mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

ホントに今年最後? 国語なやんでるた~る

 やっと風邪が治りました(まだちょっと咳が抜けないのですが)。師走の忙しさも、何とかこれで切り抜けられそうです。

 さて12月は以前にちょっと書いたようにセンターの企画が目白押し。先週末には社会科歴史の授業づくりの学習講演会がありました。これで一応今年の企画は終わりかと思いきや、そうは問屋が卸さないというか、思った通りにはいかないものですね。それが世の常というものでしょうか。

 というのも、先週水曜日で終わることになっていた「国語なやんでるた~る」が、「大造じいさんとがん」の授業づくりが最後まで終わらなかったことと、授業づくりをする中でやっぱり最後までやらなきゃと盛り上がったこともあって、急遽今週の水曜日、つまりは12月19日(水)18:30~/ 当研究センター で、今年最後の「国語なやんでるた~る」を改めて行うことになったのです。

 3人寄れば文殊の知恵と言いますが、人数は少なくても一人ひとりが疑問や悩みを出しながら話し合うと、いろいろなアイディアや気づかなかったことが見えてきたりするものです。それは、まわりから見たら大したことがないように思えますが、とてもおもしろいことです。子どもたちが授業の中で何かを発見した時と同じで、わくわくするものです。突然の開催ですが、よかったら顔を出してください。お待ちしてます。
 ちなみに今回授業づくりする場面は、最後の場面です。(キヨ)

大江健三郎「親密な手紙」から ~ 野田寿子「母の耳」へ ~

 大江健三郎さんの『「伝える言葉」プラス』に「親密な手紙」というタイトルの文章がある。大江さんは、「子供の時、本を読んでいてある言葉を(ある文章を、そして時には本の全体を)、これは自分にあてて書かれている、と思い込むことがありました。」と書き起こしている。また他の箇所では「感情に希望を与え、人間たろうとするわれわれの決意に特殊な逞しさを与え、われわれの肉体的生命に緊張をもたらす。そういうイメージを包含している書物は突如われわれにとって親密な手紙となる」と、フランスの哲学者バシュラールの言葉を引いている。私に向けて差し出された「親密な手紙」、そのような手紙と出会えることは、とても幸運なことだ。

 その言葉に誘われて思い出す一つに、野田寿子さんの詩「母の耳」がある。

   この病室にやってきて
   日がな一日語りかける私に

   相槌を打つでもなく
   たしなめるでもなく
   朽ちた木彫のように
   うごかぬ母

   その腹を膨らませ
   はらわたをねじり
   血ぐるみひきずり去ろうとする力に
   耐えている母

   意識は白々とほとび
   もはやただよいはじめ
   ときどき見開く眼の行方を
   知るすべもない

   その顔に
   わたしはなおも話しつづけ
   さて帰ろうとするうしろから
   かすかな声が迫ってきた
   “またおいで、なんでも聞いてあげるから”
   一瞬うしろ手にドアを閉じ
   恥じて立つ私の行手に

   耳だけになった母が
   じっと佇んでいた

 くも膜下出血で倒れた母が死の淵を行ったり来たりしながらも一命を取りとめ、寝たきりの生活に入ってしばらくたった頃だった。月に1回、2回と千葉の母のもとに足を運び、ベットの傍らで短い時間を過ごした。母は、詩にあるように「朽ちた木彫」のようだった。何を話すでなく、また息子が来ていることも、語りかけられていることも解することなく、清潔で白々とした部屋の空間の一点を見つめているのだった。母は何を思い、何を願っているのだろう。いつまでこういう時間を母の傍らで過ごすことになるのだろうか。時折、開いた窓から入る風が淡いモスグリーンのカーテンを揺らした。そんなことを思っていたときだった。この詩に出会ったのは。

 生きているだけの「朽ちた木彫」のような母、その母を支えなくては。そんな息子としての責任とも気負いともいう思いがどこかにあった。でも、この詩に出会って気づかされた。母は寝たきりでありながらも、なおも私を支えている、私を支えるためにいまだ生きている母という存在に。それから10年近くを施設で暮らし、母は亡くなった。母は最期まで母だった。

 野田さんの詩は、私にとって大切な「親密な手紙」の一つだ。( キヨ )

【高校生公開授業】今回は歴史教育の第一人者・加藤公明さんが授業をします!

