mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

よっちゃんと「虫愛づる姫君」

 先日、わが家のよっちゃんが職場の人事異動の件で「あなたの得意なものは何?」と聞かれた。これと言って即座に思い浮かばず、しばらく思案した挙げ句「しいて言えば、虫を捕まえることですかね??」と、答えたという。上司もびっくりしたに違いない。とは言うもの、本人は自分のそのトンチンカンな答えを全く気にしている様子はない。それどころか、そんな話を台所で私にしながら楽しそうに皿を拭いている。

 そう言えば、しばらく前に職場のストーブの排気口に迷い込んだ鳥を逃がしたついでに、その排気口を掃除したら中から白骨化した鳥の死骸が出てきたという。よっちゃんは、その白骨化した鳥の完璧な骨格の美しさに惚れ惚れしたことを、家に帰ってくると喜々として報告してくれた。ただ、その場にいた同僚は言うまでもないが、よっちゃんのその様子に畏れをなしたようだ。何であんなきれいなのに?と、よっちゃんは意に介さない。

 そのよっちゃんは、中村桂子さんの大大大ファン。今回の高校生公開授業をずっと楽しみにしていた。中村さんの話を高校生の後ろで聞いて、自分も授業を受けたように満足した。家に帰ってくると、中村さんの話に出てきた美しい花やチョウではなく、幼虫(毛虫)を愛でるという堤中納言物語の「虫愛づる姫君」がいたく気に入った。「虫愛づる姫君は、私みたいだわ!」と興奮し、一人ではしゃいだ。私は何も言わずうんうんと聞いていたのだが、「姫君ではないでしょ」の息子のつぶやきが・・・ 一瞬にしてよっちゃんの昂揚していた気持ちに水を差すことになってしまった。

 女性はいくつになっても姫なのに、息子はまだまだ修行が足りなかったようです。まあ、こういうことはどこの家でも、ありますよね。(キヨ)

真珠湾攻撃から思いだし、そして考えたこと

 12月8日は日本軍の真珠湾奇襲攻撃があった日であるが、20年以上前、当時、毎週金曜日の夜にもたれていたカマラード編集会議の席で<春さん>から聞いた話を思い出す。当時のノートに書いてあったメモが見つかった。記憶を元に整理してみると次のような内容である。 

真珠湾攻撃の2日後の12月10日、アメリカ議会は対日宣戦布告を決めた。その時の採決結果は賛成388票、反対1票。その反対に1票を投じたのはジャネット・ランキンという女性議員であったこと。ちなみにジャネット・ランキンはアメリカ合衆国の女性国会議員第1号であったそうだ。そうして採決の際にジャネットさんが述べた意見は、「私は女なので戦争へは行けません。他人を戦場へ送ることを拒否します」という内容であったこと。さらにジャネットさんの出身地であるモンタナ州の議事堂前には、ジャネットさんの銅像が立ち、その台座に Icannot vote for war.と刻まれていることなどであった。 

 ちなみにこれが日本であったら、たちまち「非国民」扱いで、銅像どころかその生命すら危ぶまれたに違いない。国民性の違いで片付けたくはない。

 関連ではあるがアメリカ合衆国では、真珠湾攻撃に対するスローガンは、Remember pearl-harbor(真珠湾を忘れるな)。日本では No more Hirosima,No more Nagasaki(広島・長崎が二度とないように)となる。前者には祈りがなく、後者には祈りがある。

 年末年始が近づくと12月のXmas、大晦日の除夜の鐘、新年の元朝参りと、キリスト教、仏教、神道を使い分ける日本人の姿をみるにつけ、日本人は宗教心ではなく信仰心(祈り)が強いのかなあと、考えてしまうのである。ついでにお年玉やお雑煮は儒教の影響。お神酒(おみき)は、先ず神様に捧げて神に近づくという習わしのようだ。今年もまたそのような日が近づいてきた。<仁>

