mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

ふゆの こくご講座・ご案内

 『国語なやんでるた~る』とは別に、今年最後の『ふゆの こくご講座』を開催します。年末の忙しい時期と重なりますが、ぜひご参加ください。お待ちしております。
 詳細は、次の通りです。

◇と き 12月8日(土) 13:30~16:30
◇ところ フォレスト仙台ビル 2F会議室
               (仙台市青葉区柏木1-2-45) 

◇なかみ
 第1部(13:30~14:30)
  授業づくりのセンスを磨くPart3(講師:春日辰夫)

 授業は、子どもが教材である物語と出会うこと。そして教師は、授業の中で改めて教材と、そして子どもたちと出会いなおすこと。そのためには、まず授業をおこなう前に教師自身が教材である物語と出会うことが大切です。

 教師が教材と出会うために、物語のどのような言葉や文章に気をつけて読んだり、考えたりすることが大切なのか。第2部で取り上げる「ヒロシマのうた」、「木竜うるし」にも触れながら、その勘どころや目のつけどころについて話をします。今まで気づかなかった教材の魅力が見えてくるかもしれませんよ。

 第2部(14:40~16:30)
  授業づくりを味わう ~『ヒロシマのうた』『木竜うるし』をもとに~

 卒業を前にした6年生最後にふさわしい教材の1つが「ヒロシマのうた」ではないでしょうか。教師と子どもたちが教材とじっくり向きあい取り組みたい沙作品です。一方4年生の教材「木竜うるし」は、戯曲作品です。4年生の子どもたちのなかにも似たような関係がありそうです。そんな子どもたちの関係とも共振しながら、きこりの権八と藤六の楽しい言葉のやりとりやリズムを楽しめそうです。
 昨年も同じ2つの作品を取り上げました。今回は、昨年参加くださった方に授業をしてみてどうだったのかなどの話題も提供してもらいながら、さらに授業づくりの話し合いをしたいと思っています。

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新企画! 国語なやんでるた~る(第1回は、11月21日です)

◆ 悩んでいるのは、道徳だけじゃない!

 今年4月から小学校で始まった「特別な教科 道徳」にあわせて研究センターでは、「道徳なやんでるた~る」と銘打って、授業づくりの学習会を開催してきました。参加者みんなで《こうしたらいいんじゃないか、これはどうなんだろう》と疑問や意見を出し合いながらの授業づくりは、教科・道徳の問題や課題はさておき、とても楽しいものでした。そのなかで《悩んでいるのは道徳だけじゃないんだよ。他の教科だってどうしたらいいか、本当は悩んでいるんだよね》との声・・・。そこで道徳の授業づくりには一区切りつけて、これからしばらくは「道徳なやんでるた~る」から「国語なやんでるた~る」へと衣替えをし、国語の授業づくりについての学習会を行うことにしました。

  ちょうど先月の「秋のこくご講座」で、5年生の教材「大造じいさんとがん」の授業づくりをしたこともあり、単なる机のうえだけの学びに終わらせないで、せっかくだから実際の授業と授業づくりの学習とを並行しながら、それこそ授業実践をフィードバックしながら、みんなで授業づくりをしたら楽しいのではないかということになりました。
 話題提供には、5年生の担任をされている佐藤弘文さん、千葉政典さんにお願いしました。2人からの提案をもとにしながら、参加者それぞれの思いやねがい、悩みを出し合いながら授業づくりをしていきたいと思います。ぜひ、みなさんご参加ください。お待ちしてます。 

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季節のたより15 リンドウ

晩秋の枯れ野に咲く 青紫色の花

 11月になって、森の中は花が少なくなり寂しくなりました。
 小春日和のある日、森を歩いていたら、枯れ野にぽっとあかりがともったようにリンドウの花が咲いていました。思いがけなく懐かしい人に出会ったようなトキメキを感じました。 

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   枯れ野に咲く一輪のリンドウ。ふつうは複数個の花をつけることが多い。