 受講高校生を大募集! みなさんご参加ください

 みなさん、お待たせしました。今度の高校生公開授業は、歴史それも日本史に切り込みます。今回授業をしてくださるのは、加藤公明さんです。

 加藤さんは、千葉県の高等学校で生徒たちと「考える日本史授業」に取り組み、テレビなどでもその授業は大きく取り上げられ、全国的にも話題となりました。またその授業実践は高い評価を得ています。現在は、国士舘大学客員教授として、また法政大学、武蔵大学筑波大学で非常勤講師などもされています。

 ところで、みなさんは歴史の授業というとどんな授業を思い出しますか。多くの人は講義形式で、先生が教科書や資料集を説明し、その話を聴きながら重要なところにアンダーラインやマーカーを引いたりノートをとったり、そんな授業ではないですか。私もそんな授業を受けてきました。

 加藤さんの「考える日本史授業」は、そんな歴史授業のあり方に疑問を感じ、生徒が「えっ、ほんと?」「なんで? どうして?」と問いを発し、主体的に考え、ときには自ら行動して調査する。そうやって生徒自らが歴史認識や歴史像を深めるような授業をしてきました。

 余談になりますが、実は加藤さんは、高校時代の私の恩師です。恩師と言っても担任ではありませんでした。高3の日本史担当でした。理系クラスだったので、大学受験にあまり関係ないこともあって、まじめな生徒たちというわけではなかったように思います(内職しているヤツもいるしね)。でも受験にあまり関係ないということは、加藤先生にとってみると、 授業でいろいろ試みるにはもってこいのクラスだったかもしれません。そんな加藤先生の試みの罠にまんまとのせられて、千葉の加曽利貝塚から出土する犬の骨はどうして完全遺体なのかとか、「ナウマン象は泳ぐ」とか、「平将門信仰を追え」とか、かなり好き勝手な授業を私たち相手にしていたんじゃないかなあ。そして理系クラスの私たちも、そのような授業を楽しんでいたように思います。ときには加藤先生に逆襲したことも・・・。

 だから日本史、歴史大好きという高校生はもちろん、苦手という高校生のみなさんも大丈夫、きっと楽しい授業になるはずです。ぜひご参加下さい。
 そして加藤先生、俺たちの時のように、楽しい授業をよろしくお願いしま~す。
                                ( キヨ )

 ※ 受講生以外の保護者、教職員、一般の方は、周りから授業を参観いただけます。(申し込み不要です)

2018 加藤公明さん 高校生公開授業

 テーマ:歴史探究~なぜ?を問うおもしろさ~

 日 時:2月10日(土) 13:30~16:30
 会 場:フォレスト仙台 2Fホール (会場の詳細はこちら)
 募集定員:30名(先着順) 参加費は無料

  またとない企画です。申し込みは、以下の「参加申し込みフォーム」からできます。よろしくお願いします。

    高校生公開授業 参加申し込みフォーム

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季節のたより17 ツクバネ

 4枚の羽根をもつ 回転する木の実

 木の葉を落とした雑木林は、冬の陽が低く射し込んでいました。山道を歩くと頭上でキラリと光ったものがあります。近寄ってみると、崖の斜面に高さ2m程の低木が生えていて、その枝にツクバネの実がゆれていました。4枚の羽根をもつ実は、ふだん茶褐色で目立たないのに、斜光に照らされて金色に光っていたのです。

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      初冬 小雪の中で、木枯らしを待つツクバネの実

