mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより21 マンサク

春告げる 折りたたまれたリボン花

 立春がすぎてから急に寒さがもどってきたようです。雑木林の中もまだ目覚めていないように見えたのですが、見上げると枝先の茶色のつぼみから黄色いものがのぞいていました。マンサクの花がひらき始めたようです。

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 マンサクの花を見ると、ふと口ずさむのは、この詩です。

   まんさくの花       丸山薫

 まんさくの花が咲いた と / 子供達が手折って 持ってくる
 まんさくの花は淡黄色の粒々した / 眼にも見分けがたい花だけれど


 まんさくの花が咲いた と / 子供達が手折って 持ってくる
 まんさくの花は点々と滴りに似た / 花としもない花だけれど

 山の風が鳴る疎林の奥から / 寒々とした日暮れの雪をふんで
 まんさくの花が咲いた と /子供達が手折って 持ってくる

 詩人の丸山薫は、大分県大分市の生まれですが、終戦を挟んで1944年(昭和19年)ら1948年(昭和23年)まで山形県西川町に疎開して、そこで国民学校の代用教員をしたことがありました。そのときの北国の子どもたちとの生活を詩にした作品があるのですが、これもその一つです。

 早春、まだ山々に雪が残る頃、寒気に負けず咲き出すマンサクの花は、最初は小さく、誰にも気づかれることはありません。その花を目ざとく見つけたのは、北国の子どもたちでした。嬉しくなって、真っ先に先生に見せてあげようと思ったのでしょう。マンサクの花を受け取った先生も、花には見えない小さな花をよくぞ見つけたものと感心し、山の風が鳴る疎林の奥から、寒々とした日暮れの雪をふんでやってきた子どもたちを思いやるのです。マンサクの開花に心をよせる子どもたちと先生の姿から、あたたかな信頼で結ばれた教室の姿が浮かんでくるようです。
 マンサクはマンサク科の落葉小高木で、本州から四国、九州に分布しています。宮城県では、ブナ帯下部の山林から里山地帯にかけて、ごく普通に見ることができます。花の少ない時期に開花するので、庭木にも植えられますが、庭木はどちらかというと、花の色が鮮やかな園芸種のマンサクが多いようです。

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  庭木に植えられているマンサクの花(交雑種が園芸種と思われます)

 マンサクの名の語源にはいろいろな説があります。春にどの花よりも先がけて咲くので、「先(ま)んず咲く花」が「マンサク」になったという説。花が枝いっぱいに咲くので「満っ咲く花」、またその様子が秋の豊年満作を予想させてくれるので、「満作」となったという説。いずれも北国の人々の、春待つ思いと収穫への願いがこめられた命名です。
 北海道や青森県の一部では、前回とりあげたフクジュソウをマンサクと呼んでいるところがあります。また、北秋田地方では樹木のアブラチャンをマンサクと呼んでいるということ。 草花でも樹木でも、早春に先駆けて「まず咲く花」を、どうも「マンサク」と呼んでいたようです。

 マンサクは漢字で「万作」や「満作」と表記されますが、俳句の季語として「金縷梅」の漢字も使われています。「縷」とは糸や細い紐のようなものという意味です。この時期に咲く「蝋梅」と比べて、4枚の花びらがリボンのような形なので、そう表記しているのでしょう。花の咲く季節か、花の形か、視点のあて方で表記する漢字が違っているのもおもしろいことです。

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  蝋梅(ロウバイ)の花びら      金縷梅(マンサク)の花びら

 マンサクの花のつぼみは、秋の黄葉の頃から準備され、落葉のあとも茶色の表皮につつまれて越冬します。花が咲く間近になってふくらみ、割れて中から黄色い花びらをそっとのぞかせます。つぼみの中にはリボンのような花びらが驚くほど小さく折りたたまれていて、それが伸び出し舞うように広がります。ちょうど羽化したばかりの蝶の羽が伸びていく姿にも似て、命あるものの不思議な美しさに魅せられます。

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    秋にできるつぼみ       折りたたまれた花びら     伸び出す花びら

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          舞うようにひらく マンサクの花びら

 早春に咲く樹木の花は、黄色が多いようです。マンサクのほかにも、キブシ、ロウバイ、アプラチャン、ダンコウバイ、レンギョウなど、みな黄色い花です。早春の雑木林は色彩がなく、黄色がよく目立ちます。この時期に活動するのが、アブやハエの仲間。これらの虫たちは、黄色に敏感に反応して集まってきます。それで黄色い小さな花をたくさんつけて、虫たちを惹きつけ受粉の手助けをさせているのでしょう。

 花が受精したあとにつぼ形の実ができます。その中には2個の大麦ほどの種子が入っていて、成熟して黒くなるまで育てられます。実は動物たちに食べられないよう固い皮につつまれています。秋の晴れたある日、乾燥した実は小さな音を出して裂けます。そのはずみで種子が飛ばされ、遠くまで運ばれるようになっています。

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  葉かげで育つ実      成熟した実       種が弾けたあとの実

 マンサクの木は、高さが5mから8mほどになります。細い木を生のうちにねじって繊維をほぐすと、縄のように使えるので、昔は河川工事用の柵や蛇籠(じゃかご)の材料、背負いかごの骨組みに利用されていました。炭俵や薪を結わえたり、刈った柴などを束ねたりするのにも便利だったようです。

 以前に北陸に行き白川郷を訪れたとき、この地方特有の茅葺き屋根の合掌造りにマンサクの若木が使われていることを初めて知りました。大きな合掌造りの屋敷の最上階に登ると、屋根の茅葺や屋根下地の構造材の組み方がよく見えました。屋根の骨組みはわら縄で結ばれ、一部は細い木の枝で巻かれていました。そこには、「結束材・ねそ」とあり、「マンサクの若木、80年前のもの」との説明がありました。

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      白川郷の合掌造り

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              マンサクの若い枝 

 合掌造りの家屋には、釘やかすがいなどの金物類は使われていません。屋根組みは、基本となる木材を合掌に組んで、頂部をわら縄や「ねそ」と言われるマンサクの細枝で堅く結んで造られています。「ねそ」は、生のうちに巻き付けられたものが時間とともに乾燥して交差部を強く締めつけ、木組みを頑丈にするのだそうです。さらに「結び合わせ」という柔軟な固定法が、強風が来ても屋根全体の揺れにしなやかに対応して倒壊を防いでいるといいます。釘やかすがいではこうはいきません。植物の性格を熟知して見事に活用していた昔の人の知恵は見事です。

