mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

年の終わりに

 中村桂子さんの新春講演会でスタートした2016年。1年がかりになりましたが、講演記録のブックレットもできあがりました。

 少しずつ若い先生方が参加するようになってきた3回のこくご講座~物語文の読み。国語以外にも拡げていきたいと考えています。

 変わらないのは年4回発行のセンターつうしん。いつも〆切ぎりぎりまで編集校正。きた出版には迷惑のかけっぱなし。ただ感謝あるのみです。別冊用の教育実践あつめも苦労が多いのも残念ながら事実です。実践記録を書く。それは自分のためにと考えるといいのですが‥‥。

 太田先生による哲学sirubeの学習会では、きっと一人では読み切れない分厚いテキストを手に、毎回毎回新鮮な学びの場になっています。これは『教育』読者会も同じ。

 12月には仙台と古川で小4年の算数と小6年の国語の授業をみる機会がありました。いずれもサークル集団で教材分析を行いながらの取り組み。先生と子どもたちがの真剣勝負がびしびしと伝わってきました。そして双方が信頼し合っている学級であることも感じることができ、「教育っていい仕事なんだなあ」と改めて思い熱くなるのでした。

 そして明日より2017年スタート。1月には高校生の公開授業。樋口陽一先生が、高校生にどのようなお話をしてくださるのか、胸が躍ります。年末に次々に受講申込みが届いています。高校生たちの期待の大きさを感じさせます。

 2月中には、センターのホームページも大規模?なリニューアルの予定。

先ずは1年間、ご支援ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。                                                                      

<仁> 

12月26日 『憲法と君たち』を手に、想う

 2016年も最終週に入った。年々、嫌なことが増えているような気がして、長生きしていても気が滅入る。「人間なのに」なのか、「人間だから」なのか・・・、私は後者のように思うようになってきている。こんな自分がなんとも寂しい、人を信じて終末になりたいと願っているのに・・・。

 古本屋通いが楽しみを増しているこのごろだが、先日、友人との待ち合わせの時間つぶしで入った本屋で、復刻新装版「憲法と君たち」(著者・佐藤功)を買った。著者は、有名な憲法学者で、戦後、新しい憲法作成にも深く関わった方である。その著者が1955年に少年少女たちに向けて書いたのが「憲法と君たち」。それが今年の10月に復刻されたのだ。

 やりきれないことの多かった今年だったが、読み終えて、身の周りの黒いものが消し去られ、清々しい気もちになることができた。復刻に関係された方々に深く感謝したい。

 佐藤さんは「まえがき」の中で、次のように述べている。

 それぞれの国の憲法は,その国の国民がどのような理想を目ざしているかをあらわしたものだということができます。日本にもりっぱな憲法があります。それはほかの国ぐにの憲法にくらべてもわたしたちがほこってもよいりっぱな憲法です。君たちも、いまにどんどん大きくなって、君たちの国、この日本をせおって立たなければならないのです。だから、日本の憲法がどんな憲法なのか、そしてそれを守るためにはどうすればいいのかということを、君たちにも今から知っていてほしいと思います。

 佐藤さんは,このように願って「憲法と君たち」を書いたのだが、今、世界にほこるべき憲法が、だれの、どんなもくろみなのか、大きくゆらいでいる。

 佐藤さんは、この本を次のように結んでいる。 

  「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る。」

  佐藤さんは、「もっとくわしく憲法のことを知りたいという気持ちになったら、先生やおとうさんなどにうかがって・・・」と書いていることから推すと、憲法がぐらついているのは「教育の責任が小さくない」と言うのは過ぎているであろうか。
 今からでも遅くない。憲法を知る努力をつづけたい。

 みやぎ教育文化研究センター企画の「高校生公開授業『憲法という人類の知恵』」(授業者・樋口陽一先生)が年明けの1月28日にある。一般参観も可ということ。ぜひこの日を、多くの高校生と一緒に憲法を考える一日にしたい。(春)

憲法学の第一人者・樋口陽一さんが高校生と授業!

