mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

部活動のあり方をみんなで考えてみませんか?

 中学校教師の瀬成田さんは、現在の勤務校で震災学習やFプロジェクトなどの取り組みを精力的にされてきました。それらの内容は、度々テレビや新聞などでも報じられています。

 今回は、教師の多忙化解消のうえで大きな課題ともなっている部活動について河北新報(6月25日付け)「持論時論」で発言されました。すでにお読みになっている方もあると思いますが、以下に紹介します。

 部活動の過熱防ぐ 休日徹底へ 意識改めて


  宮城県教委は3月、部活動に関する指導ガイドラインと指導の手引を策定し、各学校に通知した。内容は「週2日以上(土日いずれか1日を含む)の休養日設定」「平日2時間、休日3時間の部活時間」「朝練習の原則禁止」などである。仙台市教委もほぼ同趣旨の通知を出した。県教委は策定理由として、教師の行き過ぎた指導や過熱化を挙げているが、一番の動機が教職員の異常な長時間労働にあることは間違いない。

 文部科学省が発表した2016年度の公立校教員勤務実態調査によると、中学校教諭の約6割が月80時間超の超過勤務をしており、いわゆる過労死ラインを上回っている。また、年間5000人を超える教員がうつ病などの疾患で休職している現状がある。政府が進める働き方改革の「本丸」が、まさしく学校なのである。

     ◇     ◇     ◇

 部活動に意義があるのは言うまでもない。部活動が大好きな生徒や教員もいる。しかし、現状はあまりに問題が多い。健康や生活、学習への影響、送迎や用具購入などの保護者負担。教員は部活動の終了後から教材研究や翌日の準備を行い、帰宅が9時や10時を回ることもざらだ。教員が疲れていては、子どもと笑顔で向き合い、良い授業を行うのは難しい。

 土日の部活動手当てが少な過ぎるという問題もある。教育課程「外」なのに学校教育「内」活動だという曖昧な部活動。教員は「全ては子どものため」という思いで犠牲を払い指導に当たってきた。しかし、もう限界である。

 バランスの取れた発達という視点から私見を述べたい。私が勤務している学校では、震災学習の発展として「Fプロジェクト」という生徒の自主活動が盛んだ。土日に地域に出掛け、被災者と交流を続けている。このような活動の最大の障害が部活動だ。生徒は「部活があるから参加できない」、教員は「お前が休むと部活が成り立たない」となる。幸い勤務校では部活動顧問が理解を示し、希望生徒はおおむね参加できている。地域住民との交流を通し、生徒たちには豊かな心が育っている。

 学習指導要領上、部活動は「自主的、自発的な参加により行われる」活動であるにもかかわらず、多くの学校では参加が強制され、静とも教員も部活が当たり前という感覚がある。このような空気も見直さないといけない。

     ◇     ◇     ◇

 県教委は「ガイドラインを徹底したい」と話す。しかし、現場では通知通りに改善した学校は少ない。理由の一つが大会の数の多さだ。東北大会など上位大会につながる仕組みも過熱化に拍車を掛けている。また、大会が日曜日にあれば土曜日も練習せざるを得ない。1日がかりの練習試合もあるし、吹奏楽部の場合は講習や合同練習会が多いこともあり、3時間では終わらない。県教委は中体連や競技団体、吹奏楽連盟、市町村教委、教職員組合などと協議し、生徒や教員が休日に休める環境を早急に整備すべきだ。それがあって初めてこの通知が実効あるものになるのではないか。        

 部活動は様々な課題と問題をはらんでいます。教育行政はこれまで学校任せにしてきましたが、やっと重い腰を上げその改善に着手し始めました。と同時に、部活動は子どもたちにとって、とても楽しみにしている活動の一つでもあります。部活があるから学校に行っているというような子もいます。中学生の子どもたちにどのような時間と空間、そして出会いと学びが必要なのか。瀬成田さんが述べているように部活動に関わる関係者・団体が協議することはもちろんですが、そこに当事者である生徒や保護者なども参加する必要があるのではないでしょうか。
 テレビや新聞などは、県教委が新たな県立高校の将来構想策定に向けて動き出していることを伝えています。過熱する部活動の背景には高校入試も一因としてあります。そのあたりも合わせて問い直す必要があるように思います。(キヨ)

