mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

汝の馬車を星につなげ ~東北の教師の願いを今に~

 研究センターが「東北の教育的遺産」を発刊してくれた。苦しい財政のなかでの決断に感謝している。

 というのは、20名を超える東北6県の書き手のほとんどは戦前から活躍した方々で、それぞれが取り上げている教師もその仲間たちだ。かつて、「よみかた東北」という小誌への連載を1冊にしたものである。
 戦前・戦後、東北の教師はどんな願いをもって仕事をし、県を越えてどうつながっていったのだろう。研究センターが1冊にしてくれなければ、東北の教師の多様な仕事はほとんどの人に知られずに終わることになっただろう。書き手も含めて登場している方々の多くが故人になっているが、その残したものは大きい。

 この書の冒頭に以下のような「序の詩」がかかげられている。これは、宮城のすばる教育研究所が1981年に刊行した「風の中の旗手たち」(きた出版発行)より転載したものである。

「風の中の旗手たち」によせて
  ー 彼等が掲げた灯を消してはならない ー

ひとりの子どもの哀しみを理解しようとしない者が
どうして「教育は愛なり」などと言い得よう
教育は、常に、ひとりひとりの子どもの哀しみを
教師が共有するところから出発する

教育が、固い枠づけでしか考えられぬ時代があった
授業も教科書絶対の画一注入
教えるものにも、学ぶものにも、自由はなく
権力に盲従する教師たちは
子どもたちの前に、自らも絶大な権力者として振舞い
いささかの疑念も、反省もない時代である

そんな時代に
子どもたちを愛するゆえに
自らの教育を
自らの良心に問い続けて止まぬ教師たちがいた
その教師たちは
固い枠組みの教科教育の中で
たったひとつ、
子どもの真実の声が噴き出る教科ーー綴方、
一週一、二時間の、その綴方の授業を
真珠のように大切にして
ひとりひとりの子どもの真実の声を聴こうとした
子どもの声を聴くことは
子どもの秘めた哀しさを知ることであり
子どもの哀しさを知ることで
真実の教育を求めようとしたのである

「一人の喜びがみんなのよろこびとなり
ひとりの悲しみがみんなの悲しみとなる」
ーーその頃 彼等が生みだしたこの言葉の
なんと美しいひびきをもつことかーー
この言葉のひびきに 若い教師たちは戦操し
それは箴言のように伝播していき
若い教育良心の連帯がまさに形成されつつあった

しかし、不幸な時代がはじまっていた 
軍国主義が反省もなく暴走するとき
無謀な権力は
このひとかたまりの良心を蹂躙し圧殺したーー
あるものは無法に教壇を追われ
あるものは無実の獄囚となり呻吟した
閉ざされた未来の暗さに若い命は絶望し
その妻と子と親は
灯を消された道に哭いて彷徨した
ーー先達の運命はいつの時代も悲劇であるーー

民主主義の明るい陽光の中で回想される彼等の青春の努力は
虐げられたゆえに
なんと美しい光芒を放つことか
まさに暴風雨をゆく旗手のように
燦然たる栄光につつまれてみえる
歴史はこうした良心によって発展し
未来はこうした努力によって拓かれるからである

「ひとりの喜びがみんなの喜びとなり
ひとりの悲しみがみんなの悲しみとなる」
眼をつむればきこえてくるこの言葉の
そうだ、
この美しいひびきを決して絶やしてはならない
彼等が命をかげて掲げた灯の光を
決して消してはならない

 この序詞は、この「東北の教育的遺産」に登場する東北の教師の姿そのものでもあり、そのまま「序詩」として転載させていただいた。それぞれの方が伝えたかったことは、そう、どなたも「彼等が命をかげて掲げた灯の光を 決して消してはならない」の思いから書かれたものだ。

 教師は何をこそ大事に生きなければならないか、そんな大仰なことばを使ってはいないが、205ページのなかにつまっている、書き手とそこに登場する東北の先人のさまざまな動きが私たちに語りかけているものを読みとるとき、自分の明日が見えてくるのではないか。
 ぜひ、多くの人に読んでほしいと願う。( 春 )

 *『東北の教育的遺産』 誌代 700円  
   (問い合わせ先 みやぎ教育文化研究センター)

季節のたより24 イワウチワ

 北斜面に命をつなぐ 春の使者

 雪解けの頃に、栗駒山や舟形山のブナ林を歩くと、カタクリキクザキイチゲなど、早春植物といわれる草花たちが、瞬く間に花を開いて実を結び、いつのまにが姿を消していきます。イワウチワもその仲間です。

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   春を知らせるイワウチワの群落

  私がこの花と初めて出会ったのは、雪解けの始まった栗駒山のブナ林でした。そのとき以来、私はこの花は、高山に咲く植物の一つと思っていました。ところが、仙台市の中心部にある青葉山の観察会で、思いがけずイワウチワに再会して、こんなに都市近くの山で見られることに驚きました。青葉山は西が奥羽山脈につながっていて、かつてはきわめて自然度の高い生態系が保たれていたと思われます。イワウチワはその名残なのでしょう。仙台市近郊の藩山や仙山線奥新川駅付近などでも群生していることを後で知りました。

