mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

西からの風16(葦のそよぎ・一つの悲歌)

隠れん坊における「隠れる」という演技は、社会からはずれて密封されたところに「籠る」経験の小さな軽い形態なのであって、「幽閉」とも「眠り」とも、そして社会的形姿における「死」とも比喩的につながるものであった。要するにそれもまた、社会から一時的に隔離されている状態を象徴しているのであった。鬼の方が空漠たる荒野を彷徨するのに対して、こちらは狭い「穴」の中に籠らされているのであって、その形態の対極性のおかげで遊戯の競い合いが成り立っていたのである。しかしそこに潜んでいる経験の共通核は、いずれの側も同じく社会からの隔離であり、仲間はずれであり、日常社会の成員としての「死」なのであった。そして、鬼は隠れた者を発見することによって市民権を再び獲得して仲間の社会に復帰し、隠れた者の方は鬼に発見して貰うことによって、すなわち(妖精であれ動物であれ神様であれこの世のものならぬ)鬼に出遭うことを通して社会に再び戻ることができるのであった。
 こうしていずれも社会喪失の危機を経過することを通して相互的に回復と再生を獲得するという劇的過程をぼんやりと経験する。(鬼が)相手に勝つことは自分を救うだけでなく相手をも救うのであり、(隠れた方が)相手に敗れることは相手の勝利になるだけでなく自分の社会的勝利にもなるのであった。(藤田省三『精神史的考察』より)

 論理の生む詩というものがある。徹底をきわめた追求の果てに、一切の夾雑物を流し去り、認識と表現の怯懦を最後的に打ち倒してそこに確定された論理がおのずと醸し出す詩というものがある。いわばそれは論理の叙事詩である。

 久方振りにぼくはそういう詩に出会った。藤田省三の最近の本の中で。その本は精神としての「戦後」の死に寄せる生き残りし者の悲歌であった。
 いわば彼は根底から戦争によって作りあげられ社会復帰を不可能にさせられた前線兵士なのだ。彼の参加した戦闘は類い稀なものであり、それは余りにも栄光に満ちているとともに激烈であり、自己のすべてを投じるほかには闘うことのできないものであった。それ故に、戦闘が終結した時、しかもその終結とはたんにそれにおいて敗北したというよりは、戦闘それ自体の存在理由が突然宙に浮き雲散霧消してしまうがごとき根底的な敗北として終わったのだが、同時に彼はみずからの存在の基盤自体を失ったのである。彼は戦闘終結後の「平和」においてまるっきりの異邦人である。追放されたものである。あるいは、そこに住まうことが戦闘の姿勢を解き自分の根底を折りしだくことであるならば、いっそのことそこから離脱することを選ぶ者である。

 一方からいえば、戦闘によって作りあげられた彼の精神は「鬼」となって「空漠たる野を彷徨する」ほかなく、他方からいえば彼の存在は「平和」なる社会からの離脱において「狭い『穴』の中に籠らされている」のである。かつてぼくは『平家物語』を書いた石母田正についておおよそ次のように述べたことがある。——石母田たちの世代、つまり一九四五年の敗戦時三十代前半であった彼らの世代こそ戦後日本の最良の知的岩盤を築いた世代である。その彼らは見すえる人々であった。『平家物語』の終幕、今や壇之浦に入水せんとする平知盛の「見るべき程の事は見つ、今は自害せん」との言葉、この一句ほどにこの世代にとって偏愛すべき言葉はない。それは一種の黙契のごときもの、この世代の知識人が互いの心をかよわす際の符牒のごときものだ。というのも、彼らは見すえる人々であったのだから。彼らの精神は深く批判的であったが、しかし彼らの青年時代と一致するファシズム期の日本においてその批判のエネルギーはいかなる社会的発揮の余地も与えられず、彼らはそれをいかなる仕方でも社会的運動のなかに実現化することができなかった。が、にもかかわらず死を欲しないとすれば精神はみずからを生きる術を見出さねばならない。かくて彼らは見すえる人々なった——と。

