2014年12月8日
今日は12月8日、1941年のこの日を何と書いてあるか、岩波「近代日本総合年表 第2版」の政治の欄を見てみた。
日本時間午前2時、日本軍、マレー半島に上陸開始、3時、ハワイ真珠湾空襲開始、米戦艦主力に撃破、4時過、野村・来栖両大使、ハル長官に最後通牒を手交。
とあった。いわゆる太平洋戦争が始まった日である。
翌年小学校入学の私は「アメリカとの戦争が始まったそうだ」と聞いた記憶だけしかないが、周
りはなんとなく浮かれていたような感じがうすぼんやりと残っている。しかし、父や母の様子は何も残って
いない。今朝の「天声人語」に、イギリスのチャーチルが回想録のなかで、このことを聞いて「われわ
れは勝った。ドイツもイタリアも終わりだ」というようなことを書いているとあった。
翌々年の4月、私が2年生になってすぐ、父は充員召集ということで横須賀に入隊した。
間もなく面会ということで母と2歳になったばかりの弟と3人で横須賀に行ったことがある。そのときのことは鮮明に覚えている。後になって知ったのだが、父は直後、トラック島に行ったのだった。
私は毎年夏、「レイテ戦記」を読むようにしているが、著者・大岡昇平はこの本を次のように結んでいる。
レイテ島の戦闘の歴史は、健忘症の日米国民に、他人の土地で儲けようとする時、どういう目に遇うかを示している。それだけではなく、どんな害をその土地に及ぼすものであるかも示している。その害が結局自分の身に撥ね返って来ることを示している。死者の証言は多面的である。レイテ島の土はその声を聞こうとする者には聞こえる声で、語り続けているのである。
新聞・テレビは12月8日でも何事もないように過ぎていった。すぐ何やら分からない特定秘密
法がはい回る。