 マンサクは春を知らせる早春の花、そして、暮らしの中では、結束の生活用具として重要な役割をはたしていた樹木だったようです。
 私たちは生活の日常用具はほとんど手作りすることなく購入できます。便利さを手に入れることで、人は自然との共生から遠ざかり、自ら工夫し生きる力を失ってきました。マンサクに限らず身近な植物を見事に利用し生きてきた昔の人の知恵にこそ、これからの未来を生き抜くための大切な手がかりがあるように思うのです。(千)

小牛田農林T先生からの手紙に応えて ~小森さんの愛について想う~

 今、手元に小牛田農林のT先生から送られてきた封書がある。封筒の表には12月26日と日付が記されているから、受け取ったのは年の瀬も年の瀬。封を開けると、なかには昨年11月、東大の小森陽一さんが小牛田農林で行った授業・宮澤賢治「永訣の朝」の生徒たちの感想が入っていた。それではっと思い出した。

 昨年11月9日のDiary「東大教授の小森さん、小牛田農林に突然あらわる」に、生徒たちへの小森さんの愛が「ちょっと届かなかったようです」と書いたこと。そして後日のT先生との電話で「生徒たちの感想を見ると、小森さんの愛はちゃんと届いていたと思うわ」と言われたことを。
 そんなことを思い出しながら生徒たちの感想を読んだ。以下、そのなかで見えてきたことなどを思いつくままに・・・

◆黙っていても
 黙っていても/考えているのだ/俺が物言わぬからといって/壁と間違えるな

 授業中、生徒たちは静かだった。東大の先生だし、緊張しただろう。それに教室の後ろには、参観に来た他校の先生たちが大勢いる。小学生のようにハイハイとはなかなかいかない。そういう年頃だ。
 冒頭の詩は、壺井繁治の詩「黙っていても」。ちなみに繁治の妻は、『二十四の瞳』の作者の壺井栄だ。高校生たちの感想を読むと授業中は黙っていた、物言わなかったが、そうではないことが見えてくる。

今日の授業では途中までしかできなかったので、家に帰ってからもう一度読みたいなと思いました。
 授業では、まず初めに本文を読んでから、自分の『共感できること』『異和感を感じたところ』を印をつけて探しました。私は真っ先に『あめゆじゅとてちてけんじゃ』という言葉に目が行き、とてもどういった意味なのか気になってしまいました。また『Ora Orade Shitori egumo』となぜここだけがローマ字なのかも気になりました。そして、『共感』『異和感』を見つけた後にクラスの人たちで『共感したこと』『異和感を感じたところ』を発表しました。自分と同じ所に異和感を感じている人がたくさんいました。授業が進むにつれて自分が意味が分からなかったところがだんだんと分かってきておもしろかったです。」

 宮澤賢治の詩「永訣の朝」を読んで感じた自分の共感と異和感にこだわりながら、また小森さんや友だちの発言を聞きながら、それぞれに作品を理解し、自分の考えを深めようとしている感想がいくつも書かれている。はいはいと手が挙がって活発にやり取りされる授業が必ずしもよい授業とは限らない。小森さんの授業は、生徒たちの中で静かにじわじわぁ~と発光/発酵していったようだ。

◆受けとる愛の形はさまざま
 授業は、教育内容や教材に即してその内容を理解したり読解力や文章力、計算力に表現力などさまざまな能力を獲得したり身につけることが目的となるが、子どもたちが授業のなかで受け取るのはそれだけではない。
 例えば、感想には「最初は、グーグルで調べたら一発ででてくるような人だったから、とても緊張していた」とか、「想像ではすんごいガリ勉で20代くらいでおもしろくなさそうな人を想像していたけど全然ちがってびっくりした」とか、つまり生徒たちは東大から来る先生はどんな人なんだろうということを、授業前から調べ、思い巡らし、授業の始まりとともに全身全霊で、その一挙手一投足に目を光らせているのだ。その視線は、教材である「永訣の朝」に目を走らせるよりも、もっと鋭いものなのかもしれない。感想には「小森先生が近くを通ったときにとてもよい香りがした」と、臭覚さえも動員して目の前の小森さんを感知しようとする生徒も・・・まさに生徒、恐るべしである。

 だからだろうか生徒たちの感想は、作品の内容に関わってのものだけでなく、それ以上に目を惹くのは小森さんの授業の進め方についての感想、そして評価とも言えるような記述だ。
 生徒たちは、小森さんの「共感」と「異和感」にもとづき進める授業スタイルについて「普段の授業スタイルとは、まったく異なった授業スタイルですごく新鮮だった」「変わった教え方」「新しい授業のやり方」「独特な授業」などと口々に述べ、「どんどん引き込まれていく感じ」がしたとも言う。と同時に、そういう授業のあり方を普段の授業と比較しながら、
「いつもの授業は、先生が大事な言葉などの説明をするけど、小森先生は、みんなの意見の中に含まれている言葉の中で大事なところを抜き出していた。」
「私達が意見を言ったら、先生達は、黒板にまとめて、短く書いたりするのに小森先生は、その意見の深いところまで私たちに、説明させようとしていたので、あてられた人がいつもより長く話すようになっていたから、みんなの意見について、考える時間がいつもより長かったので、いつもより深く理解できた。」
と、その違いを述べている。

 また「どうしてそう思った?」「それはなぜ?」「その心は?」と生徒に次から次へと問いを向けることについても、
「一つの答えに対してズバズバと質問を投げかけてくる感じで、その授業にお話にどんどん引き込まれていく感じがして、すごく頭を使って考えた授業だったなと思った。たくさんたくさん『永訣の朝』、宮沢賢治、トシのことを考えたなと思った。」
「ただ淡々と授業をこなしていくのではなく生徒の意見や考えをよく聞いていて、その考えも質問を重ねることによって、その生徒自身も、周りの人にも考えを深めさせていて、1つの題からとても広く深いところまで学べてとてもよい体験をさせて頂いてとても勉強になりました。」
「生徒が意見を言うと、先生は『その心は?』と問いかけ、答えるとさらに『それはなぜ?』と問いかけて。私たちをより考えさえようとしてると思いました。」
と言う。小森さんの生徒への問いかけが、作品や友だちの意見について多くのことを考えさせ、自分の考えを問いなおし深める契機になっている。同様なことは他の多くの生徒の感想でも見られる。さらに、ある生徒は感想の最後にこのようなことも書く。
「今回、小森先生のお話を聞くことができて、自分の考え方が大きく変わりました。なぜなら、今まで自分が感じたことはなぜそう思ったのか深く考えずに、これが答えだと断定してしまっていたけど、小森先生のお話を聞いて、なぜそう思ったのかを考えていくことで答えは見えてくるのだと感じました。」