 藤田はこの世代をいわば兄と慕う世代の人間である。そして彼は「戦後」の精神史的な意味を論じて例えばこう書く。——かくて戦後の経験の第三の核心は「もう一つの戦前」、「隠された戦前」の発見であり、同時に「もう一つの世界史的文脈」の発見でもあった。私たちはとかく戦後の「価値転換」という表面に眼を奪われるあまり、戦後の思考の実質が実は「もう一つの戦前」によって形成されていたことを見失い易い。しかし戦後の経験は殆ど尽くと言っていいぐらい「もう一つの戦前」なのであった——と。いうまでもなくここにいう「もう一つの戦前」とはかの見すえる人々が代表したところのそれ、彼らがおのが眼を全身とすることによってなした経験のことである。

 今や、われわれが藤田において目撃するのはかかる見すえる人々の境涯を今度は彼がみずからの境涯と思い定めるに至るその決意である。精神の栄光、思想者たることの名誉は彼にあってはその社会的勝利において定義されるよりかむしろ敗北を持するその仕方において定義されるべきなのである。自己の勝利を気にかける精神はそのことによって絶えず自己の敗北を曖昧化し、糊塗し、かかる自己欺瞞によって真底敗北する。勝利の認知を求めてその実自己の根底を砕き敵方への追従に走り出すのだ。精神において生きられるべきは負けるが勝ちの逆説である。勝利者は酔い痴れる、自己の勝利に。そして盲となる。見すえるという位置、ただそれのみが精神の位置であるところのこの位置は、みずからの敗北を持することにおいて物事の根底にまで至る覚悟を決めたものにのみ訪れる。そして根底に至ることなしに「始まり」はない。

 その時、論理の詩が生まれる。ここに要請される凝視に賭けられたもの、それは死と再生のドラマだからだ。(清眞人)

学力テスト 平均点に右往左往 熱くなるのはオトナばかり

 8月1日の新聞各紙が、19年度「全国学力テスト」結果について相当の紙面をさいて報告している。今回は、初めて中学3年の英語が導入されたこともあるのだろうが、私は、この「全国学力テスト」については、始まったときから疑問をもち、それは、膨らむばかり。新聞はいいタネと喜んでいるのだろうか。ジャーナリズムが似たようなことを毎度報じているのにもやや呆れる。

 ただただ自治体や学校間に無用な競争意識をもたせ、子どもたちの伸びやかな感情と子どもゆえにもてる旺盛な好奇心の芽をせっせと摘んでいるのではないかという危惧が私からは消えない。なぜ学力テストを行うのか。このテストによってよく変わっていくべくオトナ(だれかわからないが)に期待されているものは「平均点」の数字が他より・前年までより上がることなのか。まさかそうではあるまい。少しでもよりよい教育施策・その内容、その具体化のために、それに携わる人々がもっとも必要としているのではないか。とすれば、都道府県別に並べる意味はまったくないように思う。

 2007年に始まったというから、学校にはすっかり定着しているのだろうが、20年以上もつづけて、学校や子どもたちにどんな益をもたらしているのだろうか、マイナスだけがいくつも浮かんでくる元教師の私にはまったくわからない。

 全国各県・政令都市の、学年・教科ごとの平均点が並ぶ。おそらく学校では、この平均点は相当気になる数字に違いない。それ以外にこの一覧表は、どんな意味があるのだろうか。

 河北新報では、「全国学力テスト6県分析」と「生活習慣アンケート」を載せている。そこから何を考えようとしているのだろうか。ちなみに東北6県をどう分析しているか、それぞれの見出しを羅列してみる。

青森―「算数と数学 平均以上」「家庭学習 中学生低調」
岩手―「数学と英語 全国下位」「自己肯定感 認識に差」
宮城―「算数 また平均下回る」「行事参加の割合高い」
秋田―「小中国語 トップ維持」「望ましい環境が定着」
山形―「長い英文 読解が苦手」「読書や新聞に親しむ」
福島―「国語 苦手分野が改善」「計画立て勉強増える」

とあり、「平均以上」「全国下位」「また平均下回る」「トップ維持」などつねに紙上で目にする用語が無造作に使われる。
 この、見出しの羅列だけを見ても、疑問は少しも解けない。分析内容はすべて平均点を柱にしていることはこの見出しだけでも推測できる。しかも、「生活習慣アンケート」も「平均点」をベースにして解説されているように思える。長くなるので、宮城の学力テストについての分析文のみ以下に全文紹介する。