 イワウチワは、イワウメ科の多年草で、山地の岩場や尾根道、崖地の斜面に生育しています。草丈は10cm程で、葉の脇から花茎を伸ばして、3月から4月頃に、淡紅色の花を一つ咲かせます。たまに、白い花を見ることもあります。横向きに咲く花は、管楽器ホルンの先のベルのよう。花びらは5枚のように見えますが、根元が一つの合弁花です。花びらの先端には切れ込みがあって、フリンジフリルのようです。花の期間は短く、花が終わると筒のようにスポンと抜け落ちるところは、椿の花の落下に似ています。

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   花びらの先はフリンジフリルのよう

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       細長いのが雌しべ、周りに雄しべが5本

 イワウチワは、岩場に育ち、葉が円形でうちわのような形をしているのでこの名がつきました。葉の大きさや形は地域差があって、オオイワウチワ、コイワウチワなどとよばれる変種がありますが、広義でイワウチワとよんでいます。

 イワウチワの葉は常緑で少し光沢があり、冬の寒さにも十分耐えられる厚さを持っています。多くの早春植物は、林床が木々の緑の陰に覆われる前に、急いで光合成して休眠しますが、イワウチワは、丈夫な葉で、木もれ日の弱光を効率よく利用して、一年をとおして養分を蓄えることができます。同じ早春植物でも、独自の生き方をしていて、生活史に個性があるのは興味深いことです。

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  冬も残る光沢のある厚い葉        春先に紅葉が見える冬越しの葉

 イワウチワは、県内の群落地を歩くと、多くが崖地や岩場の北向き斜面に咲いていました。イワウチワにとって、岩場や崖地は、大きな樹木が育たず日当りに恵まれていますが、一方で、日かげができず、陽ざしが強くあたる厳しい環境にもなります。特に夏は、西向きや南向き斜面は、乾燥が激しくなります。北向き斜面は、夏でも適度な湿気が保たれるので、生息の条件がいいのでしょう。

 でも、冬の北向き斜面は、常に土や岩の凍結氷解をくり返すので、土砂崩れが起きています。実際に崩壊寸前の斜面で、大きな木の脇にしがみついて咲いている花や、斜面の土にかろうじて根をとどめて咲いている花を目にしました。

 イワウチワは、岩場や崖地の北斜面という、最も生息に適した条件でありながら、同時にいつも生存が脅かされる危険な環境に、根をはり、花を咲かせ、その命をつないできているのでした。野生に生きるということは、そういうことなのです。

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  大木の根の脇に咲いている花

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  崖地の急斜面に咲いている花

 イワウチワとよく混同される高山植物が、イワカガミです。イワカガミも高山の岩場や林下に育つ植物で、6月から7月頃に花を咲かせます。その葉はイワウチワより光沢があって、鏡のように光るので「岩鏡」と名づけられています。
 イワウチワは花茎に一つの花を咲かせますが、イワカガミは数個の花を咲かせます。花の姿も花期も違うので見分けはそう難しくはないでしょう。

 イワカガミは、県内の蔵王連峰、船形山、栗駒山などで見られます。花期も長いので、夏山を歩けば美しい群落に出会うことができるでしょう。

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 イワウチワ(花は一つで、ホルンのベルのような形)

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 イワカガミ(花は数個で筒のような形)    高山の岩場に咲くイワカガミ 

 イワウチワもイワカガミも岩場に生息し厳しい環境に耐えて美しい花を咲かせます。その花が美しいためか、掘って自宅に持ち帰ったり、売りさばいたりする人がいて、自生する個体の数が減っています。特に都市近くの山でも見られるイワウチワは、盗掘だけでなく、宅地造成、道路建設作業などで生息地が奪われています。イワウチワは、宮城県レッドリストで、絶滅危惧Ⅱ類(VU)の指定になっています。

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   イワウチワ春の使者とて咲き出ずる愛しきいのちうちふるえるを
                           鳥海昭子

 鳥海昭子さんは、山形県鳥海山の麓生まれの歌人です。早春に咲き出す山野の花を慈しみ、「いのちうちふるえる」と詠む歌人の感性は、故郷の自然の暮らしの中で育てられたものでしょう。
 野山に咲く花は、自生地の自然にあってこそ美しい。そう感じられる感性は、こどもの頃の豊かな自然とのふれあいの中で育てられるものです。小さな花に「いのち」を感じることができるなら、自生地を失う野花の思いは故郷を奪われる人の悲しみと同じと、想像力を働かせることもできるでしょう。
 人が所有し住んでいる土地も、巨視的に見るならば、たまたま地球という星の一角を借りているだけのこと。この大地は、地上のすべての生きものたちのすみか。花に会いたくなったら、なつかしい友を訪ねるように生息地を訪ねたいものです。(千)

