mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

教科書問題を考える県民のつどい・ご案内

 今年度から小学校では、教科化された道徳の授業が導入され取り組まれています。先月、4月23日のNHKクローズアップ現代+』でも「“道徳”が正式な教科に 密着・先生は? 子どもは?」と題しての番組が放送されました。

 番組の中では、4年生の『お母さんのせいきゅう書』と、6年生の『星野君の二るい打』を教材とした道徳の授業が取り上げられていました。お母さんの愛は無償? 監督の指示は絶対? 子どもたちは教科書に沿って「家族愛」や「規則の尊重」などについて学んでいきます。でも授業をのぞいてみると、戸惑う先生や子どもたちの姿が・・・。価値観が多様化するなかで、国が定めた価値をどう教え評価するのか。番組を見ながら、とても難しいことだなあと思いました。番組の中では、クラスのみんなと異なる意見を述べたことで涙ぐむ児童の姿が映し出されていました。道徳の授業が、子どもの心を傷つけるのでは本末転倒ではないかと胸が痛みました。

 そうそう、先週行われた前文科省事務次官の前川喜平さんの講演でも「教科・道徳」のことが話題になり、クローズアップ現代で放映された授業についても言及されていました。文科省という作り手の側だからこそ見えてくることも含め、取り組もうと思えばまだまだいろいろなやり方やアイディアがあるのかもしれないと思いました。

 さて来年度からは中学校にも「教科・道徳」が導入されます。そして今年は、そのための教科書採択の年となっています。これから、具体的に教科書採択のための会議や取り組みがなされます。どのような教科書が検定合格しているのでしょう。またどのような教科書が、中学校の生徒たちの手に届けられることが大切なのでしょうか。みなさんで考え合う場にしていきたいと思います。ぜひご参加ください。

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 教科書問題を考える県民のつどい

日 時:6月3日(日)13:30~16:30

ところ:仙台弁護士会館4階  大会議室

参加費:無料

 ◆講演会
  中学校「特別の教科 道徳」の教科書採択を前にして

           講 師 糀谷陽子さん
          子どもと教科書全国ネット21常任運営委員)

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想田さん新作「港町」、そして明日は講演会に行かなくちゃ!

 フォーラム仙台で、想田和弘さんの新作「港町」を観てきました。

 白黒の作品なのに色色を感じ、潮の匂いが海わたる風とともにやってくる。それは、映像に立ち現れる昔からの変わらない生業や生活の豊かさのせいだろうか。映像全体を支配する命のめぐりと恵みは、ときに人を古の国へ、ときにあの世とこの世のさかいに誘う。一方、そんな世界をじわじわと侵食していく近代の合理とグローバリズム。生きることの悲しさと厳しさ、優しさや愛おしさに満ちた素敵な2時間でした。ぜひ皆さんもご覧になってください。

 そして、明日は想田さんの講演会に足を運んでください。お待ちしています。

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映画監督・想田和弘さん来仙!『世界と向き合うために』

 想田監督は、自らのドキュメンタリー映画のことを観察映画と呼んでいます。多くのドキュメンタリー映画は通常ナレーションやテロップ、音楽などを使用して、その作品世界を表現し描きます。しかし想田さんの映画では、それらが一切使われません。それだけではありません。映画の制作段階でも、撮影する題材や被写体に関してリサーチはしない、撮影内容に関する打ち合わせは原則行わない、台本は書かない、行き当たりばったりでカメラを回し予定調和を求めないなどなど。自らに課した「観察映画の十戒」という独自の決まりのもとに撮影が行われます。

 その独自の方法で描かれる世界に、世界が注目しています。新作「港町」は、今年2月に行われたベルリン国際映画祭のフォーラム部門に正式招待され、多くの賞賛を受けました。この「港町」、仙台では今月18日(金)からフォーラム仙台で上映となります。しかも初日には舞台挨拶も行われるそうです。詳細はフォーラム仙台にお問い合わせ下さい。

 ということで講演会では、想田さんの独自の映画づくりを通じて、私たち一人ひとりの「世界との向き合い方」についてお話しいただきます。新作「港町」、観てから聴くか、聴いてから観るか、そんな楽しみ方も含めて、ぜひご参加下さい。

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  想田和弘さん講演会
  世界と向き合うために

日 時:5月20日(日)13:30~16:00

ところ:フォレスト仙台2F 第7会議室

参加費:500円(高校生以下 無料)

  主催:仙台の子どもと教育をともに考える市民の会 仙台市職員組合

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季節のたより シロツメクサ(その2)

 小さな花の集合が見せてくれた美しさ

 シロツメクサの花は、宮沢賢治の童話「ポラーノの広場」で幻想的な花となって登場します。

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「おや、つめくさのあかりがついたよ。」ファゼーロが叫びました。
 なるほど向うの黒い草むらのなかに小さな円いぼんぼりのような白いつめくさの花があっちにもこっちにもならび、そこらはむっとした蜂蜜のかおりでいっぱいでした。
「あのあかりはねえ、そばでよく見るとまるで小さな蛾の形の青じろいあかりの集りだよ。」
「そうかねえ、わたしはたった一つのあかしだと思っていた。」
「そら、ね、ごらん、そうだろう、それに番号がついてるんだよ。」
 わたしたちはしゃがんで花を見ました。なるほど一つ一つの花にはそう思えばそうというような小さな茶いろの算用数字みたいなものが書いてありました。

