mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

ブラタモリ、有馬温泉で思い出す 一夜の出来事・・・

 3日の夜のテレビ「ブラタモリ」は有馬温泉だった。「有馬温泉」は、私に亡くなったHさんをすぐ思い出させた。

  昼の豊中市の用事を終えた足でHさんと2人で、Sさんとの約束場所の有馬温泉に行ったのだ。数教協の全国大会が有馬温泉でもたれており、Sさんはそこに参加していた。9時終了予定の夜の部後にSさんと会うことにしてあった。
 ロビーではまだ元気だった森毅さんの独演会が大勢の人に囲まれておこなわれ、何度も笑い声が上がっていた。
 Sさんは玄関を入ってすぐのところで待っていた。
 なぜSさんと会うことにしていたか。

 Sさんは、当時、関西の10か所近くで母親たちの教育を語る会に関わっていた。その語る会から数教協大会に参加する母親たちが、Hさんたちと作った生活科教科書「どうして そうなの」「ほんとうは どうなの」の話をぜひ聴きたいと言っているが、という連絡をもらったのである。教科書の話は、語る会ですでにSさんがしており、そのことで母親たちは興味をもっていてくれたのだ。

 9時過ぎると、Sさんと一緒の私たちの部屋に、母親たちはぞくぞくと集まってきた。記憶は定かでないが、30人前後ではなかったか。神戸をふくめて兵庫の方が多かったが、京都・大坂・和歌山からという人たちもいて内心驚かされた。
 教科書の趣旨と内容を話した後は、母親たちからの話がつづき、解散した時、時計は夜中の1時を回っていた。その母親たちのまっすぐな話に、Hさんも私もこれまでになく励まされた感じになることができた。

 その後、3人で風呂に入ったのだが、なんとSさんが部屋の鍵を持たずに出てしまい、部屋に入れない。ホテル関係者を探しまくってもだれ一人つかめない。何しろ2時なのだから。仕方なしに、大広間に行き、そこに並んでいる座布団を布団がわりに敷いて掛けて、一時の眠りをとった。
 余計なことだが、あの時の有馬温泉は、「1泊した」と言えるのかどうか・・・。

 後日、教科書展示会に行き、あの教科書は、どう見られるのかが気になり、近くに腰かけていた。あるグループが、2年用のケヤキの写真を見て、「うちの学校にはケヤキがないものねえ」と言っていた。その時、有馬でのある母親の言葉を思い出した。「うちの近くにイチョウの大きい木があるから、子どもと一緒に見つづけてみよう」と言ったのを。
 私には、(とっても大きな違いだ! この違いはどこからくるのだ!)と思ったのだった。( 春 )

今、教育にも求められること 中村桂子さんの挨拶から考える

 昨年末、高校生公開授業でお世話になった中村桂子さんが、2月1日付の生命誌館のホームページで新年の挨拶を掲載されました。一部を抜粋して紹介します。 

「人間は生きものであり、自然の一部である」。とてもあたりまえのことですが、これをよく考えることがこれまで以上に大切になっていると思うのです。
 これからはAI(人工知能)の時代だと言われます。時にはAIが人間を超えるという人さえいます。でも生きもの研究の立場からすると、「人間とはなにか」というのはとても大きなテーマでわからないことだらけです。どうしたらこのわからないものを超えたことになるのだろうと考え込みます。
 たとえば戦争です。戦争をするのがあたりまえであり、日本もあたりまえの国になろうと言われます。人間という生きものは戦争をするのがあたりまえにできているのかどうか。よく考えてみなければなりません。最近、類人猿や絶滅した人類との比較から、私たちの祖先はとても穏かな存在だったとも言われ始めています。
 とにかく、「人間」をもっとよく知らなければなりません。技術も政治も急がずに、慎重に考えるところから始めて欲しいと思います。

  新しい学習指導要領の発表の折にも、先行き不透明な時代とかいいながら、その一方で、AI時代を想定したり、IT技術への対応と称して小学生からプログラミングの学習が大切などとさかんにアピールしています。

 中村先生の技術と政治にプラスして、「教育」も急がずに慎重に考えるところからはじめることが求められていると思います。<仁>

60代の若者たちへ  誕生日に念う

 まったくの私事ですが、先日、60代最後となる誕生日を迎えた。その誕生日の翌日、新聞をめくっていると、中程に1頁全面を使って、脚本家・演出家である倉本聰さんの広告(記事)が掲載された。