 生徒は何を言おうとしているのだろう。たぶん次のようなことだ。これまでの授業では自分が作品から何を感じたか、感じるかは大切なことではなかった。授業で求められること大切なこと(答え)は、常に自分が感じたこととは別に(客観的に)存在する何か。だから「今まで自分が感じたことはなぜそう思ったのか深く考え」なくてよかったし、そうしてこなかった。自分が感じたこととは関係ない別の何か、それこそを見つけ出さなくてはならない。そしてその答えは、大抵先生の手中にあるのだ。そうずっと思ってきた。しかし小森さんはそうじゃないという。自分の感じたことを手放すなという。そして「なぜそう思ったのかを考えていくことで答えは見えてくる」と。

 小森さんは、生徒を励ます。お前たちが感じたことは決してくだらないものではないと訴えてくる。だからこそ小森さんは生徒に「どうしてそう思った?」「それはなぜ?」「その心は?」と迫っていくのだ・・・きっと。そのことを生徒も感じたのだ。

 生徒たちは、宮澤賢治の詩「永訣の朝」についてだけでなく、この1時間の授業のなかで多くのことを学び、発見したのではないだろうか。そしてそれは、確かに小森さんから生徒への愛であり、生徒たちはその愛をそれぞれに受け止めていたといえないだろうか。T先生から送られた感想を読みながら、そう思った。

 思い起こせば、明日に迫った高校生公開授業の第1回(2006年)を快く引き受けてくれたのは小森さんだった。その時の授業は、宮澤賢治の『烏の北斗七星』。それからもう13年が経つ。その間に小牛田農林の先生たちから小森さんへラブコールがあり、それに応えての小森さんの特別授業や授業づくりがなされてきた。そして、そのような取り組みが、さらに県内で広がろうともしていると聞く。点として始まった取り組みが、線になりつながっていこうとしている。
 高校生たちに魅力的な学びの世界を経験してほしいと思って取り組んできた。その取り組みがこうして人と人を結び、新たな出会いと学びの場がつくられることがうれしい。(キヨ)

西からの風8 ~私の遊歩手帖3~

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 ◆「夏」— ボナール

 もう既に10年以上前になる。
 僕は『いのちを生きる いのちと遊ぶ——the philosophy of life』(はるか書房,2007)という本を出したとき、そこに次のように書き入れていた。「僕はドイツ表現主義から2つのメッセージをもらった」と。つけくわえれば、それをもらったのは、そう書いたときからさらに10年遡り、つまり今から20年ほど前に8か月近くドイツで暮らしたことが切っ掛けだった。20世紀ドイツ絵画の開幕とはドイツ表現主義の出現であった。誇り高きドイツ人は、現代絵画の誕生をフランスが独占することを許さない。エコール・ド・パリ、フォーヴィズムキュービズムの同時代者として、まったく独立にドイツではドイツ表現主義が登場したことを、彼らは強調してやまない。

 「2つのメッセージ」とは何か? 僕はこう書いている。
 「1つは、色は徹底して君の魂の表現であれという意味で主観的であれ! かつ、色は他の色とのセッション・コレスポンデンス・レスポンスによってのみ決定されるという意味で、完全に対象から独立して自律的であれ! 色を決定するのは色なのだ! このメッセージ」。
 そして、こう続けていた。「もう1つは、漫画でオーケーである! というメッセージ」と。

 前回の「遊歩手帖2」で僕はムンクについていささか論じた。実はムンクの名は今紹介した言葉のすぐ後に登場する。僕はこう書いていたのだ。

ムンクは性愛というテーマをドイツ表現主義に与えたということもさることながら、人物は漫画でいいというインスピレーションをも与えたのだ。実際ムンクの人物たちは漫画ではないか。荒々しい、性急な、デフォルメされ誇張された、歪んで過剰な漫画的な表現! こっちのほうがずっと現代の人間の内面の焦燥や快楽や笑いや悲嘆を見事に表現する。内面は《世界》と相関だ。《世界》はリアリスティックに描かれることを拒否している。それはもはや退屈なことなのだ。それは、内面が現にある《世界》を拒否して、その彼方にあるもの、その地下にあるもの、起源にあるものを求めているからだ。もう一つの別な《世界》が現にある《世界》を拒否する力として、あるいはその隠れたより深いリアルを映し出す力として描き出されねばならないのだ。

 僕は恥じるべきだろうか? それとも誇るべきだろうか?
 自分がこの2つのメッセージを指針として絵を描きだして以来、その域を今も全然出ることがないことを。また、自分がいつもこのメッセージに再会するためだけに美術展に足を運ぶ案配であることを。耳元で囁く。——君は、君の見たいものを見る、聞きたいものだけを聞く、そこには何ら進歩というものがない!
 だが仕方がない。そうなってしまった以上。僕は居直るしかない。

 去年の暮れに、六本木で開催されているボナール展のなかに見いだしたもの、それもまさにこのメッセージであった。
 否、正確にいえば、この2つのメッセージの大いなる先駆者、ただしドイツならぬまさにフランスにおける先駆者を、僕は彼のなかに発見したのだ。
 しかも彼はムンクの同時代人であった。ボナールは1867年にパリで生まれ1947年に79歳で没する。ムンクはボナールの4歳年上で、1863年オスロ近郷で生まれ1944年に80歳で没する。ただし、その世界観は、だからまた描き出される宇宙はまったく異なるとはいえ。まるで昼と夜、光と闇、夏と冬、生と死、そのように異なっていたとはいえ。