 ツクバネの魅力はなんといってもその実の形でしょう。枝から離れ落ちるとき、まるでプロペラのようにクルクル回転します。その回転の美しいこと。モミジやカエデの実も2枚の羽根を持ち同じように回転しますが、ツクバネは、実の上部に4枚の羽をもつ凝ったつくりをしています。自然がつくりだす造形のみごとさに驚かされます。
 低学年の担任のとき、子どもたちに見せると、「羽子板の羽根にそっくり!」とびっくり、それから興味津々、どうしても自分で見つけたいと、母親を誘って雑木林に探しに出かけた子もいました。

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 ツクバネの若い実     しだいに茶褐色に変化   熟したツクバネの実 

 名前の由来を調べると、正月の羽子板あそびの羽根に似ているからとのこと。羽根突きの風習は室町時代に始まり、その羽根はムクロジの木の黒い実に鳥の羽をつけて作られました。その羽根に似るのでツクバネ(衝羽根・突羽根)らしいのです。でも、羽根の形は人間が考えだすより自然の造形の方が最初なのではないでしょうか。真似たのは人間なのでは。命名室町時代以降だとすると、以前は何とよばれていたのでしょう。このみごとな造形の木の実は古代の人にも目についたはず、でもその記録は今のところ不明です。

 ツクバネはビャクダン科のツクバネ属の植物で、本州、四国、九州(北部)に分布します。その特徴は雌雄異株で半寄生植物であることです。普通の低木と変わりなく緑の葉で光合成をしますが、他の樹木に寄生根を入りこませて水と栄養分をもらうという生き方をしています。

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  早春の芽吹き      雄花 とても小さい   雌花 4枚の羽根をもつ 

 初夏の頃に花が咲きます。雄花は、雄株の枝先に数個つきます。淡緑色で花径は5mmほど、小さくて全く目立ちません。雌花は、雌株の枝先に一個だけついて、花は小さいのですが、苞とよばれる長さ3cmほどの羽根が4枚ついています。目立たない花どうし、受粉は難しくないのでしょうか。秋にはたくさん実ができるので、花粉の運び屋がいるのは確かですが、まだ見たことがありません。

 秋になり実が大きくなります。実は葉と同じ緑色、上手にカモフラージュしていて、近くを人が通っても気づかれません。実が熟すと茶褐色になり目につくようになります。ツクバネの葉が黄葉して散ったあとも、その実は枝に遅くまで残ります。細い枝にツクバネの実がゆれる姿は、初冬の雑木林の風物詩です。強い北風を待つ種子の旅立ちの準備でもあります。

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  葉も実も緑色、見過ごしてしまいそう    初冬の雑木林の風物詩 

 ツクバネの実(種子)が発芽するのは6月頃、多くは林下や丘陵地、乾燥した急斜面地に育ちます。これらの土地はやせて水分・養分も不足しがちです。でも、陽は良く当たるので、低木のツクバネにとっては光合成して生き抜くための適した場所になります。
 発芽したあと自分の葉で光合成し育ちます。そのまま2年ぐらいは生き延びるといわれていますが、その間に寄生する樹木を探り当てなければなりません。そうしなければ枯死してしまうからです。
 寄生する樹木は主にスギ・ヒノキ・モミなどの針葉樹など、針葉樹以外にもアセビ・カエデ、コナラなどに寄生する例も報告されています。

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   黄葉の頃のツクバネ、上に見えるのは寄生しているモミの木の葉

 『宮城の樹木』(河北新報社)によると、「宮城県では、丘陵地、山地帯下部の林に生育するが少ない。また仙台市街地周辺の林内には比較的多い。」と書かれていました。仙台市青葉山太白山周辺にはモミの大木が多く、モミの木が寄生の樹木になっているようです。
 ツクバネの根はこれらの寄生する樹種をどのように見分けるのでしょうか。又その根の位置をどのように探り当てるのでしょう。その根にどんなしくみがあるのか。いろいろ考えると興味がつきません。

 熟した実はフライパンで煎ると食べられると聞きました。試してみたら、ナッツの香りがしました。若葉は山菜として食用になり、若い実は塩漬けにしてお正月料理の飾りにしている地方もみられます。