第3回『道徳なやんでるたーる』報告

 1回目、2回目と多くの方に参加いただきましたが、平日の水曜・夜の開催ともなると毎回参加というのはなかなか至難です。先生方もいろいろ予定というものがあります。3回目の今回は参加者がぐっと減るかも? と心配しましたが、黒澤明監督の「七人の侍」を超える、「八人のナヤンデルタール」が集まりました。

 前回の話し合いを踏まえて、引き続きKさんの「ともだちやもんな、ぼくら」の授業案検討を行いました。授業案は、「ともだちやもんな、ぼくら」の12行目までのプリントを用意して子どもたちには提示。その際、題名は明示しない。そこまでの内容を踏まえて、転んだヒデトシをおいて逃げてきてしまったぼくとマナブが、その後どうするか? をみんなで話し合うというもの。

 今回の検討では、以下のような話し合いがなされました。その一部です。

◆授業は、導入で教材の12行目までを読み、その後、子どもたちと具体的な話し合いに入っていく。そう考えると12行目までの内容(状況)をイメージ豊かにきちんと子どもたちに理解させることが重要じゃないかな。

◆そのためには子どもたちと対話しながら、黒板にカブトムシを捕まえに登る「木」や、登場人物の「名前の短冊」などを使って、視覚的におさえていくとよいのではないか。

◆ぼくとマナブが逃げてきた後の行動を考えるときに、かみなりじいさんの「こわさ、おそろしさ」が、子どもたち全員のものになるといいね。

◆ぼくとマナブが逃げてきた後どうするか、ワークシートに書かせるとあるけど、書かせないで最初から子どもに言わせてはダメかな?

◆2年生のこの時期だし、教師がワークシートに目を通して確認しながら丸をつけたり声をかけたりして、まずは子どもたち一人ひとりが安心して自信を持って発言できるようにしたいと思っている。

◆いずれ丸がなくても、自分の思ったことを自分の言葉で言えるようになるといいな。

◆最後の12行目の「だんだんヒデトシのことが気になってきた」があると、子どもたちは「もどる」という意見の方に、ぐっと引っ張られることにならないかな。

◆その前のぼくとマナブの二人の会話「つかまったんやろか」や、「おこられているかもしれんな」のところまででもよいかもしれないよ。

◆二人の会話の部分は、気になって心配している心情だけでなく、《あんなところで転んで仕方ないやつだ》と迷惑がっている、あるいはあまり気にかけていないというようにも読めるかな。

◆子どもたちがワークシートに書いたものを発表するときには、その子の発言の背後にある思いや考えを引き出すような声がけを教師がするようにした方がよいのでは。などなど

 3回連続の『道徳なやんでるたーる』、とても楽しかったです。会は校内研究をするというKさんの授業案検討を中心に進みましたが、とってもいいなあ~と思ったのは、Kさんの授業案検討のみに終わらなかったことです。学習会に参加してくれた先生方が、話し合いの中で出された考えや方法をご自身の道徳の授業でそれぞれに試み、そして次の会でやってみての感想や実態をいろいろ話してくれました。ここで話し合ったことがみんなの中に共有され広がっていっている、とても素敵なことだなと感じました。学習会は、ややもするとその道の大家や先輩の話を聞かせてもらう、教えてもらうとなりがちです。《教える》ー《教えられる》という関係性でない、ともに学び考え合う関係性が、『なやんでるたーる』にはあったように思います。

 さてKさんの実際の授業は7月中に行われるとのこと、楽しみです。どんな授業になったか、改めてKさんに話をしてもらい、そしてみんなで交流する場をもちたいと思っています。日程は決まり次第、お知らせいたします。乞うご期待下さい。(キヨ)

映画と私、徒然なるままに ~ 仙台セントラルホール閉館を前に ~

  f:id:mkbkc:20180627124222j:plain 

 6月21日の朝日新聞に、『名画に光 街の映画館閉館へ』の見出しで、仙台セントラルホールが6月末で閉館の知らせの記事が掲載された。
 仙台市内で唯一の地元資本による映画館で、ミニシアター系の新作や旧作の上映に力を入れたが、インターネット動画の普及などによる映画離れが赤字体質を加速させ、その歴史に幕を下ろすことになったという。
 セントラルの閉館により、市内の映画館はMOVIX仙台(太白区)、TOHOシネマズ仙台(青葉区)と、山形のフォーラム運営委員会が運営するフォーラム仙台(青葉区)、チネ・ラヴィータ宮城野区)の4館になる。    

