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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

5月16日

 この間、古本屋で、ブックレット「教師にのぞむことーいじめ、体罰、管理教育をなくすには」を買った。1986年2月発行で前年まで準公選による中野区の教育委員だった俵萌子さんの書いたものだ。

 副題を見て、「いじめ、体罰」と「管理教育」とを一緒にして、「~をなくすには」としていることに時代を感じた。管理教育ということばは今ほとんど耳に入ってこなくなっている。教育の場からなくなったのだろうか。それとも、すっかり当たり前になってしまったのか。私の中からも消えていたので、この副題にはドキッとさせられた。

 俵さんは、「教育委員を、公選から任命にし、事実上“たんなる名誉職”にしてしまったとき(1956年)から、日本の教育は、とめどもなく(役所のお家芸である)管理主義の坂を転げ落ちていった。あの日を境に、日本の教育は、国民のものではなく、国家事業になってしまったからである。」と書いている。

 「役所のお家芸である」と俵さんは言うが、昨日の朝日で、編集委員の氏岡真弓さんが、教育再生実行会議提言の教育委員会改革にふれて「委員より事務局を見直せ」の見出しで、福岡県春日市教委の例を紹介し、「事務局が国や県を向くのではなく、教育委員や教職員と連携して、我が街のニーズを探る。行政のプロとしての姿がそこにある」と書く。“だれのため”をまちがわなければ大丈夫だろうに・・・と、私もそう思う。

 俵さんは、このブックレットのまとめで次のようなことを言っている。

   いじめをなくすために、教師督励の通達を出し、教育相談の窓口を増やせばいいという単純なものではない。管理・体罰教育そのものを見直さなければ、いじめの減少には向かわない。しかし、“いじめ”は、それだけが原因ではない。もっと大きな背景や原因がある。   その最大のものは、なんといって、教育のなかに、それも幼児の段階から持ち込まれた競争原理(受験原理といってもいい)である。この競争原理の結果、こどもの社会に、ストレス、差別、やさしさの欠如、エゴイズム、嫉妬、怒り、怨念、無関心、無気力、冷酷・・・   あらゆる困った問題が出てきて久しい。

先に言ったように、このブックレットが出たのは1986年。27年前である。政党の「いじめ対策法」案が出た。そこに30年近い私たちの進歩を探すのは難しいことを哀しく思う。