  受講高校生を大募集! 皆さん参加ください

 昨年は、樋口さんとの日程調整がつかず実現できなかった高校生公開授業。2年越しのラブコールに応えていただき、年明け1月28日(土)に、東北大学を会場に「憲法という人類の知恵」と題して授業をしてもらえることになりました。

 樋口さんは、日本の憲法学、比較憲法学の第一人者として学会をリードするとともに、国際的にも活躍されています。また宮城県仙台市出身で、同級の井上ひさしさんや一つ先輩の菅原文太さんとは、仙台一高で青春時代をともにすごし、晩年まで親交がありました。

 11月はじめ、仙台に仕事で来られた際に、お忙しいなか簡単な打ち合わせを行いました。樋口さん曰く、高校生に授業をするのは初めてとのこと。どのように授業をしたらいいものかと、ご自身も思案されている様子でした。

 この日の打ち合わせでは、2時間授業で、1時間目はおもに樋口さんが高校生たちに話をして感想や意見をもらい、2時間目はその意見や感想をもとに授業をする、そんな感じになりそうです。

 東北大に会場を借りに行ったおり、知り合いの先生からは「樋口先生の授業なら、ぜひ大学生にも聞かせたい、学生はダメだろうか?」との話もいただきました。

 またとない企画です。ぜひ多くの高校生に参加してほしいと思います。申し込みは、以下の「参加申し込みフォーム」からできます。ぜひご参加下さい。待ってます。 

    高校生公開授業 参加申し込みフォーム

     ※一般の方は、まわりから授業を参観いただけます。(申し込み不要)

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12月18日 重い言葉「日本に抵抗の文化ない」

 このごろテレビを見る時間が長くなった。韓国の大統領問題が何日もつづき、なんだかよくわからないうちにカジノ法案が国会を通過し、つづいて日ロ首脳会談関係に番組はうつる。日ロ会談はだれがどれだけのことを知っているのかわからないが、なんかいいことがありそうに騒ぐが、何も知らない私は、世界の情勢から言って、あのプーチンさんが自分たちに利のないところにわざわざ足を運ぶだろうか、とテレビを冷ややかに眺める。複雑な世界の関係のなかで、安倍首相が相手をファーストネームで呼ぶぐらいで何かが動くと本気で思っていたのだろうか。この後の他国との関係は考えていたのだろうか、無知の私もちょっと心配になる。とこうしているうちに、このカイダンもすぐ過去になる。

 この間の私の最大の収穫(?)は、16日の朝日新聞の学芸欄に載った去年のノーベル賞作家・ベラルーシのアレクシエービッチさんのインタビュー記事。

 この作家の話は私(たち)の今とこれからにたいへん重い話をしてくれたからだ。
 記事には、白抜きの縦見出しが2本置かれる。ドキッとさせる見出しだ。

   「必要なのは模索 『誰かが解決する』は幻想」
   「福島原発事故 日本に抵抗の文化ないのでは」

 見事に私たちのかかえている問題点をついていると思う。
 後者についてだけ、自分自身に刻みつけるため、話の一部を書き抜いてみる。 

  •  原発事故について「どの国の権力も混乱を恐れ、『事態はコントロールできている』と言いますが、フランスやスウェーデンでは国への提訴が幾つも起きました。するべきは抵抗です。 
  •  日本には抵抗の文化がないのだと思います。ある女性は、祖父を死に至らしめたと国を訴えたそうです。それが何千件もあったら、国の対応もかわったかもしれません。国は軍事ではなく代替エネルギーを見つけることに投資すべきです。 

 「日本には抵抗の文化ない」。このような言葉にして自分の国を私は考えていなかった。この頃のことで言っても、隣の韓国の騒ぎもテレビ画面をただ驚いて見ているだけだったし、「福島」もいまだ心は穏やかでないのだが、やっぱりただ見ているだけだ。

 さまざまな沖縄問題についても、口では国の対応を非難しても、アレクシエービッチさんの言う「抵抗の文化がない」自分を肯定せざるを得ない。こんな体たらくでただ死を待っていいはずはない。

 手元の辞典(新明解国語辞典)には、「抵抗」の意味を「①外からの力に対し、負けまいとはりあうこと。②権力者や旧道德にしたがうまいと、はむあうこと。」と書いてあった。

 それにしても自分には重い言葉だ。( 春 ) 

今年最後の『楽しく読む こくご講座』 報告

 3回目となるこくご講座が、12月10日(土)に行われました。最初の45分は、国語の授業づくりで押さえておきたい大切なことのミニ講座をもち、その後、小学3年生の教材「モチモチの木」と、6年生教材「ヒロシマのうた」の授業づくりを行いました。

 どちらの教材も、これから授業を行うものなので、それぞれの教材そのものの読みをみんなで深め合いながら、また授業の中での子どもたちの様子やつまずきなどを出し合いながら授業の面白さやむずかしさ、醍醐味についてそれぞれ話し合いました。


