mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

続 日本学術会議問題

 久しぶりに書棚を整理し、探していた「パイプのけむり」シリーズが何冊かでてきた。著者は童謡「おつかいありさん」や「ぞうさん」の作曲でも知られる團伊玖磨。元は「アサヒグラフ」に連載されてたものを単行本として発刊されたものである。何冊かというのは、実はこの「パイプのけむり」は、全27巻で、第2巻は「続パイプのけむり」、3巻が「続々パイプのけむり」とタイトルの枕だけを変えて発刊している。ちなみに4巻以後のタイトルの枕は、<又、又々、まだ、まだまだ、も一つ、なお、なおなお・・・>、と「パイプのけむり」は続き、25巻がどっこい、26巻はしっとり、そして最後の27巻は「さよならパイプのけむり」となって、36年続いた末に2000年に幕を下ろしたのでした。

 なぜこんなことをというと、このダイアリーのコーナーに前回「またまた日本学術会議問題を考える」のタイトルで私見を述べてきたのでしたが、そのような中で国会の論戦がはじまり、新総理の所信表明などを聞くに及んで、また「何だとー」という怒りのホルモンが沸々と頭をもたげてきたのです。そしてさてどんなタイトルで書こうかなと考えていたとき、「パイプのけむり」を思い出し、書棚探しを行っのでした。

 ということで沸き上がった怒りに話をすすめることにします。

 スガ総理が誕生した当初のメッセージは<自助・共助・公助>。趣旨は、まず自分でなんとかしなさい。それでもダメなら、家族や地域を頼りなさい、それでもだめなら国がセーフティーネットで助けましょう、ということらしい。そんなことを言いながら、一方では「国民のために働く内閣」という。そもそも内閣が国民のために働くのは、当たり前のことではないか。27日の天声人語では、「うちは魚を売る魚屋だ」と訴えるようなものだと書いていたが、まさにその通りだ。それとも前の安倍政権は、国民のために働くことをしなかったと、自戒をを込めてのメッセージだったのか。どうもそれも違う。コロナ禍の中で、自助も共助もままならず、このままでは年を越せるだろうかと絶望の淵にいる国民が数多くいることに気がついていないとしか思えない。前の内閣の流れを全く変えてはいない。<自助・共助・公助>にプラスして、<はいじょ・さくじょ>をつけてスローガンにしてはいかがなものかと言いたい。
 開催中の臨時国会で、一刻も早く、「日本学術会議」の人事問題を追究し、6名の除外された研究者を復活させ、さらにパイプのけむりに習って、「さよなら・・スガ内閣」のダイアリーが書ける時がくるのを願っている。

 ついでに余計なお世話と知りつつも、折角なので「パイプのけむり」シリーズの全タイトルを紹介して結びとしたい。
 第11巻「重ねてパイプのけむり」 第12巻「重ね重ねパイプのけむり」 第13巻「なおかつパイプのけむり」 第14巻「またしてパイプのけむり」 第15巻「さてパイプのけむり」 第16巻「さてさてパイプのけむり」 第17巻「ひねもすパイプのけむり」 第18巻「よもすがらパイプのけむり」 第19巻「明けてもパイプのけむり」 第20巻「暮れてもパイプのけむり」 第21巻「晴れてもパイプのけむり」 第22巻「降ってもパイプのけむり」 第23巻「さわやかパイプのけむり」 第24巻「じわじわパイプのけむり」 <仁>