mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

辞典を読むことのおもしろさ

 25日の新聞(河北新報)スポーツ欄に日本ハム新人選手入団の記事が載っていて、「清宮『夢与える選手に』」という横見出しがついていた。今年のドラフトの超目玉はどこまでも追われる。

 この日の国語学習会で、辞書のこと、それに関わって「類義語」に触れようと思っていた私は、この見出しの「与える」にひっかかった。

 というのは、3・11後、心配して現地に駆けつけた多くの芸能人やプロスポーツ選手たちがインタビューのなかで、「被災した人たちに元気を与えられれば・・・」という類のコメントをよく発していた。その気持ちに強く打たれながらも、同時に、繰り返し使われる「与える」という言葉の響きに、なんとなくすっきりしない感じをもちつづけていたことも清宮の見出しに目がとまった理由になる。

 その記事を読んでみた。「『・・・子どもたちに夢を与えられる選手になりたい。』と目を輝かせた。」とあり、ここでは見出しと違って、スムーズに読めた。

それはなぜだろう。どうやら、記事の方は与えたいと思う対象が「子どもたちに」と明記されてあり、見出しの方はその対象が書いていないことの違いによるからであろう。とは言っても、対象が書かれていればいいのではない。この場合は間もなく社会人になる清宮が「子どもたちに」と言っているので違和感を覚えないように思う。もし、この私の受け止め方が間違いなければ、見出しの「夢与える選手に」は、清宮という人間を誤解させるタイトルになるということになろう。

 なんとなくの「感じ」でものを言っていることが気になり、手元の辞書を何冊か見てみた。

 「新明解辞典」(第4版)は、私の推測にあたるものは書いていない。次の「大辞林」には、「①自分の所有する物を目下の相手に渡し、その者の物とする。②時間・条件など相手が利用できる状態にしてやる。③相手にそれを課す。④他者に何らかの影響をおよぼす。」とあり、①の意が私の「感じ」に重なるが、「所有する物」とあるので、当たっているとは言い切れないように思う。3冊目は「表現類語辞典」(東京堂出版)。これには「現在では、目上・年上の者が、恩恵的な意味で目下・年下の者に何かをやる場合に使うことが多い。」とある。ほぼ私の「感じ」に近づいてきた。いや、重なってきた。もう一冊、「類義語使い分け辞典」(研究社)。「『与える』は文章語で、『授ける・賜る』ほどの差はないとしても、上から下への物の移動になる。具体的なものでもよいが『注意・機会・時間・賞罰・仕事・問題・責任・不安・刺激・安心感・損害・ショック・ダメージ』など、抽象的な場合に多用され、与えられた方はそれによって大きな影響を受けるが、与える側には感情的なものはほとんどない。」とあり、どうやら私の「感じ」は間違いではなさそうだ。

 前述の芸能人たちの被災地での「与える」では、「元気を与える」などはまちがいではないが、被災者は不特定多数が対象になるのでしっくりこなかったのだろう。

 辞典は小説などを読むおもしろさと違ったおもしろさがある。「お前、暇だから」といわれそうだが・・・。( 春 )