 ボナールは画壇に登場したとき「日本かぶれのナビ」と呼ばれたそうだ。ナビとはユダヤ教の僧侶・導師を指すラビに由来する言葉だ。
 「日本かぶれ」とは、ボナールもまた当時印象派ゴッホを魅了した日本の浮世絵に体現された美学、かの「ジャポニズム」に魅了された青年画家の一人だったからだ。すなわち、浮世絵の立脚する単色化された各色彩の併存的な配置に基づく描写の脱遠近法的な平面的な展開、ならびに人物描写の戯画的手法のなかに、これまでの西欧絵画を当たり前のように支配してきた精密描写主義といわば王権的肖像画主義を一挙に投げ捨て、僕の言葉でいえば、いわば平民的な自我主義に支えられた「内面と《世界》との相関」のこれまでにない全く別な新しい在りようの追求に突進するに至るムーヴメント、その担い手の一人となったのだ。
 実は、僕の言う先の「2つのメッセージ」自体がこの「ジャポニズム」の衝撃の産物なのだ。しかし、その事情の詳細はここでは省略しよう。そして、前期と中期のボナールにおいて彼の「日本かぶれ」がどう展開したかの事情も。

 去年の暮れのボナールとの出会いにおいて、何より、僕を打ったのは、彼の40代後半から始まり、死に至るまでくりかえし描き続けられたテーマ、すなわち南仏の、「終わることなき夏」と呼ばれる色彩と光に満ちた風景、それに包まれて遊び生きる女や子供、昼寝する男、ニンフ、小動物などを描いた作品群であった。誰もが、それを「燃え立つ風景」と形容する。その風景は、同時に「そこでは幻想的な効果と画家自身のユーモアが相まって、現実が夢幻となり変わっている」ところの、彼の「アルカディア(理想郷)」の幻出態であった。

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 たとえば、これら作品群を導いたいわばその「初期衝動」を体現する「夏」と題された作品(1917年)を取り上げよう。
 カタログの解説に「前景の木陰には男性が寝転び、3人の子どもたちが犬と戯れている」と書かれるが、男も子供たちも犬も、ほとんどその形は子供が描きなぐったような稚拙なそれである。僕の言う「漫画でオーケー」である。しかも輪郭はボケ、薄紫がかった水色の横帯のような「前景」のなかに溶出している。だから、寝転ぶ男の後姿といっても、むしろそれは水色の帯のなかに投じられた濃青のアクセントにほかならない。左手の森、右手の森、中央の奥にはまた幾重にも森が重なりあう。だが、森もまた木々と幹と枝葉が精密に描出されたそれではない。むしろそれは濃淡を異にした青と緑と茶の色のブロックの重なりあいとしてそこにある。さらにその向こうに水色の山の、しかしこれもシルエットとして。そしてその上に薄緑と薄紫と黄色の3色からなる雲と空が、これまた色のブロックとして。そしてこれらの色ブロック群の手前中央、前述の青い横帯の前景を底辺とし、左右の森に挟まれた淡いオレンジ色と黄色からなる草むらの三角形、それが中景となる。そこにはニンフのような裸婦が2人横たわる。とはいえ、この裸婦もいわばかすかな鉛筆書きの大まかな輪郭によってそれと識別されるだけで、まさにその裸体の色自体が草むらの色と溶け合い一つになっている。

 当時のボナールの手帖にこうあるという。
「生きた自然を描き出そうというのではない。絵の方を生きているようにするのだ」。
 彼は、風景であれ、人物であれ、生物であれ、「決して対象を前にして絵を描くことはなかった」という。彼のキャンバスは、すべて、或る光景なり対象との出会いが彼のなかに生んだ「最初のヴィジョン」を、その「記憶」を絶え間なく「想起」し、その「想起」が促す或る世界の想像画を描く場となったという。彼はこの「最初のヴィジョン」を汚すまいと、それを得るやすぐさま対象から身をほどき、ひたすらに自分を「記憶」の再生に集中したという。彼はこうも書いている。「芸術では反応だけが重要だ」と。ここでいう「反応」とは、色と色、光と光、光と色との反応のことであり、先の僕の言い方に直すと、「色は他の色とのセッション・コレスポンデンス・レスポンスによってのみ決定される」その「自律性」こそが注視されねばならないということだ。ボナールいわく。「目を離すな、色が意味あるものに変容する瞬間から」、「表面を色彩で覆うときには、その効果を果てしなく新しいものにすることができなくてはならない」。

 最晩年の彼は、自分は後期印象派の価値を、彼らの試みの本質を再発見したとくりかえし周囲に語ったという。
 「日本かぶれのナビ」は「後期印象派かぶれのナビ」に変貌したというわけだ。
 とはいえ、くりかえしいえば、彼の「風景」はいかなる自然主義も超越している。「自然は芸術ではない」し、また「芸術は自然ではない」。たとえ、最初のインスピレーションは自然から来ようとも。(清眞人)

架空文壇内閣の面々をめぐって ~安倍内閣とは大違い~

 前回(1月16日Diary)につづき「架空文壇内閣評判記」。他人の書いたものを、いかにもわがことのようにつづけるのは気がひけるが、自分の中では「架空」を超えて「現実」に結びつくので、書き手の技に驚きながら今を考えつづける。

 前回は荷風大臣だけで終わったので、今回はその他の人に触れる。まず総理大臣武者小路実篤から。臼井吉見は次のように言う。

総理として誰が指名されるかは容易に外部の予想を許さず、谷崎、吉川、志賀など下馬評はまちまちであったが、文壇は一議に及ばず武者を指名した。新内閣の眼目が平和の維持にあるので、個人の生命を尊重することがそのまま人類の意思に合致するという人間万歳思想の武者をおいてほかにないからである。きまってみると、なるほどという気がするのは妙である。

 「真理先生」や「お目出度き人」など書名だけがぼんやりと残っているだけの私も総理武者小路は意外であり、「文壇は一議に及ばず武者を指名」には少なからず驚かされた。 
 しかし、「人間万歳思想の武者」と言われるだけでは「なぜ」が消えないので、武者小路を少し探してみた。

【その1】
 武者小路が1918年に書いた「新しき村に就ての対話」を読む。「新しき村」は武者小路にとって作家活動とならんで力を入れたもの。その冒頭部分。

~~自分は労働を呪いはしない。しかし食うためにいやいやしなければならない労働は呪いたい。労働は人間が人間らしく生きるのに必要なものとしてなら讃美する。その労働は、男は男らしく女は女らしくする労働で、人間を人間らしくする労働でなければならない。労働という名は新しい時代に於いては、中世における武士という名と同じく誇りある名でなければならない。人々は強いられずに、名誉のために、人類のために労働をするという時代が来なければならない。労働は享楽ではない。しかし人間としての誇りある務めだ。労働の価値は高まる。そして、人々はよろこびと人間の誇りを持って労働する。そういう時代が来ることを自分は望んでいる。

【その2】
 武者小路の詩とその解説を見つけた。(荒川洋治「詩とことば」、詩についてのコメントは荒川)

   レンブラント

  レンブラント
  お前は立ってゐるな!
  耐えて耐えて立つてゐるな!
  帝王のやうに
  一人で
  帽子を阿弥陀にかぶつて、
  両手を腰にあてゝ、しつかと。
  レンブラント
  お前は立ってゐるな!