 手元に家族の記事が掲載されていたため保存していた昭和39年12月14日付けの河北新報がある。その日の映画案内のコーナーをみると、当時、仙台市内(合併前だから今の青葉区宮城野区太白区若林区)だけで、当然ながらシネコンなどという言葉もない時代だから、スクリーン1つの単館映画館が23館掲載されている。
 懐かしい名前がずらりと並ぶ。参考までに列挙すると、松竹・東映・日活・日乃出・パラス・仙都・東宝・中劇・東劇・名画・日乃出5階、青葉・有楽・コニー・南街・公園・日乃出地下・錦・ミリオン・北仙台ロマンス・地下小劇場・東日乃出。
 「あー、懐かしい」という声が聞こえてきそうです。かく言う私にとっても懐かしい思い出の映画館がいくつかある。

f:id:mkbkc:20180629105628p:plain

f:id:mkbkc:20180629111715p:plain

 久しぶりの投稿なので、もう少し映画と私の思い出を徒然なるままに書いてみる。
 私と映画の最初の出会いは、小学校低学年の頃、夏休みの夜、近所の広場公園に大きな白布を張っての上映会。作品名も今では定かではない。作品名やストーリーも朧気ながら記憶に残っているのは、東日乃出劇場でみた『無法松の一生』や『一本刀土俵入り』である。父と自転車で観に行った。1958年、5年生のときである。『一本刀・・』は少しあとだったかも知れない。そしてその年はもう一つ強烈な印象で『十戒』がある。初めて観る洋画だった。劇場は今の晩翠通り(当時は細横町)にあった東劇。今では当たり前の横長のスクリーンでパノラマ映画と呼ばれていたと思う。モーゼが神に祈ると海が二つに割れ、そこに現れた道をヘブライ人が逃避する場面など忘れられない。東劇ではもう1本。6年生のときに観た『ベンハー』。馬に引かれた戦車が、車輪をぶつけながらの戦闘シーンは迫力がありすぎてびっくり。次の中学・高校時代は部活に明け暮れ映画とは離れた時期。そんな中でも中学の時に観た『ウエストサイド物語』は初めてのミュージカルで、鮮烈に記憶に残っている。そして大学に進み、暇を見つけては『名画座』『青葉』通い。これまでの人生の中で一番映画を観た時期でもある。

 映画との付き合いはまだ続いた。教員になり仙台市内の学校へ転勤したのが1970年代半ば。当時、親子映画運動が盛り上がり、私も迷うことなく会員になった。例会があると受け持っていた子どもたちや保護者を誘って、映画館まで引率。一緒に映画を楽しみながら、帰りも学校まで一緒にもどってくる。道々、感想を勝手に言い合いながら楽しいひとときになった。その中でも1979年に上映された『ガラスのうさぎ』は、前述の仙台駅前にあった日乃出劇場・日乃出5階・日乃出地下劇場の3スクリーンを利用しないと入りきれない上映会であった。仙台親子映画のギネス記録だったと思う。並行して仙台名画鑑賞会も活動をしていた。会員になった私に当番で入場口のもぎりの役の日があった。しかし、連れ合いが二番目の子の出産が間近で、3才になる息子を連れていくことになった。会場の電力ビルでもぎりの役目を終え、息子と席に着く。作品はチャップリンの短編映画が3本(?)だったと思う。もちろん無声映画だ。そこで驚いたことがある。隣りに座ってスクリーンを観ている息子が、私(大人)と同じように、笑ったり、おびえて私にくっついてきたり、涙をうかべたりしている。3才の子にもチャップリンの世界がわかるんだという発見は、私にとっては『事件』であった。そのような思い出があったこともあって、その後、『道徳』の授業で、チャップリンの映画をみせることに繋がっていくのだった。