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 目に飛び込んできた大見出しが、「60代の若者たちへ。」 その後のサブタイトルは「この先をどう生きるか。しまっておいた夢を取り出してみないか。」と大文字で書かれている。
 そうか、あと一年、自分にも60代が残っているなぁと思うと同時に、「しまっておいた夢」はなんだろう?、そんなものがあるかなぁ?などと、立ち止まって考えたのであった。そして昨年読んだ本の中から、白川静さんの「回想90年」(2011年初版・平凡社ライブラリー)を思い出した。13名の著名人とのインタビュー・対談を柱に編んでいるのだが、その中に、石牟礼道子さんとの対談が書かれていた。その冒頭部分では次のように語り合っている。

石牟礼 私も気がついたら70をすぎました。先生はやがて90になられるの に元気に仕事をされているので、私もこれから予定の仕事をしたいと思っております。
白川 私が辞書を書き出したのは73のときです。最後のまとめと思って、2年・2年・6年の10年計画でやりはじめた。「字統」と「字訓」は2年・2年でいけたんですが、最後の「字通」は7年半ほどかかりましたね。  
       ※白川さんは2006年に96歳で他界されています。

 まさにお二人とも、倉本さんのいう「しまっておいた夢」を追い続けていた70代の若者なのだなあと感服するだけの自分でした。

前述の対談の中の次の部分も興味をひくものがあった。

白川;辞書については新村出先生にこう言われたことがあるんです。辞書というものは、言葉の起源を明らかにしなければならん。言葉の歴史を明らかにしなければならん。言葉といろんなものとの関係を圧縮して、そこから広がってゆくようなものでなければならん、とね。そして先生ご自身は『広辞苑』の元の版をおつくりになった。ところが今の『広辞苑』は先生の趣旨からだいぶ外れて、百科辞書のようになってしまってね。先生は、間口は狭くて奥が深いほうがよいと言うておられたんですが、ちょうど逆になりましたな。
    私はそういうお話しを聞いておったものだから、徹底的に字の素性を洗って、文字は孤立しておるのでなしに、縦の系統とか横のつながりとか、いろんな広がりをもっていると考えて、そういう流儀で『字通』を書いた。だから、あれは必要なときに必要なとこだけ見て、パタンと閉じてしまうんでなしに、遊んでほしいと思ったのです。

 白川先生の願いに応え、辞書を遊ぶように使う。これならボクにもできるかな。そして「しまっておいた夢」を残り1年で見つけ出し、70歳をむかえられればいいなあと考えたのでしたが・・・。<仁>

第4回 仙台市いじめ対策等検証専門家会議を傍聴して

 第4回仙台市いじめ対策等検証専門家会議(以下、専門家会議)が、年明けすぐの1月12日(金)に行われ、第1次提言・案についての話し合いを持ち、週明け15日(月)には、早々と郡仙台市長へ第1次提言を提出。さらに1日おいた17日(水)には、総合教育会議の場で、この第1次提言が議論されました。いじめに関する取り組みが遅々として進まないと新聞各紙で報じられていただけに、ここにきてとてもスピーディーで手早い対応だと感じました。ただ、この素早い対応はいじめという重い課題にふさわしく真剣に受け止めてのものと考えてよいかは、簡単に言えないなあとも思いました。以下、雑感を述べます。

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 第3回いじめ対策等検証専門家会議については、すでにdiaryで感想を述べましたが、そこでの議論の低調さ、検証とは名ばかりの実態を考えると、この段階で第1次提言を出すというのは、あまりに性急だと感じました。会議の進行を務める石巻専修大学教授の木村民男会長は「予算編成が佳境に入っている。そう急な着手が望ましい項目を中心に委員の意見を集約した」(河北新報)と言うように、この第1次提言が検証を踏まえてのものというよりも予算編成という時期を優先させてのものだということを率直に語っています。
 そのため出席した複数の委員からは、この段階での提言をどう考えたらいいのか戸惑いや異論が、会議冒頭でずいぶんなされました。朝日新聞は「提言素案『抽象的』委員から異論相次ぐ」との見出しで、そのあたりのやり取りを「予算に盛り込むことに配慮するなら、提言は具体的である必要がある」、「事務局は『いずれも重要施策』と言っている。穴があるところを早急に埋めるべきで、抽象論でいいのか」と伝えています。また専門家会議の第1回議事録には、事務局と庄司委員との間での次のようなやり取りも記録されています。

●庄司委員
確認ですが、第1次まとめというのがありますが、これは具体的に何かまとめた書類、提言みたいなものを提出するということが予定されているものですか。

●事務局(コンプライアンス推進担当課長)
この会議におきましては、例えば、答申や報告書のような形で会議の総意としてのものを作っていただくことは予定しておらず、随時皆様からご意見、ご議論を頂戴するということになっております。「第1次まとめ」と記載していますのは、そこまでの主だった意見をまとめて一度振り返る機会を設けたいと、そのような趣旨でございます。

