mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

4月2日

 新しい年度がスタートした。希望に燃えなければいけないのにどうもそうはならない。歳のせいであることは隠しようもないが、何年つづけても、これぞ研究センターの仕事と胸を張れる事実をつくれないことの方が大きい。

 よくぞ500人近い会員が我慢強く会費を出しつづけてくれたものとつくづく思う。センターにたくさんの方が期待していることは何なのか、しょっちゅう考えつづけているつもりでも、どう応えるかとなると具体化できずなんとなくみせかけで済ます自分が気になるのだ。

 こんな頼りない仕事をしているのに、なんと多くの方の献身的な応援を受けつづけたことか。無理を承知の願いをどんなに多忙でもどなたも快く受けて助けてくださった。どんなものであろうと、私たちだけでやりきれるものは一つだってない。こんなに多くの人に支えてもらえている場は他にあるだろうかとよく思う。よい仕事を創って返すことはなかなかできないが、このようなセンターに関わっている自分をこれ以上の幸せはないと思い、今年の一歩を踏み出した。

 1日は林竹二先生の命日だった。用事があり昨日は北山霊園に眠る先生の前に立つことはできなかったが、先生と向き合って年1回お話をすることも私にとっては年度初めの重要事である。

 林先生からは数えきれないほど学んだ。私の関わった仕事への応援もたくさんいただいた。あんなに子どもを大事にしたのに、何をねらったのか林竹二批判で特集を組んだ雑誌まで出たことがあった。「林竹二の授業は授業ではない」と言う人もいた。私は今でもそうは思わない。それについて一つだけ例をあげる。

 沖縄での日教組全国教研集会に参加した時、久茂地小学校での授業のために沖縄に来ていた林先生にお会いした。出かける前に打ち合わせをしておき、閉会集会講演を聞くためにご一緒したのだ。会場前でお会いするなり、先生はどんな言葉よりも先に、「一週間前に来て授業の準備をしているが、『開国』に関する沖縄についての新しい資料が見つかり、今度はそれが使えるので、前の授業よりもうまくいきそうだ」と、満面に笑みを浮かべて言うのだった。授業のためのよい資料が見つかったことをこれほど喜んで言う教師に出会ったことは前にも後にもない。このこと一つだけでも、私は林先生を授業者として心から尊敬している。