                     (「ポラーノの広場」・宮沢賢治

 夕暮れに花の中に見えるこの茶色の数字をたどっていくと、「ポラーノの広場」に着くという昔からの言い伝えがあるのでした。物語は、この祭りの広場をめぐって展開していきます。

 この童話の幻想的な小道具ともなっているシロツメクサの白いぼんぼりの花は、よく見ると小さな花の集合体です。その一つひとつの小さな花は下から順番に咲いていきます。咲き終わった小さな花は茶色になって下向きについていて、そこに数字みたいなものが見えてくるのでしょう。

 シロツメクサが小さな花を下から順番に咲かせていくのにはどんな意味があるのでしょうか。
 小さな花のいのちは短く、一斉に咲くとすぐ散ってしまいます。咲きかけたつぼみと咲いている花と終わりの花が一緒になってぼんぼりを作ると、一つの大きな花がいつまでも咲き続けているように見えます。遠くからでもミツバチたちを呼び寄せられます。呼び寄せられたミツバチたちは、小さな花がたくさんあるので、他の花に目移りせずに、次々とシロツメクサの花だけを回ってくれるので、受粉の効率もいいのです。シロツメクサが生きぬくための智恵です。

 シロツメクサが小さな花の集まりであることを賢治は作品にうまく取り入れていますが、夕暮れに「つめくさのあかりがついたよ。」という表現は、賢治の想像と思っていました。
 ところが、ある日、太陽が西に傾きかけた時刻に、野原で、見慣れているはずのシロツメクサが、急に光り出したような感覚を味わいました。近寄りしゃがんでのぞいてみると、一つひとつの花が輝いていました。つぼみと開いた花と咲き終わった小さな花の集合体が、独自の造形美を作り出しているのでした。

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 賢治は、「あのあかりはねえ、そばでよく見るとまるで小さな蛾の形の青じろいあかりの集りだよ。」と表現しています。そうも見えてきます。いつも野山を歩き回っていた賢治は、このような光景を何度も見ていて、「つめくさのあかり」の描写に生かされていったのではないかと思いました。

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 自然は、賢治だけでなく誰にも平等にひらかれています。こちらが感覚をひらいて向き合いさえすれば、自然も又、その奥深い姿と豊かな表情を見せてくれる。そんな気がします。(千)

季節のたより シロツメクサ(その1)

先祖は海を渡って日本へ

 シロツメクサの花が、野原一面に咲き出しました。
 この季節になると、1、2年生の子どもたちと、学校の近くの土手や空き地に出かけて、花畑にねころんだ感覚を思い出します。

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  あおむけになって目をとじると日の光をまぶたに明るく、花の匂いが感じられます。かすかにミツバチやハナバチの羽音も聞こえてきて、感覚が研ぎ澄まされていくのがわかります。花の匂い、土の匂い、枯れ草の匂いの中で大地につつまれているこの開放感を、子どもたちにもたっぷりと味わってほしいと思いました。

 少し遅れて 同じ仲間のアカツメクサも咲き出します。シロツメクサアカツメクサを組み合わせて花飾りや花冠を作ったり、草花遊びをして楽しめます。これらの体験は、大人になってからも花の匂いや大地のぬくもりの記憶と共によみがえり、どこか幸せな気持ちになれるのではないでしょうか。

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 現代美術社の生活科の教科書「ほんとうはどうなの」には、シロツメクサの名の由来について、次のようなお話で紹介しているので 授業でとりあげたことがあります。

 たろうは教科書の登場人物で、教室の子どもたちといっしょに考える仲間の一人です。そのたろうのところへ、ヨーロッパで 新聞記者をしているおじさんから手紙が届きました。

「たろうくん、 げんきですか。
いま おじさんは、あるく ことの できない 草や 木が どう やって うみを こえたのか しらべています。

たろうは シロツメクサを しっていますか。
こちらでは クローバと いって、 どこでも 見られます。
ヨーロッパでは、ウシや ヤギの ちちから バターや チーズを つくる ことが さかんですが、 ウシや ヤギの たべものが クローバだからです。

その クローバが うみを こえたのは、 百五十年も まえの ことです。
その ころ、ヨーロッパから 日本へ ガラスの うつわが おくられて いました。
ガラスきの はこには、こわれないように ほした クローバを 「つめ草」として つめました。
その つめ草の 中で、たねが 生きて いたのです。
それが シロツメクサと よばれて、 日本中に ひろがって いったのです。

