mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

本庶教授のノーベル賞受賞記者会見と教科書

 10月に入ったとたん、明るいニュースが飛び込んできた。1つは沖縄県知事選挙結果で、もう1つが本庶教授のノーベル医学賞受賞。しかし報道では、前者は意図的かどうかは不明だがあまり取り上げられず、後者はすべてのチャンネルで大々的に取り上げていた。一方は小さな県のできごとで、他方は世界的なニュースだからだろうか? 前者の扱い方が気になるところである。しかしこれは別の機会に書いてみたい。

 そこで今回のブログは後者がらみのこと。受賞が決まった夜、テレビ報道で本庶佑教授の記者会見を見ていた。その中で若い小・中学生に向かってのメッセージが語られていた。それは「教科書に書かれていることを簡単に信じるな」「自分の頭で考えて納得いくまであきらめるな」だった。

 ボクはこの話を聞き、すぐいくつかのことを思い出した。昨年の9月にもこのコーナーでほぼ同内容で書いたが、再度書きたい。
 一番目は教員になって2年目、全国教育研究集会の記念講演記録を読んだときであった。1966年の福島集会で講演は作家の堀田善衛。演題は『アジア・アフリカの政治と文化の問題』となっている。講演はコロンブスアメリカ大陸発見の話で始まっていた。詰めて書くと、コロンブスが発見する以前の遥か昔からアメリカインディアンはそこに住んでいて、コロンブスが発見したわけではない。要するにヨーロッパの人たちからみた歴史に過ぎない、と。
 小・中・高校・大学と「コロンブスアメリカ大陸を発見」と年号まで覚えていたボクの学びは、いわゆる受験学力で、堀田さんの話を読むまで何の疑いを持ってこなかった。衝撃的だったことを覚えている。
 もう一つは1990年代に入って、青森の山内丸山遺跡の発掘で、それまでの縄文時代から弥生時代にかけての時代区分が大きく変動したことである。この発見のあと、日本史歴史年表が大きく書き換えられた。歴史の記述には、「かもしれない」という観点をもつことの必要性に気づかされた出来事である。
 ついでにもう一つ。理科の教科書で『日当たりが良いのは南側』を学ぶページがあった。しかし、これは北半球に限った場合であり、グローバル化を叫ぶなら、このような学習は一考を要するはずだ。そうすればもっと面白い授業が展開される。
 また会見の中で、記者から「教授の研究の原動力は何か?」と問われ、即座に「好奇心です。本当はどうなの?と自分の頭で考えて、納得いくまで諦めないこと」と答えました。宮城の仲間たちが中心となって作った生活科教科書のタイトルも「どうして そうなの」「ほんとは どうなの」でした。文部省の検定は通過したものの、採択数が少なく、発行が長くは続きませんでしたが。本庶教授の記者会見から、改めて教科書や教育を考える機会を得たのでした。 <仁>

徳水博志さんの教育実践から学ぶつどいが行われます!

 台風24号は去りましたが、天気予報によると25号が今週末にもまた日本に上陸するとかしないとか。昨日、今日とまだ台風の名残でしょうか。ずいぶんと強い風が吹いています。暑さも戻ってきましたが、見上げる空の高さには秋の気配を感じます。

 開催日が迫ってのお知らせとなりますが、今週末の10月6日・土曜日/13:00~、教職員組合の企画で、徳水博志さんの震災後の教育実践の話を聴く会が行われます。
 当日は、徳水さんによる実践報告と、徳水さんの実践に伴走し、震災後の厳しい状況の中での取り組みを励まし支援してきた梅原利夫さん(和光大学が、徳水実践の意義と、これからの課題について話をする予定です。ぜひご参加下さい。

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季節のたより12 ヒガンバナ

 畦道や土手、お墓に多い謎の花

 収穫の時期をむかえた田んぼの土手に ヒガンバナが咲いていました。
日本のなつかしい秋の農村風景が広がっていました。

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                畦道に咲くヒガンバナ栗原市一迫町で)

 ヒガンバナといえば、新美南吉の童話「ごんぎつね」の授業で思い出すことがあります。

「兵十のうちのだれが死んだんだろう。」
お昼がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六じぞうさんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向こうには、おしろの屋根がわらが光っています。墓地には、ひがんばなが、赤いきれのように、さき続いていました。

