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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

9月30日

圧倒的多くの国民の声や国会運営のルールを無視して強行採決された「戦争法」。そして数日後にセンターからの帰り道に車中で耳にしたラジオニュースの「一億総活躍社会」を売り出す総理の声。帰宅するなり一冊の本を取り出した。

 後藤正治著の「清冽」。詩人・茨木のり子の評伝である。そこに60年安保当時の彼女の日記が記されている。

6月22日 負けたことは事実だ。そういえば安保闘争は最初から負けていたともいえる。岸信介を選んだときにすでに負けている。選挙法にも問題があるらしいが、また広い日本の民衆の意識そのものが、敗戦の実態を受けとめていなかったことの証拠で、これだけ盛り上がった安保闘争が、どこかに絶望とむなしさを抱えていたのも、民衆の選んだ政府を民衆が罵倒する。その関係のやりきれなさがつきまとっていた故かもしれない。 

 この日記に後藤は次の文を添えている。

  A級戦犯国会議員として選出し、やがて首相の座をも与えたのは、間違いなく日本の国民である。安保闘争は当初から「絶望とむなしさ」を包含していた。価値観と歴史観は人それぞれであるが、開戦時の閣僚を戦後社会のリーダーとしてしまう曖昧さ、無責任さ、あるいは融通無碍というべきか、なんとも奇形的である。それは一政治体制の仕組みではなく、『一億総懺悔』という言葉につらなる固有の社会風土に突き当たる。 

 この文を読み、今回は茨木や後藤が憂いたような展開には絶対にしてはならないと思う。当時とは異なる新たな日本人の動きが、少なくとも全国各地に見ることができる。強行採決は新しいたたかいのスタートの号砲となっているのは確かだ。(仁)