『春の教育講座』一挙紹介! - 素敵な新年度を迎えるために-

 学校現場は、年度末でたいへん忙しいことだろう。通知表の記入は終わっても指導要録や各種校務分掌のまとめや引継ぎ、教室の片づけや新年度に向けての様々な準備、本当に目の回るような忙しさに違いない。
 その忙しさの中でも多くの教師たちは、新年度のスタートをどうしようかと学級や子どもたちのこと、あるいは授業のことなどについて期待と不安をもちながら思いめぐらせている。
 センターの取り組みにも様々な形で参加・協力いただいている教職員組合では、新年度に向け『春の講座』と題し、楽しい企画をいろいろ準備している。
 ぜひ参加してみてはいかがだろう。素敵な仲間との出会いとともに、新年度のスタートが切れるかもしれませんよ。

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季節のたより23 コブシ

 北向くつぼみ 雪のような白い花

 野山の雪解けが進み、木々の芽吹きも感じられる季節となりました。里山にコブシの白い花が咲き出すのはもうすぐです。

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 2月の「マンサク」に続いて、早春の息吹を伝える丸山薫の詩を紹介します。
  
    北国の春               丸山 薫

 どうだろう / この沢鳴りの音は
 山々の雪をあつめて / 轟々と谷にあふれて流れくだる
 このすさまじい水音は

 ゆるみかけた雪の下から / 一つ一つ木の枝がはね起きる
 それらは固い芽の珠をつけ / 不敵なむちのように
 人の額を打つ

 やがて 山すその林はうっすらと / 緑いろに色付くだろう
 その中に 早くも / こぶしの白い花もひらくだろう
 朝早く 授業の始めに /  一人の女の子が手をあげた
 一一 先生 つばめがきました

 冬から春へ、自然の胎動が始まる季節。沢鳴りの音が響き、埋もれていた木々の枝は雪をはねかえして起き上がります。固い殻につつまれていた冬芽が次々と開いて、野山は淡い色彩に色づいていきます。その中に早くも、コブシの花も雪の白さをうけつぐかのように咲き出すのです。
 朝一番に教室に響いたのは、「先生 つばめがきました」と手を上げる女の子の声。北国の子どもたちが、ずっと待ち望んでいた春の喜びが伝わってきます。 

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   毛皮のコートのつぼみ。緑の小葉が見えます

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         花ひらいたコブシ。雪のような白さ

 コブシは、里山や奥山に生えるモクレン科の落葉高木です。コブシの花はヤマザクラより半月ほど早く咲き始めるので、農作業を始める目安にされてきました。地方によっては、「田打ち桜」、「田植え桜」、「種まき桜」とも呼ばれています。
 白い花は直径7~10cmほどで、さわやかな芳香を放ちます。ゆったりした枝ぶりで、丸みを帯びた樹形が特徴です。山々の、まだ木々の葉が開かない早春に、枝いっぱいに白い花をつけたコブシの木は、遠くから見ると雪が積ったように見えます。

 宮沢賢治の童話「なめとこ山の熊」には、親子の2匹の熊が山の斜面に月光に光る花を見つけて、小熊は白く光るのは雪だと思いこみ、母熊が「あれはねえ。ひきざくらの花。」と教える場面があります。ひきざくらの花とはコブシの花のこと、賢治の目にもコブシの花は雪のように見えていたのでしょう。夜の月光に光る花とその樹形も目にしていて、その美しさを「月の光が青じろく山の斜面を滑っていた。そこがちょうど銀の鎧のように光っているのだった。」と描写しています。

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       枝いっぱいに白い花を咲かせるコブシの大木

 コブシは、古くから日本では「辛夷(しんい)」という漢字をあて、「こぶし」と読ませていました。この字を調べてみると、中国では「辛夷ピンイン)」と言って、同じモクレン科の「モクレン」を指していました。中国原産のモクレンは、つぼみを乾燥させて生薬として利用されていて、飛鳥・奈良時代頃に漢方の伝来とともに日本に伝わってきたと思われます。それ以来、コブシとモクレンは混同されたままだったようです。

 コブシの学名は「Magnolia Kobus」で、種名の「Kobus」は、日本の在来種である和名の「こぶし」そのままです。コブシには辞書に「拳」という漢字もあって、これは「握りこぶし」を意味し、花のつぼみが人の拳に似ているとか、または、果実が拳に似ているからとかということで、名前の由来にもなっています。

 コブシの花とよく似た花を咲かせる「ハクモクレン」の花は、街路樹に多く植えられています。ハクモクレンはコブシより早くに咲き出します。ハクモクレンは花の下に葉をつけませんが、コブシの花は、花の下に小さな葉が一枚ついています。花を比べると他にも違いがありますが、この葉の違いで見分けるのが分かりやすいかと思います。
 花びらが赤紫色をしているのが「モクレン」の花です。花の色から「シモクレン〈紫木蓮〉」ともいわれ、ハクモクレンより遅れて花を咲かせます。

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 コブシの花(花びら6枚、小葉が1枚つきます)

