mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

樋口陽一さんの高校生公開授業 終わる

2年越しの企画となった樋口先生の公開授業が無事終わりほっとしているところです。会場も初めての場所でしたが、たくさんの方々に支えられて漕ぎつきました。

 限られた時間での授業のため、一問一答形式にはならず、参加した高校生すべての質問や疑問を残したまま終わらざるを得なかったことは多分にあると思います。今回の授業を契機に、友達や高校の先生達との学び合いに発展していって欲しいと思います。

翌日の新聞記事も参考に紹介します。

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今週末開催です! 高校生公開授業

 あっという間に、樋口陽一さんによる高校生公開授業「憲法という人類の知恵」開催まで数日となりました。

 高校生公開授業が始まったのは2006年。第1回目は小森陽一さん(東大教授)による宮澤賢治の童話『烏の北斗七星』をテキストにした文学の授業でした。参加した高校生は約30名。授業の後には小森さんによる講演会も行われ、大いに盛り上がりました。
 その後、詩人のアーサー・ビナードさん、作曲家の林光さん、数学教育の実践で大きな話題と影響を与えた仲本正夫さん、宮澤賢治研究をライフワークとする三上満さん、ジャーナリストの金平茂紀さんなどに授業をしていただいてきました。
 なかでも小森さんは、公開授業を契機にS高校の先生との授業バトルやK高校での一日授業、小学校での『お手紙』の授業など、さまざまな取り組みへと広がっていきました。
 今回の憲法というテーマに関連して言えば、実は作曲家の林光さんに、なんと「ひとりひとりの憲法」というテーマで授業していただいています。専門の音楽に関わっての授業ならいざ知らず、ピアノの演奏や歌を交えながらの憲法の授業は、大変ユニークで林さんならでは、林さんだからこその授業だったように思います。

 私たちは、この公開授業で文化・芸術あるいは学術・教育分野など広く社会の第一線で活躍されている方と、高校生たちとの出会いの場をつくりたいと願いながら取り組んできました。本気で仕事や研究をされている方々と出会うことは、その方々の底流に流れている探求の精神に出会うこと、触れることだと考えています。
 とはいえ授業者になっていただいた多くの方々は、日ごろ高校生を相手に授業をされている方々ではありません。さらに、どんな生徒かもよくわからないなかで行われる一発勝負、まさに一期一会の出会いです。正直このような条件にもかかわらず授業者として高校生たちに授業してくださるみなさんには頭のさがる思いでいっぱいです。

 今回の樋口さんも、どんな授業をしたらいいか、いろいろ考えてくださっています。先日早速、当日高校生たちに配る資料が送られてきました。

 前所長の春日は、常々この公開授業を通じて、たとえ線香花火のようであったとしても高校生のなかに授業者との出会いによる「学びのジケン」を起こしたいと言っていました。
 今回の授業で、どんな授業が行われ、「学びのジケン」が起こるのか。私たちもわくわく、そしてはらはらもしています。一期一会の樋口さんと高校生たちとの出会い、どうなるのか楽しみです。( キヨ )

1月24日 「冬点描 氷点下の新聞配達」をみて

 先日、朝のテレビのニュース番組の中にはさまれた「冬点描」と題する短いスケッチで「中学生の新聞配達」を観た。

 中部地方の山あいの60数戸の集落が舞台。ここに住むすべての人は、中学生になると新聞配達(朝刊だけと思うが)をすることになっており、その中学生たちの配達の様子を追ったもの。

 映した時間は短かったが、一定の期間、追い続けて編集していたので彼らの様子はよく見ることができた。
 他とことばを交わすことが得意でない内気な女子中学生が配達中に挨拶の声の調子が変わり、門の前で新聞を待つ住民ともしだいに会話をするようになっていく変化もよくわかった。だれかが注意したわけでも強要したわけでもない。新聞を待っている人たちとの間にしぜんに身についていったのだ。

 この集落では、「中学生の新聞配達」は60年もつづいているという。門前で新聞を待っている住民も体験者であり、新聞をはさんでの中学生との距離はない。配達する中学生の心の内も同様だろう。寒さの朝でも新聞を渡す受け取る二人の間には温かい心の通い合いを感じる。

 どんなきっかけで始まったのかは、聞き逃してしまったのだろうか、わからない。
 観ている私の心まで温かくなった。学校にとって、これを超える住民からの支援はあるだろうかとも思った。

 さて、今、どこかでこれを自分の地域でもまねてみようなどと言ったらどうなるだろう。親からも中学生からも一顧だにされないだろうと思った。
 もっと小さい単位でもいい、新聞配達に限らなくていい、こういう試みがなされる世の中に戻ることは、もう無理なのだろうか・・・。( 春 )