 ここには感動というものがあるだけであり、感動の内容があるわけではない。詩を読む人に、感じたことを伝えようという気持ちは作者にはない。技巧も、工夫もない。表現にかかわるいっさいの高度なものが欠落している。言語も表現も、いたって貧寒なのに、堂々としている。強烈である。(荒川)

 【その1】で武者の言う「労働」は、現在の政府が、いかにも新しい発想で何かが大きく変わるかのように言い出した「働き方改革」を私に浮かばせた。なんとこの違い。経済優先での人間破壊を見て見ぬふりをし、騒ぎが大きくなるとあわてて「働き方改革」などと声高に言う。労働環境を劣悪にしておいて「改革」とは・・・。「人々はよろこびと人間の誇りを持って労働する」ことを描く武者小路となんと違うことか。

 【その2】からは、作品の偉大さにまっすぐに対峙する武者小路の姿を想像し、加計問題などにみられるように平気で白を切る総理とのあまりの違いに絶句。
 この大きな違いはどこからきているのだろう。人間の違いとしか言いようがない。武者小路総理にエールをおくると同時に、現状をつくっているひとりの国民としての自分を大いに恥じる。それにしても、「一議に及ば」ない総理や大臣がほしいものだ。
 このままだと、また一人で終わるので、急いで2~3人についての臼井の文を羅列し紹介する。

外相の正宗白鳥は小林次官とともに苦心の人事と見られている。人生に何の面白いことがあるかという顔をしていながら、その実何事にも旺盛な関心を持ち、決してヘマをやらない白鳥を外相に据えようというのは、常に相手の意表をつき、これまた決してぬかりのない小林秀雄の次官と相まって、自主的外交の推進にこれにまさる人選はあるまいとの評判である。 

農相に至っては井伏鱒二以上の適格者はあろうはずはない。彼の農民を初め草木虫魚に対する愛情は信頼するに足るもので、植林や川普請、鮎や山女魚の養殖に異常な情熱を示すものと期待される。坂口次官は競輪と競馬を一括して同省の管理下におき、もっぱらその衝に当たらしめるというネライ。

川端康成の労相はだれしも意外とするところであるが、今後の労働攻勢に備えては、シンネリムッツリして、深海魚のように目玉ばかりギョロギョロさせている川端に当たらせるのが最上の策というネライからだとふれまわるものもあるが真偽のほどは不明。次官の丹羽文雄は、労働代表に吊るしあげられた場合、救援に駆けつける百名にも及ぶ配下をもっているものは彼のほかにないからとのことである。

 残念ながらスペースがないのでここで止めざるを得ないが、この陣容では総理のひとことでとはならず閣内一致までは何事でも容易でなかろう。そういう議論を通したものであればこそ、私たちも期待できるのであろうに。( 春 )

季節のたより20 フキノトウ(フキ)

 フキノトウは 春を告げるフキの花
 
 早春、まだ雪の残る野原で、雪を押しのけちょこんと頭を出しているフキノトウを見つけると何だか嬉しくなってきます。
 フキノトウはキク科のフキの花。小さな愛らしい花を咲かせますが、美味しく味わえるのは花が開く前。味噌汁に刻んでいれたり、フキ味噌にしたり、天ぷらにしたり、いろんな食べ方のできる春の山菜です。食べるとちょっとほろ苦い旬の味。子どもの頃はとても苦手だったのに、いつのまにか、この苦さが好きになっていました。

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    雪をおしのけ、頭をのぞかせるフキノトウ

 春の山菜が苦いのは、芽吹いたばかりの芽が虫に食べられないように身を守るため。苦味は人にとっても弱い毒成分なのですが、人が食べるとその毒を体外に出そうと体内の老廃物も一緒に排出するということ。冬に低下した体の新陳代謝を活発にする効果があるようです。

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  葉に包まれていた花          咲き出した小さな花

 フキノトウの開いた花を近くで見ると、やや白い花と黄色がかった花があることに気づかれるかもしれません。フキノトウは雌雄異株で、雌花と雄花の2種類の花があります。白っぽい花が雌花、黄色がかった花が雄花です。花はそれぞれの雌株と雄株の地下茎についていて、その地下茎を掘ってみると、地中を這うように広がっていて、フキノトウの何倍も長いのにびっくりするでしょう。

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   フキノトウの雌花(拡大)。白い糸のよう
   なのは、雌しべの花柱です。

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            フキノトウの雄花(拡大)。開いた小さな
            花の先に雄しべがあります。

 フキノトウの花が咲き終わると、雄花は枯れて、雌花は茎を伸ばします。フキはキク科なのでタンポポと同じような綿毛の種子ができます。その綿毛を風に乗せできるだけ遠くへ飛ばそうとしているのです。長いものは1m近くも茎を伸ばします。他の種子の多くは発芽前に休眠しますが、フキの種子は眠りません。飛び散るときにもう根の先が出ていて、水をかけると1時間ほどでその芽が伸びてきます。綿毛が地面に着くと直ちに発芽が始まるのでしょう。驚きの生命力です。

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   受粉後は雌株の茎がのびだします(4月)

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            雌花の綿毛の種子とフキの葉(5月)

 美味しいフキ料理に使われるのはフキの葉柄です。張りがありみずみずしいフキは水分をたっぷり吸い込んで育ったもの。フキは山の沢や土手など水辺の近くを好みますが、フキの葉の形もうまくできています。葉は円いお皿の一部が切り込んだ形。雨が降ると、雨水が円い葉の表面にそって流れて、切れ込みに集まり、そこから葉柄を伝って根元に落ちるようになっています。どんな土地でも自力で雨水を集めてみずみずしいその姿を保っているようです。