 4年生の国語の授業で、この場面を朗読したときです。「ああ、きれい」と思わずつぶやく女の子の声を耳にしたのです。その子は一瞬のうちにヒガンバナの咲き続く風景を心に浮かべたのでしょう。
 ハルカさんという物静かな女の子でした。あとで聞いてみると、小さい頃に田舎のおばあちゃんと畦道を散歩しながら、ヒガンバナの花を教えてもらったとのことでした。クラスの多くの子はヒガンバナの花を図鑑で知っていても、咲いている風景を見ている子は少数でした。
 幼児期の何気ない自然とのかかわりが、子どもの感性を育て想像力を育くむ土台になっているのではと、そのとき思ったのです。

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  お彼岸の頃、咲き出すヒガンバナ     咲き出す頃は、実りの季節

  ヒガンバナはお彼岸の頃にいっせいに咲き出すので、彼岸花とよばれています。別名は曼珠沙華マンジュシャゲ)。 これは、サンスクリット語で天界に咲く花という意味。 おめでたい事が起きる兆しに天から花が降ってくるという仏教の経典から来ていますが、日本では幸せをよぶめでたい花というイメージはあまりないようです。

 強烈な赤の色彩と散開花序とよばれる花の華やかな姿が目を引きます。 一つの花は、くるりとまいたリボンのような6枚の花びらと、長くのびた5本のおしべと1本のめしべでできています。その花が、花茎の先端に5個から7個ほど集まっていて、横から見ても上から見ても、みごとな造形美をつくりだしています。

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    横から見た花の姿           上から見た花の姿

 ヒガンバナは、花が終わると実らしきのものができるのですが、いくら探しても種が見つかりません。調べて見ると、ヒガンバナは、中国から有史以前に日本に伝来し、わずかの株から広がったもので、その株は3倍体という特殊な染色体を持っていて種子はつけず、球根だけで増えるということでした。

 ヒガンバナは全国津々浦々ふつうに見られる花ですが、種をつけず球根だけで、そんなに広がるものなのでしょうか。 それに、生えている場所が田んぼの畦道や土手、墓地などに限られるのも不思議です。

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花が終わってから葉が芽を     葉は冬の間に光合成し春に   花芽がのびだすのは9月上旬、
出します。10月頃。        枯れてしまいます。      葉はありません。

 実はヒガンバナは人の手によって、全国に植えられていたのでした。しかも田んぼの畦道や土手、墓地をわざわざ選んでいたのです。
 ヒガンバナの根は球根を地中にもぐりこませようと縮むので畦道や土手の土崩れを防ぐ役目をしました。また球根には毒性があって、雑草の生育を押さえたり、野ねずみが土手に穴をあけるのを防ぐ効果があったようです。墓地に多いのは、お供えの花として植えられたり、球根が毒があるため遺体を守る意図もあったと想像されます。
 でも、私たちの先祖がこぞってヒガンバナを植えた理由は別にありました。それは飢饉のとき救荒植物として利用していたのではないかというのです。

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       黄金色の稲穂と深紅の花

 昔から農民たちは重い年貢で苦しめられ、何度も自然災害や飢饉に見舞われ多くの餓死者を出していました。食べられるものなら何でも食べて、いざというときの食料としてガンバナを土手や墓地に植えて自然繁殖させ、子孫に残していたと考えられるのです。
 墓地に植えられ、シビトバナ(死人花)、ユウレイバナ(幽霊花)などという不吉な別名でよんで、人を遠ざけていたのもそれなりの理由があったわけです。
 毒があるから食べてはいけないと言い伝えられきたヒガンバナは、水にさらし毒抜きの方法をとれば、良質なデンプンとして十分に食べられました。古文書にはその方法が残されていますし、実際に島根県のある地方ではヒガンバナのデンプンを使って餅を作る風習も残っているそうです。

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    稲の天日干しとヒガンバナの風景     道路ぞいに咲くヒガンバナ

 種のつけない美しく妖艶な花が全国各地に広がる歴史には、祖先たちの悲しく厳しい暮らしと子孫たちへの深い思いがあったのでした。

 ときおり道路わきや造成地の片隅にヒガンバナを見ることがあります。そこはかつて祖先たちが土地を耕し子孫を思って球根を植えた跡なのかもしれません。(千)

誰の学力が一番問われているか、教育委員会を傍聴しよう!