 小学校は国語、算数の両教科でいずれも2ポイントずつ全国平均を下回った。前年度と比べマイナス幅は縮まったものの、算数は現行形式となった2013年以来、6年連続で平均点に届かなかった。
 問題別の正答率は国語、算数ともに全国の傾向に近いが、国語は漢字の書き取りや接続詞の使い方、算数では記述式やグラフの読みとりの問題で特に正答率が低かった。
 中学校は前年度と同様に国語が平均を上回り、全ての領域で偏りなく得点した。数学は平均を2ポイント下回った。反比例の数式を導き出す問題や連立方程式、確立などの問題で正答率が低く、県教委は『いずれも基礎的な分野で、基本が十分に身についていない』と指摘した。初実施の英語は『書くこと』の正答率が全国平均を3ポイント下回った。『聞くこと』『読むこと』も平均に達しなかった。

 「平均」とか「正答率」とかが、やたら使われるが、この結果の解説を読んでも、私は、「あ、そうですか」という言葉だけしかない。「平均点が去年は何点、今年は何点」と比べてどんな意味があるのだろう。テストをやればやるほど、子どものマイナス部分だけが気になり、そこを埋めることに大人は懸命になりつづけるだろう。他のページに、「新聞読む子は好成績」(文科省)とあった。すぐ全国の学校で大合唱が起こるのではないか。「初めて行った英語は『話す・書く』が課題」とあった。これも《小学校中学年からの英語にもっと力を》との声が聞えてきそうだ。

 「全国学力テスト」を少し休んで、小中学校時代というかけがえのない時代を、何を大事にどう過ごさせるのがいいか、大人の責任として考えたいものだ。

 退職直後のある夕方、最後のクラスで遊びのメイジンだったYと出会った。「どこへ行くの?」と声をかけると、力のない声で、「英語の塾へ」と言って下を向き「さようなら」と一言加えた。今でも決まって浮かんでくる絵のひとつである。
( 春 )

季節のたより33 クサギ

 葉は臭いけれど、花は芳香、実は青い宝石

 8月になると、深緑の葉の上にピンクのつぼみと白い花が目立つクサギの花が咲き出します。クサギは、シソ科の低木で、北海道から沖縄まで分布、日当たりのよい山地に生育します。陽の当たる空き地などでもよく見かけますので、気にしてみれば普通に見られる樹木です。
 花は、甘く、ほのかにジャスミンの花に似たいい香りですが、葉っぱを傷つけたり、枝を折ったりすると臭い匂いが漂います。それで「臭木」と命名されたようです。「くさい」というと悪臭のイメージですが、どちらかというと、ビタミンB剤のような薬品に近い匂いでしょうか。葉の出初めが最も匂いが強いのは、昆虫から食べられないようにしているためでしょう。見かけたら葉っぱの匂いをかいで確かめてみてください。

f:id:mkbkc:20190808112852j:plain
      遠くからでもよく目立つ クサギの白い花

  葉の匂いは、ゆでたり、蒸したりすると消えてなくなくなるので、若葉を山菜にしている地方もあるようです。 インターネット版「広島の植物ノート(別冊)」の「くさぎ菜」によると、「クサギの若葉は山菜として古くから食べられている。多くの山菜と異なり、東北地方ではなく、富山県三重県以西の本州、四国、九州(奄美まで)で利用されている。分布の中心が暖温帯にあるからだろう。」と書かれていました。そして、広島県内のある地方の直売所では、クサギの葉をゆでて乾燥させた『くさぎ菜』が販売されていることや、岡山県の吉備中央町では、「くさぎなかけめし」という郷土料理が、道の駅などで食べられることを紹介しています。

