mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

7月5日

 古本屋で見つけた「思想を織る」(武谷三男著)を読んだ。2人の聞き役に対して11回に)思想を織る(武谷mages.jpgわたって話したものをまとめたものである。著者は「あとがき」で、「自叙伝ではない。これまでいくつかの発想や主張とそれによる行動をしてきたので、それらの思想の形成過程を説明して理解してもらおうと念願したもの」と書いている。  すぐれた物理学者の、思想の形成と研究者としての歩みにはたいへん興味深いものがあった。  最後の章のタイトルが「『科学者の心配』から『特権と人権』の論理へ」で、その中に原子力発電にふれた部分があるので、抜き書きになるが、紹介する。 ・あんなものはもともとどうしようもないことは誰の目にも明らかなんだけどね。うんと将来になればどうかしりませんけど、現在は廃棄物処理も、廃炉の処理も、何もできなくて、それで採算が合うなんて当然成り立たない話ですね。 ・その上、原子力発電は、事故が起こらないという前提に立ってるんです。だから成り立っているように見えますけど、これからガタガタきますよ。たいていのことは事を始める前に後始末を考える。ところが原子力だけは不思議に後始末のことはなにも考えない。後は野となれ、でやり始めてる。 ・安全性を確認しないものはやっちゃいかんというのが僕らの原則です。 などなどしゃべり、後半は、「許容量と安全性について」もふれている。  ちなみに、この本が朝日選書として出版されたのは19853月。今から30年近く前ということになる。  武谷は「どうしようもないことは誰の目にも明らか」と言っている原子力発電が日本国内で50以上も動きつづけ、やっと今度のフクシマの事故で大慌てに慌てる。しかし、未だその処理に四苦八苦し、なんにも見えていないのに別の炉をまた稼働させる。なんということ。と言いながら、自分もそんな中のひとりになる・・・。