 ですから委員のみなさんも、今回の第1次提言と言っても「第1次まとめ」として、これまでの主な意見を振り返るものという程度の認識だったのではないでしょうか。よもや予算に反映されることを前提にしたような提言がまとめられるとは予期していなかったのではないかと推測します。各委員からの会議での発言は、この会議の性格や意味づけを改めて確認し疑問を呈したものとして委員たちの良識を感じますが、残念ながら会議は予算編成ありきの事務局と木村会長の運営で進められる形となりました。いじめ問題は早急に取り組む必要があるからやむを得ないのだと言うことなのでしょうが、やはり検討もないままの予算措置で大丈夫なのでしょうか。転倒した会議運営のあり方が、今後の具体の検証にも影響しそうで心配です。
 次に提言の中身についてですが、いくつか新たな手立てや取り組みが述べられてはいますが、特に目新しい施策はないように思いました。予算編成を睨んで、これまで行ってきた施策の拡充・強化という観点での提言がほとんどでした。
 しいて目新しい施策と言えば、前回3回の感想でも述べたコミュニティ・スクールの導入ですが、いじめ問題に便乗して導入しようという感じを受けました。地域と学校が連携することの重要性はわかりますが、きちんとした議論と検討が必要だと思いました。

 ※ ちなみに17日に行われた総合教育会議は、第1次提言を各教育委員が追認す
  る形で意見を述べるにとどまる内容でした。そういう性格の会議なんでしょう
  か?( キヨ )

すてきな伊豆沼の野鳥たち、ご覧下さい!

 研究センターのホームページを開くと、まずみなさんに見ていただけるのがスライド写真です。私たちが催した講演会のときの様子や、四季折々の草花などです。
 これらの写真を毎回撮って提供してくださっているのが、研究センターの活動をずっと支えてくれている千葉さんです。ついこの間までは、昨年末に行われた中村桂子さんの高校生公開授業のときのものを載せていました。今は、伊豆沼の白鳥をはじめ飛来する野鳥の写真を載せています。どのようにしたら動く被写体のあんな素敵な一瞬を、あのように写真に捉えることができるのだろうか?、と不思議でなりません。私なども千葉さんをまねて、今がシャッターチャンス!、とシャッターを切るのですが、毎度うまくいきません。

 今回の野鳥もそうですが、先ほどふれた高校生公開授業の写真も、参加してくれた高校生たちの真剣な表情は、男女にかかわらずどの子も本当にすてきで惚れ惚れします。そもそも授業中の子どもたちの表情を撮った写真って、あるようでないんじゃないかな? 家族でどこか旅行に行ったとか、友だちと遊びに行ったとか修学旅行のときのものとか、そういう思い出の写真はあるけど、授業中の写真ってあるようでないですよね。子どもたちが何かに夢中になっているときの真剣な表情って美しいなあと思います。どこの学校の教室でも、こういう子どもたちの表情が見られるといいですね。( キヨ )

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「冬の学習会」を振り返る ~ 多くの仲間と子どもに支えられて ~

 今年は宮城民教連「冬の学習会」に参加した。学校現場の現状を知らずにものをしゃべったり、批判的に聞いたりする自分を、そのような場に置くことをしぜん避けるようになっている。(どんな時代であろうと、大事なものは大事だ)という思いをもつものゆえ、しぜん足が重くなってきている。

 宮城の「冬の学習会」は、今年が63回だという。よくぞつづいているものと思う。つづけている人たちに感謝だ。
 「冬の学習会」の歩みについてのきちんとした記録は残っていないが、1952年を第1回とする夏の東北民教研集会後に冬は各県でもつようになったものであり、1955年が宮城の第1回「冬の学習会」ということになるのかもしれない。

 話は夏の東北民教研にとぶが、第1回会場は宮城で、連坊小路小学校でもたれた。鈴木道太・佐々木正・大村榮・佐藤九二一・宮崎典男・小泉定光らが呼びかけ人になり新潟を含む東北各県に働きかけ、準備会をもって本集会をもっている。

 宮崎典男の記録によるとその時の集会予算は次のようだった。
 ・収入―5万円(・宮教組からの後援費1万円、・東北5県教組2万円、・会費
         2万円「宮城参加者のみ、1人200円」)
 ・支出―5万円(・講師関係2万5千円、・会場費5千円、・プリント2千円、
         ・接待3千円、・通信宣伝1万円、・準備5千円)
 ・参加者についていうと、「岩手宿泊班は本部のご案内の好意で教養学部(尚心
  寮)へ。1泊50円、食事は米2合持参で1食60円(米なきときは80円)。毛布
  持参。」 と大会ニュースにみられる。