f:id:mkbkc:20190808114624j:plain
  赤いのはガク。ピンクのつぼみに、白い5枚の花びら。長く伸びる雄しべと雌しべ

 夏、クサギは、甘くいい香りを漂わせながら、次々と白い花を咲かせます。花びらはガクから長く突き出てその先で5つに分かれて開きます。その中心から4本の雄しべが斜め上方に突き出ます。自家受粉を避けるために雄しべが先に熟して花粉を出しますが、雌しべは下向きに垂れて、花柱の先を固く閉じて花粉を受け入れないようにしています。
 4本の雄しべが花粉を出し終わって垂れ下がると、今度は成熟した雌しべが斜め上方に突き出て、柱頭の先端を開き、花粉を受け入れやすくします。長い雄しべと雌しべは、日々その姿を変えて、花の表情を豊かにしているようです。

 f:id:mkbkc:20190808115413j:plain
   放射状に広がるクサギの花

 f:id:mkbkc:20190808115431j:plain
  雄しべが成熟した花(上)、雌しべが成熟した花(下)

 昆虫たちは、クサギの花の甘い香りに誘われて集まってきます。でも、どの昆虫も蜜を吸えるわけではありません。花の筒の入り口から蜜腺までの距離が最大2.5cmもあって、とても長いのです。そのため、ストローのような細長い口を持つ大型のチョウ・ガ類でなければ蜜は吸えません。蜜が吸えるのは、カラスアゲハやクロアゲハなどのアゲハチョウの仲間や、ホシホウジャク、オオスカシバなどのスズメガの仲間に限られています。6月にとりあげたホタルブクロがハナバチの仲間だけを選んでいるように(季節のたより30)クサギも蜜をあげる昆虫を選んで、花粉を確実に運んでもらおうとしているのです。

f:id:mkbkc:20190808120339j:plain f:id:mkbkc:20190808120421j:plain
   横から見た花。蜜線まで筒が長い。      花に集まるアゲハチョウの仲間   

 花のガクは、初めのころは緑色ですが、次第に鮮やかな紅紫色へと変化し、花の後には星状に反り返ったように開きます。その真ん中に、丸く光沢のある青色の実がついて、熟しながら青紫色から黒紫色に変化していきます。赤紫色のガクに包まれた宝石のような実は、遠くからでもよく目立ち、花の時期とは違った美しさで、目を惹きます。

f:id:mkbkc:20190808121231j:plain f:id:mkbkc:20190808121512j:plain
 最初は、緑色のガク。          実を包み星状に開くガク

    f:id:mkbkc:20190808121701j:plain
      クサギのガクと実(拡大)

 クサギの実は、古くから青色の草木染の染料として利用されてきました。染料にする植物はいろいろな種類がありますが、青色系統の色が出るものが少なかったようです。クサギの実の煮汁で、媒染材を使わないで布を青く染めることができます。

f:id:mkbkc:20190808122219j:plain
  小鳥たちの好物のクサギの実。草木染の青の染料にも利用。

 成熟したクサギの実は、小鳥たちの好物のようで、すぐにジョウビタキメジロなどの鳥たちが食べに集まってきます。種子は遠くに運ばれ糞と共に排出されます。林床が明るくなると、種子は一斉に発芽し、成長していきます。

 クサギは、アカマツアカメガシワなどの樹木とともに、パイオニア植物とよばれています。パイオニアとは、”開拓者”のこと。これらの樹木は、他の樹木がまだ生えていない裸地に真っ先に生えて、文字どおり、新たな森づくりの先頭に立つ植物なのでそう呼ばれるのです。  

 裸地に芽生えたパイオニアの樹木は、強い日射しや乾燥、寒さや強風などの厳しい自然環境にも耐え、少ない栄養分で育ちます。やがて葉を広げ日かげを作り、落とした葉や枝は朽ちて土壌の養分となって、他の植物が育ちやすい環境を作ります。その環境に後からやってきた新しい樹木が大きくなると、パイオニアの樹木は、光を遮られ、勢いを失って、役目を終えるように枯れていきます。
 これらの植物のおかげで、長い年月をかけて何百種類のもの植物が育ち、四季の恵みをもたらす豊かな「森」が生まれるのです。山火事や崩壊などで破壊された森林に真っ先に芽を出し、森を再生してくれるのもパイオニア植物たちのおかげ。クサギもその一翼をになっています。

f:id:mkbkc:20190808130804j:plain
         豪華に花をつけるクサギの木

 クサギの葉は、小枝ごと採取して天日乾燥させて、漢方の生薬・臭梧桐として調合されています。沖縄では、乾燥させたクサギ材で、イカ釣りの疑似餌を作るという話を聞きました。
 クサギ(臭木)というと、何だか嫌われ者のように聞こえますが、匂いは植物を見分けるときの重要な要素です。人の目を惹き付ける白い花と赤いガク、宝石のような青紫色の美しい実。そして、何よりも人々の暮らしと深く結びついている樹木であることを思うと、クサギ(臭木)という名前は、誰にでもわかりやすく覚えやすい愛称のように思えてくるのです。(千)

