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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

7月11日

 13日には、フォーラム 子どもたちの今と未来を考えるPart 4「『部活』を語ろう、考えよう!」をもつ。フォーラムへの集まりは多くないが、毎回変わるテーマごとに、4人ずつの話題提供者の話を聞くことは大きな楽しみだ。どなたも見事な絵を想像させてくれる。「このテーマではこの人にぜひ」と頼む人ゆえに、話のなかにその人が丸ごと出てくるので聞いておもしろいのだ。担当者は苦労だろうが、センターの催しとして誇れるものと勝手に思い込んでいる。

 「部活」は、ここ急に(決して急ではないのだが)「部活問題」という言葉になっていろいろ騒がれるようになったことを私は憂える。なにしろ、自分を振り返っても「部活」を抜きにして青い時代を語れないから。

 中学時代は野球に明け暮れた。延長戦の末敗れた郡大会のひとつひとつは今でも鮮明に体に残っている。高校もつづけるつもりだったが、「自転車で片道1時間の通学なんだから野球は止めてくれ」と母親に懇願されて断念。あの3年間は、図書館に行っても映画館に行っても、なんとなく半端な時を過ごして終わってしまった。それだけに、大学でのボート部ではこんな辛い部は他にあるだろうかと思いつつ、高校の3年を取りもどしたような気分になった。

 就職して4年目、中学で野球部をもった。私自身、生徒との一緒の練習が楽しくて楽しくて仕方がなかった。ある時、G君の母親に「先生、たまには休み日を入れるのはどうでしょう」と言われたことがある。結果としては「勝つため」になったかもしれないが、野球そのものが楽しかったし、彼らと一緒にいることが楽しかったのだ。雪降る日でも集まり、室内で相撲をした。テントを背負って霧氷の船形山に何度も登ったりもした。これは野球部の生徒に限らない場合もあったが・・・。

 どうして「部活問題」などということばが出てくるようになったのだろうか。勝利至上主義が体罰と結びついてきていると言われる。(そうなのだろうな・・)と思いつつも、やはり(どうして体罰に・・)という思いを払拭することができない。

 13日のフォーラムでは、私の昔話で考えることのできない現在の部活を知ることができるのだろうか。ムカシのこと以上のことは知りたくもない気もするが、今を知ることから逃げるわけにもいかない。どんな話し合いになるのだろうか、やはり楽しみだ。