mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

戦争をなくす最良の方法

 第一次大戦後10年ほどたったころのことだが、デンマークの陸軍大将フリッツ・ホルムなる人物が、「戦争絶滅受合法案」という法律案をつくって各国要人たちに配布したという。その案文の全文は以下になる。

戦争行為の開始後又は宣戦布告の効力の生じたる後、十時間以内に次の処置をとるべきこと。即ち左の各項に該当する者を最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし。

一、国家の元首。但し君主たると大統領たるとを問わず、尤も男子たること。

ニ、国家の元首の男性の親族にして十六歳に達せる者。

三、総理大臣、及び各国務大臣、並びに次官。

四、国民によって選出されたる立法部の男性の代議士。但し戦争に反対の投票を為したる者は之を除く。

五、キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、その他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。

上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦又は使役婦として召集し、最も砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし。

 これは、「完本 一月一話」(岩波書店)からの転載である。著者は淮陰生。

 著者は、「これは、かつて長谷川如是閑らがつくっていた月刊誌『我等』の巻頭言に如是閑が書いたもので、フリッツ・ホルム大将など聞いたこともないから、ユーモリスト如是閑の戯文でないかと疑っている」と言い、「それはともかく、愉快ではないか」と加える。

 よんだ私も大いに愉快であり、何かの折に使いたいと思って付箋をしていた。この法律案が国連で批准されることがあれば、世の中から戦争はなくなることまちがいない。平和な地球実現にこれを超える案はないのではないか。

 (いつか使いたい)と思っていたのだが、キョウボウザイが実施されると、こんなことを書くことで、身が危うくなるのではないかと心配になり、急いで知らせておこうと思った。

 この法案に関して思ったことは、如是閑のようなペンで闘う知識人・ジャーナリストが増えてほしいということである。如是閑らの月刊「我等」は数千部しか出なかったが、知識人たちの良心の砦として渇仰の的だったらしい。活字は読まれないと言って諦めていてはいつまでもいろんな場面での「戦争絶滅受合法案」は創造されない。( 春 )

道徳教育関連資料を、ぜひご活用ください!

 研究センターは、2年ほど前から道徳教育についての研究会をひっそり地道に続けてきています。研究会では、太田直道先生から戦前の教育勅語や修身による道徳教育の始まりとその変遷、そして戦後の道徳教育をめぐる議論や経過について丁寧な報告がされてきました。

 それらをまとめて、すでに4月にはホームページに「戦前日本の道徳教育」を掲載しましたが、今回はさらに「戦後日本の道徳教育」を掲載することになりました。戦前から戦後これまでの道徳教育にかかわる様々な資料を読むことができます。

 全体の構成など不十分なのですが、来年度より道徳が教科として本格的に実施されることを踏まえて、少しでも早く多くの方にご活用いただければとホームページに掲載することにいたしました。

 なお本資料は、不十分な点などに手を入れて、後ほど改訂版を掲載するつもりでおります。その点ご了承の上で、活用いただければと思います。

道徳の教科書って? 教科書展示会に行ってみよう!

 テレビやラジオで話題になったりしているので皆さんご存知かもしれませんが、来年度から小学校で道徳の授業が、教科として行われることになります。

 教科としておこなわれるということは、教科書を使って、もちろん成績評価も行われることになるんですよね。道徳を評価するってどういうことになるんだろう? 心のありようを評価するって・・・? 国語や算数なら計算ができたとか問題が解けたとか、四則計算や面積の求め方が理解できているとか、そういうことが評価になっていくんだろうけど・・・。道徳の場合も、同じように授業をして評価することになるんだろうか。何を、どう評価するんだろう。なかなか難問のような気がするのは、私だけでしょうかね。先生たちも大変です。

