mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

西からの風11 ~教室から6~

 黒澤作品『生きる』と学生たち

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 私はこの「教室にて」のコーナーに、昨年度の大学での自分の授業体験をとおして感じ考えたことを書き綴ってきた。その締めくくりにぜひ取り上げようと思った事が一つあった。ところが、忙しさにかまけてできないでいた。それを書き残しておきたい。

 「社会倫理学」の授業で私は次の課題を締めくくりのレポート課題として出した。黒澤明の傑作『生きる』をレンタルして家で観て、その感想をレポートせよ、との。書いておきたいのは、その提出されたレポート群の束を読んで、あらためて痛感した事についてだ。

 この授業の教科書には、拙著『創造の生へ——小さいけれど別な空間を創る』(はるか書房)を使った。その第Ⅱ部「応答の倫理学」の最終章(第6章)は、かの『夜と霧』の著者として名高い実存的精神分析の思想家フランクルを取り上げたもので、そのタイトルは「《生きる意味》についての問いのコペルニクス的転回」である。その章の最後に私は補注を一つ付けている。まさに黒澤の『生きる』についての注である。私はこう書きだしている。——「そこに波打っている思想は、僕には、人生の意味を問う際に問いの立て方の『コペルニクス的転換』を主張したフランクルの思想と驚くほど重なってくる」と。そしてこの作品の簡単な紹介をおこなっている。
 ここでいう「コペルニクス的転回」とは、フランクルの次の問題提起を指す。私はそれをまるまる引いて、そこに私なりの解説をほどこし、この章としたのだ。

 私たちが『生きる意味があるか』と問うのは、はじめから誤っているのです。つ
 まり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し
 私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私
 たちは、人生がたえずそのときそのとき出す問い、『人生の問い』に答えなけれ
 ばならない、答を出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われ
 ていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなり
 ません。そしてそれは、生きていることに責任を担うことです」。
            (『それでも人生にイエスと言う』春秋社、27~28頁)

 そして、こう繫げた。——「或る市役所のうらぶれた定年間近の課長渡辺(志村喬の驚くべき演技!)は偶然自分が癌の末期にあり余命が半年に過ぎないことを知る。彼は自分の人生を顧みて自分がまだ一度も『生きる』という実感を味わったことがないという絶望に打ちのめされ、一度でもいいからそれを味わってみたいと焦燥する。その渦中で、或る時、彼はかつて市役所の部下であり今はおもちゃ工場に働く一人の若い女性の一言に、突然目が覚めるような衝撃を受け、今までの焦燥を振り切った別な感情と意識のなかへと没入してゆく。彼は、人生の意味をめぐるこれまでの煩悶を突破する或る種の回心を遂げるのだ。フランクルのいわんとするところを理解するうえで、この黒澤作品の鑑賞を僕は強く奨めたい。」

 学生のレポートの束には紹介したい言葉が溢れている。彼らはこの補注を真正面から受け止めてくれたのである! 紙面の関係でそれができないことが残念だ。ほんのそのごく一部だけだが、紹介したい。

 私は打たれた。文字通り学生全員がこのモノクロの、ほぼ70年前の、音声も悪い、「昔の映画」に即座に見入ってしまったこと、そのことに驚いているのだ。例えば、こうある。「まず、白黒映画ということで、正直見ずらいし、あんまりおもしろくないだろうなぁと思った。しかし、白黒映画なのにそれを忘れるぐらいの没入感がそこにはあった」。
 この「没入感」をなにより物語るのは、彼らが、この映画に出て来るいわば「決め台詞」を実によく記憶し、それをレポートに書き記していることだ。それらは彼らの脳裏に刻まれた言葉となったのだ。
 主人公の渡辺を語る最初のナレーションがたちまち学生の心を捕らえる。「それって、俺のこと、私のことじゃん!」という小さな叫びが彼らの心から立ち上がるのだ。こうある。「冒頭の『彼は時間をつぶしているだけだ。彼には生きた時間がない。つまり彼は生きているとは言えないからである』『だめだ!これでは死骸も同然だ』というナレーションが、私にはかなり衝撃的なものであった」。「グサリと来た。自分のことを言われてるなと思ったからである」。「主人公が飲み屋で知り合った男に『いや人間は軽薄なもんですな。生命がどんなにか美しいものかということを死に直面した時、初めて知る。しかし、それだけの人間がなかなかいません。ひどいやつは死ぬまで人生の何たるかを知りません』といわれるシーンは特に胸に響いた」。「とても響いたセリフがある。『わしは人をにくんでなんかいられない。そんな暇はない』というセリフだ」。「『おもちゃを作っていると、日本中の赤ん坊と仲良くなった気がするの、課長さんも何か作ってみたら・・・』という女性の一言も、主人公が目を覚ましたように私自身もハッとさせられた」。