 植物で「ツクバネ〇〇〇」という名前のつくものがあります。
 野山で見られるのは、ツクバネウツギや、ツクバネソウ。園芸種では、ツクバネアサガオペチュニアの名でが知られる)や、ハナゾノツクバネウツギ(アベリア)などです。これらの花は、よく見ると葉やガク片がツクバネの羽根に似ています。それで名前にツクバネがついているのです。

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   ツクバネウツギの花と実         ハナゾノツクバネウツギの花と実

 身近に見られておもしろいのは、ハナゾノツクバネウツギ(アベリア)。この木は庭園やグリーンベルトなどに多く植えられています。夏から晩秋まで咲き続けているので、花を見つけたら一つ失敬し、花びらをとってガクを空中に放り上げてみてください。きれいに回転して落ちてきます。種ができていたら、本物のツクバネの実のかわりにできます。小さい子と一緒なら、きっとウケルこと間違いなし。小さな種の遊びをきっかけに、動けない生きものである草木たちがどんなふうに仲間をふやしているか、子どもたちと想像をめぐらしてみるのも楽しい遊びになりそうです。(千)

12月の研究センターは、企画が目白押し!

 もう12月、何でこんなに1年経つのが早いんでしょうね。小学生の時には、学校が大嫌いで大嫌いで、早く夏休みにならないか、早く冬休みにならないかと思ったものです。12月になったら「もういくつ寝るとお正月、お正月には餅くって腹をこわして死んじゃった。は~やく来い来いお正月」などとわけのわからん歌を歌いながら首を長~くして冬休み、お正月が来るのを待ちわびたものです。その間の時間が長かったこと、長かったこと。だから1年なんて気の長くなるような時間でした。

 さてさて前置きはこれぐらいにして、今年の研究センターの12月はとても忙しくなってます。師走は忙しいといいますから時季に適っていると言われればそれまでですが、それにしても企画が目白押しで大変です。11月末から12月にかけては毎週のように何かの企画が入っているのです。

 今週末には「ふゆの こくご講座」(8日)、そして来週半ばは「国語なやんでるた~る~大造じいさんとがん~」(12日)、そして来週末は高校生公開講座のプレ企画も兼ねた「社会科歴史の授業をどうつくるか~子どもたちが歴史を語りはじめるとき、足利義満肖像画から室町時代に迫る~」(15日)と・・・言った具合です。

 そこで今回は、一気にどどっとまとめて紹介します。みなさんも師走で忙しいと思いますが、ぜひご参加下さい。お待ちしています。

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高校生公開授業やりますよ! それに先立つプレ企画です

 高校生公開授業はどうなっているのだろう? やらないのだろうか? などと思っていた方もいらっしゃるかもしれません。ご安心下さい、今年度は年明けて2月10日(日)に行います。
 今回は日本史、歴史の授業です。授業をお願いしたのは加藤公明さんです。加藤さんは、千葉の高等学校で生徒たちと「考える日本史授業」に取り組み、全国的にも話題となり高い評価を得ています。現在は、国士館大学客員教授として、また他大学での非常勤講師などもされています。

 ところで「考える日本史授業」、どんな授業だと思われますか。そしてまた加藤さんはどんな思いでこのような授業に取り組み始めたのでしょうか。そのあたりのことを公開授業前に、加藤さんから直接お聞きし、参加者みんなで日本史・歴史の授業について考える学習会を持つことにしました。高校生公開授業のプレ企画ということにもなります。
 参加されるみなさんには、一足早く「考える日本史授業」の模擬授業に参加していただく予定です。それらを通して社会科・歴史の授業のあり方について考えていきたいと思っています。今はやりの「主体的・対話的で深い学び」を考えるうえでも多くの示唆や、授業づくりのアイディアなどのヒントも得られると思います。
 高校の先生はもちろん、小・中学校の先生方も、ぜひご参加ください。お待ちしております。
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 高校生公開授業・プレ企画
    社会科歴史の授業をどうつくるか

