mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

夢追い人 ~自由とユーモアの精神をもって~

 身の周りの片づけをつづけているが、本気度が足りず、いつまで経っても片づけの跡が見えてこない。時々投げ出したくなるのだが、それでも私をつづけさせているのは、とうに忘れていたものが姿を現わし驚かされることにある。そのつど、仕事は中断、当時にさかのぼってしばらくの間その時に返り、片づけは止まってしまうので喜んでばかりはいられないのだが・・・。

 次の2種の“文書”( 「『PuPaLA』の会設立のための趣意書」「会則」)にも、貴重な時間をしばらく止められてしまった。少し長いが、とにかく(読んでみてほしい)と思って・・・。(固有名詞と年度はすべて変えてある。)

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 「PuPaLA」の会 設立のための趣意書

 4月3~4日のB社教科書実践交流会に参加したわたしたちは帰途、品川の高台、原美術館近くの御殿山ヒルズモリビル内「ホテルラフォーレ東京」でお茶を飲みました。
 クルブシまでくいこむようなジュータンを踏み、空と接触しているかのような吹き抜けの下でゆったりと話し合ううちに、財政難で苦しみつづけ、明日が心配されるB社の教科書を、なんとかしてわたしたちの手で守らなければならないという結論に達しました。
 ではどうするか。カネマルの前にひざまづき、金の延べ棒をもらうのが一番早道かもしれませんが、それは、痩せても枯れても、まだ少しは潜んでいるわたしたちの良心が許しません。とすると、まったく資力のないわたしたちが、B社に輝きつづけてもらうためにとれる方法は、「夢を買う」以外にありません。
 しかし、どう考えても、わたしたち3人の力では、夢の実現にはあまりに時間がかかりすぎます。一刻も猶予を許さないB社の経営状態を考えれば、B社の教科書を愛する同志に訴えて、一緒に「夢を買う」ユメに参加してもらうことだということになりました。
 これは、一獲千金を狙う仕事であり、必ず射止めることを目的にしているわけですからそれを知った銀行マンなどに追いまくられてはなりませんし、B社をつぶそうという人間が多くいるなかで、B社を輝かそうというのですから、この計画は秘密のうちに進めなければなりません。ですから、この会は、B社の教科書を守るとともに未来のすばらしい教育を願うという世にも美しい事業を掲げながら、探偵にも気づかれてはならない秘密結社でもあります。
 詳しくは、別紙会則にあるような会になりますが、この迂遠とも思われる大事業を一日でも早く実現できるように、ぜひ趣旨に賛同していただくようお願いいたします。
 秘密を厳守しなければならない組織であるために新聞へ広告を出すこともできません。
 もし、確かな同志がおりましたらお声がけください。
 なお、わたしたちの会の成功のために、この趣意書・会則等、会に関する一切のものが人目につくことのないようにしていただきたいし、残念ながら、趣旨に賛同できかねる場合もこの秘密の計画を他にもらさないようにしていただくことをくれぐれもお願いいたします。
                           〇〇〇〇年4月

                     呼びかけ人 ◇◇◇ ◇◇◇
                           〇〇〇 〇〇〇
                           △△△ △△△

 会  則

第1条(目的)
この会は、ヒトを人にするために懸命に教科書づくりに取り組んでいるB社を「夢を買う」ことで守ろうとする者の集まりである。

第2条(事業)
毎月1回宝くじを買い、当選金を密かにB社に寄金する。(ただし、当選金が少額の場合は、次の「買い」にまわして、高額をねらう。)

第3条(会員の義務)
① 「夢を買う」ための出資金を毎月500円納入する。
② つねに確率の高い売り場を探しておき、交替で購入することを原則とする。
 (ただし、事務局に一任することはできる)
③ 会員である間は、憲法で保障されている信教の自由を犯さない範囲で、神仏を怒
  らせるようなことのないようにし、御利益を期待してできるだけ善行に努める。
④ 会に関する一切の秘密を守る。(たとえ飼い猫がすりよってきても話さない)
⑤ 購入は交替を原則とするも、その月、特別のツキがある会員がいた場合はその人
  に購入権を譲らなければならない。そのために、会員同士、自分の体調・運勢に
     ついては連絡を十分みつにする。

第4条(事務局)
当分の間は、呼びかけ人の所属するY学校におき、会員が拡大し手狭になった場合は、他に移す。

第5条(事務局の仕事)
会員状況、購入券のこと、事業内容などを報告するため、毎月1回ニュースを発行する。

付則
① 少額の当選券が出た場合については別に定める。
② 会員証をつねに携行する。
③ 発足以後は略称(PuPaLA)を用いる。
 (Purchasing Party for Lottery to Aid B Corporation)
④ 事業報告・決算報告のための総会を年に一度はもつ。
⑤ この会則は〇〇〇〇年4月より施行する。