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        ハクモクレンの花(花びら9枚、小葉はありません)

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 モクレンの花(赤紫色の花で紫木蓮ともいいます)

 栗駒山蔵王連峰には5月の雪解けの頃に、やはりコブシによく似た「タムシバ」の花が咲き出します。花の香りがいいので、別名「ニオイコブシ」ともいわれています。コブシは高木になりますが、タムシバは小高木で、ハクモクレンと同じように花の下に緑の葉をつけないので見分けられます。
 コブシは里山に春を告げる白い花、そしてタムシバは高山に春を告げる白い花といってもいいでしょう。

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   タムシバの花        高山の谷間に咲くタムシバ栗駒山

 コブシは開花する前に、つぼみの先端が一斉に北の方に向いていることがあります。登山者はこれを見て北の方向を示す指標としています。
 同じモクレン科のハクモクレンタムシバも、早春のつぼみが「北向き」になることが多いようです。これは、つぼみが大きく生長する過程で、光をたっぷり浴びる南側が生長が早く、結果としてつぼみの先端が「北向き」になるのだそうです。ヤナギ科のネコヤナギも同じように、花穂の先端が北を向く光景が見られました。他の木のつぼみはどうなのでしょうか。

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        北向きに花を咲かせるハクモクレンの花

 3月は、木々の芽吹きの季節です。冬芽がふくらみ、花芽や若葉が伸び出す姿は新鮮で美しく、見飽きることがありません。野山に出かけなくても、公園や街路樹、校庭などの木々の冬芽も、日に日にふくらみを増し変化しています。
 こどもたちの目をそっとそこに向けさせるだけで、何かを発見し夢中になってくれるのではないでしょうか。これから育つこどもたちが、自然界の小さな命の営みに不思議さや神秘さを感じながら、大人になってくれるといいなあと思います。(千)

西からの風8 ~私の遊歩手帖4~

 ◆ルーベンス磔刑

 かつて私はニーチェを論じた拙著『大地と十字架』のなかに探偵Lという我が分身を登場させ、彼にこう言わせたことがある。

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「実に奇妙なことだな。この惨たらしい死骸の像を信仰の核心としているなんてことは」。あるとき、ふと俺のなかでこう声が眩いた。

 この絵画的印象からすれば、麗しい天国や浄福への希求、平安とか安らぎ、そうした一般的な宗教的価値が同じくキリスト教の信仰の核心を形成しているとはどうしても思えなくなる。釈迦の涅槃図において入滅する釈迦の顔に人は死の苦悶を見ることはない。むしろそこには永遠の安心を得た穏やかな柔和な大いなる包容がある。横たわる釈迦の周囲を弟子たちのみならず、森から出できた鳥獣たちもが静かに取り巻き、宇宙の全体が釈迦の周りに円陣をなして安らう。

 十字架に架かっているのは、衣服を剥ぎ取られた、既に屍蝋化しつつある、一人のやせ衰え、苦悶に打ちのめされた表情の男の死骸。荊冠の下の額、十字架に釘で打ちつけられた両の手のひら、重ねあわされた足の甲、そこから流れ出た血は既に凝結してイエスの身体を隈取り、右胸には、あの死体のもつ非現実的な謎めいた印象がそこから湧いてくる虚ろに薄く口を開いた槍の刺し跡がいかにも生々しい。そこには暗黒の孤独がある。痛みの悲鳴がいまや虚ろとなって木霊している。打ち据えられた敗北の絶望、罪と罰の運命の呪いがその場を支配している。いずれそこから満身創痍で鎌首を持ち上げるであろう復讐心の呻きが聞こえる。たとえ「汝の敵を愛せ」と説くイエス自身は否定しようとも、イエスを取り巻く絶望の気配は沈黙のうちに復讐を誓っている。炯眼なニーチェが指摘したように。

 画家たちというのは執拗を極める輩(やから)だ。やつらは死の蒼ざめた絶望を、苦悶を、孤独をひたすらに描きだすことに執心している。そのために何度、死体置き場に、刑場に、虐殺のあとに、やつらは通ったことだろう。

 奇妙な驚くべきことではないだろうか? この屍体愛好の精神は。このような惨たらしさをそのままに永遠に記銘し続けようとする意志は。いかなる歴史が、風土が、民族の体験が、かかる意志を産み出したのか。」

 先頃、上野の美術館でルーベンス展を見たとき、私はこの自分が書いた一節に送り返された。ルーベンスルーベンスたらしめたもの、起点はあの磔刑像なのだ、という発見とともに。ただし、と急いでつけくわえなければならない。彼が描いた十字架上のイエスに対しては、決して「既に屍蝋化しつつある、一人のやせ衰え、苦悶に打ちのめされた表情の男の死骸」と形容することはできないことを。この形容を除くならば、先の一節に記した他のほとんどの言葉はそのままルーベンス磔刑像にも与え得ると思われるのだが。否、ますますその思いはルーベンスによって強められたとさえ思えるのだが。