 定年退職後の5年間、児童館で勤務するのだが、初代のM館長が始めた『寅さん映画会』。毎月1回、土曜の午後、近所の方たちに呼びかけ、山田洋次監督の『寅さん』シリーズ全48回を4年計画で無料上映する企画でした。私が着任したのは4年目に入る第37作から。しかし最後の第48作を上映する3月、あの3.11東日本大震災が起きた。3月の上映会は延期とし、新年度の4月に最終回を無事終えることができた。その後は『寅さん映画会』の名を改め、『こども映画館』として毎月1回、映画会は続いている。

 また機会があれば映画について触れようと思う。
          さよなら さよなら さよなら。END  <仁>

是枝監督と「DISTANCE」

 カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した是枝監督は、映画のみならず政界をも巻き込んで話題の人となっているようだ。
 6月18日付朝日新聞は、『「助成」「公権力と距離」矛盾するのか』との見出しでそのことを報じている。事の発端は、林芳正文科大臣がパルムドール受賞に対して祝意の意向を示したところ「公権力とは潔く距離を保つ」とそれを辞退、しかしその一方で映画制作では文化庁の助成を受けていることから、《矛盾している》《けしからん》と言うような批判的意見が寄せられ賛否の議論を呼んでいるというのだ。
 是枝監督は、距離についてとても自覚的だ。そのことは『DISTANCE』(距離)というタイトルの映画作品があることからも察することができる。そもそもドキュメンタリー作家として映像制作の途を歩み出した是枝監督にとって、テーマや被写体との距離をどうとるか、置くかということはいつも頭にあったことだろう。対象を撮る・観るには常に距離が必要だ。それは、映像制作に限ったことではなく、公権力などについても言えることだ。自分が今どこに立ち、どのように相手と向き合うのか。映像作家である是枝監督にとって「公権力と潔く距離を保つ」というのは至極自然なことであり、なにもびっくりするようなことではない。仮に公権力とべったりひっついて距離がゼロだとしたら・・・ 想像するだけでも気持ちが悪いし、それでは何も見えなくなってしまうというものだろう。
 今回の是枝監督に対する否定的な意見や批判は、さまざまな助成金や資金援助を受ける者は、提供者の意向に沿うことは当然であり当たり前というような認識が日本社会全体に蔓延し、一般化していることの反映であるかもしれない。また現にそういった認識を生む土壌と事実があることも確かだろう。その点では、金銭に関わる援助や資金とどのような距離をとるのかは、文化芸術活動の自由と独立性をどう担保するのかというシビアな現実的課題であると言える。しかし同時に、そのような現実を相対化し問い直すためにも、文末の監督のコメントにもあるように《(公的を含む)助成とは本来どうあるべきか》といった議論が必要だろう。

 是枝監督は、まさにその現実と理想との間に距離をとり、その緊張関係のなかに身を置きながら仕事をされていると思っている。( キヨ )

   f:id:mkbkc:20180627083002j:plain

季節のたより6 ドクダミ

  古来からの 庶民の万能薬

 外は雨。庭の草のかげから背のびして白い花が咲いています。ドクダミの花です。ほの暗いかげにうかぶ花の白さにはっとさせられます。
 司馬遼太郎街道をゆく」シリーズの挿絵で有名な須田剋太画伯は「この白は高い品格のある白磁である」とまで絶賛しています。

  f:id:mkbkc:20180623090848j:plain

 この季節に図工科の描画の教材としてよくとりあげたのが、この花でした。
 黒や紺色の画用紙に小筆で直接絵の具で描くようにすると、花の白さがうきたちます。
 白い花の十字形、その中心から伸びる淡黄色の花穂、広いハート形の葉、その造形がこどもたちには描きやすく、どの学年でも楽しんでとりくめる教材でした。 

 ところで、「白い花」と表現しましたが、花びらのようにみえる白いものは苞(ほう)とよばれる葉の変形したものです。本当の花は雄しべと雌しべだけでとても小さく、真ん中の棒状部分に集まって咲いています。白い苞と小さな花の集まりである黄色い花穂が一つになって大きな花のようにみせかけ、虫たちを誘っているのです。

 f:id:mkbkc:20180623091206j:plain  f:id:mkbkc:20180623091222j:plain

 ところが、日本に分布するドクダミは、3倍体という受粉せずに結実(単為生殖)できる性質を持っていて、虫の手助けなしにタネをつくってしまいます。それに、地下茎を縦横にはりめぐらし、コンクリートや石垣のスキマからでも芽を出します。庭に植えたりするとあっという間に占領されてしまうので用心です。

