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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

10月12日 教師・三島孚滋雄 を追い求めて

 今月初め、田中武雄さんが来仙、資料集めをつづけていた「教師・三島孚滋雄」のまとめについての話し合いをもった。3月まで一緒に歩いた、というより言い出しっぺでありリーダー役の野々垣さんが急に亡くなり、2人の仕事になってしまったのだ。田中さんはともかく、私にとってはあまりに荷の重すぎる仕事なので、話し合うことの一つひとつがきついことだけで、話し合いを終えて仙台駅地下の店に入るまで体が「三島」にぐるぐる巻きにされている感じだった。

 その後、もう1週間になる。頭の中は「三島」でいっぱいなのだが、情けないことにまだまるっきりスタートがきれていない。何度も、集めた資料をめくるのだが、最初の文が決まらないのだ。結局は、新聞読みにやたら時間をかけたり、机上の関係のない本を読んで時間をつぶしてしまう毎日になっている。

 なにしろ「三島」を知る方は今ほとんどいない。

 36歳の若さで旧制札幌第二中学校長代理、41歳で旧制名寄中学校長、翌年、そのまま新制名寄高等学校校長に、3年後、深川高等学校校長。3年後、なんと突然、白石中学校校長ということで宮城県転任、しかも、新制の中学校に。白石に5年勤めての6年目の6月、仙台第二高等学校の教諭として転任することになり、仙台二高で定年を迎える。

 私は他に例を聞かない、この「三島」の歩みを伝えながら教師の在り方を考えてみよう、読んでもらえる方に考えてもらおうというのが、私たち3人の目的。

 北海道で集めた資料の中に、名寄高から深川高等学校長に転任する折、一教諭が贈った以下のような「惜別の歌」がある。

        惜別の歌

                 小池 栄壽

    ・天塩の川辺 北方の 学徒導く 長として

    ・来任したる 白皙の 青年校長 名は三島

    ・熱と若さの 体あたり あばれあばれて 忽ちに

    ・四隣の愛を 一身の 青年校長 名は三島

    ・眞理の外は 何事も つゆ恐れざる 熱血は

    ・ユネスコ会の 長として 断乎平和を 強調す

    ・五百の健児に あばれろと 激励やまぬ 人格や

    ・スヰートホームを 学び舎に 呼びて愛する 情の人

    ・四年の月日 夢の如 いま南に 去る人を 

    ・まさきくあれと ひたすらに 送る心の 涙かな 

 このような歌を贈られて次の地に向かう人をどう紹介できるか、荷の重さは日ごとに増している。つぶやくことが背中を少しは押してくれるといいが・・・。

                            ( 春 )