◆昨年8月「季節のたより」紹介の草花

「明日の授業」に参加して、充実した2日間!

  f:id:mkbkc:20190806161040j:plain
   オープニングのぶち合わせ太鼓、ベテランも若手も一緒にドンドンドドーン!

 7月27日、28日の2日間にわたって教職員組合主催の「明日の授業ための教育講座」に参加してきました。ここしばらく参加していなかったので浦島太郎状態になってしまうかなあと思いましたが、同年代の先生方も含め若い先生たちもたくさん参加していて活気に満ちた楽しい学習会でした。

 今回の企画で楽しみにしていた一つは、何といっても阿部勉監督の記念講演『映画「学校」から学校現場へのメッセージ』です。前にDiaryに書いたように阿部監督は山田洋次監督の『男はつらいよ』の助監督を務め、監督としては『しあわせ家族計画』を制作されています。『しあわせ家族計画』の仙台上映では、出身高校のOBの方々を中心に、映画好きの人たちも集まって応援した楽しい思い出があります。

  f:id:mkbkc:20190806161656j:plain f:id:mkbkc:20190806162032j:plain
     会場いっぱいの参加者で聞いた阿部勉監督の記念講演

 講演では、映画「学校」「学校Ⅱ」をつくった時のエピソードを交えながら、映画の中で何をどう描こうとしてきたのか。そしてこの映画を観た人たちは映画をどう受け止めてくれたのかなどについて語ってくれました。
 第一作の映画『学校』をみた人たちからは、当時いろんな反響が寄せられたそうです。目についたものとして(田中邦衛さんが演じた伊野さんの生い立ちについて)「そんなつくったような不幸を」とか、「今どき字が読めなくて正社員になれないなんていう男がいるわけないだろ」とか、「都合よく母親を死なせるなんて話をつくりすぎだ」というような批判があったそうです。また若い人たちからは「よくわからない」というような感想も寄せられたとのこと。山田監督などとは「想像力の欠如」というと大袈裟だけど、自分の狭い範囲での経験とか価値観でしか映画を観れない、あるいは判断できないということがあるのではないかという話をしたそうです。

 その話を聴きながら、最近気になっていたテレビドラマのことを思い出しました。それは登場人物の心のなかで考えていることや思っていることを「声」や字幕にして視聴者に伝えるものが多々見られることです。
 本来、テレビドラマや映画を見るということは、その画面に映し出される映像から、その映像が描くものを受け取め、(ストーリーや人物像などを)読み解いていくことに楽しさがあるのだろうと思うのです。そして、そこに見る側の「想像力」が大いに関わっているのだと思います。しかし登場人物の心の「声」を言葉にして視聴者に知らせたり字幕にしてみたりする演出は、このようにこの場面、あるいはこの登場人物を理解してくれ、見てくれということを、制作者側が一方的に伝え、強制している事態ともとれます。このような今日的な状況は、「想像力の欠如」をさらに促進することに結び付いているかもしれないと思ったりしました。
 この日の阿部監督の話は、主に「学校Ⅱ」の作品世界に即しながら行われ、公開時にみた映像が改めてありありと思い浮かび、もう一度見てみたいなあと強く思いました。