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  上から見た綿毛の種子         雨を集めるフキの葉の形

 フキの葉は食用にはしませんが、田舎の野山を駆け回って過ごした子どもの頃、のどが渇くとフキの葉を丸めてひしゃくがわり、雨のときには頭に葺いて、ウンコが出たらお尻を拭いてと、とにかく役に立つ葉っぱでした。
 昔は紙がとても貴重品。街道を長旅する旅人たちは、草の葉や茎、縄のようなものでお尻を拭いていたらしく、柔らかいフキの葉は大いに役立ったことでしょう。それで、「フキ」は「拭き」が語源という説もあるのです。

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  春に芽吹いたフキノトウ、地下には多くの地下茎を張り巡らされています。

 東北の方言で、フキをバッケとよぶのはアイヌ語が由来ともいわれています。アイヌの伝説に、コロボックルという小人の神様がいたという話があります。コロボックルとはアイヌ語で「フキの葉の下の住人」という意味です。そのコロボックルをよみがえらせたのが、児童文学作家の佐藤さとるさんです。
 コロボックル物語だれも知らない小さな国」(講談社・初版1959年)から始まるシリーズは、モノや欲だけで動く人間には見えない小人コロボックルと、小人たちに信頼された人間「セイタカさん」との交流を描くファンタジー。子どもの頃に夢中になって読んだ大人もいるでしょう。今も子どもたちを夢中にさせる作品です。
 シリーズ6冊のあと、佐藤さとるさんはこの物語を、子どもの頃に読んで育ったという作家の有川浩さんの手に託しました。そして新しい物語が生まれました。花の開花にあわせて全国を渡り歩く養蜂家の両親をもつ小学生が、北海道でコロボックルと出会う物語。(有川浩作・「だれもが知ってる小さな国」(講談社 2015年)。挿絵は画家の村上勉さんが引き続き描いています。
 小人が姿を見せるのは信頼できる優しい人だけ、人が生きるために大切なものを、子どもたちと考えたいという佐藤さとるさんの思いも受け継がれています。
 コロボックルを消したくはなかったという有川さん。これから続く物語を通して、コロボックル伝説は子どもたちの世界に残り続けていくことでしょう。

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   春の野花のなかのフキノトウ(雌花の茎が伸び出した頃)

 フキとその花であるフキノトウは、旬の食べ物になり、くらしの用品の代りになり、そして素敵な物語を生み出す源泉ともなって、人の暮らしにうるおいをもたらすとても不思議な植物に思えてくるのです。(千)

西からの風7 ~教室にて5~

   幾つかの導きとなる言葉

 《自分のなかのトラウマを問うということは、それ自体、人間にとって生を励まし豊饒化させる働きをする肯定的経験と、それを破壊する否定的経験、そのどちらがその人間の世界観を定める基礎経験の地位を占取するかの主導権争い、これが実はなお密かに闘われ続けているということにほかならない》、そう私は前回の終わりに述べた。
 学生たちが寄せた388通のレポート群の93%はその内実において一つの陸続きのトラウマ大陸の存在を告げるものであり、その大陸全体を覆う意識の基軸とは自分は「1対全体」の異者排除の暴力に対して不甲斐なくも「傍観者」であるほかなかったという後悔にある、と私は指摘してきた。

 私は以前も学生たちに紹介したのだが、あらためてまた紹介するであろう。マイケル・ジャクソンのショートフィルム『鏡の中の男』を。そこで彼はこう歌う。

 襟を立てたってさ お気に入りのウィンターコートの
 冷たい風が心に吹き込んでくるぜ
 路上には子供達がいる 十分な食べものがない
 めくらのふりをする俺って、何者なんだ?
 気付かないふりをしているのは? 
 彼らに必要なものに 夏は無関心
 ギザギザに欠けた瓶の先っぽと そして、ある男の魂
 お互いの後をおっかけている
 風は、そうさ、知ってるのさ
 ヤツらには向かうべき場所がないからだってことを
 だから、おまえに知って欲しいんだ
 俺は鏡の中の男から始めるよ

   (リフレイン)
 彼に生き方を変えるようにいってみる
 どんなメッセージもないぜ
 これほどわかりやすい
 もし、おまえが世界を
 もっとよい場所にしたいなら
 (もし、おまえが世界をもっとよい場所にしたいなら)
 まず自分を見て、
 自分を変えることさ
 (まず自分を見て、自分を変えることさ)
   (ナ!ナ!ナ!ナ!ナ!ナ!)

 そして、私は学生たちにこう提案してみたい。この歌詞をちょっとばかり替え歌してみよう、と。マイケルは「傍観者」の心のなかの荒廃を巧みに歌いながら、だから、その荒廃から自分の魂を救おうとするなら、「鏡の中の男」つまり自分を、しっかり見て、その自分を変えることから始めなければいけない、そうしなければ、「世界をもっとよい場所にする」ってことはできない、と。何でも他人のせいにするんじゃなくて、「鏡の中の男から始める」ってことをしろ、と。

 襟を立てたってさ お気に入りのウィンターコートの
 冷たい風が心に吹き込んでくるぜ
 君の横には彼がいる 誰からも口をきいてもらえない彼が
 めくらのふりをする俺って、何者なんだ?
 気付かないふりをしているのは? 
 彼に必要なものに 夏は無関心
 ギザギザに欠けた瓶の先っぽと そして、おまえの魂
 お互いの後をおっかけている
 風は、そうさ、知ってるのさ
 おまえには向かうべき場所がないからだってことを
 だから、おまえに知って欲しいんだ
 俺は鏡の中の男から始めるよ

   (リフレイン)
 おまえに生き方を変えるようにいってみる
 どんなメッセージもないぜ
 これほどわかりやすい
 もし、おまえが世界を
 もっとよい場所にしたいなら
 (もし、おまえが世界をもっとよい場所にしたいなら)
 まず自分を見て、
 自分を変えることさ
 (まず自分を見て、自分を変えることさ)
   (ナ!ナ!ナ!ナ!ナ!ナ!)

