mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより3 シロツメクサ(その2)

 小さな花の集合が見せてくれた美しさ

 シロツメクサの花は、宮沢賢治の童話「ポラーノの広場」で幻想的な花となって登場します。

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「おや、つめくさのあかりがついたよ。」ファゼーロが叫びました。
 なるほど向うの黒い草むらのなかに小さな円いぼんぼりのような白いつめくさの花があっちにもこっちにもならび、そこらはむっとした蜂蜜のかおりでいっぱいでした。
「あのあかりはねえ、そばでよく見るとまるで小さな蛾の形の青じろいあかりの集りだよ。」
「そうかねえ、わたしはたった一つのあかしだと思っていた。」
「そら、ね、ごらん、そうだろう、それに番号がついてるんだよ。」
 わたしたちはしゃがんで花を見ました。なるほど一つ一つの花にはそう思えばそうというような小さな茶いろの算用数字みたいなものが書いてありました。

                     (「ポラーノの広場」・宮沢賢治

 夕暮れに花の中に見えるこの茶色の数字をたどっていくと、「ポラーノの広場」に着くという昔からの言い伝えがあるのでした。物語は、この祭りの広場をめぐって展開していきます。

 この童話の幻想的な小道具ともなっているシロツメクサの白いぼんぼりの花は、よく見ると小さな花の集合体です。その一つひとつの小さな花は下から順番に咲いていきます。咲き終わった小さな花は茶色になって下向きについていて、そこに数字みたいなものが見えてくるのでしょう。

 シロツメクサが小さな花を下から順番に咲かせていくのにはどんな意味があるのでしょうか。
 小さな花のいのちは短く、一斉に咲くとすぐ散ってしまいます。咲きかけたつぼみと咲いている花と終わりの花が一緒になってぼんぼりを作ると、一つの大きな花がいつまでも咲き続けているように見えます。遠くからでもミツバチたちを呼び寄せられます。呼び寄せられたミツバチたちは、小さな花がたくさんあるので、他の花に目移りせずに、次々とシロツメクサの花だけを回ってくれるので、受粉の効率もいいのです。シロツメクサが生きぬくための智恵です。

 シロツメクサが小さな花の集まりであることを賢治は作品にうまく取り入れていますが、夕暮れに「つめくさのあかりがついたよ。」という表現は、賢治の想像と思っていました。
 ところが、ある日、太陽が西に傾きかけた時刻に、野原で、見慣れているはずのシロツメクサが、急に光り出したような感覚を味わいました。近寄りしゃがんでのぞいてみると、一つひとつの花が輝いていました。つぼみと開いた花と咲き終わった小さな花の集合体が、独自の造形美を作り出しているのでした。

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 賢治は、「あのあかりはねえ、そばでよく見るとまるで小さな蛾の形の青じろいあかりの集りだよ。」と表現しています。そうも見えてきます。いつも野山を歩き回っていた賢治は、このような光景を何度も見ていて、「つめくさのあかり」の描写に生かされていったのではないかと思いました。

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 自然は、賢治だけでなく誰にも平等にひらかれています。こちらが感覚をひらいて向き合いさえすれば、自然も又、その奥深い姿と豊かな表情を見せてくれる。そんな気がします。(千)