【参加者の感想】

  • T先生の言葉の中で、“ ことばを自分のものにして育つことが大切 ”を心に、国語の授業をまじめにやりたいと思いつつ、なかなか日常やれていません。作品の読みを深める学びの場は貴重です。授業づくりを学校での仕事の中心にしたい。A先生の作品分析は大変ありがたく思いました。(Mさん)
  • 小学校で教えるのは初めてで、国語は特に難しいと感じていました。教材文を深く「読む」ということは一人ではなかなか難しく、みなさんの意見をいろいろ聞きながら、新しい発見があり、とても楽しく読むことができました。
    いろいろな情報も共有でき、とてもよかったです。(Aさん)

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手紙を、書くということ ~ 映画 セントラル・ステーション に寄せて ~

 11月28日付けdiaryの最後に、「みなさんのうちにも郵便受けがあるでしょ?」と書いたものの、手紙らしい手紙はひさしくもらっていない。もらっていないというその事実に、今の私の生活と人と人との関係の有様がみえるともいえる。届くものといえば、毎日の新聞と水道代や電気代の請求書と、あとはダイレクトメールや広告の類がほとんどだ。12月に入り喪中を知らせる幾つかのはがきが届いた。身内を亡くした悲しみや辛さを思うと気持ちは複雑だが、知らせをくれたことにうれしさを感じたりもする。そして、誰かからの手紙を待つ心性が私の中にあることを、ふと気づかせてくれる。 

 「手紙というものを滅多に書かなくなったぼくたちです。手紙を心待ちにしながら、自分では書こうとしないぼくたちです。そこにはぼくたちの一つの矛盾があり、また一つの貧しさがあると、そう感じられます」(『空想哲学スクール』 「手紙を書きたいという欲望」より)このように今を生きる私たちと手紙とのあり方を指摘したのは、diaryで映画『リトル・ボーイ』を紹介してくれた清眞人さんだ。 

 手紙を書く、そのことで思い出す映画がある。『セントラル・ステーション』というブラジル映画だ。母親を交通事故で失い孤児(ストリート・チルドレン)となった少年ジョズエが、まだ見ぬ父親を探すロードムービーだ。そして、この旅に同行するのが、もう一人の主人公である代筆屋のドーラ。二人の出会いは、ジョズエの母親が夫への手紙の代筆をドーラに頼んだことからはじまる。当初は、反目しているジョズエとドーラだが、ともに旅をするなかで二人の間にかけがえのない絆が生まれ、それぞれ新たな人生の道を歩みだすことになる。

 手紙は、この物語の始まりと終わりに置かれ、映画全体を前と後ろでがっちり挟み込んで支え、特にドーラの生き方を象徴するものとして描かれている。映画のオープニングは、代筆屋のドーラに向かい、恋人や遠く離れた故郷の両親などへ思いを語る人びとのアップではじまる。その中の一人にジョズエの母親も登場し、離れて暮らす飲んだくれの夫に向けての思いを、ドーラが手紙に書き留める。

 ジャズース へ

あなたは最低の夫よ。
手紙を書くのは
息子のジョズエがせがむから。
アル中の父親でも、
ジョズエは会いたがっているのよ。

 一方エンディングは、ドーラがジョズエへ手紙を書いて終わる。

 ジョズエ

手紙を書かない私が、あなたには書きます。
あなたの言う通り父さんはきっと帰る。

偉い父さんだもの。
機関車の運転士だった私の父は、よく私を運転席に乗せた。
ドーラ、汽笛を鳴らせと。
いつか大きなトラックを運転する時、思い出して。
私がハンドルを握らせたこと。

あなたは私と暮らすより、
兄さんと暮らす方が、ずっとしあわせになるわ。
私に会いたい時は、2人で撮ったあの写真を見てね。
いつかあなたが私のことを忘れるのが恐い。
父に会いたいわ。
やり直したいのよ。     ドーラより

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 代筆とはいえ、毎日手紙をしたためているドーラが、エンディングで「手紙を書かない私が、あなたには手紙を書きます」と告白するあたりに、手紙が私たちにとってどのようなものとしてあるのか、あり得るのかを暗示しているように思える。と同時に、ジョズエとドーラのこの旅路が、どのような旅であったのかも記されていると言えるだろう。

 ちなみに、清さんは、「手紙を書きたいという欲望」の最後で、その欲望の向かうところを次のように言う。 

 〈書く〉試みは、本質的に、他者に対して「自分が経験することを伝え(意味づけし)よう」という関係に入ることをとおして、私を私に対して存在させようとし、私を私自身に到達させようとする試みなのです。そしてまた、そうした自分自身との緊張関係を生きる試みだからこそ、私は〈書く〉という試みのなかで「証人」たるにふさわしい人間へと自分をつくり変え、他者に向かって送り出すのです。 