 マイケルはあの歌「We are the world」プロジェクト——飢餓に苦しむアフリカの子供たちへの救援募金を集めるためにレコード化された——の中心人物の一人だったが、あの歌でもこのメッセージが鳴り響いている。「傍観者」でいることがもたらす心の荒廃から自分を救うことと世界を荒廃から救うことは一つのことだというメッセージが。サビのコーラス部分の歌詞は彼が書いたもので、こうだ。

We are the world, we are the children
(僕らは世界とひとつ、僕らは(神の)子供)
We are the ones who make a brighter day
(僕らこそが 輝ける明日を作り出せるんだ)
So lets start giving             
(だから与えることを始めよう)
There's a choice we're making        
(一つの選択があるんだ、僕らのする)
We're saving our own lives          
(自分たちの人生を救うのは僕らなんだ)
Its true we'll make a better day
(ほんとうさ、良い日々を作るのは僕らだってことは)
Just you and me             
(だから、君と僕からはじめよう)

 私は、以前もしたが、また学生たちにこうくりかえそうと思っている。——君たちの寄せた「私のイジメ経験」レポートが描きだす問題は、次に紹介する五つの哲学的名言が投げかける問題提起とぴったり照応している。いわばそれらと「四つに組んでいる」と言える、と。

1「傍観者」vs フロムの言う「応答責任」
 フロムいわく。
「今日では責任感というと、たいていは『義務』、つまり外側から押しつけれられる何ものかとみなされている。しかし本当の意味での責任感とは、完全に自発的なものである。責任感とは、表明されたものであるにせよないにせよ、他の人間存在が抱く欲求へのわたしの応答である。誰かにたいして『責任がある』と感じることは、『応える』ことができ、その用意がある、という意味である」 。
 誰にも口をきいてもらえず、「1対全体」の孤独の刑に処せられている友達が「表明されたものであるにせよないにせよ」抱く欲求——孤独は僕の魂を殺し、生命力を脅かすという必死の——に対して「応える」ことができ、その用意があるとする、同じ生の欲求を生きる者としての「自発的」に湧き出る生命感情、これをいったい君はどれほど持ち、現に生きているのか?
 フロムの先の言葉はこの問いを直に君にぶつけてくるものである。

 なお、私はついでにたいてい次の補足説明をすることにしている。
 ——日本語の「責任」という漢字表記は、ここでフロムが言う「外側から押しつけれられる」・「義務」としての「責任」という観念のニュアンスが色濃い。君が君の外側(君が自発的に帰属している仲間=同胞関係ではなく、その外部や上部にある権力から)から授けられた「任」(義務)に照らして、その「任」を果たして遂行しているか否かを糾す(責める)といった観念連合が生む「責任」のイメージである。義務の与え方も外的であり、それに照らして自分を責める仕方も外的である。いいかえれば、ひたすらに権力的・強制的である。それは基本的に処罰と訴訟の論理のうえに展開する責任追及の関係性である。
 これに対して、欧米語の「責任」(たとえば英語のresponsibility、仏語のresponsabilité、独語のVerantwortung)は、フロムのいうとおり語源的には何よりも相手からの呼びかけ・訴え・問いかけに「応答 response」(独語antworten)しようとする自発的・内発的な感情が生み出す問い、「それに応答する能力(ability)が自分にあるんだろうか?」、「この応答能力としての応答責任(responsibility)を自分は発揮できるであろうか?」という自己の内なる良心から発する内的な責任を問う言葉として誕生した。

2「生命的自発性」を君の現在の生きざまはいったいどのくらい発揮しているの
  か?「生命的自発性」の回復は君の今の中心問題ではないのか?
 フロムの言う「応答責任」はあくまでも「自発的」なものであることが強調されていた。彼は「生命的自発性」の回復という課題が現代人が抱える問題の中心にあることをくりかえし強調した。彼によれば、人間には「生命的自発性」に満ち溢れた人間とそうでない人間とがいる。前者は、いわゆる「天然」タイプの人間であり、「自由な人間」という言葉を具体的に実感させてくれる人間といえる。後者は、いつもおどおどしていて、周りを気にし、自由ではなく、束縛され、自分の感情や欲望に確信をもっておらず、絶えず自分を咎め反省し「これではダメだ、俺はダメだ」とばかり言う人間、何をやりたいのかが自分ではっきりしていない人間、人間として影が薄い人間である。

 たとえばフロムはこう言っている。自分のいう「生命的自発性」というものが何を指すものかを知りたければ、自分のなかに湧き起る生き生きとした感情や感覚をひたすらに正直に真実に表現しようと夢中になっている「芸術家」や、そうした生命的感情に突き動かされて無邪気に遊んでいる「子供」を見ればよい。また普通のわれわれも、彼らほどには大胆かつ自由になりえないとしても、実はそれを生きた経験があるはずだと指摘し、こう言う。「一つの風景を新鮮に自発的に知覚するとき、ものを考えているうちに或る真理がひらめいてくるとき、型になまらない或る感覚的な快楽を感じるとき、また他人にたいして愛情が湧きでるとき、——このような瞬間に、われわれはみな、自発的活動とはどんなものであるかを知るであろう」と。そしてこう付け加えている。「それは同時に純粋な幸福な瞬間である」と 。

 私はフロムに倣ってこう言いたい。——人間が自己について感じる存在感の強度とその幸福感の輝度は「生命的自発性」の発揮の程度、それがもたらす「生命力」の自己感覚の強度によって規定される。すなわち、生命的自発性の発揮が存在の充実ということなのであり、存在充実はそれだけでかけがえのない幸福感(「純粋な幸福」)の享受、自己肯定感の獲得なのである。
 この観点からいうと、学生たちが寄せた幾多のレポートは、「イジメられはしないか」という恐怖に裏打ちされた極端なグループ同調志向の支配のなかで、今日の日本の学生の心のなかでフロムの強調する「生命的自発性」は、極端な自己抑制の下で委縮し衰弱しつつあることを物語っていると言わざるを得ない。