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 「何? こんなもの! 時間のムダ!」と思われたかもしれない。まったく個人的なものゆえ、「読んでみて!」と言っておきながら、「こんなもの!」と言われても弁解の余地はまったくない。つまり個人的趣味の押し付けなのだから。それでももう少し付き合ってもらえればありがたい。

 文中のB社の教科書編集に私も関わりずいぶん苦労したので、それにまつわる事々は小さいことまでも未だに鮮明に体にはりついているのだが、この“私設応援団”のことはすっかり忘れていたので、この“文書”を発掘したときは大いに驚いた。何よりも、このアイデアと清々しく小気味のいい文章を書く若い仲間(同僚)たちと一緒に仕事をしていた日々を懐かしく思い出し、くりかえし読むうちに当時の職場の心地よさを、他の人にまで見せびらかしたくなってしまったのだ。

 検定結果を聞きに文部省(当時)に行ったとき、冒頭、教科書調査官は「1社を除いて他社はほとんど同じような作りで、その違う1社があなたたちのもの」と言う(私は少しむきになって「他と同じものであればつくりません」と言葉を返したが)。その後「不合格」の理由が延々と述べられ(1・2年生用あわせて100ヶ所以上)、「修正するのであれば75日以内に再提出するように」と言われて予定の2時間が終わった。
 私たちの込めた願いを壊したら教科書をつくる意味はない。次に呼ばれた時もまだ30数か所修正要求があり、諦めることなく修正を繰り返し、ぎりぎりの日限で、他社との違いは明確に守りつづけ、相手が諦めたのか、教科書に認定されたのだった。

 しかし、採択はもっと厳しかった(相手はそれを読んでいたのかもしれない)。結果は限りなくゼロに近かったのである。「教科書会社に営業担当は必要でない。教科書そのものが営業の役割を担うのだから」とH社長は言う。その通りだと思うが、決められている採択の仕組みのなかでは、営業の役を教科書そのものが果たしようはない。既に物差しは作られているのを承知であえてはみ出たものをつくり、しかも、現場の教師が十分に使用希望教科書を検討する場も責任も保障されていないのだ。

 あらゆる場において、権力も財力もない私たちのやれることは、相手の悪口を言うことで悔しさを紛らわすか、あとは諦めてダンマリを決め込むかぐらいである。
 教科書採択はもっと静かである。何がどうなっても騒音一つ耳にすることがない。どこかで決められたものを素直に受けて、忠実に使用しているのが当たり前になっているセカイだ。

 しかし、この私の同僚の若い仲間たちは違った。
 そこにもつ抵抗心を明るく表現し、極小の可能性に賭け、他に訴えの輪を広げようと試みたのである。
 『PuPaLA』の会に誘われることで、この教科書を見る必要が出てくる。「閲覧の場がない」という言い訳はできない。読んでみなければならない。そのうえで考えることも要求されている。長い目で考えれば、このことだけで会の意義は小さくない。
 見つけたこの2種の“文書”の他に「会員名簿」があったが、ヒミツケッシャのはずなのに、会員の中に、大手放送局の記者の名も入っていた。どこで嗅ぎつけたのか、さすがジャーナリストだ。
 その後の会の行方はどうしても思い出せない。
 ということは、ユメがユメで終わってしまったことはまちがいない。
 その後のB社のことも書くことはやめよう。

 ただひとつ、その後しばらく会っていないこの若い仲間たちのことへの想像を付しておきたい。
 これだけの知力とアイデア、そして、ヒソカナる抵抗心は容易に失われるはずはない。会は消滅しても、今も変わらず必ずよい仕事をつづけているだろうと思う。
 どんな世であっても、教師にとって必要なのは、この2種の“文書”を書かせるような力だと思う。誤解を恐れず言い切れば、教師に内在する、このような力こそ、現在の困難な職場でもよい仕事を守らせつづけるのだと思う。
 かつて教育学者の勝田守一は、「魂において頑固であり、心において柔軟、精神において活溌でなければ、この現在の困難な状況を切り抜けることはできない」と書いていたが、あの時の若い仲間たちの作った“文書”は、くだらないアソビと一笑に付されそうだが、私は大まじめに、勝田の言葉のささやかな実践と思っている。
 そう考えるゆえに、2つの“文書”は、頑固で柔軟で活溌な若い仲間たちと一緒に仕事をしたんだと、当時を振り返り胸を張りたい気持ちが大で、ぜひ読んでほしいと思ったのだ。( 春 )