 先週、仙台市の定例教育委員会があった。午後6時からの会議だという。当日の朝、会議があることを知ってショック。早く帰ろうと思っていたのに! とぼとぼ傍聴に出かけた。教育委員会事務局のみなさんは残業ということになるのだろうか。それともサービス残業? お互い、お疲れさま。
 行ってちょっとホッとする。報告事項は2件だけ(早く帰れそうだ)。中心はそのうちの一つ、この春に行われた「仙台市標準学力検査と生活・学習状況調査の分析結果と改善方策」について。具体的な会議内容は、のちほど教育委員会のHPに掲載される会議録等を見てもらうことにして、ここでは印象に残ったこと、感じてきたことを。

 一つは、学力の議論はいつも国語、算数、理科、社会、そして英語の主要5教科の話ばかりということ。まあ標準学力検査をもとにした話し合いだから仕方ないとも言えるけど、じゃあそれ以外の体育や美術(図工)や音楽や家庭科などについての話を聴いたことがあるかというと、残念ながらまったくと言っていいほど聴かない。いうなれば眼中にないのだろう。
 ところが今回はちょっと違った。学力検査は《テストという答えのあるものの学力にすぎない(テストとして測れる学力にすぎない)。答えのない問いを自分の頭で考え表現する学力も考える必要がある。子どもを学力検査だけではなくトータルに把握してほしい》と、東北大学の加藤委員が学力を巡る議論のあり方に意見を述べた。またそれに加えて、子どもたちの学力が実生活と結びついていない点を大きな課題としても指摘した。以前は、そのような学力のあり方を「剥離する学力」と言っていたような気もするが、学力のあり方は依然として変わっていないのだなと思った。教育の目的は子どもたちの人格の完成にある。テストで測れる知育だけでなく、子どもの発達と成長についてもっとトータルに議論をしてもらいたいと思った。そこにこそ教育行政の役割があると思うのだが(どうも仙台の教育委員会は知育偏重のようだ)。

 二つ目は、経済界のご意見番という立ち位置になるのだろうか? 里村委員が学力検査の目標値について質問した。どのように設定しているのか。目標値と比較して何がわかるのか。統計的処理と言えるのかなどなど。ところが教育委員会事務局の説明は要領を得ない。傍聴している私もよくわからない。そのうち里村委員も「私の質問に答えていない」と苛立ちを隠しきれない様子に。そもそも目標値の設定は、学力調査を請け負ったテスト業者が実際には行っていることであって、自分たちが議論して設定しているわけではない。要するに業者任せなわけだ。本人たちがうまく説明できないのも頷ける。しかしながら、それでいいわけではもちろんないはずだけど。経済合理主義の精神に長けた里村委員からするなら、こんな曖昧でよくわからない学力検査に多額の予算を使うこと自体が理解に苦しむことだったろう。しばらく粘り強く質問していたが、もうこれ以上質問しても生産的ではないと判断されたのか「目標値についてはきちんと説明できるようにしてほしい」と要望を述べて話を終えた。傍聴している私もショウモーない議論に消耗した。わかったのは、実施している教育委員会も説明できないような学力検査で、子どもたちもそして学校も振り回されているということだ。

 それにしても学力という言葉は、魔法の言葉だ。「学力が・・・」と言われると、その中身がどのようなものかとか、それが本当に意味あるものなのかどうかなんてことはそっちのけで大変だと大騒ぎになる。そろそろ「学力」幻想から目を覚まして、冷静に教育のあり方を議論してもよいのではないだろうか。(キヨ)

秋のこくご講座・ご案内

 夏休みこくご講座に続き、『秋のこくご講座』を10月13日(土)13:30~/フォレスト仙台ビル2F会議室 で行います。

 第1部では、前研究センター所長の春日が、教師が教材(作品)と出会うために、物語のどのような言葉や文章に気をつけて読んだり、考えたりすることが大切なのか。第2部で取り上げる「大造じいさんとがん」、「手ぶくろを買いに」などにも触れながら、その勘どころや目のつけどころについて話をします。

