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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

3月22日

 先日、ある中小企業の組合が、今年の春闘を、非正規社員の給料を現在の日給制から月給制にすることで交渉している様子をテレビで見た。もちろん非正規社員は組合員ではない。それを交渉事項とするまでの経過はすんなりとはいかなかったろうと勝手に推測し、目標達成までも厳しい闘いがつづくのだろうが、己さえよければという生き方がいろんな場で目立つ今、(いい仲間たちだ!)と清々しい気分になった。

 同時に、そのことによって、私にあった40数年前のことを思い出させられた。 

 私がN校2年目の年末ボーナス時直前のことだった。

 N校には講師が2人いたのだったが、当時(1969年)は講師にはボーナスはまったく支給されていなかった。額はともかく「なぜ?」という思いは前からもっていた。それで、「講師にはボーナスは出ていない。同じように働いているのだし、彼らがいることで私たちも助かっている。講師にも支給されるように声を上げていきたいが、今回のボーナス時に、みんなで少しずつ出し合って、私たちからのささやかなボーナスを2人にあげることはどうだろう」と職場で話をしてみた。

 反応はよかった。すんなりとみな賛成してもらえたと思っていたが、ある時、授業中に、突然の呼び出しがあった。その場所に行くと、学年主任全員と教務主任と副教務がそろって、みな深刻そうな顔をして私を待っていた。

 私が入ると、その場を代表してだろう、Mさんが口を開いた。

「講師へのボーナスのカンパの呼びかけの件だが、そのことについて今話し合いをした。講師には出ないことに決まっているのだから仕方ないので、あなたの提案を取り下げてもらおうということに私たちの話し合いでなった。ボーナス時に出し合おうという件は取り下げてほしい。」というのだ。学年6クラスの大きい学校だった。

 私は、「学校全体で決めてということは考えていなかった。あくまでも一人一人の考えでと呼びかけるつもりだった。個人への訴えまでも学年主任会で止めることを決めることはできないだろう。みなさんの話し合いのことはわかった。あくまでも強制でないことを明記して誤解を受けないようにして個人に訴えることにする。集まったものは『有志』ということで2人に渡す。」というようなことを言って教室に戻った。 

 その後、そのような形で職場内に訴え、結構、多くの人たち(学年主任の名もあった)のカンパが集まり、2人の若い仲間にささやかなボーナスをわたすことができた。

 そのN校の常識と、その前に8年もいたY校の常識の落差の大きさには驚いたが、この落差のため、私にとってはずいぶんつまらないことで気を使った職場であった。これも、すっきりしない思い出のひとつである。( 春 )