 リンドウの花は秋遅くになってから咲き始め、霜が降りる頃まで咲き続けています。秋の野山を彩る代表的な草花なのに、山上憶良万葉集で詠んだ秋の七草には入っていません。キキョウやオミナエシなどに比べて花の咲く時期が遅いからなのでしょうか。

 清少納言は「枕草子」の「草の花は、なでしこ。・・・・」〈第64段〉の後半で、このリンドウにふれています。

竜胆(りんどう)は、枝ざしなどもむつかしけれど、異花(ことはな)どもの、みな霜枯れたるに、いと花やかなる色あひにさし出でたる、いとをかし。
                    〈新潮日本古典集成 枕の草子上〉

 りんどうは、枝ぶりなどは絡み合ってすっきりしないけれど、他の花がすっかり霜枯れた頃に、とてもはなやかな色合いで咲いているのは趣きがあるものですー。
 平安時代、居住地を少し離れると、あたりは一面の野原だったのでしょう。晩秋の霜が降りる頃、枯れ野に咲くリンドウの花を見つけたうれしさは昔も今も変わりないように思えてきます。源氏物語の「野分」の章では、「心とどめ取り分き植ゑたまふ龍胆」(心をこめて特別にお植えになった龍胆)との文章があり、平安時代にリンドウは庭先でも栽培されていた様子もうかがわれ、枝ぶりはともかくも、その青紫色の美しさは、古人の心をしっかりとらえていたようです。

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  つぼみは茎の先や葉の   花の形はつりがね形。  花びらの先は、とがって
  付け根に何個もつく。   陽光に敏感に反応。   三角形。

 リンドウ(竜胆)は古くから薬用としても用いられていました。根や根茎を咬むと非常に苦く、その苦さは中国では熊の胆以上だというので竜胆(りゅうたん)と名づけられたとのこと。日本ではその竜胆を「リュウタン」と音読みをしていたのが、いつの間にか転訛してリンドウ(竜胆)と呼ばれるようになったといわれています。

 リンドウの花はつりがね形です。つりがね形の花は、ホタルブクロやツリガネニンジンのように下向きか横向きにつくのが多いのに、リンドウは上を向いて毅然としています。陽光を好み、晴の日は花開き、曇天や夜間は閉じたままです。よい天気で虫たちが活発に活動するときだけ花は咲いて、後は花を保護しているように見えます。

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  花が終わると花の形はそのままに、花の青紫色は次第に薄れ、茶色に変わる。

  花は咲き終わると散らずに、果実を包みこむようにして残ります。果実は熟すと、枯れた花から突き出て2つに裂け、木枯らしの吹く日を待って、たくさんの細かい種子を飛び散らします。
 リンドウはかつては水田周辺の草地や堤防などで数多く見られました。農作業にあわせて定期的に草刈りがなされていたので、リンドウのような草丈の草花が育ちやすかったのです。今は手入れがされないので種子が発芽しても育つことができず、里山周辺のリンドウはその数を減らしています。

 秋遅く蔵王山栗駒山に登ると、リンドウの仲間であるエゾリンドウやエゾオヤマリンドウの群落に出会えます。 

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 蔵王のお釜とエゾオヤマリンドウ(花は茎の先にだけつけます) 苅田岳周辺で

 高山に咲くこれらのリンドウは、濃い青紫色をしていて、秋の陽の透明な光のなかに輝くとき、はっとするような美しさを見せてくれます。
 5年前、東京都美術館でフェメールの「真珠の耳飾りの少女」を見たときでした。大きな瞳の少女の頭に巻かれたターバンの青の美しさを目にして、一瞬、これはエゾリンドウの青だと感じました。髪を結んで肩先に流れるリボンの黄色はエゾリンドウの黄葉の美しさと重なって見えました。

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   エゾリンドウ(花は茎の先と葉の    エゾリンドウの葉の鮮やかな黄葉
   つけねにつけます)