恐ろしい執着  ~ここまでやるか

 年が改まって早もうすぐ2月。早すぎると感じるのはいつものこと。今年こそは、このコーナーで明るい話題・希望の感じられる話をと考えるのですが、今年1回目の日記も、願いとは反するものになってしまうのが残念。

 明日1月20日からは、トランプ大統領の就任のニュースが朝から晩まで続くことだろう。しかし一方、この日本でもとんでもない話が進んでいる。
 戦争準備法といわれる共謀罪は、すでに反対運動も行われ多くの国民が知るところだ。ところが今月20日に召集される通常国会で、自民党議員立法で提出するという「家庭教育支援法案」が水面下で着々と準備されているようだ。
 どこかで耳にしたことがあると思い調べてみたら、戦時中の1942年、国民を戦争に総動員するため、「戦時家庭教育指導要綱」が発令され、「家庭生活は常に国家活動の源泉」として、子どもの“健全育成”を親に要求。“相互扶助”という名目で「隣組制度」がつくられ、地域住民は各家庭で国家が求める「教育」が徹底されているかを見張り合ったのだ。

 今回準備されている法案の内容は、「保護者が子に社会との関わりを自覚させ、人格形成の基礎を培い、国家と社会の形成者として必要な資質を備えさせる環境を整備する」。
 1942年当時とソックリ。地域住民について、「国と地方公共団体が実施する家庭教育支援に関する施策に協力するよう努める」とあり、さらにそれは「責務」というのだ。
 家庭教育支援というなら、給付型奨学金制度の充実や育児のインフラ整備など子育てしやすい環境を整えるのが政府の仕事であるはず。そういう必要な支援はせず、親に委ねられるべき家庭教育の中身に政府が介入し、国家にとって都合の良い人材育成を親に押し付けている。要するに支援法は国家が家庭教育をコントロールして、国家に都合が悪い人材をできるだけつくり出さないためのもの。家庭教育支援法案と共謀罪は従順な国民づくりのための両輪といえるのではないかと思わざるを得ません。

 表面上は核家族化など家族をめぐる環境変化での公的支援のためというが、真の狙いは国民を“イエスマン”に仕立て上げ、戦争でも何でもできるような体制づくりだ。安倍政権は天皇退位や共謀罪を尻目にコッソリ通そうとしている。これが安倍政権が考える「1億総活躍社会」の本性だ。

 国家と社会の形成者として必要な資質。この文字はまもなく公表される新学習指導要領の基本設計を行った中央教育審議会の「審議のまとめ」で、教育の目的に書かれているキーワードでもあることを考えると危惧するのはボクだけだろうか。ここまでやるのかである。〈 仁 〉

1月9日 今やるべきこと、できることをする

 新年おめでとうございます。今年も時々、つまらない繰り言を書かせていただきますので、おつきあい下さいますようよろしくお願いいたします。 

 今年は、よく晴れた元日だった。が、いただいた年賀のごあいさつには、空の色とは対極のことばがいくつも見出され、「そう これが これから始まる17年なのだ」と読むごとに心が引き締まってきた。たとえば、

  • 世界でも日本でも,心配なできごとが続いています。新しい生命との出会い、生き方を探る若い人々との出会いを大切にして過ごしたい。
  • おかしな世の中になったもんです。こんな世の中おかしいよね。
  • 年々、国は不気味な方向に国民を引っ張ってて・・・これは「戦前」かもしれないと思うことこと、しばしばです。 など。

 去年は、(民主主義ってたいへん難しいものだなあ)(しかし、人間らしく生きるために長い時間をかけて獲得したこの民主主義はなんとしても守らなくちゃ)と考えつづけた。そのための教育の仕事の重さもつくづく考えさせられた1年でもあった。現役時代の自分の仕事のいいかげんさが、このような世の中をつくるのに大きく加担していたのではないか、大衆迎合主義者をたくさん育てたのではないかとも・・・。

 新しい年と言っても、時の流れに区切りがあるわけではない。こんなそんなをめぐらしていると、「新年だ!」と多くのテレビと一緒になってアハアハと笑って過ごしてばかりおれない。

 昨日の朝日新聞「折々のことば」は、「戰争が起こってしまってから反対運動をする自信も勇気もおそらくない。だからこそいまのうちにやらなくては」(藤波玖美子)だった。
 小さいときの戦時のいろいろを思い出すだけで今でも身震いする。
 藤波さんと同様、いまやらなければならないものをやらなくちゃ、と強く思う。