 また目立ったのは、この映画の二段構成(癌宣告を受けた渡辺の苦悩と変貌を描く前半と、彼の葬式の場面に急転し、そこで職場の同僚が彼らの目に映った変貌した渡辺の様子を回想する後半部との)の斬新さ・現代性に驚嘆し、高く評価する学生たちの声であった。
 「中盤まさか主人公がここで死んでしまうとは考えてもいなかったので驚いたが、その後回想で進んでいくというこの映画の構成があまりに新鮮で、黒澤明の技術に圧倒された」。「後半の、特に主人公の葬式がとりおこなわれながら、役所の人たちが回想するシーンが圧巻で、映画のタイトル『生きる』が題名にふさわしいと思わせるほどの名シーンであった」。「葬式内で市役所の職員たちが後日談のように渡辺の行っていったことを語りだす手法のほうが見応えがあったように思う」。
 映画の方法論の問題まで感じとり、かつ論じる、そこまでこの映画につきあってくれたことが私には嬉しかった。また、そこまで彼らにつきあわせる力をこの映画が今彼らにもっているという事実に、私は目を見張った。

 中にこういうレポートもあった。彼はこの映画を観るのは二度目だと書いている。3年前にたまたま或る映画祭で偶然に観た。だが、そのときは「非常に退屈だった」。今度課題に出され二度目に観たわけだが、「前回観たときとはまるで別物のように思えた。・・・〔略〕・・・前回退屈と感じられたシーンが非常に見ごたえのあるシーンに思えた」。彼は、今回はこの映画の幾つものシーンを自分に引きつけ重ね合わせ自問自答の波間を泳ぎながら観ることができたと書いている。渡辺は僕になった、と。そのことを、彼は「今回は、心に余裕を持ちながら観ることができたので、様々なことを考えながら観ることができた」と振り返っている。そして次の言葉でレポートを結んでいる。「言ってしまえば、この映画は難しすぎる。私が考えすぎなのかもしれないが、これほど心身を疲労しながら観る映画を、私は知らない」と。私は笑ってしまった。なぜ、余裕が疲労なんだ!?と。だが、思い直した。はたと気づいた。彼には「余裕」と「考えすぎる」ことがもたらす「疲労」とは一つのものなのであり、そういう「余裕」=「疲労」こそがかけがえのない青春の証なのだ。かつての自分の青春を顧みてもそうであったではないか、と。
 私は、私の授業が、第6章が、補注が、この彼の「余裕」=「疲労」に貢献できたと考え、秘かに自己満足に浸る。

 私は、今、二つの事を考える。
 「温故知新」という古い言葉がある。古いが、文化の営みの本質を端的に指摘する言葉である。文化の営みとは、一言でいえば「温故知新」である。しかしながら、この「温故知新」の絆が今日の日本ほどに脅かされだしている場所も無いのではないかという不安がよぎる。
 教育者の若者に対する重大な責務の一つは、若者を導いて彼ら自身に「温故知新」の感動を体験させることである。いったん、一つでも、「温故知新」という絆が存在するということを経験させ感動させるなら、あとは彼ら自身が勝手に探し出す。「温故知新」の絆を。あのかけがえのない感動を何度も味わいたくなる。

 このことが一つ。もう一つは、実はもう言ったことだ。
 教師の重大な責務の一つは、「出会い」を若者に贈ることである。もちろん、なかにはその教師そのものが生徒・学生にとって「出会い」そのものとなる、優れた教師もいるに違いない。だが、それは稀有な運命のプレゼントと考えるべきだろう。教師の誰もがそんな教師になれるわけもない。しかし、どんな教師も担うべき、また担うことのできる責務が一つある。それは何かに、あるいは誰かに、若者を「出会わせる」機会を自分の授業のなかで作ることである。
 今回、少なくとも一回、授業のなかで私は教師としてこの責務を果たした。黒澤の『生きる』に私の「社会倫理学」の受講生を「出会わせる」ことができた。私の秘かな誇りであり自己満足である。

「私は今、21才であり、今までの人生を振り返った時に必死になったり、時間に対して真剣に向き合ったことがない。それは自分の人生に対して失礼なのではないか」。「この映画は戦後すぐに公開されたのだが、半世紀たったいまでも変わらずに観た人に活気を与え続け、これからもずっと『生きる』というメッセージをどの時代の人にもどの世代の人にも届けることができる映画だと思った」。「昔の映画を観ることに抵抗があった私は正直なところ観るのが億劫であった。しかし観終わったときにはこの映画を若い間に観る機会があって心の底から良かったと感じた」。(清眞人)