 講座は、国語の物語教材の授業づくりに参加しました。講師は、川崎市で小学校教師をされているという藤田伸一さん。扱った教材は6年生の「海のいのち」で、模擬授業形式で行われました。6年生の子どもに戻った気分で楽しい時間を過ごしました。
 講座に参加して、やっぱり子どもたちと物語作品をどう出会わせるか、そして作品世界に子どもたちをどう誘うのか、そこが大事なんだなあと思いました。授業展開は、東大名誉教授になってしまった小森陽一さんが、高校生の公開授業で行ってきた方法とも共通するものがあると感じました。
 と同時に、子どもたちに深い読みの力を育てるためには、当然のことながら教師自身がその教材作品について深い読みができていなければならないとも思いました。(キヨ)

 f:id:mkbkc:20190806162441j:plain f:id:mkbkc:20190806165745j:plain
  お隣さんやみんなと意見・感想を交わしながら大いに学んだ国語の講座

『夏の こくご講座』は来週水曜日! ぜひ参加ください。

 毎年恒例となっている「夏のこくご講座」が来週に迫ってきました。改めてのお誘い案内となりますが、ぜひご参加ください。詳しい内容や時程については、Diary記事『夏の こくご講座2019』ご案内 をご覧ください。

 梅雨寒から一気に夏本番の暑さ到来!で、この暑さに体がついていかないという方も多いと思います。くれぐれも体調にはお気をつけください。

           f:id:mkbkc:20190703085804j:plain

正さんのお遍路紀行(四国・愛媛編)その4

  菩提の道場 ~8日間で愛媛を歩く~

【4日目】3月18日(月)   ~ 道後温泉に向かって歩こう ~

市電で、JR松山駅前(7:30)から松山市駅へ出る。
 松山市駅(8:15) ⇒ 浄瑠璃寺前  (9:09) ⇒ 46 浄瑠璃寺
                 ⇒(1㎞) 47 八坂寺 ⇒ (4㎞)48 西林寺  (12:00) 

         f:id:mkbkc:20190705084844p:plain        f:id:mkbkc:20190705084935p:plain
       八坂寺で猫みっけ      2番目に古いへんろ道標

郷土史家と出会う》
 八坂寺を出て、のどかな風景の土手道を歩いていると、「お~い!ちょっと時間あるかあ~」と、後ろから人が走ってくる。何だろうと、きょとんとしていると、「ちょっと、こっちこっち」と石の標柱に連れて行かれた。郷土史家と称するおじいさんが、「これはな、四国で2番目に古い石の道標なんだよ」と教えてくれた。普通は人差し指が彫ってあって方向を教えてくれるんだけど、この道標には手を開いたパーの手が掘ってあった。「さあ、こちらですよ」という感じかな。これは工人の遊び心だろうなと思った。

 おじいさんは、ここぞとばかりに、お遍路が始まったいきさつや、その発祥の寺を案内してくれた。今日はゆっくりでも回れる行程だったから、ありがたく拝聴した。それにしても、発祥の寺が88札所に入ってないのはどうしたことかと思う。

 f:id:mkbkc:20190705085044p:plain f:id:mkbkc:20190705085020p:plain
  四国遍路開祖発祥地    おへんろ発祥の文殊院(諸説の内の一つ)

西林寺のおじいさんと》
 西林寺でトイレに行った。トイレに行くときは、金剛杖と首から提げる輪袈裟を外していくのが礼儀とされている。ずっとそうしてきた。当然荷物も笠も境内にあるベンチなどに置いておく。出てきたら、寺の庭を掃いていた地元のおじいさんに「トイレに行くとき、荷物を置きっ放しじゃ駄目だよ」と声をかけられた。驚いて「お寺の中でも危ないんですか?」と聞くと、「お遍路を狙う輩が年々増えてきてるんだ。しきたりなんかいいから、貴重品は絶対離しちゃ駄目だよ。」と教えてくれた。まさかそんなことになっていようとは、これっぽっちも考えなかったので、がっかりした。お遍路の風土を汚す罰当たり者に腹が立った。おいらも“にせへんろ”だけど、杖をついて長い階段を上るおじいちゃん、おばあちゃんの信心深さには頭が下がるばかりだ。
 いずれにしても、ありがたいアドバイスをもらったので、この日以降、お寺でトイレに行くときは必ずリュックを持って行くことになった。

    f:id:mkbkc:20190705085109p:plain
                     西林寺への道:今回初めての平地だ。

48西林寺(12:00) ⇒(3㎞)49浄土寺 ⇒(2㎞)50繁多寺 ⇒(3㎞)
  ⇒ 51石手寺(15:10) ⇒(2㎞)温泉体験 ⇒ 道後温泉駅 ⇒ JR松山(17:10)