「人づくり革命」に疑問

 12月2日(土)開催の中村桂子さんによる高校生公開授業は、無事終了しました。学校関係者の皆さんをはじめ、多くの方々にご支援ご協力をいただきました。ありがとうございました。公開授業の報告は、「つうしん」などで追々して行きたいと思います。
 さて公開授業の準備をあれこれ忙しくしている最中に、春さんの河北新報への投稿(11月24日付け)がまたまた掲載されました。もっと早くdiaryでも紹介しようと思っておりましたが、準備にかまけて遅れてしまいました。もうとっくに読んだよと言う方もあると思いますが、「教育とは何か」に関わる大事なことだと思います。ぜひ、お読み下さい。

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 何のための「人づくり」効率性重視の姿勢疑問

 衆院選が終わり、第4次安倍内閣が発足しました。憲法の前文を借りれば「国政は国民の厳粛な信託によるもの」であることは片時も忘れず、「その福利は国民がこれを享受する」政治をお願いしたいものです。世界に誇れる日本国憲法の精神を体して事にあたっていただければ、「謙虚」などという合言葉は不要と思います。
 私には、安倍晋三首相の強い改憲意欲のほかに、憂慮することがもう一つあります。安部首相が6月の記者会見で披露した「人づくりこそ次なる時代を切り開く原動力。これまでの画一的な発想にとらわれない『人づくり革命』を断行し、日本を誰にでもチャンスあふれる国へと変えていく」という「人づくり革命」なるものです。

 よく言われる「人材」も気になる言葉ですが、そこに「人づくり」が出てきて、しかも「革命」だというのです。人づくり。私は長く教育の仕事に携わりましたが、全く考えたことがありません。国が政策の柱の一つとして人をどう考え、どう変革しようというのでしょう。恐ろしくなってきます。
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 世界人権宣言は「全ての人間は生まれながら自由で、尊厳と権利について平等である。人間は、理性と良心を授けられており・・・」と述べています。日本の教育基本法も同趣旨の理念を掲げています。全ての人の尊厳は重んじられなければなりません。学校も教育もそこがベースだと私は思います。

 私の頭の中がもやもやしていた9月、安倍首相は今度は「人への投資により生産性の向上を担う『人づくり革命』の具体案を検討する有識者会議・・・」と言いました。つまり、「人への投資により生産性の向上を担う」のが「人づくり革命」だというわけです。

 「ひとづくり」は、経済に資するためのもの。国の経済力を高めるのに役立つ国民にするために、国を挙げて取り組んでいくということのようです。政府がその権力で「人づくりカクメイ」なるものを推進するなんて、私はとても肯定するわけにはいきません。

 教育は学校教育に限ったものではありませんが、その多くを担う学校教育のこれからがますます心配になるのです。今でも教育の自由ががんじがらめで、教育基本法に掲げられている「教育の目的」は遠くなっていると思います。そこにこのカクメイが進められたならば、どうなるでしょう。

 「生産性向上のための人づくり」の名の下に、学校はますます画一化し、その結果出てくるであろう、そこに収まらない人間は不要ということでしょうか。そんなことはありません。多様な人間がいてこそ、社会は成り立つのです。
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 人が経済発展に資することを否定するのではありません。狭い人間観に危険性を感じるのです。国の将来のためにも、個性を尊重した多様な育ちの保障こそ、国が緊急に考えなければならないことです。「人づくりカクメイ」などとうたうのではなく、人の育つ環境整備に一段と力を入れてほしいと願います。

辞典を読むことのおもしろさ

 25日の新聞(河北新報)スポーツ欄に日本ハム新人選手入団の記事が載っていて、「清宮『夢与える選手に』」という横見出しがついていた。今年のドラフトの超目玉はどこまでも追われる。

 この日の国語学習会で、辞書のこと、それに関わって「類義語」に触れようと思っていた私は、この見出しの「与える」にひっかかった。

 というのは、3・11後、心配して現地に駆けつけた多くの芸能人やプロスポーツ選手たちがインタビューのなかで、「被災した人たちに元気を与えられれば・・・」という類のコメントをよく発していた。その気持ちに強く打たれながらも、同時に、繰り返し使われる「与える」という言葉の響きに、なんとなくすっきりしない感じをもちつづけていたことも清宮の見出しに目がとまった理由になる。