 このこと1つ見ただけでも、参加する方も準備する方もたいへんだったことがわかる。参加者は180人だったそうだ。会場校校長が左遷されたという話まで残るようだ。このような出発をした「東北民教研」であり「冬の学習会」であった。

 この第一回東北集会を書きつづけたら尽きないので、今年の冬の学習会にまたもどる。
 今年私が参加した理由は2つ。1つは、「センターの部屋」の椅子を一つでも埋めること。もう1つは、国語分科会での仕事を言いつかったことだった。
 「センターの部屋」は、3人の報告者の話がよくて、気持ちよい時間を過ごすことができた。

 問題は国語の方。これまで私は人前で話をして1度もうまくいったためしがない。今回受けた時も、そうなることは覚悟の上だったのだが、そのとおりになってしまい、翌日は疲れがドッと出て、1日中、ゴロゴロして過ごすことになってしまった。なぜか。
 力のなさの一言に尽きるが、用意した内容が完全に場にふさわしくないものであったことも大きい。なんと、前に座る人たちにはほとんど不要かもしれない内容を用意したことになってしまったのだ。その心配がなかったわけではなかったが、与えられた任務をまともに考え、柔軟でなかった。考えるために取り上げた素材を、その場で変える勇気も力もなかったと言える。あまりに情けない。

 それでも、こんな時いつも助けてもらうのは、かつての子どもたちが書き残してくれたものだ。かれらの書いたものは私の中ではいつまでも古びない。いつでも使えて考える教師の仕事を考え合うための材料になってくれる。そのたびに、(子どもってすごいなあ)と思いつつ、教員であったことを幸せに思う。

 今年も彼らに感謝しつつ、私の「第63回冬の学習会」は終わった。( 春 )

第4回 いじめ問題再調査委員会を傍聴して

 昨年、年の瀬も押し迫った12月27日、17時からの開催! 何でこんな時期に、こんな時間帯で行うの?・・・と思いながら、すでに暗くなった道をいそいそと「いじめ問題再調査委員会」の傍聴に行きました。

※ 同委員会は、2016年に起きた南中山中の男子生徒のいじめ自死をめぐり、その事実関係等を調査していた仙台市教委の第三者委員会「いじめ問題専門委員会」の答申を、遺族側が不服・再調査を求めたことから、改めて再調査を行う委員会として市長部局に設置されたものです。 

 河北新報(昨年12月28日付け)は、同会議を「調査手法 また決まらず/ 南中山中自殺 再調査委 公開で会合」と題して報じています。12月22日開催の「いじめ対策等検討専門家会議」の記事より、ずいぶん小さい記事ですが、次のようなことが述べられています。

・9月の初会合以降、3ヶ月経っても実質的な調査に着手できていない。
・今回から原則公開されることになった。
・再調査委員会は、再調査の原因となっている仙台市教委のいじめ問題専門委員会
 の答申の不備等を確認するため、いじめ問題専門委員会との会合を求めているが
 実現していない。
・当時在職した教職員からの聞き取り調査を行う方針を確認、しかし対象や聴取内
 容は決まらない。

 すでに4回目の会議を迎えているにもかかわらず、会議は進展せず行き詰まっていることが記事のタイトル「調査手法 また決まらず」からや、会議の実情が「着手できていない」「実現していない」「決まらない」と、ないない尽くしからも明らかです。唯一、評価できる会議の「原則公開」も、今回まで決められてこなかった状況を考えれば、決して褒められたものではありません。

 そのような状況にあるのですから、新聞が辛口の記事を書くのは当然です。しかし、その一方で同委員会は、これまでの第三者委員会では見られなかったようなやり取りや議論が行われているのも事実です。それらについて新聞マスコミはどこも報じていないようなので(触れているところがあったらごめんなさい)、そのあたりを中心に以下に感想をと思います。

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 一つは、先に上げた仙台市教委のいじめ問題専門委員会との会合がいまだ実現していない件に関わって事務局に対し厳しい注文と意見がなされたことです。会議でのやり取りによれば、仙台市教委のいじめ問題専門委員会との会合を持つことは、第1回会議ですでに合意・確認されていたことのようなのです。ですから委員が、今回に至るまで事務局は何をしていたのかと不信に思うのは当然です。会議では、事務局の仕事をしていないのだから、そこ(事務局席)に座っている必要はないと、厳しく意見される場面も。これまで傍聴してきたほとんどの第三者委員会は、事務局がお膳立てした議論の方向と内容を追認していくのが通例でしたから、このようにストレートに事務局に意見をする場面を目にしたことはありませんでした。大変驚きましたが、会議に多くの労力と時間を割いて出席している委員からすれば、当然といえば当然です。

