mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

思い出すこと1 「スミドーフ」

 「おかあさん。タツオニイチャン どうして『シミドーフ』を『スミドーフ』といったの?」

 大学生活初めての冬休みを田舎で過ごし、世話になっている叔父宅に戻ったときである。玄関に、叔母と小学1年生のエイコチャンが迎えに出てくれた。「母が、持って行くようにと・・。『スミドーフ』です。」と、カバンの中から紙包みを取り出して叔母に差し出した。その時のエイコチャンのことばだ。
 叔母は、私を前にして大いにあわてて娘に返す言葉を探すふうだった。彼女のことばを聞いた私の頭に、本の中にあった「凍みる」という単語が反射的に浮かんだ。(そうだ、夜、トーフを寒い外に出して作ったんだから「凍みる」だ。「シミドーフ」なんだ。「スミドーフ」ではないんだ)と思うとすぐ、「エイコチャン、おにいちゃんまちがったんだ。シミドーフだ」と言った。叔母の言葉がすぐ返ってこないのにやや困惑した様子だったエイコチャンの顔は、ホッとしたようにやわらいだ。そして、叔母の顔も。

 私の生地は、北上山地の裾野のわずかな広さの平坦地を、傍を流れる北上川を堤防で囲んだわずか60数個の部落である。小学校は、北に一山越した隣の集落にある分校で、ここは隣が岩手県になる。中学校は、川沿いに小学校とは反対側になる南に位置する町(当時は町と言っていた)にあり、歩いて4~50分ぐらいかかった。ついでに言うと、高校は佐沼高校。川の渡しを含めて自転車で約1時間かかった。当時、北上川は橋がなく渡し舟を使った。舟が出た後に舟着場に着いたものなら、戻る舟を待って乗るので、その日は遅刻することが多くなる。校門には、K先生が立っており、「春日っ! またかっ!」と怒鳴られる。「はいっ」と返事をしてそのまま自転車置き場に走りこむ。何回繰り返したことか。K先生は歌人で、釈超空の弟子だと聞いた。高校の校歌は釈超空の歌詞だが、そのためにK先生が学校の周辺を詠み、その短歌をもとに作詞されたと聞き、2人は忘れがたい方になった。去年の10月、NHK《100分de 名著》が折口信夫(釈超空)を取り上げたが、この時も、校門で声をかけられたK先生を思い出した。  

 「スミドーフ」をすっかり離れてしまった。もとにもどす。
 私の話しことばは、少なくも中学までこの閉鎖された環境の中で平気で使いつづけてきたものであり、学校でもこれら「方言」について触れられた記憶はない。小学1年のエイコチャンのことばに反応できたのは、私が本好きで、小学2~3年の頃から、祖父が残した「講談全集」などを手当たりしだいに読み(総ルビだった)、高校では図書館によく行き、書き言葉には多く接していたことにあっただろう。
 そんな私に、方言の存在を初めて意識させてくれたのが、このときの小学1年生のエイコチャンの一言だったということになる。

 それから10数年後、教育科学研究会国語部会によって国語学習のテキスト「にっぽんご」シリーズがつくられ、その5が「発音とローマ字」で、その中に、「東北方言の音声」も入れられた。

 70年以上も前のことであり、現在ではただの笑いごとに過ぎない。でも、さまざまな情報機器があふれることで自ら考えることを放棄し己をすっかり機器まかせにし、ややもすると子どものことばに耳を貸さないことのある私たちを考えると、エイコチャンの問いを受けることができたあの日のことを、私は今になるも忘れることはできない。( 春 )