mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

11月19日

 「東日本大震災被災地のすべての子どもたちにゆきとどいた教育をもとめる請願」の署名集めに一生懸命取り組む人々の中で私はなかなか動けない。そこで、知り合いの人々に用紙を送って頼んだ。かつての勤務地で一緒に活動した保護者のMさんもそのおひとりだ。

 Mさんから、「コピーをとって、もっと多くと思ったのですが・・」と送った署名用紙5枚をいっぱいにした封筒が昨日届いた。

 添え文のなかにこの署名取りに取り組んでの次のような感想が書かれていた。

 このようなことをしてみると、如何に無関心な人が多いかに驚かされます。何度も同じことを説明しなければならぬことに徒労を覚えます。また、何かの集まりで頼むのもむずかしいと思いました。

日本人の自己確立のなさは、もうDNAにすりこまれているのだと思います。物事を自分で考えず、他人任せ、なりゆき任せ、あきらめ、こうなった気質は歴史の過程を様々な要因の結果でしょうが、何と言っても一番影響を与えたのは教育でしょう。

教育の力は良きにつけ悪しきにつけ、はかりしれないと思います。

 Mさんにはたいへんなご苦労をおかけしたのだ。

 「何と言っても一番影響を与えたのは教育でしょう」と書いているが、残念ながら、今になるも教育から離れられない私もそう思う。

 すべて、教育が無関係と言い切れるものはないかもしれないので事は重大だ。たとえば、政治の情けない姿・混迷ぶりは確かにセイジカがつくっているものだが、それらの人々を育てた教育があり、それらの人々を選んだ私たちコクミンの受けた教育と無関係と言えないどころか非常に深いことはまちがいない。

それでは、教育に無関心な人が多いせいかというと、さにあらず、異常と言えるほど一人ひとりの教育への関心は強い。

セイジカもなぜか、「教育」に驚くほど熱心な人が少なくない。しかし、セイジカの、その熱心さで教育が歪められていくようにも思うので、ヤッカイダなんて傍観者的に見ておれない。現場はその熱心さのあおりでがんじがらめになり、社会全体の方向性が狭い一本道をみんなで同じ方向を向いて走るように仕向けられ、多くの人は、Mさんの言う「気質」が知らず知らずのうちにつくられていっているように思う。

 Mさんが嘆く状態のなかで国政選挙になる。日本が成熟した社会になるまでにはまだまだ時間が必要と思うが、事のすべてに「教育の影響が一番」ということを考えると、何かがあるたびに心は落ち着かなくなる。神にいのるしかないのか・・・。