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    キリスト昇架           キリスト降架

 両掌を横木に釘で打ち付けられ、天を仰ぎ白目を剥いたイエスを載せる十字架をいままさに刑吏の男どもが垂直に立てんとする図、「キリスト昇架」と題された一枚。処刑の終わった死せるイエスを男どもが横木から外し女どもが下から抱きすくめるように受けとめ、十字架から降ろす図、「キリスト降架」と題されるもう一枚。だが、その二枚のなかの血を滴らせたイエスの肉体は、地中から掘り出された古代ギリシャの若きアポロン神の彫像にモデルを取ったと思われる、筋骨隆々たる、まだ生命の体温が立ち去らぬ、若き勇者のそれであった。たとえ処刑の憂き目にあったとはいえ。

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      アンデレの殉教

 展覧会は教えてくれた。若きルーベンスがその彫像の模写に足しげく通い、それを通してこそ彼の生々しく力動的な肉体表現方法を、またその肉の表現を通してこそ対象人物の内面心理を照らしだす劇的な表現方法を確立したことを。絵「聖アンデレの殉教」におけるアンデレは、確かにもう白髪の老人なのだが、斜交いとなった二本の柱に縛り付けられ処刑を待つ彼の肉体、裸に剥かれ陰部を隠す白い褌一つとなったそれは、しかし、いまだ筋骨隆々たる昔の面影を失っていない。

 磔刑像とは何よりも贖罪死の、つまり「身代わりの死」の、その像である。

 己が身代わりとなることによって救うべき者たちの存在、言い換えれば彼が自分たちの身代わりであることを痛苦のうちに耐える者たちの存在、たとえ身代わりとなる決意に打ち固めた死であろうとも、独り死にゆく苦痛と恐怖を抱え込まねばならない一個の単独者、彼の存在、そして、この二つの存在、贖罪者と被贖罪者の絆に相対しながら、まさに彼を殺す役目を負わされた存在、あるいはそれを欲する存在。この三者関係のドラマツルギーなくして磔刑像は成り立たない。

 だから磔刑像は三者の内的な叫びに、しかも各一者においても決して一色ではない叫び、問いかけ、慟哭、沈黙、呪詛、絶望、殺害を励ます加虐の快楽、あるいは己の罪への慄き、等々に満ちているのだ。そしてルーベンスの場合、魂の相克劇は肉の相克劇なのであり、またそれ以外ではあり得ないのだ。

 私はくりかえしたくなる。「ルーベンスルーベンスたらしめたもの、起点はあの磔刑像なのだ」と。というのは、展覧会は私に次のことも教えてくれたのだ。ルーベンス磔刑像を発注したのは当時のカトリック教会であり、さらにその背景には当時激発するに至ったカトリックプロテスタントとの宗教戦争、かの三十年戦争があった、と。明らかにカトリック教会は信徒集団の戦闘的結束を奮い立たせるに最大の効果を発揮する宗教画を彼に要望した。それは磔刑像をおいて他にはなかった。イエスは同時に若き闘将でなければならなかった。ルーベンスはアポロとイエスを掛け合わせた。

 いたるところで戦争が渦巻いていた。しかもその戦争は信仰共同体の生死を賭けた戦争であった。およそ戦争とはいたるところで「身代わりの死」を、なかんずく若者のそれを求めるものだが、宗教戦争であるならなおさらだ。その信徒共同体の若き闘将の無残な「身代わりの死」は残された者たちに復讐を戦い抜く死の決意を与えた。ニーチェが見抜いていたように。

 このルーベンスとの出会いをとおして私のなかに新たに生まれた問題意識について少し触れよう。詳しい話は次回に回すが。

 竹下節子は、『キリスト教の謎――奇跡を数字から読み解く』(中央公論新社)のなかでイエスを「ユダヤ人を律法原理主義から解放して赦しと慈悲、恩寵を説いたラビ」であったとし、このイエスの反・律法原理主義(しかも自らを「神の子」と称する)を正統ユダヤ教の側は「死に値する冒涜罪」と宣告したこと、また正統ユダヤ教にとっては「十字架に掛けられた救い主」という観念は「スキャンダル」以外の何物でもなかったことを強調し、イエスと正統ユダヤ教徒のあいだに横たわる亀裂の深さを強調している[1]。そして最近私は彼女から教えてもらった。フランス語の「スキャンダル」という語には、「醜聞」という意味の他にもともと「躓く」という意味があるのだ、と。

 ただちに私は『マタイ福音書』26章の「全員の躓きの予告」を思い出した。かの最後の晩餐の席でイエスはこう予言する。「あなたたち全員が、この夜私に躓くことになるであろう」と。するとペトロが反論する。「皆の者があなたに躓いたとしても、この私は決して躓きません」と。イエスはこう言う。「あなたは今晩、鶏が啼く前に、3度私を否むであろう」。