 あっという間に今年も12月。もうすぐ冬休みにクリスマス、そしてお正月と、子どもたちにとってはとても楽しいときを迎える。この年末年始は、「セントラル・ステーション」を観ながら、新年の挨拶を書いてみようかと思う。( キヨ )

話題沸騰の映画 『この世界の片隅に』

 先週末あたりから、次号センターつうしんの原稿が送られて集まってきています。「おすすめ映画」欄の執筆をお願いしたKさんからもメールで原稿が届けられました。メールには、800字では書きたいことも十分に書けなくて少し残念という主旨のことが書かれていました。それなら、いっそのこと書けなかったことも加えてdiaryに載せるのは? と提案。改めての執筆となるにもかかわらず、快く承諾してくれました。

 ということで、以下にその映画紹介を載せます。

  現在、チネ・ラヴィータ、109シネマズ富谷で上映中

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 ヒロシマのその後を描いた「夕凪の街・桜の国」のこうの史代(ともよ)が原作ですから、さっそく駅裏のチネ・ラヴィータに出かけました。ちっこい画面でガッカリなんですけど、そんなマイナスの気持ちは、フォークル(フォーク・クルセイダーズ)の「悲しくて悲しくて」が流れる青空の絵に「のん(能年玲奈改め)」の字が表れるとどっかに消えてしまいました。

 家に帰って、さっそく離れて住む長女にSNS通信です。「君の名は。」「殸の形」に続くアニメの傑作だよって。

 では映画の話を。

 製作費をクラウドファンディング(アイデアやプロジェクトを持つ起案者が、専用のインターネットサイトを通じて、世の中に呼びかけ共感した人から広く資金を集める方法)で集めたからでしょう。東京では上映後拍手が起きたそうです。映画への手応えがあったでしょう。この映画に参加できたという喜びの拍手だったんでしょうね。たった全国63館で始まった上映が、話題を呼んで180館にも増えるなんて、そうありません。

 絵の美しさと現実感は宮崎映画のそれです。目を凝らして見るところがたくさんあります。現地を実地調査して当時の呉、広島の町並みを作画したというからでしょうか。呉の町は直接知らなくても、そのころの人々の生活ぶりが伝わってきます。ああ、こんなんだったんだろうなって眺めました。原爆ドームとなる広島産業奨励館が画面に生きて現れると胸がドキッとしました。片渕須直監督以下制作者の志を感じます。ただ格好いいだろうなぁと期待していた戦艦大和は、なぜか悲し気に見えました。これは意外でした。頭の中に軍艦マーチは流れてきませんでした。

 抜群の描写力で、軍港呉の海軍工廠に勤める一家、北条家に嫁いだ浦野すずの生活が描かれていきます。嫁いだその日からすずは一家の切り盛りをすることに。義母は足が悪く、出戻りの姉はきつい。とんとん隣組の集まりにも出なきゃない。でも、すずには嫌がる素振りが見えません。配給所からもらった二匹の小イワシを切って数を増やし、道ばたの野草をまな板にのせて食卓に色と味わいの一工夫を心がけます。畑仕事にだって勤しむすずです。収穫した大根が軒に吊された北條家は平和だったのです。

 そんなちっちゃな家族の平和にピッタリな、垢抜けない、今風に言えばトロいすずが映画を楽しませてもくれます。少女すずの宝物は二本のチビたエンピツで、だけどそのエンピツからくり出される絵は奇想天外。好意を寄せる先輩に描いてあげた海の絵には、沢山のイナバの白ウサギが飛び跳ねていました。空襲警報に脅かされる毎日となっても、すずはいつものすずです。そのたんびに家族は防空壕へ急ぐのですが。すずは立ち止まって、まるで寝る前にやるときと同じ調子で竈の火を指さし点検しています。停泊中の軍艦への激しい爆撃があった次の日。何で海にたくさん魚が浮いたんですか?と満面笑顔で魚の煮付けを皿に盛る無邪気なすずにいたっては、ナントモカトモです。買い出しを頼まれて呉の街に出かけ、色町に迷い込んでしまったり、グラマンの機銃掃射にも身軽に逃げられません。楽しみながらもハラハラの連続です。

 そして後半も過ぎると、すずにも悲しい出来事が起こります。ここからは山場に近づいていきますから書きません。

 話は、焼け野原のすずの生家広島を訪れ、夜北條家へ帰ったところで終わります。感心させられました。タイトル通りのhumanisumです(これは今、映画を振り返って思った言葉です)。

 定番的に戦争の悲劇を感動の対象に祭り上げなかった点が、これまでのこの手の映画と違っています。今週始まる戦中戦後を突破した「海賊とよばれた男」なんかと一緒にされたくないなぁ、ボクは。

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