 その記事を読んでみた。「『・・・子どもたちに夢を与えられる選手になりたい。』と目を輝かせた。」とあり、ここでは見出しと違って、スムーズに読めた。

それはなぜだろう。どうやら、記事の方は与えたいと思う対象が「子どもたちに」と明記されてあり、見出しの方はその対象が書いていないことの違いによるからであろう。とは言っても、対象が書かれていればいいのではない。この場合は間もなく社会人になる清宮が「子どもたちに」と言っているので違和感を覚えないように思う。もし、この私の受け止め方が間違いなければ、見出しの「夢与える選手に」は、清宮という人間を誤解させるタイトルになるということになろう。

 なんとなくの「感じ」でものを言っていることが気になり、手元の辞書を何冊か見てみた。

 「新明解辞典」(第4版)は、私の推測にあたるものは書いていない。次の「大辞林」には、「①自分の所有する物を目下の相手に渡し、その者の物とする。②時間・条件など相手が利用できる状態にしてやる。③相手にそれを課す。④他者に何らかの影響をおよぼす。」とあり、①の意が私の「感じ」に重なるが、「所有する物」とあるので、当たっているとは言い切れないように思う。3冊目は「表現類語辞典」(東京堂出版)。これには「現在では、目上・年上の者が、恩恵的な意味で目下・年下の者に何かをやる場合に使うことが多い。」とある。ほぼ私の「感じ」に近づいてきた。いや、重なってきた。もう一冊、「類義語使い分け辞典」(研究社)。「『与える』は文章語で、『授ける・賜る』ほどの差はないとしても、上から下への物の移動になる。具体的なものでもよいが『注意・機会・時間・賞罰・仕事・問題・責任・不安・刺激・安心感・損害・ショック・ダメージ』など、抽象的な場合に多用され、与えられた方はそれによって大きな影響を受けるが、与える側には感情的なものはほとんどない。」とあり、どうやら私の「感じ」は間違いではなさそうだ。

 前述の芸能人たちの被災地での「与える」では、「元気を与える」などはまちがいではないが、被災者は不特定多数が対象になるのでしっくりこなかったのだろう。

 辞典は小説などを読むおもしろさと違ったおもしろさがある。「お前、暇だから」といわれそうだが・・・。( 春 )

木村草太講演に触発されて、「笑い」を考える

 19日にみやぎ憲法9条の会の集会に参加。今年の講演者は木村草太さん。テレビでコメンターとして活躍しているのを見てきていた。しかし今回の講演会に参加し、木村さんの印象が変わった。髪が長くなったことだけではない。テレビでの話しぶりとは全く違う話し方だった。その語り口で講演中、何度も参加者を腹から笑わせるのでした。

  そんなことから「笑い」について、書き留めておこうと思った。実は「笑い」について書こうと思いついたのは、1ヶ月も前の10月中旬だった。NHKの朝の連続ドラマ(ボクはセンターで昼食を食べながら見ることが多い)で、10月からの「わろてんか」が始まったのが、そのきっかけだった。Y興業の創業者の話ということだが、ここ10年近く、テレビで「お笑い」「クイズ」「食べ歩き」の番組ばかりが全盛で、テレビから遠ざかっていたのだった。
 「わろてんか」を見ながら、大分以前に、確かこのダイアリーにも筆をとっていただいている<春さん>の紹介だったと思うのだが、「笑いとユーモア」(ちくま文庫)という織田正吉の本を知り、久しぶりに書棚から出して読み直した。
 目次をめくると、1;人を刺す笑い(ウイット)2;人を楽しませる笑い(コミック)3;人を救う笑い(ユーモア)の3章立てになっている。そして「笑い」について「笑いを起こす原因を『おかしさ』と呼び、おかしさによって起こされる感情を『笑い』と呼ぶ」と書いてあった。
 私たちは(少なくとも私は)、笑いを考えるとき、この3つの違いをごちゃまぜにして話していたように思えて、はっと気づかされたのでした。テレビのお笑い番組で、出演者に「笑わされている」のが「笑い」だと思ってきたように思うのです。
 冒頭の木村草太さんの話が引き出す「笑い」は、いわゆる「ユーモア」が引き起こした「笑い」です。
 ちなみに織田が「ユーモア」について書いている所を抜いて紹介します。 

