mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

ドイツ留学日記1992年(13)

5月21日(木)快晴
 しゃくなげの花が一斉に咲き出した。大きな株だと2〜3メートルの高さとなり、お腕を伏せたような半球状に枝を広げるから、1本のシャクナゲだけでもかなり大きな空間を占める。公園では、それが歩道の両側に植えられていたり、庭園一面に散在していたり、あるいは寄せ植えをして築山のようになっていたりする。この大きな半球状の株がピンクや白、薄紫の大きな花をびっしりとつけるのであるから、満開になれば大変なあでやかさである。花の小山がいくつも重なって、歩道が花の中に埋まってしまうほどである。

 夕方にデュッセルドルフの郊外にあるベンラート宮殿Schloß Benrath(マインツ選定侯の離宮)を訪れた。ライン川と電車通りとの間にあり、1平方キロメートルに及ぶ広大な庭園と森を有している。典型的なバロック様式の宮殿である。ドイツは統一国家が生まれる19世紀までは100に及ぶ小国家に分かれていたから、このような城や宮殿は地方ごとにある。宮殿自体は両翼を合わせて100m余りであるから、これでも小さいほうに属する。しかし宮殿特有の丸みを帯びた屋根とピンク色の壁が王宮らしい華麗な印象を作り上げている。宮殿の東側の庭には大きな池があり、噴水を噴き上げている。西側の庭には幅100m、長さ5〜600mの庭園道路が建物からまっすぐに伸びている。真ん中に水路が走っており、水路の先端から眺める宮殿の姿はなかなかのものである。

5月22日(金)快晴
〈女性のファッションについて 3〉
 ショートカットは近年日本でも流行しているが、こちらの勢いには及ばない。はつらつとしたイメージを与えるし、若いという感じ、行動的だという印象を与えるからであろう。とくに夏の気候になると、ショートカットは季節感に合うから、目立って増えたのかもしれない。

 髪型はあらゆる衣服に勝って、ファッションの最大のポイントの一つである。日本人にしてもドイツ人にしても、髪はあらゆる衣服よりも魅力にあふれている。時代により、民族により、髪型は変化する。ルネサンス期の貴婦人の肖像画は前髪が剃られて高くて広い「おでこ」が特色となっている。長く不審に思っていたが、原画を見ているうちに、これはルネサンスの精神風土と文化に非常によくマッチしているのだと気がついた。平安期の高貴な女性たちは、背丈を越えるみごとな黒髪をなびかせていた。平安期の王朝文化は彼女たちの黒髪を抜きにしては語ることができないであろう。

 若い女性の多くは肩より少し下で切りそろえ、軽く流している。 優雅でやさしい印象を受ける。もう少しのばして後ろで一つに束ねた髪型は、さりげなくしかも女性的でさわやかだ。肩の上のところでまっすぐに切りそろえ、 軽くウェーブさせた髪には知性的な印象を受ける。

 いま、女性はショート化、男性はロング化の相互乗り入れの時代となった観がある。むしろショートもロングも個人の好みの問題であるから、男性女性を問わず各人各様であってよい時代だというべきかも知れない。ショートカットも襟足を強調してうんと刈り上げ、マッシュルームのような髪型になるにいたっている。男性のカットとまったく同じ髪型の女性もいる。ドイツ人は大半が栗毛色ないしは濃い褐色であり、金髪のように軽やかな印象を与えないから、ショートが好まれるのかもしれない。

 イヤリングは髪型とともにファッションの非常に重要なポイントである。日本の大学ではまだまだだが、ドイツでは3分の2の女子学生がイヤリングをつけている。センスのよい、はっとするようなイヤリングをつけることは、女性の最高の特権の一つだと思う。耳元に美しく輝くものがあることは、何ともいえない快感を与える。とくに斜め後ろから見たときの効果はきわめて大きい。他方で、イヤリングをつけないで耳元を涼しくするのも好感がもて、少数派のファッションといえるのかもしれない。

5月23日(土)快晴
ミュンスター大聖堂〉
 北ドイツからオランダ南部へと周る小旅行をする。ミュンスターMünsterはケルンの北方150kmのところにある中規模の都市(人口20万人)であり、中世都市である。ドイツを代表するDOMの一つがここにある。昼前にDOM前の広場に着いたが、ちょうど朝市が終わって、あわただしく後片づけが行われている最中であった。