 これに対して事務局を担っている子供未来局は、「合議体による結論で委員個人として答えにくいとのことだったが、改めて委員長らに出席を要請する」と返答しました。他方で、事務局の子供未来局からすると、教育委員会の管轄にあるいじめ問題専門委員会の出席については出席の要請(お願い)はできても、役所の縦割り行政のなかで出席を強制することはできず困っているというのが、もう一つの実情ではないかとも推察します。直接の事務局である子供未来局はもちろんですが、仙台市教育委員会もここまでことを大きくしてしまった責任・当事者の立場として、積極的で協力的な対応が求められているように思います。
 昨年の流行語大賞には「忖度」が選ばれましたが、事務局と委員の間で忖度なく率直に真剣なやり取りが行われるのはとても大切なことです。事務局と仙台市教育委員会は、しっかり取り組んでほしいと思います。(事務局の肩を持つ必要も、私が自責の念を感じる必要もないのですが、思わぬ会議の事態に自分が叱られているようでハラハラしながら傍聴しました。)

 二つ目は、「いじめ」の定義をめぐっての論議があり、大変興味深いものでした。ある委員が、文科省のいじめ定義は、子どもと子どもの間の関係で行われる行為でしか考えていない。しかし、教師が子どもを苦しめていることもあるし、学校が子どもをいじめる、そういう場になっていることだってあるのではないかというのです。それを受けて他の委員からは、そんなことを言ったら、この委員会で文科省を批判することになるかもしれないけど・・・大丈夫なのか? そこまで再調査委員会でやるつもりはあるのか?というようなやり取りがありました。
 いじめを再定義しつつ、その再定義を含めていじめ自死に取り組もうとする姿勢は、単にいじめ対策に終わらない、いじめの原因がどこにあるのかを子ども個人の資質に還元せず、学校教育という今の教育そのもののあり方も含めて考えようという、ちょっと大袈裟ですが、いじめの見方をめぐるコペルニクス的転回を感じました。いじめという事象を掘りさげて考えるという視点の提起に関心を持ちました。

 三つ目は、当時在職した教職員からの聞き取り調査についてです。報道されているように、その対象や聞き取り内容は決まっていないとのことですが、ぜひやってほしいと思います。会議の中では、多くの委員がこの聞き取りを誰がするのか? をめぐり戸惑っていたようですが、委員自らが行うのがよいのではないか(筋では)と思います。委員のみなさんがここで躊躇しているようでは、この再調査委員会の本気度が透けて見えるというものです。カウンセリングなど専門的な知識や方法を知らない、持っていないから躊躇されるのかもしれませんが、各委員が教職員のみなさんときちんと向き合うという姿勢を示すことが、先ずはとても大切なことなのではないでしょうか。教職員もいじめ自死が起きた当初は、さまざまな理由で語れなかったことも、時間が経つことで語れるようになる、語りたくなるということはあるように思います。この再調査委員会のやる気度とその度量が問われていることのように感じました。

 ところで、実はこの委員会の最大のユニークさ・特異性はどこにあるのか?というと、それはもしかしたらdiary冒頭で不平を漏らした会議時間の設定にあるのではないかと・・・? そんな気になり始めています。そして、そのユニークさは何を意味しているのか? と言えば、傍聴者(正確には、仙台の教職員をはじめ教育関係者や保護者、そして仙台市民)も一緒に、このいじめを本気になって考えよう解決しようと呼びかけているのではないかと・・・。その具体の現れが、就学している児童・生徒の多くの働く保護者や教職員、そして仙台市民がなるべく傍聴できる(可能な)日時による夜の会議設定ではないかと思うのです。ゆえに新聞が伝えていたように、会議は「原則公開」とすることが何にもまして譲れない大切なことなのではないでしょうか。ある意味、私たち仙台の人間の本気度が試されていると言えるかもしれません。ちなみに次回会議の開催日時は、1月20日(土)17時~21時 と、やはり前回同様に夜です。

 以上は、私のこの会議についての感想であり、見方にすぎません。そして新聞が伝えるように、この委員会は未だまったく機能せず混迷した状況にあります。しかし同時に、混迷しつつもこれまでの第三者委員会には見られなかったやり取りや議論に期待したいと思います。もちろん傍聴できるときは、一人の市民としてこれからも参加したいと思います。( キヨ )