mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

先生の「つうしんぼ」

 何年も前から、「終活」の片づけをやっていますが、未だにその跡は自分にも見えません。自分に呆れてしまい、その作業は、時計は休みなく動いているのに、間遠になっています。
 (これではいけない)と奮起して再開したのですが、いくらもしないうちに、「春日先生のつうしんぼ」という2つ折りの黄色の画用紙が出てきました。小3を受け持った時の最後の日、Y男とS男連署のもの(以下のコピー)で、私の作業はそれでストップ。その当時の学級だより(「きりん」)などを引っ張り出して、片づけどころか、前よりひどい状態でその日は終わってしまったのでした。

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 もらった通信表を眺め、当時のさまざまなことをたどりながら、(あの3年生もおもしろかったなあ)と思ったのでした。表は「評価項目」(彼らは「しゅもく」と書いている)、「よさ」、「オール」(評価数字のつもりらしい)、「へいきん」(「よさ」と「オール」からはじきだしたものらしい)で作られ、それに、彼らの「ショケン」が付されています。

 その冒頭に「1~5では、とてもはかりきれないから他の数字も使いました。」と書いてあり、正直驚きました。私たちの通信表より、よほど本気で考えた「シュモク」と思ったのです。次につづく文「とにかくうそが多すぎます。」についても、この「とにかく」は高級です。(あまりのひどさに自然に出たのかもしれませんが、3年生が見事な単語の選び方をしている)とまたまた驚いたのです。読んでも、私の「うそ」を頭から非難しているのではないと感じます。だから「それか、ばれないようにしましょう」と、この「うそ」についてのショケンをしめくくったのでしょう。私にとってはバレない嘘は子どもたちにつく必要はないのですが、だからと言って、彼らの心づかいは素直に受けなければなりません。それにしてもウソの数字は35で断トツです。私のウソを「あまりに過ぎる」と言っておきながら「35」という評価の数字はどうしたことでしょう。私を心配しながら、私の術中にはまってしまったということでしょうか。いずれにしても、言いわけを許してもらえば、私にとっては、彼らとの向かい合いで、必要(?)あってのウソであり、バレないとまずい場合がほとんどなのですが、それにしても、「バレないようにしましょう」という心遣いには頭が下がります。

 「あでらんす先生」と私を言っていることについて説明しておきます。私は小さい時から頭に触られることが嫌いで、今になっても床屋には自分でも呆れるくらい行きません。鏡にもめったに向き合いません。そんなひどい頭が、子どもたちの興味をひいたのでしょう。何かあると頭が子どもたちの標的になったのです。そこで私は防御策として、「アデランスが壊れるから触ってはダメだ!」と騒いであばれます。これはどうやら「バレないウソ」で通ったようなのです。と思っていたのですが、今あらためて「ショケン」を読みながら、(もしかすると、アデランスはウソとわかっていてだまされたふりをしていたのではないか・・・)とフッと浮かんだのです。(とすれば・・・、おそるべし! おそるべし! なかなかやるじゃないか、オヌシラ!)ということになります。

 他人にはなんの興味も起こさないだろう紙切れかもしれませんが、このようなものが私を支えつづけてくれたとあらためて思い、今になるも子どもたちに感謝の念でいっぱいです。
 「終活」作業は、またまたしばらく止まったままです。( 春 )

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