mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

教え子からの手紙 ~ 届く言葉 、つなぐ言葉~

 自分の終わりに向けて身の周りの片づけを少しずつ進めているのだが、なかなかその跡が見えない。つい最近は、手紙類の整理をしたが、読みに時間をとられてこれもなかなか進まない。そのうえ、この自分にとってだけ大事な書簡を、どうやって持ち続けていけるかを考え始めると、そのことで頭がいっぱいになり、これまで考えもしなかった課題が新たに出てきて片付けどころでなくなってくる・・・。

 これらの手紙の中には教え子からのものもたくさんある。
 かつて、県教組発行「教育文化」誌に、父親の戦地からの手紙をもとにして、教え子たちに語る形で、「戦争って何なんだろう」を十数回書き続けたことがあった。稚拙な出来だったのだが、彼らに読んでもらおうと、簡易な製本をして、主として若い教え子たちに送り届けたことがあった。十数年前である。その後感想もたくさん届き、それらもまたますます迷いを大きくさせている。
 その中に、当時、大学に在学中のE子の長い感想もあり、E子はその最後の方にこんなことを書いていた。

~~時代の流れというものは恐いものだと思います。誰もが流れに乗ろうと必死になるものです。その場に留まることは難しいことです。
 とりとめのない感想になってしまい申し訳ないです。先生と学んだ11年前は、もっとストレートな感想を書いていたでしょう。感じたままに書く、伝えることが、最近出来なくなってきた気がします。年を重ねるにつれ、どこかに軽い嘘みたいなものが混じっている気がするのです。合理的に物事を考えてしまうからでしょう。素直な自分の気持ちを伝える能力は昔の方がはるかに上です。
 今回、先生からの本をいただいて、十歳の時の自分を思い出したのです。とても感謝しています。ありがとうございます。
 昔のように自分の思ったことを伝えなくてはそのうちパンクしてしまう気がするのです。~~

 E子は一緒だった4年生のときどんな文を書いていたのか。この時の「学級だより」をめくってみた。その中にあったひとつが次の日記である。

  今日の帰りの会。先生がものすご~くおこった。せきにんを感じた。
  そうじの時間。ゆっくりのそうじ。マキは最後までふいていた。
  先生がいる。さっきおこられたばっかり。
  ジャンパーを着た。かばんを取りにゆっくり。ユウタ君がなんか言っていた。
  かばんを取る。
  ドキドキ。メグミちゃんが来て行ってしまった。
  勇気を出して 「先生、さようなら」と、教室を出て行ってもまだドキドキ。
  (明日、『おはようございます』って、言えるかな?)

 短いが、このなかには私の乱暴なことばで揺れるE子の心があふれている。
 日記は、短いセンテンスに終始し、形容句はほとんどないが、それでいて清掃時のなかでの自分の心の内が一つ一つの文に書いてある。友だちが3人登場するが、これも自分を語るためであり、それぞれの動きにもE子の心がかくれている。深く構成を考えたわけではないはずだが、なんとうまく運んでいっているのだろう。うらやましくなる。大学生になったE子が言っている「どこか軽い嘘みたいなもの」が混じっていないのだ。 

 この日記を読んで、(なんでこんなにE子を悩ませることをしてしまったんだろう)と大いに自戒。この日記に次のような返事を書いている。

 E子さん、昨日のことをこのように書いてくれてありがとう。じつは、おこってしまった後に、オレもね、とっても気分がよくなくなったんです。それで掃除も手伝わずにワープロをやっていたんです。なんか、みんなの顔をまともに見ることができなかった。おこったことを気にしてね。
 そこに、あなたが「先生、さようなら」と言ってくれたでしょう。オレは、言ってもらって、びっくりし、うれしくて、おろおろして、なんか「さようなら」を上手に言えなかった。あなたの顔を見なかったでしょう。はずかしくて見られなかったのです。あなたが教室からいなくなってから、顔を見ないで「さようなら」を言ったことがとっても気になった。あなたにすまないことをしたと思ったんです。
 だからね、あなたが今日、これを書いてきたでしょう。うんとうれしかったんだ。昨日のオレのことをE子さんに言えることができるから・・・。ありがとう。
 あなたの心を落ち着かなくさせてしまって、ごめんね。あなたの文を読んで、いつまでも帰りの会や朝の会をしないわけにはいきません。明日からまたやることにしましょう。
 でも、これからも、人の話をちゃんと聞ける人にみんながなれるように言っていくつもりです。それが一人一人にとってどんなに大事かを知っているつもりだから。
 かんしゃだなあ、E子さん、本当にありがとう。

と。それにしても、教師生活最後の年だったというのに、ヘボ丸出しの自分がなんと恥ずかしいことか。E子の方がよほどしっかりしている。こんな子どもたちに支えられて仕事を終えられたんだとあらためて思う。

 これら宝のさまざまを、そのまま置きっぱなしで遠くへ旅立つわけにはいかない。どうしよう。“終活”に思わぬ悩みを膨らまされている。( 春 )