 DOMは13世紀の建物であって、ロマネスク様式の高度の美的表現が辿りついた姿を示しているように思われる。二つのすっきりとした方形の塔を抱くファサードには入口がない! 代わりになんとも洗練されたリング状の円窓とスリット状の小窓だけの単純な壁面が意表をつく。正面入り口は塔の横にあり、代わりにいささか装飾過剰のうっとうしさを感じさせる「平凡さ」だ。屋根は緑色の広く伸びやかな大斜面、背面は建て込んだ僧院の感があり、オーソドクスの中に複雑な意表性を混じえた建物である。内部の四方の壁には彫刻が並べられ、美術館に足を踏み入れたような感じを与える。大きな24時間時計も一見の価値がある。

 DOM(大聖堂)はヨーロッパ建築の頂点であるとともに、宗教と芸術にとっての源泉である。DOMのあるところが町の中心であり、DOMが町を象徴する。人々は毎日DOMを見上げ、その鐘の音を聞きながら今日まで生活してきたのである。ドイツだけで数十のDOMがあり、ヨーロッパ全体では数百に達するであろう。10世紀前後から営々と築かれてきた歴史の結晶でもある。すべてのカテドラル(聖堂)にDOMの名が付せられるのではない。日本における仏教の総本山(例えば、大徳寺妙心寺など)の大伽藍のような、司教Bischofのいる大教会のカテドラルにのみ与えられる名である。ケルンのDOMは、そのスケールにおいておそらく世界一であろうが(パリのノートルダムよりかなり大きく、正面86m、奥行き144m、塔の高さ157mの巨大な石の「集積」である)、美しさにおいてはそれを凌駕するDOMがいくつもある。

  ミュンスターのDOMはすっきりしていて明るく、澄みきった清明さを持っている。その前に立って、眺めているだけで、深い充足感に満たされ、心の底から感動がこみ上げてくる存在——それがDOMである。私のドーム巡りは始まったばかりであり、すべてを観ることは不可能であろうが、ドイツ国内のDOMはできるだけ訪れておきたいと思う。
  DOMの近くには、リープフラウエン教会、ランベルト教会、博物館、旧市庁舎、それにギルドの建物群と、歴史的建造物がいっぱいある。大通りのPrinzipalmarkt(中央市場?)は空襲ですっかり破壊されたそうだが、それが信じられないほど元通りに修復され、昔の面影を伝えている。

 夕方にミュンスターを離れ、さらに北方50kmの所にあるオスナブリックOsnabrückを訪れた。ミュンスターより少し小ぶりの都市(人口18万人)である。この都市にも13世紀のDOMがある。同じロマネスク様式の建物であるが、ミュンスターのDOMよりいっそう簡素で、少々そっけなく、美しさの点でも劣ると思われる。

5月24日(日)快晴
〈デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園〉
 オスナブリックから西へ1時間ほどで国境を越え、オランダ入ることができる。さらに1時間走るとアペルドルンApeldoornの町に着く。この町にはオランダ王室のヘット・ロー宮殿Palais Het Loo がある。とにかく広大な宮殿である。入り口の建物(旧廐舎)は多数の馬車の展示場であり、孔雀が放し飼いされている。そこから並木道を数百メートル歩いて宮殿の建物に着く。コの字型の美しいレンガ造りの建物である。内部の調度品は豪華であるが、部屋は小さく区切られ、迷路のように複雑だ。各部屋は意外に暗く、床は簡素な板張りである。宮殿北側の庭園は華麗の一語に尽きる。幾何学文様に刈り込まれた植え込み、いたるところにある噴水と水路、あずま屋・・・・・・。庭園は新しく整備され直して、 完全なフランス式宮廷庭園となっている。 この庭園の奥には、数キロ平方に及ぶ宮殿の森があり、散策することができる。

 今回の旅行の主な目的は、アペルドルンとアーネムの間にあるデ・ホーヘ・フェルウェDe Hohge Veluwe国立公園を訪れることである。 この公園は広大な原野と自然林が残されていることで知られている。 そして自然林の真ん中にクローラーミュラー国立美術館がある! 国立公園入り口で入場券を買い、原野の中を歩いて美術館に向かった。3kmの行程であるが、自然林の中を大きく迂回して、2時間ほどのワンデリングで到着した。日差しが強く、シャツを脱いで日光浴をしながらの散策である。原野はすべて砂丘である。 砂地であるから開発から免れて原野が残ったのであろう。周りのヒースHeideはまだ花をつけていない。自然林は赤松と広葉樹の混合林である。原野と自然林とが交互に広がり、砂地は緩やかにうねり、見渡すかぎり人影も見えない。小さなオランダの広大な自然景観である。