 そして今年は、小学校の道徳の授業で使う教科書採択の年となっています。 そのために、県内各地で各教科書会社でつくった教科書の展示会が行われます。すでに仙台市では展示会が始まっている会場もありますが、県内各地の多くの展示会は今日(6月16日)から今月いっぱいの日程で始まります。ぜひ展示会に行って、どんな教科書で子どもたちが学ぶことになるのか見てきましょう。そして、アンケートに感じたことや考えたことを書きませんか。

 県内の展示会会場は、以下の通りです。(なお、会場の都合により開催期日が異なる場合がありますので、詳細はそれぞれの会場にご確認ください。)

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春さんの投稿、またまた「持論時論」(河北新報)に載る

 昨年は、「真の子どもの幸せ 尊重する心も育成必要」とのタイトルで、春さんの投稿が「持論時論」に掲載されました。今回は、6月2日付けで「学習指導要領改定 教師は創意工夫重ねて」と題し掲載されました。

 春さんはシャイなので、6月2日以降も何度か顔を合わせているのに、そのことをまったく言わないのです。だから気づきませんでした。知り合いの方から春さんの投稿が載ったよと教えてもらったのです。すでにお読みの方もおられると思いますが、ここに改めて掲載します。ぜひお読み下さい。

 学習指導要領改定 教師は創意工夫重ねて

  小中学校の学習指導要領が改定され、小学校は2020年度から、中学校は21年度全面実施される。学校教育はよくなるだろうか。私にはそうは思えない。
 学習指導要領は国によって作られ、学校教育を事実上縛っているものだが、現場はそれほど危機感を持っていないかもしれない。教科書は学習指導要領に沿ってつくられ、多くの教師はその教科書に忠実であることが仕事だと思っているだろうから。
    ◇  ◆  ◇  ◆  ◇
 教師は熱心であればあるほど、決められたこと、限られた狭い世界や価値観の中に子どもを囲い込むことに懸命になり、それが成功すると仕事がうまくいったと思いがちである。私もそうだった。目の前の子ども一人一人は同じではないということをすっかり意識の外に置いてしまい、熱心な教科書教え屋になり、その指導書通りに進めたのだから間違いないと思ってしまう。それを私は危惧する。
 教師は常に、教科書の指導方法に加え、もっと適切な教材、指導法はないかと絶えず問い続けなければならない。それにブレーキをかけているのが学習指導要領だ。学習指導要領はほぼ10年に1度改定される。そんなに頻繁に変えられることがそもそも問題だ。
 1947年、戦後初めて「学習指導要領一般編(試案)」が出された。
 それには「これまでの教育では、内容を中央で決めると、それをどんなところでも、どんな児童にも一様に当てはめていこうとした」「教育の現場で指導に当たる教師の立場を、機械的なものしてしまって、自分の創意や工夫の力を失わせ、ために教育に生き生きした動きを少なくするようなことになり・・・」と書かれていた。
 実践参考例も挙げられてはいるが、文部省(当時)は参考例を超える実践を学校と教師に期待した。だから学習指導要領は「試案」だった。行政として基本的な願いは示すものの、具体的な実践は学校、教師に託したのだった。
 しかし、現在の学習指導要領は細部まで書き込んで、内容の徹底に力を入れ、教師の創意への期待はどこにも見られない。敏感な教科書会社は、国の意をくんだ教科書を競って作る。教師もまた、それを期待されていると思い込んで、子どもの前に立つ。
 現在の学習指導要領が学校、教師を縛っていることは明白だ。それに全国一斉学力テストが追い打ちをかけている。それが、教師だけでなく子どもたちからも生気を抜きとり、学ぶ意欲までも喪失させている。
    ◇  ◆  ◇  ◆  ◇
 人として成長するために、それぞれの時期にどんな過ごし方をすればいいのか。それに応えることを期待されているのが学校、教師であり、応えるのが教師の生きがいでもあるはずだ。
 問題の多い今の学習指導要領から、原点に返ることが求められる。そのために、教師は苦しくても、教科書と指導書を超える実践を積み重ねるべきだ。改定学習指導要領下であっても、それは子どもたちのためになる。