 この予言は的中する。ユダの密告によってローマ軍がやってきて、イエスを反逆罪の容疑で逮捕したとき、周囲の村人はペトロを見とがめて、お前もこのイエスの仲間のはずだと言う。彼は恐怖に駆られ、「この男など知らない」とまさに3度白を切る。そしてペトロは自分の臆病と背信に絶望し、樹の陰に走り入り、泣き伏す。このエピソードを歌うものこそバッハの『マタイ受難曲』のハイライト、アリア47番である事情は周知のことだ。

 ところで、私は高橋和巳が『邪宗門』のあとがきにこう書いていたことも思い出す。いわく、「もともと世人から邪宗と目される限りにおいて、宗教は熾烈にしてかつ本質的な問いかけの迫力を持ち、かつ人間の精神にとって宗教はいかなる位置をしめ、いかなる意味をもつかの問題性をも豊富にはらむ」と。

 この視点を先の竹下の指摘に関わらせて言うなら、イエスは「邪宗」と周囲から攻撃され続けた古代ユダヤ教の異端派のラビであった。彼に従う邪宗信徒が、つまりは「原始キリスト教セクト」にほかならなかった。この視点から、くだんの4福音書、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ福音書を振り返るなら、それらはこの邪宗の己を鼓舞せんとする教団書にほかならない。《イエスがたとえお前の人生の躓きの石となる大いなる危険者であったとしても、そのイエスに敢えてなお従うことこそ、お前の人生の輝きであり、幸福であり、再生のチャンスであることを心得よ》、この繰り返しの呼びかけこそが4福音書にほかならない。『マタイ福音書』の「幸いの言葉」の結びはこうである。(『ルカ福音書』の同じタイトルの節ではこの「あなたたち」が乞食に等しい身分の貧民であることがさらに明示されている)。

――「幸いだ、あなたたちは。人々が私ゆえにあなたたちを罵り、迫害し、あなたたちに敵対して〔偽りつつ〕あらゆる悪しきことを言う時は。喜んでおれ、そして小躍りせよ、あなたたちに報いは天において多いからである」。

 私は次回、イエスの思想が如何にどの点で正統古代ユダヤ教にとっては「邪宗」=異端であったのかを一々指摘することを通じて、磔刑像がこのセクトの信仰シンボルとなったことの意味を探り直してみたい。

 遊歩でのルーベンスとの出会いは私をこの年来のテーマに送り返した。(清眞人)————————   ————————   ————————
[1]キリスト教の謎——奇跡を数字から読み解く』中央公論新社(2016年)
  155、157、163頁。

春さんのdiaryを読んで ~ もう一人の自分 ~(2)

 前回のdiaryに続けて書いてもよかったのですが、そうするとあまりにも文章が長くなると思い、今回とに分けることにしました。

 引き続いての内容なので、新たに何かまったく違う内容をということではありません。前回は春さんとE子さんとの話でしたが、今回は小学校を卒業して、中学1年生になった田中京子さんが春さんに宛てた手紙を紹介します(なお、この手紙は以前に『カマラード』に掲載されたものです)。

 中学校での今の自分と、今の自分に納得いかないもう一人の自分、そのはざまで揺れ動く彼女の思いが、あふれるように綴られています。
 中学1年生の田中さんの文章力と、自己分析を含めた国語の授業への言及には驚かされます。田中さんもE子さん同様に、手紙を書かなくては自分がパンクしてしまいそうだったのだろうと思いました。
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 考えない私になってしまいそう

 国語大好き人間だった私なんだけど、中学の国語は大嫌いです。本当に、9科目の中で、唯一嫌いなのが国語です。使っているのは光村図書の “ 国語Ⅰ”というのだけれど、とにかくぶ厚い。地理の教科書よりか、ちょっと厚いくらい。そんなぶ厚いのを1年でやるなんて、不可能です。絶対に・・・・・・。真剣にやれば『ヒロシマのうた』のように十数ページに何時間も時間が必要なのです。小学校のうすい教科書でさえ、ギリギリでおわったのに、忙しい中学生に、なぜ、6年の教科書の上・下かんあわせてもあと1冊分のよゆうのあるような教科書を作らなくてはいけないのでしょうか・・・・・・。

 そんな教科書を使いながらの勉強は狂っています。期末の前なんかメチャクチャです。国語の教科書の中に、フィリパ・ピアスの『水門で』という話がのっています。まえにこの人の書いた『トムは真夜中の庭で』という本を読んだ時に興味を持っていたので、けっこう楽しみだったんだけど、“ 運悪く” 期末の直前にやることになってしまったのです。さてこの『水門で』をどの様にやったと思いますか? 学校から配られたワークブックを手がかりにやっていったのです! 先生がワークブックの設問を読む。みんなが、それを聞いてワークブックに答えを書く。先生が正解を言う。こんなことは、だれだって一人でできます。うちでだって、休み時間にだって、給食中にだってできます。私はものすごく頭にきて、血がのぼりました。目に涙がうかびそうになりました。だけど、ワークブックをやらなくては、テストでいい点がとれない・・・・・・。そう、ワークブックの問題から、テストはできているのです。