 フェルメールの青はフェルメールブルーといわれる独特の深みのある青、彼の現存する数少ない作品に、この青と黄色の美しい組み合わせが見られます。
 ゴッホの「夜のカフェテラス」「ローヌ川の星月夜」も青と黄色が美しい絵です。彼の代表的な作品の多くに青と黄色が好んで使われています。
 青色と黄色はお互いを引き立てる補色の関係、その美しさを、自然はすでにさりげなく私たちに見せてくれています。ツユクサの花びらの青と雄しべの黄色、ワスレナグサの淡い青の花びらと中心の黄色い輪。青い空にくっきりと浮かんで輝くヒマワリの花やイチョウの黄葉。少し意識して自然を見るなら次々と見えてくるでしょう。
 秋は色彩ゆたかな季節、草紅葉や木々の紅葉、落ち葉や枯れ草のなかにどんな美しさが潜んでいるか、探してみるのも楽しいもの。ふだん眠っている感覚の回路がしだいに開かれていく心地よさも一緒に味わえるのではないでしょうか。(千)

長田弘さんは、どんな思いで『子どもたちの日本』を・・・

 詩人・長田弘の遺した著書の中に「子どもたちの日本」(エッセー集)がある。ご存知の方も少なくないだろう。
 映像がはっきり見えないと言えばそう言える書名だが、反復して読んでいると、(なんかいいなあ)と思えてくる。子どもの世界の様々を思い浮かべながら繰り返し読んでいると、「子どもたちの日本」なんて、今の日本の子どもたちの実情とあまりにもかけ離れ、夢の国みたいな様子が浮かんでくる。   
 詩人が生涯、もちつづけたのが「子どもたちの日本」ではなかったか。子どもたちの今・日本の今を憂いながら、詩人はいろいろと思いながらペンをすすめたのだろうか。

 詩人は今から3年前の2015年に亡くなっているが、このエッセー集は2000年に出版されている。そのあとがきによれば、構想を立て、書き始めたのは1996年という。
 96年と言えば、私が学校を去った年になる。
 当時は、まだまだ子どもたちは伸びやかに動きまわっていて、学校は子どもたちの城だったと言ってもまちがいではなかったと思うが・・・。
 その1990年代を書名に重ねると、詩人は、(「子どもたちの日本」なのに・・)と、決して悲観的な思いでつけたものではなかったのかもしれない。しかし、現在の私たちの国の様子を思うと、この書名といつの間にかあまりにかけ離れてきていることにやりきれなくなる。子どもたちの変化の因は子どもたちにあるのではなくて大人にあることことはまちがいなかろう。
 書名「子どもたちの日本」は、すべての人々が心豊かに住める日本と同意であり、そう言える日本への願いと受け止めるべきととらえたい。

 さて、このエッセー集は、「ひとは子どもから大人になるのではありません。子どもとしてのじぶんをそこにおいて、ひとは大人というもう一人のじぶんになってゆきます。そこにというのは、じぶんのなかにです。子どもというじぶんを見つめながら、ひとは大人というもう一人のじぶんになる。ですから、大人のじぶんのなかには、じぶんがずっと見つめてきた子どものじぶんがいます。あるいは、大人のじぶんをずっと見つめている子どものじぶんがいます。~~」と始まる。
 (そうか、そうなんだ・・・)とドキッとする。そして、素直に納得しながら、子どもの自分との同居を容易に認めがたく(まるっきり意識せずに)生きている自分にもハッとさせられる。

 もし、日常の生活の中で、「大人のじぶんをずっと見つめている子どものじぶんがいる」ことを認めて生きることができたら、他を見る目が違い生き方も違ってきて、身のまわりがこんなにギスギスしないだろうと思う。
 それはもちろん、自分の周りだけではなく、世の中全体の在り方が今とガラリと変わるのではないかとも思う。学校生活の問題に限られているように議論されている「いじめ」問題なども、詩人の言っていることを反芻してみることの意味は小さくないのではないか。
 そのためにも、詩人の言う「大人のじぶんをずっと見つめている子どものじぶんがいる」とはどんなことなのだろうかみんなで考えてみたいものだ。( 春 )