 ドクダミが身近に見られるのは、昔から民間治療薬としてさかんに用いられてきたからでした。薬草としての記述は平安時代からみられます。煎じて飲めば風邪や便秘の治療や高血圧の予防に、傷・おできなどには火であぶった葉を貼ればよく、風呂に入れれば冷え性に、鼻につめれば蓄膿症に効くと、まさに万能薬、病気になってもすぐ医者にかかれない時代の庶民にとっては願ってもない味方でした。

 f:id:mkbkc:20180623091842j:plain  f:id:mkbkc:20180623091913j:plain
      花の背丈になってみると、違った美しさを見せてくれます。

 ドクダミという和名は江戸時代の文献の記述にみられます。毒草のように聞こえますが、これは毒を抑えるという意味の「毒矯め(ドクダメ)」や、毒や傷みに効能があるという意味の「毒痛み(ドクイタミ)」から転訛したものだろうと言われています。

 ドクダミの最大の特徴は何といってもある種の特有のにおいがあることです。このにおいを嫌う人も多いのですが、研究者が調べたところ、このにおいのもとになる揮発性の物質は、細菌やカビの増殖を抑える抗菌作用があることがわかってきました。

 f:id:mkbkc:20180623092638j:plain    f:id:mkbkc:20180623093311j:plain f:id:mkbkc:20180623093353j:plain
  朝露にぬれた花        それぞれの 花の表情

 草花の命を脅かすものは、虫や草食動物に食べられたり、細菌やカビに襲われ病気になったりすることです。ドクダミの葉や花をよく見ると、虫に食われたり病気で痛んだりしているところが少ないのです。葉を食べる蛾の幼虫はいても食草とする昆虫はなく、ウシやウマは牧草地に生えていれば食べますが、餌ではありません。それは、ドクダミの側からみればきわめて健康的に生きられるということです。
 つまり、ドクダミは、人類がこの地上に現れるはるか以前から、病気に対する薬の成分や抗菌、抗カビ物質を体内につくりだし、身を守ってきていたということになります。何だかすごいことです。昔からの民間治療法は、いわば人間がこのドクダミの薬効や抗菌力に経験的に気がつき利用させてもらっていたのですね。

  f:id:mkbkc:20180623093946j:plain
    仙台・治山の森の ドクダミの群落。 白い花で 暗い森が明るくなります。

 植物はこの地球上に誕生したときから試練を重ねて、人類よりもずっと長い歴史の時間を生き延びてきました。その命をつないで来れたのは環境に対応し命を守るしくみを備えてきたから。野生の強さとはそういうものです。
 これから先、便利さだけを求めている人間は、ドクダミのように命をつないで生きられるのでしょうか。(千)

徒歩の効能 ~ 桑原武夫『一日一言』ルソーの言葉より ~

 今、朝日新聞に連載中の「折々のことば」はおもしろい。何気ない日常のことばを掬い取って、短いことばを鷲田さんが添える。とたんに、そのことばが、読み手の前でキラキラと光り出す。ちなみに今日16日は「捨てるものが少なくてすむのは気持ちがいいです」。この、どこでも聞かれそうな何気ないひと言が添えたことばで一気に読み手の胸をさす。毎日、新聞を楽しみに待つ。

 岩波新書の1冊に「一日一言」(桑原武夫編)がある。これは、編者の桑原さんによれば、「人類史上の名家の語録を、無秩序に集めるのではなく、1年、365日の日々に、それぞれその日にゆかりのある人物の言葉を収録し、略伝と肖像を添え、読者諸君が、毎日ひとつずつ言葉を深く味わいうるようにしたいと思った」と「はしがき」に書いている。史上の偉大な人物と言っても、その日に生没が重なることがたくさんあるだろうし、その日が不確かな人もまた多かろうから、1冊にするまでの労苦はたいへんだったろうと想像する。
 今日6月16日は、この日、ドイツ兵に銃殺されたフランスの歴史家マルク・ブルック。
 ルソーも6月に入っており、「6月26日、ジュネーブで生まれた」とある。以下は取り上げられたルソーの言葉。