3 人間同士のあいだに真に深く熱度をもったCall & Response関係を再生する
 ためには、まさに「We are the world」にあるように「So lets start giving 
 だから与えることを始めよう」と呼びかけねばならない。極端なグループ同調
 志向の支配の下にある「イジメ・トラウマ大陸」にあって衰弱していくのは、
 この「与える」生命エネルギーの強さではないだろうか? 生命的自発性とは
 何よりもCallの孕む、この「与える」パワーではないだろうか?
 フロムいわく、
「与えるという行為のもっとも重要な領域は、物質の世界にではなく、人間相互間の領域にある。では、ここで人は他人に何を与えるのだろうか。自分自身の何かを、自分のいちばん大切なものを、自分の生命の何かを、与えるのだ。これは別に、他人のために自分の生命を犠牲にするという意味ではない。そうではなくて、自分のなかに息づいているものを与えるということである。自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づき生きているものの一切を与えるのだ。このように自分の生命の何かを与え、他人を豊かにし、他人の生命感を高めることによって、人は自分の生命感も高める。もらうために与えるのではない。与えること自体がこのうえない喜びなのだ。だが、与えることによって、必ず他人のなかで何かを生き返らせ、その生き返ったものは自分にはねかえってくる。ほんとうの意味で与えれば、必ず何かを受け取ることになるのだ。与えるということは、他人をも与える者にするということであり、互いに相手のなかで生き返ったものから得る喜びを分かちあうのである。与えるという行為のなかで何かが生まれ、与えた者も与えられた者も、互いのために生まれた生命に感謝するのだ」

4 精神的筋力は、自ら選択することをとおしてしか鍛えられない。
 欧米のリベラリズムの産みの親の一人、J・S・ミルいわく、
「知覚、判断、識別する感情、心的活動、さらに進んで道徳的選択に至る人間的諸機能は、自ら選択をおこなうことによってのみ練磨されるのである。何事かをなすにあたって、慣習であるがゆえに、これをなすという人は何らの選択をもおこなわない。・・・(略)・・・知的および道徳的諸能力は、筋肉の力と同様に、使用することによってのみ改善されるのである。・・・(略)・・・自分の生活の計画を(みずから選ばず)、世間または自分の属する世間の一部に選んでもらう者は、猿のような模倣の能力以外にはいかなる能力をも必要としない。自分の計画を自ら選択する者こそ、彼のすべての能力を活用するのである」 。
「独自の欲望と衝動をもっている人物、すなわち、その欲望と衝動とが彼の独自の天性の表現であり、かつ、その独自の天性が独自の教養によって発達しまた修正されたものであるような人物こそ—性格をもっている人物と呼ばれうるのである」 。

 つまり、「世間」ならぬ「グループ」に「自分の生活の計画」を「選んでもらう者」は「猿のような模倣の能力以外にはいかなる能力をも必要としない」のであるから、彼らが「性格をもっている人物」、言葉の真の深い意味で「個人」となることはないのである。彼らの手にするのはいわゆる「キャラ」、一つのパターン化した・物まねできる・演じられた「役割」に過ぎず、そこには「独自の教養によって発達しまた修正された」ところの「彼の独自の天性の表現」なぞ何もない。真の意味での「性格」は、その個人が己の「独自な天性」が生む「生命的自発性」に基づき、それに最高の発揮を与えようと様々なことを「自ら選択をおこなうことによってのみ練磨される」のである。

5 中間社会への視点
 最後に私は次のことを学生たちにあらためて問題提起するつもりである。これも拙著『創造の生へ』で書いたことであるが、もう十年以上も前になるのだが、私は「社会」という言葉を聞いて、まず直感的に湧き出るイメージを調査したことがあった。
 一言でいえば、そこに共通して現れてくるイメージは、暗闇の奥の奥へとその姿が消えていってしまうわれわれには手も足も出ない不可視の権力が暗いドームとなってわれわれの上に覆いかぶさっているといったものであり、そこでは不安と恐怖の2文字こそが「社会」を象徴するキーワードであった。たとえば、
「社会というと、ただ広いばかりで途方もなく大きな怪物か何かのように感じる。そこには様々な思惑が複雑に絡み合っていて、一つの問題を解決しようにも、何から始めればいいやらわからない。・・・〔略〕・・・それほど、この社会の中には深く取り込まれているし、またつまはじきにされている気がしてならない」 。

 私はこの「社会」イメージを「カフカ的社会」と命名したうえで、そこへ「中間社会」という概念を導入し、さらにこう問題提起した。いわく、
「中間社会とは、個人としての私と或る一まとまりの大きさの全体的なシステムとしての《全体社会》との中間に位置し、私と全体社会とを媒介し仲立ちする日常的具体性に満ちたコミュニケーションを基礎に成立している小さな社会空間を指す。・・・〔略〕・・・この私と全体社会とを媒介し仲立ちする働きはその中間社会のあり方・構造によって否定的になったり肯定的になったりする。その否定度が増せば増すほど私にとって全体社会はカフカ的イメージのもとで現れるようになり、逆にその肯定度が増せば増すほど全体社会は私にとって自分の行動によってはっきりと作用を及ぼしうるものとしてイメージされ始め、手も足も出ないといったイメージは消え、掴みどころのある或る具体的な介入路を通じて自分がその変革や改良に作用しうる対象、自分が一人の行動者としてその具体的創造に参加しうる参加対象としてイメージされることとなる」 。

 つまり、問題とはこうだ。学生たちにとってこれまで彼らが生きてきた「中間社会」とはまさにこれまで私が「イジメ・トラウマ大陸」と呼んだ「クラス社会」であり「グループ社会」なのであり、そこでの彼らの経験の在りようについてはこれまで縷々述べたとおりのそれであった。だから、今日の彼らが「全体社会」に対して抱く、「カフカ的社会」イメージと、それに深く結びついた恐怖感と無力感はいっそう増大していることは間違いない。
 一言でいえば、日本の民主主義的エートスの衰弱と学生たちのスクールライフにおける「イジメ・トラウマ」問題は深部において明らかに深く結合しているに相違ないのである。(清眞人)

高校生公開授業 参加高校生まだまだ募集中!

 2月10日(日)に実施される高校生公開授業。すでに研究センターのホームページdiary(昨年12月12日)で案内してますが、まだまだ参加高校生を募集しています。ぜひ申し込みください。

 加藤公明さん 高校生公開授業

 テーマ:歴史探究~なぜ?を問うおもしろさ~

 日 時:2月10日(土) 13:30~16:30
 会 場:フォレスト仙台 2Fホール (会場の詳細はこちら)
 募集定員:30名(先着順) 参加費は無料

   高校生公開授業 参加申し込みフォーム

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