   ~子どもたちが歴史を語りはじめるとき、
    足利義満肖像画から室町時代に迫る~ 

 ◇と き 12月15日(土)
     13:30~16:00
 ◇ところ フォレスト仙台ビル 2F会議室               (仙台市青葉区柏木1-2-45)

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西からの風 2 ~教室にて1~

「見下せる相手探し」の欲望の発見者——ニーチェ

 私がいま非常勤講師を務めている或る大学の講義をとおして発見したことや考えたこと、その点描を重ねてみたい。その重なり、連続線がいったいどんな風景を浮かび上がらすか、あらためてそれを観たくなったのだ。私自身が。
 ここ三回ばかり、私はマルティン・ブーバーR・D・レインの議論を紹介しながら、学生に次の問題提起を受けとめさせようと悪戦苦闘している。ブーバーの議論を借りて一言でいうなら、こうだ。

 ――君が誰かと関係を結ぶとき、その関係を「私―君」の関係で結ぶか、それとも「私―それ」の関係で結ぶか、どっちのタイプが多いか、そして、その違いはどんな違いをさらに産みだしたか、この問題を考えてみようじゃないか? と。
 こう問題を投げかけ、そしてこの問題がそのミクロの次元においても、マクロの次元でも、あらためて今日われわれに直にかかわる深刻な問題となっていることをわかってもらおうと、この問題が浮上する場として、二つの場を挙げてみた。

 一つは学校での「イジメ」という問題の場である。(実は、おいおいこの「教室にて」で取り上げるつもりだが、いま私の手元には379名の学生の書いた「私のイジメ経験」――イジメられた経験にせよ、イジメた経験にせよ、傍観者となった経験にせよ、ごくごく身近で見聞したそれにせよ――レポートが集まっている。それを丁寧に読み、そこに出現する問題の様相を克明に分析する仕事、それはこれから三ヵ月の私の大きな仕事となる。)
 もう一つは、戦争・テロリズム・民族差別という問題の場である。

 私は学生にブーバーの次の言葉をまず紹介し、さらにそれに大いに関係する言葉としてニーチェの言葉を紹介した。
 ブーバーいわく。「宗教ほど神の顔をわれわれからさえぎってしまうことのできるものは他に例がない」のと同様「道徳ほど共に在る人間の顔をわれわれからさえぎってしまうことのできるものはない」(『対話的原理』)。
 ついでに、そのさいこうつけくわえた。この皮肉で逆説に満ちたブーバーの言葉は、そのまま現代のさまざまな戦争・民族紛争・宗教戦争テロリズム、人種差別の問題を鋭く突く言葉だ、と。「我こそは正義なり」とばかり正義の旗を振りかざし、他人を裁くことに熱中する独善主義は、彼によれば、「神の顔」(慈悲の愛、平和、真実の直視を説く)を見えなくさせ、「共に在る人間の顔」つまり「君」としての隣人の顔、その本当の心を映しだしたリアルな表情も見えなくさせる作用を発揮する。(「共に在る人間の顔」が君に見えるようになるためには、君はその隣人に精一杯身を寄せ、彼・彼女の身になって、彼らの人生の経験に寄り添って、彼らの顔を見ようとしなければならない。そうしなければ、見えないのだ。この関係の取り方が相手と「私―君」の関係に入ることなのだ。そして、ブーバーにとっては「真実の宗教と道徳」と呼び得るものがあるとすれば、それは、人間のあいだにこの「私―君」関係を植え込み繁殖させようとする永続的な努力にほかならないのだ。そう私はすぐさまつけくわえる)。

 そして次にこの「独善主義」に関連づけてニーチェについてこういう紹介をおこなった。
 ――ニーチェは、妬み心・嫉妬心の強い人間・怨恨人間は、自分の敗北感・劣等意識(競争に負けた、いつも成功しない、叱られてばかりいて悔しくてしようがない、等々)を自分の意識のなかから拭い去ろうとして、見下せる相手を欲しがるものだと、鋭く指摘した。見下せる相手がないと自分の駄目さ加減ばかりが意識に登ってきて、やりきれない。そこで見下せる相手探しにやっきとなり、それが見つかると、その相手を蔑視し罵倒しているあいだだけ、自分が優位に立った人間と思えて、心が楽になる。それで、自分を劣等感の苦しさから解放するために見下せる相手探しに躍起となる。彼いわく、