 第2部では、5年生教材「大造じいさんとがん」、3年生教材「手ぶくろを買いに」をもとにして、授業づくりを考えます。お気づきの方もいると思いますが、実は「手ぶくろを買いに」は、東京書籍の教科書では付録扱いとなっています。何でそんな付録教材でやるの~との声もあるかもしれません。ですが教師は、教材と子どもたちをどう出合わせ、そして教えるかという力量だけでなく、子どもたちにどのような教材と出会わせるか、その教材そのものを吟味する力量も問われます。「手ぶくろを買いに」は、3年生の子どもたちにとてもよい作品だと思います。そこで、あえて今回は「手ぶくろを買いに」で授業づくりを考えることにしました。作品の良し悪しを見分ける眼力と、教材の幅を広げるよい機会です。ぜひ、奮ってご参加ください。お待ちしてます(事前の申し込みは必要ありません。当日、会場にお出で下さい)。

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子どもたちの目の光に、私たちは何を思うか

 いま、「スローライフ」(筑紫哲也著)を読み返している。2006年初版である。
 ここしばらく、時間はあるのに、何をやっても長つづきしないので、古本屋通いも止め、書棚の本をなんとなく引っ張り出している。そんな自分が嫌で早く今の自分を抜け出したいと思っているのだが。
 先日、先輩のNさんの便りに「涼しくなり、なんとなく気力も体力も湧き出てきて、仕事ができます」と書いてあり、刺激は強かった。
 ところで、「スローライフ」に筑紫さんは、次のようなことを書いていた。

 私もその一人だが、外国に長らく滞在する日本人が増えている。しかし、生活または滞在する先はさまざまで、そこでも体験もさまざまだ。ところが、その人たちが、久しぶりの故国での見聞でひとつだけ一致することがある。「こんなに目に光のない子どもたちが多い国は世界のどこにもない」という点である、と。

 外国暮らしをしたことのない私は、比較した見方はできないが、この話には(そうだろうなあ・・)と思う。「キレキラした目」は子どもをいう言葉と言ってよい。子どもの「目に光がない」ということは、子どもの姿はしていても、本当の子どもはどこかにいってしまったということになる。たいへんなことだ。たいへんなことなのに誰も騒がない。

 これを読んで、20年前のある日の夕方を思い出した。
 私の最後のクラスは4年生だった。このクラスの遊びのチャンピオンはW君だった。やることのひとつひとつが本当におもしろかった。ムカシの子どもが目の前にいるようだった。
 辞めて2~3か月後ぐらいだったろうか。夕方、隣の学区をひとり、人が変わったような歩き方で歩いてくるW君に会ったのだ。聞くと、「塾に行く」と力ない言葉で返事するのだった。およそ私と一緒の時のW君ではない。体を弾ませて一日中暮らしていたのだから。(Wちゃん、あなたもか)と思いながら、うまく言う言葉も見つからず、「暗くなってきたから気をつけてな」と言って別れたのだった。

 筑紫さんは、あとのページで、次のようなことを書いている。
 自分のニュース番組で党首討論をやったことがある。その時の第一問は「この国では子どもたちがまちでも野原でも遊んでいない。こんなに目に光のない子どもたちが多い国は世界のどこにもない。そのことをどう思うか、どうするつもりか」だった。党首たちはどこまで専門家だったかはともかく、明快な答えは誰からも出なかった、と。

 このニュースは見た記憶はない。でも、明快な答えが誰からも出なかったというのは想像がつく。
 とは言いながら、それでいいと思うわけではない。
 子どもの目の光を、子どもの近くの人々でどのくらいの人が気にしているだろうか・・・。
 「スローライフ」から10年以上経つ。子どもをとりまく環境はますますひどくなっている。ヒトが人になっていくにはどうすればいいのかこそ私たちの責任として真剣に考えたいものだ。( 春 )

季節のたより11 オオバコ

 踏まれて生きる ふしぎな植物

 オオバコは北海道から沖縄まで日本のどこにでも見られる植物です。その暮らしぶりは変わっていて、人に踏まれることで分布を広げるというふしぎな生き方をしています。

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 蔵王連峰屏風岳の尾根道で見たオオバコ(右)。こんなところにも生えていま
   す。
白い花(左) は高山植物のミヤマトウキ。

