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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

5月13日

「心まで国に支配させてはならない。」

PR誌「図書」(岩波)5月号、赤川次郎連載「三毛猫ホームズ遠眼鏡11」の中の一文である。

 赤川連載は毎月の楽しみの1つであるが、今月号は、東大・河合栄次郎教授をモデルにした演劇「長い墓標の列」を観ての感想であり、それは以下のように〈心のノート〉のことににつながっていき、

今や大学そのものが巨大な「墓標」と化しているのか、いや、福島第一原発のあの無惨な有様こそが「墓標」でなく何だろう。墓からは、忘れかけていた「幽霊」が這い出て来る。文部省が作った「教科書でない教科書」〈心のノート〉である。私は〈心のノート〉を批判する小説「教室の正義」を書いた。『心まで国に支配させてはならない』という思いは変わらない。

となる。

〈心のノート〉は私の退職後に出てきたものであることと、そんなノートを使って何を教育するつもりだと、このようなものが出てくると鼻から相手にしない性癖がある。〈心のノート〉の場合も(また、バカなものを!)とのぞいてみることもしなかった。何をねらって子どもたち全員にもたせようとするかなどなど考えることはなかった。

 そんな私に、赤川さんの「心まで国に支配させてはならない」は相当きつく響いた。そして、なんて鈍感だったのだろう・・・とも。

元教師の私の思いも、子どもたちの心まで国に支配させてはならないという赤川さんと同じだ。にもかかわらず、赤川さんのような反応をすることがなく、今、その言葉をぶつけられることで初めて眼を覚まされた自分を恥ずかしく思うが、今からでも体を張って子どもを守るひとりになっていかなければならないと思った。

文科省は、「子どもはよりよく生きたいと願っている。その気持ちを生活の中で実現していこうとする豊かな人間性とその基盤となる道徳性を育てることが心の教育であり、道徳教育が目指すものである。」「道徳教育の一層の充実を図ることが必要であり、『心のノート』もそれに資するために作成」と書いている。

このような国に、「心まで国に支配させてはならない」と対峙することがなぜ大事かという議論の輪を広げたいものだ。