿泊する場合は、日にちが迫っているので組合に連絡がほしいそうです)。

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人とつながり希望を紡ぐ

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 23日(日)は、仙台市長選投票日。市長選は自民、公明などが支持する菅原裕典さんと、民進、社民、共産などが支持・支援する郡和子さんの事実上の一騎打ち。国会の与野党対決の構図と同じ状況の中での仙台市長選、今後の国政にも影響する大事な選挙でした。

 その同じ日に、被災地支援ツアーで石巻雄勝ローズファクトリーガーデンへ。ガーデンづくりのお手伝いに行ってきました。

 ガーデンを運営するのは、德水利枝さんと夫の博志さん。博志さんは、元雄勝小学校の先生で、研究センターのさまざまな取り組みや震災後の聞き取り調査などで大変お世話になっています。また退職するまでの数年間を、学校と地域の再生と復興のために、まさに身を粉にして尽力されてもきました。
 今は、妻の利枝さんと一緒にガーデンづくりをしながら、震災を通じて得た「人とつながり希望を紡ぐ」を合い言葉に、雄勝の森・川・海の生態系と雄勝石やホタテ・ホヤなどの地域資源を生かした「地域内経済循環」の構築と、持続可能な新しい町づくりに取り組んでいます。

 これまで様々な形で支えてくださっている徳水さんに少しでも報いることができればと、今回、宮城県職員組合が企画した被災地支援ツアーに参加させていただきました。
 午前中は、徳水さんが取り組んでいる震災教育プログラムの話をききました。午後はガーデンづくり作業と、震災時の雄勝小、大川小の話を現地に行って聞きました。( キヨ )

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   徳水さんから震災教育プログラムの話を聞く             日本最北限のオリーブの苗木の移植作業

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          女性陣はラベンダーの苗植え作業         みんな、気持ちのいい汗をかきました