 オオバコの大きな葉はやわらかですが、葉のなかに丈夫な5本の筋がとおっていて、人や車に踏まれても破けないようにできています。花をつける花茎は外の皮はかたく、なかはやわらかいので、しなって簡単には折れません。また、斜めに伸びているので踏まれても衝撃をかわすことができます。
 その性質をうまく利用して、子どもたちは昔からオオバコを格好の遊びの材料にしてきました。
 花茎をひっこぬき、二つ折りにして互いに引っ張りあい切れたほうが負けになる「オオバコ相撲」。葉の葉柄をちぎって下から白いひげのような筋が何本残るかを競う「ひげ比べ」。葉をよくもんで葉柄の元から息を吹き込みカエルの形をつくる「げろっぱづくり」。どれも楽しい遊びです。

 葉をちぎられたり、花茎をひっこぬかれては、さぞオオバコも迷惑なことでしょう。
 ところが、オオバコの茎は短くて土のなかにもぐったままなので、踏まれても他の植物のように茎が折れるということはありません。根も硬い地中に深く枝分かれし伸びていて、ぬこうとしても葉だけちぎれてしまい、根はそのまま残ります。だから、一週間もすると茎から小さな葉が生えてきて成長していきます。オオバコは次々と新しい葉を再生させることができるのです。

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   何度でも葉を再生させるオオバコ        オオバコの花

 オオバコにとって子どもたちの遊びは、想定内のこと。実は歓迎する相手なのです。
 オオバコの花が咲きだすのは9月。やがて小さな実ができます。実はカプセル状になっていて、この中に小さな種がたくさん入っています。その種は水にぬれるとゼリー状の粘液を出す性質をもっていて、地面に落ちて露や雨にぬれると子どもたちの靴にぴったりはりつきます。種はそのまま遠くまで運ばれ、乾くと地面に落ちるようになっています。
 オオバコは、昔から子どもたちの遊び相手になりながら、ひそかに種の運び屋になってもらい、分布を広げていたのでした。

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   花を訪れるハナアブ    カプセル状の実    実のなかのオオバコの種

 種の運搬は子どもたちに限りません。田舎道や山道のわだちの真ん中や両側に生えるオオバコは、車のタイヤが運んだものです。蔵王連峰などの高山の山頂に見られるオオバコは、登山者の靴が運んだ種が育ったものです。オオバコは乾燥にも低温にも強いので、高山から海辺まで、つまり人や車が訪れたところなら、日本全国いたるところでオオバコは見られるということなのです。

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       山林の車道、真ん中はすべてオオバコです。

 オオバコの弱みはなんでしょう。それは、人に踏まれなくなることです。
 踏みつけがなくなるとオオバコ以外の植物は茎を上に伸ばしてぐんぐん大きくなります。草むらのオオバコも葉を大きくしますが、茎を伸ばして上に伸びることはできません。やがて、他の植物の葉におおわれ光が届かなくなり枯死してしまいます。適度な人の踏みつけのある場所が、オオバコの生存できる絶対条件なのです。
 オオバコが生きていくための大切な協力者は子どもたちでした。今は野原や草原で遊ぶ子が少なくなっています。オオバコにとっては最初の危機でしょう。もし人類が消滅し人の踏みつけが消えたとき、オオバコもまたともに消える運命にあるのですから。

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    草むらに育つオオバコ        踏まれないと大きくなるが、他の植物の
                           葉かげになり、消える運命に。

 かがくのとも138号 「おおばこ」(菅原久夫著、 福音館書店)は、オオバコの生き方をやさしく紹介している絵本です。この絵本を元に、草花の生き方を考える授業にとりくんだことがあります。(授業報告・「オオバコのひみつ」(教育文化・472・473号)
 子どもたちは、踏まれながら生きるオオバコの生き方にとても興味を持ち、みんなで手分けして学区内のオオバコ分布地図を作ってみました。オオバコは通学路や遊び場など、人が適度に踏みつける場所にみごとに分布していました。
 オオバコが自然界でどう生きているかを知るということは、人とちがう生き方をしている植物の生き方にふれるということです。それは、人も植物もこの地上でともに生きているという〈いのち〉への共感のまなざしを育てることになるでしょう。
 〈自然〉を人の都合にあわせて利用するのではなく、〈自然〉が見える子に育ってほしい。これからの教育への願いです。(千)