たろうも シロツメクサを みつけて、うみを わたった クローバの せんぞを おもって ください。」

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  シロツメクサがウシやヤギを育て、バターやチーズにつながっているということは、子どもたちにとって新鮮な発見でした。又、動物は自由に動き、草花はその場から動かないものと信じていましたから、その動かない草花のシロツメクサの先祖が海を渡って日本にやってきたというお話は、子どもたちの発想の転換を迫るもので、それがおもしろかったようです。このお話をきっかけに、子どもたちは、ツクシ、スミレ、タンポポはどうなのと考え始め、草花の生き方や人の暮らしとのつながりについての興味が広がっていきました。

 「どうしてそうなの」(1年生)「ほんとうはどうなの」(2年生)という生活科の教科書は、知識を与えるのではなく、人と自然をみつめて考える絵本のように編集されています。子どもの教科書なのに、誰が読んでも、年代に応じて、何かを考え、発見、感じさせてくれる不思議な本です。

 東京大学出版会が、パンフレット誌の月刊「UP」の編集で、「東大教師が新入生にすすめる本」のアンケートをとったとき、法学部の先生が「まさに物の見方、考え方を示す本」の一冊として学生に紹介されました。

 残念ながら、この個性的な教科書は、他の教科書会社の教科書と全く異質であるがゆえに、全国の小学校での採用は少なく、短命で姿を消さざるをえませんでした。異質であることが、教育にどれだけ大事なことであるを理解されることなく、この教科書は幻の教科書になってしまうのでしょうか。

 私は、この教科書を手元において時々開きます。そのたびに主人公の「たろう」や「はなこ」と一緒になって、自然を探検しながら、いつの間にか自然と人間についての深い思索へと導かれていくような気持ちになるのです。(千)

前文科省事務次官・前川喜平さん講演会が行われます 

 宮城県内の退職した先生たちが中心になって、昨年の森友・加計問題で一気に注目され、「時の人」となった前文科省事務次官の前川喜平さんの講演会を開催します。講演会といえば、この春、名古屋の中学校で行われた前川さんの講演に文科省が介入して、新聞やニュースなどでその是非が問われ話題になりました。前川さんは実は宮城とも関わりがあって、県の教育委員会行政課長として仕事をされていたこともあるそうです。初めて知りました。

 先日、講演会を準備されている先生がチラシを持ってきてくれました。平日・夜の開催となりますが、関心のある方はどなたでも参加できるそうです。ぜひご参加ください。

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 前川喜平さん講演会
  これからの日本 これからの教育

日 時:5月16日(水)18:30~20:30(予定)

ところ:フォレスト仙台2F ホール

参加費:300円

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【 映画の紹介】ゴールデン・ウィークは終わったけど

 ゴールデン・ウィーク、どう過ごされましたか。私は、映画を2本観ました。1本はスピルバーグ監督の「ペンタゴン・ペーパーズ」、もう1本は韓国映画の「タクシー運転手」。

 観終えて気づいたのは、2本とも史実をもとにした作品で、歴史的真実・出来事を世界に公表し明らかにするために苦闘する人々の姿を描いているということです。「ペンタゴン・ペーパーズ」は、ベトナム戦争に関する政府にとって公表されては都合の悪い最高機密文書をめぐって、「タクシー運転手」は、軍事独裁の韓国で民主化を求める光州の学生や市民を軍部が弾圧、虐殺した事件(光州事件)をめぐってのものです。
ペンタゴン・ペーパーズ」は、夫の死によって思いがけずワシントン・ポストの社主となったキャサリン・グラハムが、同僚のベン・ブラッドリーらに支えられながらジャーナリストとして、また社主として成長していく物語です。また、昨年から今年にかけて#Me Tooが話題になっていますが、映画の舞台は1970年初めです。今よりもずっとずっと女性差別や蔑視、社会進出もままならない時代に、一人の女性が自立していく作品として見てもよい映画だと思いました。

 歯切れよくシリアスに展開していく「ペンタゴン・ペーパーズ」に対し、「タクシー運転手」の前半は、日本の寅さんがひょっこり顔を出てもおかしくないような庶民の生活や笑い、人と人とのつながりをほのぼのと感じさせます。ところが舞台が光州に入ってからははらはらどきどき手に汗握る場面、ときに涙涙の展開となります。

 両作品とも歴史的真実や事件を明らかにしようと苦闘する人々を描いていますが、その描き方はある意味で対照的かもしれません。「ペンタゴン・ペーパーズ」は、報道という社会的な使命と役割をもった組織を舞台に、女性という弱い立場とはいえ社主であり、また上流社会に生きるキャサリン・グラハムを中心に展開していきます。
 一方「タクシー運転手」はというと、光州事件を世界に発信しようと乗り込むドイツ人ジャーナリストと、社会や政治の動きやあり方にはまったく関心がなく日々の生活を営むことで手いっぱいのタクシー運転手の主人公を中心にしながらも、あくまで市井の人々との出会いと別れを通じて展開していきます。そこにある種の歴史観の相違をみてとることができるかもしれません。

 どちらもオススメです。ちなみに両映画とも宮城では、現在フォーラム仙台で上映中です。なお「ペンタゴン・ペーパーズ」は、今週5月10日(木)までの上映予定となっています。( キヨ )
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