mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

「人づくり革命」に疑問

 12月2日(土)開催の中村桂子さんによる高校生公開授業は、無事終了しました。学校関係者の皆さんをはじめ、多くの方々にご支援ご協力をいただきました。ありがとうございました。公開授業の報告は、「つうしん」などで追々して行きたいと思います。
 さて公開授業の準備をあれこれ忙しくしている最中に、春さんの河北新報への投稿(11月24日付け)がまたまた掲載されました。もっと早くdiaryでも紹介しようと思っておりましたが、準備にかまけて遅れてしまいました。もうとっくに読んだよと言う方もあると思いますが、「教育とは何か」に関わる大事なことだと思います。ぜひ、お読み下さい。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 何のための「人づくり」効率性重視の姿勢疑問

 衆院選が終わり、第4次安倍内閣が発足しました。憲法の前文を借りれば「国政は国民の厳粛な信託によるもの」であることは片時も忘れず、「その福利は国民がこれを享受する」政治をお願いしたいものです。世界に誇れる日本国憲法の精神を体して事にあたっていただければ、「謙虚」などという合言葉は不要と思います。
 私には、安倍晋三首相の強い改憲意欲のほかに、憂慮することがもう一つあります。安部首相が6月の記者会見で披露した「人づくりこそ次なる時代を切り開く原動力。これまでの画一的な発想にとらわれない『人づくり革命』を断行し、日本を誰にでもチャンスあふれる国へと変えていく」という「人づくり革命」なるものです。

 よく言われる「人材」も気になる言葉ですが、そこに「人づくり」が出てきて、しかも「革命」だというのです。人づくり。私は長く教育の仕事に携わりましたが、全く考えたことがありません。国が政策の柱の一つとして人をどう考え、どう変革しようというのでしょう。恐ろしくなってきます。
    ◇        ◆        ◇ 
 世界人権宣言は「全ての人間は生まれながら自由で、尊厳と権利について平等である。人間は、理性と良心を授けられており・・・」と述べています。日本の教育基本法も同趣旨の理念を掲げています。全ての人の尊厳は重んじられなければなりません。学校も教育もそこがベースだと私は思います。

 私の頭の中がもやもやしていた9月、安倍首相は今度は「人への投資により生産性の向上を担う『人づくり革命』の具体案を検討する有識者会議・・・」と言いました。つまり、「人への投資により生産性の向上を担う」のが「人づくり革命」だというわけです。

 「ひとづくり」は、経済に資するためのもの。国の経済力を高めるのに役立つ国民にするために、国を挙げて取り組んでいくということのようです。政府がその権力で「人づくりカクメイ」なるものを推進するなんて、私はとても肯定するわけにはいきません。

 教育は学校教育に限ったものではありませんが、その多くを担う学校教育のこれからがますます心配になるのです。今でも教育の自由ががんじがらめで、教育基本法に掲げられている「教育の目的」は遠くなっていると思います。そこにこのカクメイが進められたならば、どうなるでしょう。

 「生産性向上のための人づくり」の名の下に、学校はますます画一化し、その結果出てくるであろう、そこに収まらない人間は不要ということでしょうか。そんなことはありません。多様な人間がいてこそ、社会は成り立つのです。
    ◇        ◆        ◇ 
 人が経済発展に資することを否定するのではありません。狭い人間観に危険性を感じるのです。国の将来のためにも、個性を尊重した多様な育ちの保障こそ、国が緊急に考えなければならないことです。「人づくりカクメイ」などとうたうのではなく、人の育つ環境整備に一段と力を入れてほしいと願います。