ルサンチマンの人間が思い描くような<敵>を想像してみるがよい、──そこにこそは彼の行為があり、彼の創造がある。彼はまず<悪い敵>、つまり<悪人>を心に思い描く。しかもこれを基本概念となし、さてそこからしてさらにそれの模像かつ対照像として<善人>なるものを考えだす、──これこそが彼自身というわけだ!」(『道徳の系譜』)

 私はこう解説した。――必要は発明の母である。ニーチェによれば、《怨恨人》とは《敵》を自分のために必要とするがゆえにそれを創りだす人間である。では、何故に《怨恨人》は《敵》を創造=捏造しなければならないか? 
 それは、彼は自分の意識の前に自分を《敵》に圧倒的に道徳的に優越した存在である<善人>として登場せしめる必要があるからだ。彼の自己意識の核は劣等感にある。だからこそ、完璧なる劣等性・道徳的劣性と一つに撚り合わされた〈悪〉としての《敵》という存在が必要となる。自己の圧倒的道徳的優越の意識が自分に貼りついた劣等感を拭い去り、この《敵》なる相手を道徳的に見下せるという意識の優位がいまだ自分が果たせぬ様々な《敵》への復讐を耐え忍ぶことを可能にさせる。そういう代表的な《敵》が必要となる。つまり逆にいえば、自分に<善人>という自己像を与えることが絶対に必要となる。その場合この自己像の案出は或る代表的な〈悪〉としての《敵》という他人像の創造と背中合わせになっている。
 つまり、こうだ。まず彼は《頭の先からつま先まで自分とは異なった存在》、言い換えれば、《彼のなかに我を見、我のなかに彼を見る》いかなる相互性も発見し得ない相手、完璧異種族の存在、《敵代表》というレッテルを気に入らない、しかも自分が優位に立てそうな奴に貼る。このレッテルを貼った相手を「基本概念」とし、そこから出発して自分をその「対照像」として捉え返す。つまり、「善人」として、しかも「摸像」として。つまり、奴は100%悪ないし劣等の塊=代表なら、こちらは100%善と優越の塊=代表だ、と。ニーチェは、この純度の意識において彼と我とは「摸像」関係にあるというのだ。

 そして、私はこうつけくわえる。――かつてあの太平洋戦争の最中、政府を筆頭に誰も彼もが「鬼畜米英打倒」と呼号しあったことを思い出そう。ついでに、イジメが始まり確立するのは、或る誰かを「キショイ・キモイ」と言い出す奴が生まれ、遂にはクラス中がそのレッテル貼りに参加し、貼り終える時だということも思い出そう。「キショイ・キモイ」は相手への生理的拒絶、つまりいかなる相互性もこの相手とのあいだには成り立たないという全面拒否宣言、異種族認定を意味する言葉だ。

 はじめ、私はいきなりブーバーやニーチェの哲学的言い回しを学生にぶつけることには躊躇があった。難解しやすぎないか、と。
 しかし、「キショイ・キモイ」を糸口に、人間にはそもそも「見下せる相手探し」の欲望があり、しかも最近それがいっそう強まっているのではないか、それが「イジメ」の根っ子に疼いているのではないかという問題提起、これをしたとき、思いのほか多くの学生から強い納得を得た。
 「実は私もそういう怨恨人です」という反応を。「世界中がそうなりだしている」という反応を。
 「私をそれ扱いするな! 物扱いするな! キショイ扱いするな! 異種族扱いするな! 君と同じく人間だぞ! だから『君』扱いしろ! してくれ!」
 この前線の風景を如何に浮かび上がらせ繫げるか?
 教室における前線と世界における前線とを。
 That's the question!           ( 清眞人 )