mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

まさひろくんの「ばいばい」に想う ~『1年1組せんせいあのね』鹿島さんの実践から ~ 

 GW中にドラマ「ひよっこ」は、舞台を地元・茨城から集団就職でやってきた東京へと移した。昨日のドラマは、みね子が東京で迎える初の休日。父親が寝泊まりしていた飯場を訪ねて寮に戻ると、仲間たちから「おかえりなさい」と迎えられ、みね子は「ただいま」とあいさつを交わす。みね子に東京の居場所ができた、帰る場所ができたことを、あいさつは象徴していた。

 「あいさつ」は、ときに習慣やきまり以上の、ある状況や時代を象徴したり意味を帯びたりすることがある。
 そのことで思い出すのは『1年1組せんせいあのね』の著者であり、また小学校教師であった鹿島和夫さんだ。鹿島さんは、教師として子どもたちの豊かな人間性を培っていくにはどうしたらいいかを考え、表現力を培う仕事を学級の中心に据えてこられた。その具体的な仕事のかたちが、子どもたちに毎日考えたことや感じたことを書き続けさせてきた「あのねちょう」だ。

 その仕事を取り上げ、「教師と子どもの関わりを通して表現の言葉が教室において創出されてゆく過程を検討した」本に、『言葉という絆』(東京大学出版会)がある。
 この本のなかに、たむらまさひろという子の作品が出てくる。

      1おくえん
          1年 たむらまさひろ

    せんせいが1おくえんもらったら
    なにをかいたいかと
    おとうさんにきいておいでといった
    いま ぼくのおとうさんは
    にゅういんしている
    さくぶんなんかかきたくない
    だって ぼくのおとうさんは
    しんでしまうかもしれない
       おにいちゃんが
    「おとうさんはあと2かげつか
    3かげつしかもたない」といっていた
    ぼくはおかねよりも
    おとうさんのいのちのほうがだいじ
    1おくえんあっても
    おとうさんのいのちはかえない

 まさひろくんは、お母さんが家を出て、お父さんとお兄ちゃんの3人暮らし。しかもお父さんはガンで3回手術をしたが治る見込みはない。時々用もないのに教室に来ては鹿島さんに自分の病状を話し、もしものときは「正博をよろしくおねがいします」と言っていく。

 上のまさひろくんの作品は、鹿島さんが親子の会話を促し、親の思いの一端を知ってほしいと、子どもたちに「先生が、みんなのお父さんやお母さんに1億円あげたら、何に使いたいか聞いて、聞いたことを書いてきてください」と出した課題に応えたものだ。母親にまだまだ甘えたいはずなのにその母はなく、しかも生活を一手に支える父親もいつ何時どうなるかわからない。そういう厳しい日常をまさひろくんは生きている。

 鹿島さんは、「厳しい生活とたたかっている子どもは、そのことを動機として、自分のおかれている状況を深く吟味しなければならなくなり、そのことで、自分の人生を凝視した内容のある作品を必然的に書くようになってくる」という。病状が悪化して、とうとう最後の入院となる朝、まさひろくんは「声にならない声」でお父さんを病院に送り出す。このときのことを、まさひろくんは「あのねちょう」に書いてくる。

      にゅういん
         1年 たむらまさひろ

    おとうさんが
    おなかがいたいといって
    びょういんへいきました
    「にゅういんするからいってきます」
    といった
    ぼくはさびしかってかなしかった
    「いってらっしゃい」といえなかった
    なみだがでてきて
    やっと「ばいばい」といった

 何度読んでも、心が震える。「いってきます」の対の言葉は、「いってらっしゃい」。それはまた、帰ってくることを前提にしたあいさつだ。帰ることはないだろう父に、まさひろくんは「いってらっしゃい」とは言えない。その言葉を言いたいだろうに言えない、言わない。言ったら父親は、帰りを待つまさひろくんたちのことを思い、悩み苦しむだろう。だから「いってらっしゃい」は選べない、選ばない。まさひろくんは、自分が生きるこの厳しい現実、その抜き差しならない状況の中で、やっと「ばいばい」という言葉を口にする。「ばいばい」という言葉は、「いってらっしゃい」と言えないまさひろくんの悲しさや寂しさと同時に、父親と決別するその決意が、意思が滲んでいる。彼は「ばいばい」ということで、《お父さんがいなくなっても、ぼくは大丈夫》と、別れのあいさつを語ってしまっている。もちろん、彼は実際に父親との別れの時に、そんなことを考量した上で「ばいばい」と言ったわけではないだろう。「あのねちょう」を書き始める時にでさえ、そのような自分を知るよしもなかったかもしれない。きっと、まさひろくんは「あのねちょう」を書くことを通じて、そこに新たな自分を発見する。「あのねちょう」の向こうにいる鹿島さんという人をめがけて書くことで、まさひろくんは新たな自分を生きる。

 その後のまさひろくんについて鹿島さんは、この日から「生活力や行動力」があり、「周りのものに目を向ける観察力の鋭い子ども」に変わっていったとして、次の作品を紹介している。

      あさがお
         1年 たむらまさひろ

    あさおきて
    「あさがお おはよう」とゆおうとしたら
    おおきなふくらみがしていた
    かおをあらってごはんをたべて
    がっこうにいこうとしたら
    ちいさいはなが
    「ポン」といってひらいた
    ぼくは「おはよう」と
    おおきなこえでいった

 この頃の学校は、日々の生活のなかでつぶやかれ発せられる子どもたちの切実な声や思いより、学力テストの数値やいじめアンケートの回答が重視され、先生方はそれらの集計や対応、その他各種会議や報告書づくりなどで大わらわのようである。放課後に子どもたちとゆっくり話す時間もなかなか持てないと聞く。残念ながら、この4月、仙台ではまた中学生が自殺した。

 いま学校に求められているのは、鹿島さんと子どもたちとの間に育まれているような時間や関係ではないだろうか。そんなことを思った。( キヨ )