 中間で国語が悪かったのは、私がワークブックをやらなかったからでした。ワークブックには答えのコツがいっぱい書いてあります。だから、そんなに考えなくても、スラスラ問題が解けます(答え方はちがっていても)。そんな所が、私がワークブックを嫌いな原因でした。本来、自分の頭の中にある全てを動員させて、必死で考える自分を「いいナー!」って思っていたのに、テストの点だけのために、だれかの考えを参考に簡単に考える自分の姿がいやだったのです。だけど、そのワークブックをやらなかった事で、点数が悪かった自分にいや気がさして、私は、自分を捨てて、簡単に答えのでるワークブックをたよりました。国語だけは「いつもよくできた」と自分で一番自信のある科目なので、それが壊されていくのがいやだったのです。答え方やぬきだす場所がちょっとずれていたくらいで、1点引かれたり✕になる自分のテスト用紙がいやだったのです。だけど、いくら私が自分を捨てても、授業でワークブックを使う事だけは許さない・・・・・・。そう思った私は『水門で』のワークブックを、全部うちでやってきました。学校では2,3回にわけてワークを使って授業したけど、私は絶対に、仲間に加わりませんでした。ワークを見てるふりをして、教科書の面白い話を読んでいたり、絵を書いたりしていました。完全に、授業は聞いていませんでした。ただ、答え合わせはちゃんとしました。だって、期末のことがいつも私の頭にあったからです。

 答えはほとんどあっていました。「このことから読取れる事を2つ書きなさい。」こんな問題、本当に答えが2つだけなんてことはないはずです。前の文とかかわっていない文はないはずだから、いろいろあるはずです。だけど、2つと書いてあるのだから仕方がありません。一番ちょうどいいことを書きます。書いてあるそのまんまを書きます。そうすると当たるのです。いろいろ考えた末、やっとこみつけた答えを書くと✕になります。「文章中にある言葉を使っていない」とか「字数が多い」とかで。いつのまにか私にも、そんな都合のいい答えの見つけ方が身についてしまいました。そのかわり、本当に思っている自分の考えの表現の仕方を忘れてしまいそうなのです。作文もそうです。「遠足のこと」とか、そういう一般向けは書けるのに、自分の心から思っている事、感動した事を書く機会がないので、本当に書けなくなってしまいました。実はこの日記の前に、もう3つ日記があったのです。Tの事、イラクの事、そして今私たちのクラスでやっている勉強を教えあう会の事・・・・・・。でも、書きなれていなくて、どれもめちゃくちゃな文になっていて、書いた私でさえも、何を言いたいのか分からない文章になってしまったのです。その時、初めて気づきました。中学校の国語の恐ろしさを。

 期末のテスト、96点でした。ワークをやって、プリントをやって、その努力の結果です。だけど、ちっともうれしくありません。ワークをやったから分かった事であって、自分から苦労して考えて分かった事じゃないから、すぐに忘れるでしょう。国語の教科書の中でやった『大人になれなかった弟たち・・・・・・』も、いろいろ一生懸命考えたけど、ポイントは全部先生に教えてもらったから、あと1年もたてば忘れるでしょう。そんな、今だけの96点は、私にとってただの苦しみだけなのです。ズルです。カンニングです。何が学年で2番の成績ですか?! ワークの答えをカンニングして書いた答えを見て喜べるほど、私は落ちぶれていません。Tはワークをやっていません。それでも一生懸命、本当に考え、一つ一つ書いていったのです。私みたいに「あっ、これ、ワーク・プリントでやった問題だ!」と、答えをまるのみに書いたのとは天と地ほどの差があります。私、すごくTがうらやましかった。努力でかちとった60点と、他人が一生懸命に考えて出した結論をまるのみに暗記してとった96点と・・・・・・。もし、ワークをやらなかったら、私はどうなっていたでしょうか。自分の言葉を使って書いたり、抜き出すかしょがびみょうにズレていたりで、よくて76点くらいでしょう。自分がいやになります。本当にいやです。何でこんなこと、しちゃったんだろう。ワークを10回くらい見直した私は、エライ人間の部類から見ると「勉強熱心な良い子」でしょう。だけど、それは本当の人から見るとカンニングです。人の考えを自分のものとするひきょうな人間のこういなのです・・・・・・。

 本当にいやです。感じているのは私だけかも知れないけど、みんなも確実に考える力を失っています。国語の授業はいつも段落に分けて、各段落ごとに先生がポイントを書いて、それをノートに書いて・・・・・・。だから、どのクラスにいても、同じノートができあがります。だれも何かを言うチャンスはないので、ただ聞くだけ。期末をちゃんと考えている「いい子」はノートをとる。ただそれだけの授業。そんな国語の授業の息抜きは、意味調べです。国語辞典をひくと、いろいろな言葉に出会えます。たったそれだけの楽しみです。先生は「うそだ。」と思うはずです。6年の時、意味調べが大っきらいな私だったのにね。だけど、本当です。それしか本当に楽しみがないのです。