 研究センターも、先生たちにエールを送るとともに、授業づくりの力に少しでもなりたいと思っています。今年も昨年に引き続き、まずは夏休みに国語の講座を行う予定でいます。詳細が決まり次第、ホームページ、diaryでお知らせします。

大丈夫? 教育委員会

 5月の中旬、仙台市教育委員会が主催する「確かな学力育成プラン」検討委員会を傍聴しました。この検討委員会は、仙台市が策定した「第2期仙台市教育振興基本計画」や、3月に告示された新学習指導要領などにあわせて、今後5年間の学力育成の方向性を示すプラン策定のものです。すでに6回の会議が行われ、傍聴したのは7回目でした。

 今回の委員会は、事務局が作成した原案にもとづきながら、これまでなされてきた議論を踏まえての中間案の修正・討論が行われました。
 以下は、そこでの話し合いを聞いていて感じたことです。

 1つは、朝食と学力についてです。教育委員会は、《大学の研究によって朝食を食べると学力が上がることが立証された》と喜々として説明しました。大変うれしそうです。でも、以前から「はやね・はやおき・あさごはん推奨運動」など朝食の大切さは言われてきたこと。また実験するまでもなく、経験則としても規則正しい生活が、学力のみならず健康で充実した生活を送るために大事なことは、少し考えればわかることではないでしょうか。あえて、そんなに騒ぐ事とは思えませんでした。
 話を聞いていて気にかかったのは、朝食という食事のもつ意味や役割が、学力という視点でしか見られなくなっていくことへの不安です。食事が、「〇〇のための」食事に変質していくことで、食事そのものの豊かさや大切さが見失われていっているのではないでしょうか。食事を「学力向上のため」のサプリメントのように語る、そういう語りに一抹の不安を感じました。本当に議論すべきことは、朝食を採ることができない背景や原因を明らかにしながら、どのような支援が求められるのかを究明することではないでしょうか。

 2つ目は、子どもたちの学習意欲が低い理由に、学力テスト対策として行われてきたドリル学習を挙げました。学力テストが導入されて以降、多くの学校では春休みに宿題を出すようになったり、事前に同様のテスト問題に取り組んだりと、ドリル学習だけでなくさまざまな対策が行われてきました。そのようなテスト対策の弊害を指摘したことは、これまでにない一歩踏み込んだ発言として評価できるように思いました。
 ただ問題は、学力テスト対策として行われているドリル学習の弊害を指摘する一方で、検討委員会が学力の指標として頼りにしているのが、その学力テストの平均点という皮肉な状況です。結局は教育委員会自体が、学力テストの点数に一喜一憂しているのです。学校現場がそうなっても仕方のないことではないでしょうか。
 学力向上のサプリメント的朝食の把握といい、教育委員会自らが学力テストの平均点に一喜一憂しておきながら、学校現場には学力テストで一喜一憂するなと戒める滑稽さといい、教育委員会はどこを向いて、何を見て仕事を進めようとしているのか気になりました。

 知育偏重と言われ、それが子どもの成長や発達を歪めると批判された時代がありましたが、今はそのとき以上の知育偏重になってはいないでしょうか。教育や学校の目的や果たすべき役割は何か? 教育委員会だけでなく、私たち自身ももともとのところから真剣に考えていかなくてはならないと思いました。( キヨ )

教師の非正規、これでいいの?(今日の朝日新聞から)

 今日の朝日新聞朝刊に、日教組による「非正規教職員」についてのアンケート調査結果が載っていた。 
 その一つひとつは私にとっては驚くべきものであった。
 アンケート結果ではないが、もっとも驚いたのは次のことである。

 非正規で働く地方公務員のうち、教員・講師は2016年で9万2671人。05年からほぼ倍に増え、非正規公務員全体より伸びが大きい。

 学級編成や教員の数を定める義務標準法が01年に改正され、国が負担する正規教員の予算で非正規を採れるようになった。04年には総額裁量制が導入され、国が決めた総額の範囲なら、自治体が教員の賃金や採用数を自由に決められるようになった。