 今日は9日。毎月9日は、私たちのつくっているちっぽけな「『テロにも戰争にもNOを!』の会」で、夕方4時半から5時まで「武力では何も解決しないから『テロにも戦争にもNO!』」という私たちの願いを入れたティッシュを配っている。会をつくったのは、01年の同時多発テロ直後。17年になる。「とにかくつづけること・・」が会のモットーだ。ティッシュの配り手は6~7人で増えないが、終わってサッと散るときは心地いい。

 2017年、私の1月9日はこうして終わった。( 春 )

冬の学習会は、1月8日(日)開催です

 まだ心も体も、正月のお休みモードが抜けないという方もいるのではないでしょうか。年が明けて、新たな気持ちで仕事に取り組みたいものです。そんな思いに応えてくれるのが『冬の学習会』です。
 12月に算数と国語の授業をみせてもらったHさんやMさんも、それぞれの授業実践について報告される予定です。ぜひみなさん、参加してください。
 当研究センター所長の〈仁〉さんも、道徳の教科化について報告します。

◆冬の学習会(開催:1月8日・日曜日  会場:茂庭荘)

   参加費:教員(2,000円) 一般・元教師・保育士(1,000円)
       学生(無料)  ※1コマ参加は1,000円(一般は500円)です。

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  タイム・スケジュール 

 ・9:00~(受付)

 ・9:30~(開会行事・特別報告)
   「道徳の教科化と私たちの仕事」

 ・10:10~12:00(講演会)
   「特別な支援が必要な子どもへのサポートと
         保護者の信頼関係をどうつくるか」
    講師 植木田潤さん(宮城教育大学

 ・13:00~15:00(模擬授業・講座)

    A.生活指導 講座「回り道しながら大きくなろう」
    B.算数 講座「今あらためて聞く数教協の理論と実践の基礎基本」
    C.理科 講座「やさしくて本質的な理科授業『電気と発熱』」
    D.社会 講座「仙台の戦跡案内」
    E.音楽 講座「かしの木保育園(群馬)の卒園式から学ぶ!」
    F.外国語 講座「授業づくり入門」

         ( ※音楽講座の会場は、山田市民センターです )

 ・15:20~17:30(分科会)
   ★国語と教育 ★作文と教育 ★算数・数学と教育 ★理科と教育
   ★社会科と教育 ★外国語と教育 ★音楽と教育 ★身体と教育
   ★生活指導と教育 ★保健室と子ども ★障害をもつ子と教育
   ★学校と教育
       ( ※「音楽と教育」の会場は、山田市民センターです )

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佐藤忠良さんの「緑の風」に会いに

 明けましておめでとうございます。
 お正月はどう過ごされましたか。家族みんなでゆっくりされましたか、初日の出や初詣に出かけたでしょうか、いやいや1人で静かに迎えたひともいるでしょう。

 正月元旦の朝、よっちゃんと二人、初詣ならぬ台原森林公園詣でに出かけました。いつもの朝なら駅に向かうサラリーマンや通学の高校生などが行き交う道も、この日はしーんとして、町はまだ眠りから目覚めていないようです。1年のうちに、まだこういう日があるんですね。ほっとします。時折すれ違う人と、お互い特別な時間を共有する秘密を確認するかのように、静かに朝のあいさつを交わします。

 お目当ては、佐藤忠良さんの「緑の風」というタイトルの彫像を見ること。仙台市科学館の裏手にある記念広場から台原森林公園に降りていく階段のてっぺんに立っています。もちろん彫像それ自身も素敵なのですが、なぜか私は台原森林公園の自然のなかにある「緑の風」が好きです。それも忠良さんが生きておられたら叱られるかもしれないけれど、彫像の背後からみるその世界が大好きです。人と自然、そして空のずっと向こうの宇宙にまでつながっているような世界の有様が、そこには静かに佇んでいるように感じるのです。いつみても素敵です。私も自然の一部、宇宙の一部、そして一つの生命(いのち)であることを思うのです。今年もよろしくお願いします。( キヨ )

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         きこえてくる
                まど・みちお

      土の中から きこえてくる
      水の中から きこえてくる
      風の中から きこえてくる

      ここに 生まれ出ようとして
      小さな 数かぎりない生命(いのち)たちが
      めいめいの階段を のぼってくる足音が

      ここに 生まれてきさえすれば
      自分が 何であるのかを
      自分の目で 見ることができるのだと
      心はずませて のぼってくる足音が

      いったい だれに きいたのか
      どんな物をでも そのままにうつす
      空のかがみと 水のかがみが
      ここに たしかにあることを
      ここが 宇宙の
      「かがみの間」で あることを

      土の中から きこえてくる
      水の中から きこえてくる
      風の中から きこえてくる

      小さな 数かぎりない生命たちが
      ここへ ここへ ここへと
      いま 近づいてくる足音が