 そんな感じなので、確実に私だけでなくいろいろな人の考える力をなくしていきます。授業参観で『奈々子に・・・』をやりました。久しぶり、中学に入って初めての考える授業です。がんばって考えました。だけど、難しい所の答えは先生が言います。簡単な所はみんなに聞きます。なんか、ぶじょくされてるみたいで、私は1回も手を上げませんでした。ただ、指名された時は答えたけど。みんなもだれも手を上げませんでした。答えはみんな分かっていたと思うのです。だけど、みんなしらけてました。だれも全然授業にのりませんでした。それはそうでしょう。4月から、答えが分かっても先生が自分で言ってしまうので発言の仕方が分からなかったし、そういう形式の授業にもなれていないはずだもの。

 中学校に入ってから、みんなの考える力を国語の教科書はもっていってしまいました。
 弁論大会の作文が味のないものになったのは、きっと私に上べだけの文章を書くくせがついたからだと思います。私はどうなってしまうのでしょう。もう、一生『ヒロシマのうた』のように考えるのは無理なのですか?

 P.S こんなに書いたのは久しぶりです。すごくすっきりしました。手紙の中では、自分が自分でいられそうでウレシイです。
 だけど、やっぱり国語は大嫌いです。

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 中1の京子さんのなかで大好きだった国語が嫌いになっていく。授業はこんなものじゃない、学ぶってこういうことじゃない。ワークブックをやっている自分が情けない。情けないと思いつつ、でも、それをやらないと国語大好きで一番自信をもてていた私が、そういう私が崩れていく。それは嫌だ。でも嫌だからといって、ワークブックをする自分も許せない。彼女のなかで怒りが、悲しみが炸裂する。その炸裂したものを吐き出さなければ、私はパンクしてしまう。

 こんなふうに中1で考える子は、特別な子かもしれない。そうだろう、きっと。でも学校や教師は、この子は特別だからと聞き流したり無視したりしてはいけない。だって、彼女は学校でみんなで学ぶってどういうこと、授業ってなに? そういう問いを向けているのだから。そしてそのことにこそ、学校も教師も応えなくてはならないと思うからだ。

 年度末を迎えて先生たちは、この1年のまとめに追われていることだろう。同時に、多くの学校では、新年度の春先すぐに行われる学力調査に向けて、1年間のまとめと称してのプリント学習などが、春休みを含めた取り組み・宿題として行われるのではないだろうか。

 ちなみに私のころの春休みは、休みの期間は短かったけれど宿題がなくて、春のうららかさと4月からの進級や進学に向けて期待や不安を感じながら、とってものんびりした時間のなかで、あれこれ思いめぐらしていた。そういう時間がなくなっているのかと思うと、今の子どもたちは気の毒だ。光陰矢の如しというような時間だけでない時間の豊かさ、多様さを感じてほしいと思う。そしてそういう時間が、新年度を迎える先生たちにも本当はあっていいのではないだろうか。( キヨ )

春さんのdiaryを読んで ~ もう一人の自分 ~(1)

 春さんのdiary「教え子からの手紙」を読んだ。大学生になったE子さんは春さんに宛てた手紙のなかで言う。

 感じたままに書く、伝えることが、最近出来なくなってきた気がします。年を重ねるにつれ、どこかに軽い嘘みたいなものが混じっている気がするのです。合理的に物事を考えてしまうからでしょう。素直な自分の気持ちを伝える能力は昔の方がはるかに上です。(中略) 昔のように自分の思ったことを伝えなくてはそのうちパンクしてしまう気がするのです。

 身の回りの整理をするなかで、春さんはE子さんの手紙に出会う。それをきっかけに春さんはE子さんが小学生のときに書いた作文と、その作文に返事を書いたことを思い出す。

 春さんにもE子さんにも、自分のなかに今の自分に回収されないもう一人の自分がいる。教師という立場に回収されないもう一人の自分、大学生に回収されないもう一人の自分。ふたりとも自分の中にもう一人の自分がある。そしてそのもう一人の自分が、今の私に語りかける。同時に、その回収されない私を想起させ駆動させる存在として、お互いの存在がある。それぞれがそれぞれの存在に触発されながら、もう一人の自分を駆動させ今の自分を語る。

 春さんは小学生のE子さんへの返事で言う。「あなたの心を落ち着かなくさせてしまって、ごめんね。」 先生からの「ごめんね」を、E子さんはどんな気持ちで受けとめただろう。あなただけに向けられた「ごめんね」を。大人になると、大学生のE子さんがいうように、それこそ素直に「ごめんね」なんて言えなくなるものだ。そういう機会さえなくなってくる。おとなの、しかも教師の春さんからの「ごめんね」を、当時のE子さんはどう感じたのだろう。このような「ごめんね」を言える春さんを、私は本当にすごい人だと思う。

 生きるということは、今の自分に回収されないもう一人の自分を生きることでもあるのだと、二人は言っているように思った。( キヨ )