 ひとり徒歩で旅したときほど、ゆたかに考え、ゆたかに存在し、ゆたかに生き、あえてゆうならば、ゆたかに私自身であったことはない。徒歩は私の思想を活気づけ、生き生きさせる何ものかをもっている。じっと止まっていると、私はほとんどものが考えられない。私の精神を動かすためには、私の肉体は動いていなければならないのだ。田園を眺め、快い景色の連続、大気、旺盛な食欲、歩いてえられるすぐれた健康、田舎の科学の自由さ、私の隷属を思い起こさせる一切のものから遠ざかることが、私の魂を解放し、思想に一そうの大胆さをあたえる。

 読んだ私のなかに、田舎の自然の中を自由にあるきまわった子どもの頃の自分が浮かんできた。
 同時に、つねづね気になっていたことだが、スクールバスで通学してというたくさんの子どもたちの様子も浮かんできた。( 春 )※ 執筆は、6月16日です。

第2回『道徳なやんでるたーる』報告

 第2回『道徳なやんでるたーる』、平日夜の会にもかかわらず、多くのみなさんに参加いただきました。ありがとうございます。

 さてさて第2回は、1回目の話し合いを受けてKさんがつくってきた授業案をもとに、どう授業を進めたらよいか具体的な検討を行いました。ただし検討とは言うものの、みんな道徳に対して確たる信念や考えがあるわけではありません。みんなナヤンデルタールなのです。ですから試行錯誤に暗中模索、七転八倒五里霧中です。
 さてKさんが前回の話し合いを踏まえて選んできたのは「ともだちやもんな、ぼくら」(2年生の教材)でした。物語の概要は、おおよそ次の通りです。

 登場人物は、かみなりじいさんとぼくにマナブ、そしてヒデトシの4人です。「こらあ。わしのいえの木で、なにをやっとるか。」かみなりじいさんの大きな声で物語は始まります。ぼくとマナブ、そしてヒデトシの3人は、かみなりじいさんの家の木にかぶとむしをとろうとよじ登っていたのです。おじいさんに怒鳴られた3人は、慌てふためき逃げますが、なんと途中でヒデトシが転んでしまいます。ぼくとマナブは、ヒデトシを顧みずに走りつづけ公園へと逃げてきます。逃げ切ったぼくとマナブでしたが、だんだんヒデトシのことが気になりはじめ、頭の中はヒデトシのことでいっぱいに。とうとう2人は、おこられることを覚悟のうえでおじいさんの家へと向かうことにしました。泣いているヒデトシの両側に意を決して歩み出た二人に、なんとおじいさんは「おまえたち、よく もどって きたな。ともだちと いうのは、ええ もんじゃな。これからは、虫とりがしたけりゃ、わしに いいなさい。」と言って、頭をなでてくれるのでした。帰り道、僕とマナブとヒデトシの3人は、友だちであることを再確認するのでした。

      f:id:mkbkc:20180615175333p:plain

 1回目の話し合いでも一番話の弾んだ教材です。子どもたちも自分のこととして身近に感じる、考えることができる教材のように思いますが、すでに授業をした先生からは、最後まで物語を読んでしまったせいか、子どもたちの話し合いでは様々な意見や考えが出ずに終わってしまった。考える道徳にはならなかったとの話もありました。またこの教材を最後まで読むと、結局こわいかみなりじいさんのところにヒデトシのことを思って戻ることが友達だという価値観を押し付けることになりかねないのでは? などの意見もありました。

 そんな話し合いの経過も踏まえKさんが持ってきた授業案は、教材で扱うのは最初から12行目まで。しかも、タイトルなしの本文だけをプリントしたものを使用という大胆なものでした。今回は、この授業案をもとに、Kさんの授業に対する思いを大切にしながら、その思いを成就させる方向で喧々諤々の話し合いをしました。さてさて第3回はこの喧々諤々の議論を踏まえ、まさにザ・道徳と言えるような授業案ができるのか否か? それはまた、次の回までのお楽しみです。

 次回は、6月20日(水)、18時30~研究センター で行います。これまで参加されていなくても大丈夫です。ぜひ皆さんご参加ください。お待ちしてます。

f:id:mkbkc:20180615175610p:plain  f:id:mkbkc:20180615175223p:plain