mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

ごくろうさまでした ~ 皮肉が通じ合う二人の関係 ~

 またムカシの話になる。

 教室で子どもたちと一緒の時(教室を離れても変わらないが)、書き言葉でも話し言葉でも、ことばが互いに通じ合え、より敏感になることは大事だと思い、そのために書くことにも話すことにも気を配ったつもりである。すぐれた読み方作品を探しつづけ読む力をつけることに力を入れたのもそのためも大きい。すぐれた作品を取り上げれば、ことばについての子どもの力がつくという簡単な仕事ではないことも承知しているので、そちこちを歩き回って教えを乞う努力もしたつもりである。
 何をやっても容易ではないが、良くも悪くも思わぬことが起こることも教室であり、そんなとき、「教室の記録」として時々メモとして残すこともしていた。
 以下は、そのメモをもとに簡単にまとめたものの一つである。

 マコトのその日の日記は、「友だちとフットベースボールをしてとてもおもしろかった」という、きわめておもしろくないものだった。
 それで、少々皮肉をこめた赤ペンをと、「ごくろうさまでした」とだけ書き、返した。
 まもなく、マコトが、その日記を持って私の机に寄ってくる。給食の準備中だ。
 「こらっ! どうしてこんなひどいことを書いた!」
 私は内心、皮肉がマコトに通じたことが何よりもうれしく、こらえきれずに笑ってしまった。
 彼はますます怒って、「こらっ、どうしてあんなことを書いた!」と、詰め寄ってくる。
 うれしい私は、笑いつづけるだけだった。
 そんな私に呆れたマコトは、とうとう自分の席にもどってしまった。
 ところが、マコトはまだおさまらなかったのだ。「帰りの会」で手を上げ、
 「はいっ、先生は、ぼくの日記に、ひどいことを書きました。」と大きな声で発言したのだ。
 それを受けて、司会の日直は、
 「先生、どうですか」と、私に振ってきて、返事をうながす。
 仕方なく、私は、余計なことは言わず、「これから気をつけます」と言った。
 すると、私のそのことばを待っていたかのように、マコトはニコニコ顔で私を見つめるのだった。

 日記にどう書いて返すかは考えているつもりでもそう容易につたわるものではない。ましてや「ごくろうさまでした」の一言ではと思ったが、これしか浮かばなかった。言いわけをすれば、3年生のマコトだって、(「ごくろうさまでした」ってなんだ?)ぐらいは思うだろう、いや、思ってほしいと願ったのだった。
 だから、彼が、「どうしてあんなことを書いた!」と怒ってくることまでは想像していなかった。もちろん私は、声こそあげなかったが、内心(やったあ!)と大いに喜んだのだ。 
 20 数年前の話になる。マコトのなかでは既に消えているだろうが、彼のこの時の様子は今でも私の中には鮮明に残っている。思い出すたびに、誰が何と言っても、教師という仕事はいい仕事だなあと思う。子どもさまさまだ。( 春 )