mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

8月14日

 10日から12日までの第61回東北民教研作並集会に2日目の夕方まで参加した。少々迷ったのだが、参加してよかったと思っている。

 参加者数はわからないが予想通り厳しかったのではないか。これからも容易に数は増えないだろうゆえ、単に数を問題にするよりも、集会内容を大事にしていくべきだろう。

 全体会に震災をテーマのシンポジュームを置いたのはよかったと思った。東北6県の集まりゆえにつくれる会だ。ただし、「震災をこえて、今わたしたちに見えてきたもの」というタイトルはどうだったのだろうとシンポの中で考えつづけた。それでも、何が「見えてきた」のかに焦点が当てられればそう思わなかったかもしれないが、全体を通して私にはそこがよく見えなかったことを残念に思う。

 分科会・模擬授業をのぞいたが、たいへん厳しいと言われるなかで、変わりなくつづいているサークルがまだまだあることを喜ばしく思った。しかも、若い人の報告もある。まだまだ大丈夫だという感じをもった。

 これからも小異を捨てて東北で集まりつづけることを願う。

 この集会の第1回は1952年、宮城・連坊小路小学校を会場にもたれた。この集会について、30年史「北方教育 その継承と発展」に宮崎典男が報告を書いている。そこから裏方に関するいくつかを抜粋する。

  ・堂々たる講師陣(*大田堯・福島要一・高橋慎一など)をそろえて5万円であげようというのである。講師宿舎に鈴木道太宅をあて、その接待を3千円であげるというソロバンがはじかれていた(これはほぼそのまま実行されたが、ある教組からはついに入金がなく、その分は鈴木のポケットからでて、すべてケリがついた)。

  ・会場もようやくきまったのであった。後に、この学校の校長は、この件により左遷されたといううわさがでた。

  ・宿舎がまた大変。米持参で宿泊の時代。やすくとまるには尋常の所であるはずがない。東北大学の学生会館・尚心寮を主に、長町館(米つき400円)などを使った。

  ・何回かの事務局の準備会は、ほとんど夕方から深夜におよんだ。集まる仲間も少なく、事務局の実質的な手足になったのは東北大学の学生だった。

  ・参加会費は、宮城県内のみ1人200円。(*予算書収入欄には2万円とある)

  ・当日の受付は130名。(第2日はほぼ予定数の180名)。

このようにして歩きだした東北民教研が61回目を終えたのである。感慨多。