 クローラーミュラー美術館は木立の中に目立たないように建てられていた。ここだけは観光客でいっぱいだ。この美術館はアムステルダムゴッホ美術館とともにゴッホのコレクションで知られている。 ゴッホはその素朴で具象的な描き方のために誰からも好まれているが、晩年の彼の本当の世界は狂気なのである。 素朴で美しい写実の裏に狂わんばかりの混沌がある。そしてゴッホの真価はこの晩年の2〜3年の作品に集中しているのである。自然の具象が次第に「野生化」し、「生き物」となり、渦巻く狂気の世界に吸い込まれていく過程がよくわかる。

 美術館の周りの広大な庭園はヨーロッパ随一の屋外彫刻展示場になっている。箱根の「彫刻の森」よりはるかに広大である。何キロものコースを歩いて見て回るのだが、私は起点からほどない芝生の彫刻広場で、緑陰の風があまりに気持ちよかったので、ついつい寝てしまった。係員に閉館を告げられて目が覚めるという始末。昼寝の報いだが、快適だったので仕方がないとしよう。

 昼寝の後はセンターで貸し自転車を借りて公園内をサイクリングした。無料である! 自分で自由に取り出して、乗り終わったら返せばよい。原野の中には何キロもの自転車道があり、風を切ってサイクリングができるのである。何というすばらしい発想であろう。制約は国立公園外に持ち出さないことのみである。一日中乗ってくまなく原野を周ることだってできる。国立公園のあり方を教えられた気がする。日本の国立公園では、このような企画ははたして不可能なのだろうか。4kmほど北にある小さな湖までのサイクリングをした。行きは原生林の中、帰りは砂丘の原野を走った。

5月25日(月)快晴
 花の綿毛が空いっぱいに飛んでいる。木の花の種子である。5月にはいろんな木の花が咲いたから、その種子が春の終わりを告げるために飛んでくるのだろう。たんぽぽのように小さな綿毛、綿のかたまりのようなふわふわとした綿毛が風に吹かれてどこからともなくやってくる。木々の茂みでは、強い風が吹くと空を真っ白に覆いつくして綿毛が舞い上がる。アカシアのような樹の周りには、歩道を真っ白にして花弁が降り積もっている。車が通ると舞い上がり、濡れた歩道ではブロックに張りついている。
 青い空に白い綿毛——春の終わりを告げているようでもあり、生命の息吹を教えているようでもある。

5月26日(火)快晴
〈自由時間〉
 日に日に夜が遅くなる。北緯が高いので1時間、夏時間のために1時間、合わせて2時間は日本より日暮れが遅い感じだ。9時近くまで太陽が空にある。7時の夕食時間に西陽が射しているという状態である。8時、9時に子どもが外で遊んでいる声が聞こえるというのは普通だし(日本では考えられないことだ)、食後に公園に散歩に行く人が大変多い。演奏会の多くが7時半か8時に始まるのもうなずける。10時から始まることさえある。10時がたそがれ、11時になってようやく夜のとばりが降りる。

 ほとんどのオフィスや役所は6時が終業である。飲食店を除くすべての商店は6時半に仕事を終え、店を閉める。買い物は必ず6時半までに済ませなければならない。私は6時半にスーパーで買い物カゴを下げ、レジに並んでいたら突然レジのバーが降ろされ、商品を棚に返したことがあった。

 残業はない。もっとも、大学では7時までの講義があることがある。日はまだ高く、明るいうちに仕事帰りである。自由時間はたっぷりあり、夕食をはさんで庭仕事、子どもとバドミントン、犬の散歩という家庭生活がふつうなのである。日本では仕事帰りは夜空の下と決まっている。「明るい家庭時間」というのは休日以外には考えられないであろう。なぜ日本で残業が一般的に行われているのか。禁止しないからである。ドイツにも残業はある。しかし6時半を過ぎて仕事風景の見られるビルはほとんどないし、工場街は人気もなく、広い敷地をウサギが跳ね回っている。これは国民性の問題ではなく、政治の問題なのだ。本格的な余暇時代の到来というのは日本ではまったくの嘘言である。余暇=自由時間が真に意味を持つのは休日ではなく、仕事日=平日においてである、ということをほとんどの日本人は知らない。そして政治的な方策がなされないかぎり、改善される可能性はない。むしろ今は過重労働=残業で自由時間は減りつつあるのだ。

