「方丈記私記」(堀田善衛著)を読んだ。刊行されて40年になることを考えると、あまりに遅かったことを残念に思った。それでも、この本の与えてくれた感慨は読んだのが3・11後であったことの違いはあったのではないか。
堀田善衛と言えば私にとっての作品は「ゴヤ」であるが、ひとつ忘れられない話がある。
たどってみると、それは1966年1月。福島市で日教組の全国教研集会があり、開会式の記念講演者での堀田の話だ。そのときの演題は「アジア・アフリカの政治と文化の問題」。
最初に堀田は次のようなことをしゃべった。
福島へ家を出る前に、子どもがチョコレートの箱をもってきた。その箱には、大きく“ディスカバリー”と書いてある。つまり「発見」である。箱を調べてみると、その箱には、コロンブス、バスコ・ダ・ガマ、マゼラン、セシル・ローズなどの顔と地図が出ていた。
私たちも教育の期間を通じて、コロンブスはアメリカ大陸を発見し、マゼランは・・というふうに教えられた。
その考え方を私たちはいっぺん考え直してみなければならないと思う。非常に単純なことだが、コロンブスがアメリカを「発見」する以前に、もとから住んでいたアメリカインディアンと今言われている人たちにとっては、アメリカ大陸はとうの昔からあったのであって、べつに発見したわけではない。この場合、「発見」とは、つまりヨーロッパにとっての「発見」である。・・・
つまり、堀田の言いたいことは、チョコの“ディスカバリー”は「ある種の固定したヨーロッパ中心の世界観が、そこに支配的に存在していたことの証明である」というわけである。
聞いていた不勉強な私は非常に驚いた。「コロンブスのアメリカ発見1492年」と受験勉強の痕跡がそのまま体にはりつき、そこに「ヨーロッパ中心の世界観」などと思うことはまったくなかったからだ。そんな私にも、その史観のまちがいはすぐわかった。なにしろ、コロンブスの前にそこに住んでいた人たちがいたじゃないかと言われるとその通りなのだから。
チョコの箱の話に私の中のジョウシキは簡単にふっとばされた。このようなことは数えきれないくらい起こるのだが、もしかすると、この堀田の話は、自分の中の事件として意識的に受け止めるようになった最初かもしれない。