 本日最後の石手寺に着いたときにはふらふらだった。平坦だから楽勝かと思いきや、コンクリートの道は膝に来た。その分、道後温泉は最高のご褒美だった。つるつるした湯で疲れがとろけていった。明日も歩くぞ。

f:id:mkbkc:20190705085154p:plain  f:id:mkbkc:20190705085125p:plain
  今回唯一の観光気分「道後温泉本館」        道後温泉駅
                              (市電はどこまで行っても160円)

正さんのお遍路紀行(四国・愛媛編)その3

 菩提の道場 ~8日間で愛媛を歩く~

【3日目】3月17日(日)   ~ 深山幽谷と八丁坂を歩く ~(久万高原は雨・寒し)

JR四国バス(6:50)⇒ 久万高原駅(8:00)⇒ 2km ⇒ 44大寶寺(8:30)
             ⇩
        13km(山道のみ)
             ⇩

45岩屋寺(12:00)⇒ 岩屋寺バス停(12:45)⇒ 久万高原駅(14:00)
                        ⇒ JR松山(15:10)

 43番札所(明石寺)から44番札所の大寶寺は75kmもあるので、ここは松山から久万高原までバス利用。あしからず。この日も13kmの山歩きを目標にした。

 高原と言うだけあって、かなり寒いし、雨も降りそう。金剛杖を持つ手が凍えるので、手袋を仕入れた。季節外れの商品だったせいか、半額以下で驚いた。あったかさ2倍。

 大寶寺を出る頃から本格的な雨になった。これから山を歩くことを考え、傘からポンチョに替えた。数年前に楽天球場でもらったやつだ。リュックまですっぽり入る優れものだと判明。大寶寺裏から続くへんろ道を雨の中意気揚々と歩く。  

   f:id:mkbkc:20190626190432j:plain f:id:mkbkc:20190626190822p:plain
    標識みっけ!       杉木立を岩屋寺

 (写真・右)小さくてよく分からないかもしれないが、山道の左の細木にへんろ道
 を示す札がかかっている。よほどのことがない限り、道に迷うことはない。
 それでも迷うことがあることを後で知ることになるのだが・・・おいらは大丈夫。

  本当はマイペースで山歩きを楽しみたかったのだが。岩谷寺の次にある浄瑠璃寺まで20km以上あるので、体力的に無理と判断。岩屋寺から今朝着いた久万高原まで戻ることにしていた。岩屋寺からバスが出ているのでそれに乗る予定。でも、12:45に乗り遅れると、車道を12,3kmてくてくと歩くことになる。岩屋寺到着のだいたいの時間は読めるが、山中何があるか分からないので、とにかく歩き続けるしかなかった。八丁坂はさほどでもなかったが、ここに来るまでヒーヒーハーハーだった。

f:id:mkbkc:20190629083117j:plain
                八丁坂頂上

 岩屋寺に向かって急坂を下りる途中に、山岳修験者の古くからの行場があった。時間に余裕ができたのでここで一服。行場に背を向けて、ふう~と煙を吐き出した途端、「バーン!」と落石の音。びっくりして振り向くと、行場のかなり上の方からだった。小石程度の音ではなく、かなり大きな石だ。
 間違いなく天罰。「こんなところで空気を汚すな!」自然現象と分かっていても、そう思ってしまう。「すいませ~ん!」とスタコラ下りた。

    f:id:mkbkc:20190629083635j:plain f:id:mkbkc:20190629083826j:plain
       せり割行場        45番 岩屋寺
                       なるほど。この場所なら「岩屋寺」だな。

 できるだけ車道を避けてへんろ道を歩いたが、それが楽しかった。実際タイムレースなので楽しむ余裕はなかったけど。
 今日は歩いていて5,6回おへんろさんに会った。みんな大きい荷物で黙々と歩いている。本物のおへんろさんだ。乗り物などに頼らない一筆書きなんだろうな。正直尊敬もするし、拝みたくもなる。今度来るときは俺もそうしたい。