mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

8月によせて ~ 私たちはどう生きるか ~

  柳沢協二さん講演会-今、非戦を貫くために

 

 暑い日が続きます。戦争と平和を思う8月がやってきます。
 「8月ジャーナリズム」と言われるとか、この時期だけにわかに戦争や平和を語る論壇・世論に対して向けられる皮肉というか、批判だ。
 しかし、運動家でもない限り、戦争や平和の問題を日常的に考え続けることはなかなか難しいのが現実だ。やはり、この時期だからこそ、みんなで共有出来る可能性を私は捨てがたい。

 今、日本でもパリオリンピックの報道がたけなわだが、国家という単位でメダルの数を追うのは論外だが、アスリートたちの極限に挑戦する姿はやはり感動的だ。
 そもそもオリンピツクの紀元は、古代、その期間だけでも互いに武器をおこうと始められたこと。平和の祭典と言われるゆえんだ。しかし、今、このときも、ガザやウクライナでは市民に向けて銃が向けられ、子どもたちをはじめ、幾万の人たちが犠牲となっていることか。

 どうしたら二つの戦争に終止符が打てるのか、国際社会に向けられている大きな課題だ。そうした今、こともあろうに、「専守防衛」を投げ捨て、戦争国家への道にまっしぐらの自民党政治。2015年の安保法制(戦争法)の強行に続き、一昨年の安保3文書改定は180度とも言える安全保障政策の転換である。
 そして、昨日は日本とアメリカの外務・防衛閣僚会議「2プラス2」と「拡大抑止」に関する閣僚会合が行われている。その共同声明では「在日米軍を再編し統合軍司令部を創設すること」、「米国の『拡大抑止』の強化」(拡大抑止=「核の傘」を含む米軍の戦力で日本への攻撃を思いとどまらせるとする抑止)、「地対空ミサイルなどの共同生産の促進」が述べられ、中国の経済・軍事による威圧を「最大の戦略的挑戦」と位置づけている。明らかに中国との戦争を想定し、それに向けて日米軍事一体化、つまり自衛隊を戦力としてどう使うかが画策されているのである。恐ろしい話だ。憲法9条はどこへ行ってしまったのだろうか。

 しかし、かっての戦争の時代と違い、主権者は私たちだ。
 非戦の国であり続けるために、私たち主権者はどうするか、何が出来るのかを考え合いたい。そう願って、私たち「女の平和」ピースアクションみやぎは、8/4、元内閣官房副長官補の柳沢協二さん講演会を開催する。(仙台弁護士会館4Fホール  13時30分より)

 現職時代、内閣官僚として自衛隊イラク派遣に関わった柳沢さん。いつも、どう憲法9条との整合性をはかるか、そのギリギリのところで政策提言をしてきたつもりだったご自分の仕事を振り返る中で、「政策決定者は失われる命に対して臆病であるべきだ」「犠牲への想像力を欠いた勇敢さは国を誤らせる」(4/19 朝日新聞オピニオン&フォーラム)との思いに至ったと述べている。内閣の重職にあって政策決定の立場にあった人として、自省を込めてとはいえ、これを語ることは相当な覚悟のいること。それだけ真剣に、日本が踏み出している戦争への道に危機感を抱いておられるのだと思う。 
 顕著には2015年安保法制強行以来の憲法破壊が進む中で、「戦争にだけはさせない」ためにどうするか、どれだけの危機感を持って発言されているのだろうか。そして、戦争に人を送ると言うことを考えるとき、憲法13条に着目するに至ったと述べている。「憲法13条-すべて国民は個人として尊重されなければならい」、その個人として尊重されるべき誰かを「国家の名において、兵士として殺し殺される戦争に差し向けることなど出来ようか」「自分の人生の目的を他者に強制されることなく、自分で決めることが人として生きる原点だ」とも問いかけている。

 人気をはくしているNHK朝ドラ「虎に翼」のテーマのひとつも、この13条にある。国家として戦争放棄を定めた憲法9条と、一人ひとりが生きたいように生きる、その一人ひとりの尊厳ある生き方を守るものとしての憲法13条は二つながらに一つとなって、なぜ戦争を回避しなければならないのかを私たちに指し示している。 
 9条の街宣をしていても、原理主義的に「9条守れ」と言っているように受け止められがちな昨今、一人ひとりの生き方の問題、我がこととして、自分はどんな社会に生きていきたいのかを考えるその先に、戦争回避があることを広く語り合っていきたい。 (須藤道子)