 ユーモア感覚は、あらゆる種類の心の束縛から解放されるための一つの能力です。それは、固定観念や先入観をとりのぞき、アイデアをひらめかせ、表面の現象にとらわれないで、かくされた真相や実体を見抜くことのできる知性の一種です。そして、ユーモア感覚がもっとも力を発揮するのは、困難、逆境、対立、被害など、マイナスの事態がまわりに起こったときです。

 

 ついでに「定義集」(筑摩書店)を開いてみたら、「笑い」について、デカルトボードレールベルクソンなど著名な人たちの「笑いの定義」を紹介していますが、その中に「ユダヤ格言」があり、そこには『生物のなかで人間だけが笑う。人間の中でも、賢い者ほどよく笑う』という一行が目を引いた。

 この織田の本を紹介してくれた春さんも、ユーモアの達人です。学習会や打ち合わせ会議で周囲が行き詰まったり、展望が見えなくなったとき、いつも周囲を笑わせてくれるユーモアのあふれた話をしてくれるのです。

 という訳で、筆無精のボクの背中を押してくれた木村さんに感謝です。ダイアリーらしからぬダイアリーになってしまった。お許しを。 <仁>

今度の土曜日です! 第3回 こくご講座

 今年最後の『こくご講座』を開催します。
 前半は、作品の読みの力をつけるにはどうしたらよいのか、前所長の春日辰夫さんが作品の「まえがき」や、辞書の活用方法やおもしろさなどを中心に話をします。
 後半は、2つの分散会に分かれて、具体的な授業づくりについて話し合いをします。今回は、4年生で扱う戯曲の『木竜うるし』と、6年生で扱うヒロシマのうた』を扱います。それぞれの教材で、どんな魅力的な授業をつくれるのか?話題提供者の話をもとに話し合います。

 事前申し込みなどは必要ありません。でも参加できる会です。みなさんの参加をお待ちしています。

・と   き   11月25日(土)13:30~16:30  

・ところ   フォレスト仙台ビル 2F会議室

                      ※参加費 200円

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もうすぐ開催です! 中村桂子さんによる高校生公開授業

 参加高校生、まだまだ募集してます!

 中村桂子さんによる高校生公開授業も、当日(12月2日) まで残すところ後2週間を切りました。現在、受講希望の高校生は20数名ほど。募集人数は40名ですから半分を過ぎたところです。
 高校生公開授業は、2006年、東大の小森陽一さんが宮澤賢治の童話『烏の北斗七星』をテキストに行ったのが始まりでした。その時の受講生は24,5名だったと記憶しています。高校生と小森さんとの緊迫したやり取り、そのやり取りを《この授業は、どこへ行くのだろう?》と固唾を飲んでまわりから参観した大人たち、その熱気のすごかったこと。今のことのように思い出されます。あれから、もう10年が経ちます。

 先日、大変うれしいことに、S高校のH先生から「受講したい高校生がいる」と、連絡をいただきました。話のなかで、現在、受講生が20名ほどになったことを伝えると、「せっかく中村さんが来てくれるんだから、ぜひ40名をめざして高校生と中村さんとの出会いをつくらなきゃ」と、叱咤激励を受けました。

 正直、20名ほど集まって、ちょっとホッとしていたところがありました。H先生のご指摘のように、やっぱり中村さんとの素敵な出会いを一人でも多くの高校生たちに経験してもらう、そのためにも後2週間、受講生40名をめざして取り組んでいきたいと思います。

 このdiaryに目をとめてくれた学校の先生や高校生のいらっしゃる保護者の方、知り合いに高校生の子がいるという方も、ぜひ参加のお声がけ、ご協力をお願いします。( キヨ )
   高校生公開授業 参加申し込みフォーム

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  河北新報(11月9日付)でも紹介いただきました。