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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

6月1日 「どうして そうなの」「ほんとうは どうなの」

 (いつまであの教科書のことを忘れることができないんだろう)。往生際の悪い自分に呆れてしまうのだが、生まれた時から虫の息で、何年も生き続けることができずに姿を消さざるを得なかった「あの教科書」を忘れ切れないのだ、編集に関わった人間のひとりとして。短命だったのは、もちろん、ほとんど採択されなかったから・・・。採択されないどころか、この異質な(?)教科書は、教科書を考えるための議論の対象にもならなかった。

 それでも、数年前、「私はこの教科書で勉強しました」という関西の大学院生に出会ったことがある。全国2カ所だけの採択区内に所属するA学校生だったのだ。学生の顔が一段と輝いて見えたのだった。

 一昨日のB新聞に、英文学者でエッセイストの外山滋比古さんの話が載っていた。

 その中で、外山さんは「どうしたら文章をうまく書けるか」について、「・・・・『なぜ』『どうしたら』の魂だ。・・・・ちょっと立ち止まってみれば、不思議なことはたくさんある。それを素通りしない。その中にあるおもしろさをとらえるには『生活が大事なんです』。・・・・いろんな人と接すれば、当然うまくいかないこともある。すると、『どうしてこうなってしまったんだろう』と真剣に考える。『生活』があれば、真剣に考えるんです。・・・・」と言っていた。

 私は読みながら、またまた、“死んだ生活科の教科書”を思い出してしまった。私たちの教科書名が「どうして そうなの」「ほんとうは どうなの」だったので、「なぜ」とか「どうして」という言葉にはからきし弱く、すぐ思い出してしまうのだ。

 もちろん、この教科書は、外山さんのように、文章をうまく書けるようになるためのものではない。

 小学1・2年生の生活科であり、縮めた言い方をすれば、「ヒトが人になるために。人としての生き方を考えつづけ、なやみつづけるために」という願いをもってつくったものだ。しかし、文章について述べているとはいえ、外山さんの言いたいことも私たちの願いと重なるように私には思う。

 私たちの教科書が誕生した時、東京大学出版会の月刊パンフレット「UP」の「東大教師が新入生にすすめる本」のアンケートで、東大のC先生が、この「どうして そうなの」「ほんとうは どうなの」を学生に薦める本としてあげていたというのを耳にして、私はびっくりした。

 後日、C先生に仲間がその理由を聞いてみると、「この2冊の本は、その表題が示しているように、まさに物の見方・考え方を示す本だと思ったから」ということだった。

 生意気な言い方をすれば、C先生は私たちの願いを見抜いてくださった。しかし、残念ながら小学校現場にはC先生のように共感してくださる方はほとんどいなかったということになる。C先生は、来年入学する子どもと友だちに買ってプレゼントしようと思っているとも言ってくださった。

 教科書づくりはたいへんな仕事だった。土日の合宿を含めて毎日曜70数回の編集会議をもった。最後は我が家まで資金ぐりをめぐって家庭争議が発生したりした。一方、検定は修正箇所の指摘のくりかえしでなかなか通らない。やっと通ったと知らされたのは、締め切り期限前日だった。

 内容以外にも種々あったから、なおさら忘れがたいのかもしれない。

 そんな体験から考えると、教科書についての問題は、現場の授業が教科書べったりになればなるほど軽視できないものであり、子どものことを考えれば教師にとって重要な問題であり、その時、その問題の捉え方もまた一面的にならないように取り組むことを大事にしなければならないと思う。( 春 )