  こんなことが決まっているなどとは知らなかった。「国の決める総額」とはどのような決め方なのか。そして、宮城県はそれをどのようにしているのだろうか。
 少なくとも、私たちの現役時代、これらのことはすべて教職員組合との交渉事項であった。この「総額裁量制」というのは、交渉の結果決まったものなのか。まさかそうではあるまい。

 記事は、非正規教員がいかに冷遇されているかが詳しく報告されている。
 なんと、九州の40代の女性非正規教員は「教員として働いているのに、就学援助の対象になった年もあった」という。
 岩手の中学校で非常勤講師として働く30代の女性は「時給千円、ボーナスなし」とのこと。
 賃金の問題は、どんな仕事でも働く内容と大きく関わるはずだ。教員で言えば、子どもらと無縁のことではない。

  この記事を読みながら、昔のことを思い出した。1学年6クラスの大きい小学校にいた時である。休職の代替講師が2人来ていたが、当時、講師にはボーナスはなかった。それで私は「2人の仲間がいてくれたのでオレたちはずいぶん助かった。講師にもボーナスが出るように今後も運動をつづけることにし、今回は、オレたちのボーナスからカンパを出し合わないか」と訴えた。賛成を得たはずであったが、2~3日後、授業中呼び出しがあり、その場に行くと、主任たちがずらりと並んでいて、その中のひとりが「講師にボーナスが出ないのはそう決まっているのだから、カンパの提案は取り消すべきだ」と言うのだ。他の人たちは黙っている。

 それで、「全体の席で言ったが、それは取り消して、同意してくれる人のカンパにする」と答えて教室にもどり、ボーナス日はそのように運んだ。ほとんどの方がカンパしてくれた。
 その後、それほどの年数をおかずに、講師にもボーナスが出るようになったと記憶している。今は昔のことである。

 子どもらによい教育をするための環境整備はたくさんある。それがおろそかにされていることは大いに気になるし、それをそのまま黙っていることもまた大いに気になる。( 春 )

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気が早いですが、今年度の高校生公開授業は 中村桂子さんです!

 1月の樋口陽一さんによる高校生公開授業を終えて、ほっとしているのもつかの間、今年度は誰にお願いするか? 事務局会での話し合いを経て、昨年1月に講演をいただいた中村桂子さんにお願いすることに。しかし誰にお願いするか決まっても、実際にその依頼を受けてもらえるか? また受けてもらえたとしても日程や会場の確保、さらには高校生の年間スケジュールとにらめっこして高校生が参加できる時期かどうかなど、最終的に授業者が決まり、全体が決まるのは毎回なかなか大変です。
 ところが今回はどういうことでしょう? 日ごろの私たちの行いがよかったのでしょうか? トントン拍子で話が進み、中村桂子さんからは快諾をいただきました。

 開催日は、12月2日(土) フォレスト仙台ビル 2Fホールで行う(予定)です。まだまだ先の話で、チラシも何もできていません。うれしいやら早く知らせたいやらで、思わず書いてしまいました。今から私たちもわくわく、どきどきです。詳細が決まり、日が近くなってきましたら、改めてホームページやdiaryでお知らせします。みなさん、ぜひご期待ください。

 そういえば、今年4月16日の朝日新聞読書欄「著者に会いたい」で中村桂子さんの新刊『小さき生きものたちの国で』が紹介されていました。生命誌研究者としての中村さんの歩みだけでなく、中村さんの小さい頃の出来事や思い出、恩師との出会い、科学者としての願いなど、中村さんの人間としての多彩で豊かな魅力が語られています。研究センター発行のブックレット『生きものとしての人間から自然と科学を問う』中村桂子 著)とともに、ぜひお読みください。おすすめです。

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