 夏時間がドイツの国民生活にどのような影響を及ぼしているのかについては十分にわからないが、とくに夏の自由時間をより豊かなものにしているということは確かである。6時に仕事を終えても、「本当」は5時なのだから。

5月27日(水)快晴
 ツバメが飛んで来ている。夕方になると、たくさんのツバメが群れをなして家の屋根の周りや木の間を激しく飛び回る。独特の湾曲をした翼や尖った尾は日本で見るツバメと同じである。アフリカから地中海を越えて渡ってきたのであろう。

 日本の都市部ではツバメをあまり見かけなくなった。餌になる虫が少ないのであろう。あるいはとてもツバメの住める環境でなくなったのかもしれない。日本の都市では小鳥の声さえ聞くことができなくなっているのであるから。地方の街ではツバメはまだ健在であろう。かつて、山形の天元台で谷一面を埋め尽くしてツバメが飛びまわっているのを見たことがある。子どものころは白鷺もよく見かけた。鳥がどの程度周りを飛び回っているかということは、都市の自然度のメルクマールである。カラスとハトとスズメだけの都会というのはいかにも嘆かわしい限りだ。ここでは相変わらず小鳥のさえずりはたいそう賑やかである。何種類もの鳥たちが庭の木を揺さぶって飛びまわっている。

5月28日(木)晴れ、一時雨
 ついに少し雨が降った。久しぶりに雲を見た。まだ恵みの雨とまでは行かない。半月間も雲一つ見なかったというのは、さすがに初めての経験である。ヨーロッパは日本よりも天候の周期が長いのだろうか。3月は晴天の日が多く、4月は曇天、そして5月は晴天と、大きく行き来をしている。全般に仙台よりも暖かく、湿度も低く、日照時間も長い。日本では、今年の5月は天候に恵まれなかったようだが、こちらでは一番よい時期にいささかすばらしすぎる天候に恵まれたわけだ。予想よりはるかに暖かいのは、あるいは異常気象のためであるのかもしれない。あまりの晴天続きに、どこの家でも草花の水やりが大変だったようである。郊外の草地ではスプリンクラーが回っていた。

 今日は祝日である。Himmelfahrt(キリスト昇天祭)で国民の祝日である。
 Himmelfahrtとはよい響きの言葉だ(Himmel天にfahrt行く)。冬から夏にかけては、Karneval(謝肉祭)―Oster(復活祭)―Himmelfahrt(昇天祭)― Pfingst(降臨祭)と、キリスト教の行事が続く。国民の祝日の多くはキリスト教と関わりがあり、1年を通じてうまく配置されている。その「仕組み」は、はじめての私には複雑でまだよくわからない。例えば州によって祝日が異なることがある。また、カーニバルは祝日ではないが休みである。ちなみに、10月3日はドイツ統一記念日Tag der Deutschen Einheitで祝日である。

5月29日(金)晴れ
 昨日はライン川へドライブ散歩に出かけた。ライン川はいつ来てもすがすがしくて気持ちがよい。ライン川には河原がなく(ヨーロッパの川で広い河原を見たことがない)、堤防まで水がとうとうと流れている。濁った流れであり、きれいな水とはいえない。

 ボンからリンツLinz am Rheinに向かう。ボンからマインツにかけては両岸に山が迫り、緑が美しく、古城が次々と現れる。リンツにもAltstadt(旧市街地)があり、休日とあって大変な人並であった。木組みの家が並ぶ通りはラッシュアワーの駅のような感じで、歩くのも困難なほどである。通りには露店が並び、レストランの前にはテーブルが広げられている。混雑にもめげず、皆が楽しもうと「努力」している。

 何十台もの手回しオルガンがあちこちで騒々しいほどに音楽を奏でている。一度にこんなにたくさんの手回しオルガンに出会ったのは初めてである。いずれも乳母車のような台車に、よく磨きあげられてピカピカの、年期の入った木製のオルガンを乗せている。民族衣装を着て、誇らしげにオルガンを回すのである。

 コブレンツのエーレンブライトシュタインEhrenbreitstein要塞へ向かった。ドイツで最大級の要塞である。頑丈な石の城壁が何百メートルも続いている。要塞の中はちょうどジャズコンサートの最中だった。

 バード・エムスBad Emsへ。有名な温泉保養地で大きなホテルが並んでいるが、興味なし。早々に帰路についた。途中で、ボンの連邦政府に立ち寄った。建物は高層ではなく、予想外に簡素である。深い木立の中に見え隠れしているが、休日でゾーンの中には入れなかった。               (太田直道)