東大教授の小森さん、小牛田農林に突然あらわる

 みやぎ教育のつどいが終わり、これまでの疲れがどっと出たのか日曜日から風邪でダウン。ところが週初めの月曜の夜、小牛田農林高校のS先生から突然の電話。どうしたのだろう?と思いながら枕もとの携帯をとると、「つどいで会ったときに言い忘れたんだけど、水曜日に小森さんが授業をしに来ます」との話。一瞬小森さんってどこの…?と思いましたが、言わずもがな東大の国文学を教える小森陽一教授です。

 小森教授と小牛田農林高校は、これまでも小森さんが直々に授業をしにきたり、はたまた小牛田農林の国語科と英語科の先生が一緒に取り組むユニークな『100万回生きたねこ』の国語の文法と英作文の授業を参観・助言に来たりと、ずいぶん親しく交流する関係ができていました。そして私たち研究センターも、毎回そこに参加させていただいてきました。
 そんなこんなで、今回も小牛田農林に来るとの連絡。もちろん、小森さんが来るなら「ぜひ行きます!」と二つ返事したいところですが、あまりに急で誰も行けそうにない。わたしも風邪が治りそうもなくお断りしたものの、当日居てもたってもいられず「いざ鎌倉」ならぬ、「いざ小牛田」の思いでついぞ行ってきました。以下、一参加者としての感想です。

 今回、小森さんが授業で取り上げた教材は、宮澤賢治の詩「永訣の朝」です。1コマ50分の授業時間では、残念ながらこの詩を読み深めるというところまで進むことは厳しかったようです。それでもこれまで同様、高校生たちに「なぜそう思うの?」「その心は?」などとしぶとく食らいついていました。そのように、なかなか答えを言わない寡黙な恥じらいを見せる高校生たちを前に、すぐに「はい、じゃあ次の人」と、話を他の生徒に振らない、逸らさないところが実は小森さんのすごさ、真骨頂ではないかと密かに思っています。君(生徒)に応えてほしいという愛がほとばしっていると言ってもいいかもしれません。しかし、今回はその愛がちょっと届かなかったようです。でも、がっかりしないでください小森さん。そういうこと、いくらでもありますから。

 授業後には合評会も行われました。とても楽しかったです。詳しくは書きませんが、合評会の話し合いの中では、作品の中にある【みぞれ(あめゆじゆ)】から【雪】、そして【アイスクリーム】へと変化していくことをどう解釈したらいいのだろうかとか、「わたくしはまがつたてつぽうだまのように」の「まがった」から「わたしもまつすぐにすすんでいくから」の「まっすぐ」へと変わるところに、死に行く妹に対する賢治の思いの変化、あるいは賢治自身の決意のようなものがあるのではないかなど。さらには生徒たちが文学作品(物語)を読むとはどういうことかとの大変大きなテーマに至っては、3歳児のトイレ・トレーニングの話からアーサー王物語、ギリシャ悲劇、フロイトなども飛び出して壮大な話の展開となっていきました。私自身も先生方のやり取りを全部わかって書いているわけではありませんが、とにもかくにも小森さんと参加した先生方のやり取りを聞いていると、国語ど素人の私なりに、改めて「そうなんだ!」という発見が幾つもあり、ちょっとは賢くなった気になりました。

 今回驚いたことは、他の高校の先生たちがずいぶん参観しに来ていたことや(20名以上いたかなあ)、また授業後の合評会にも多くの先生方が残られていたことでした。小森さんを学校に招くことも含め、地道にこれまで授業づくりに取り組んできたことが、こうした広がりにつながってきているのだろうと思いました。改めて小牛田の先生方の日々の努力と、そして学校現場からの熱い思いに一肌も二肌も脱ごうという小森さんの心意気と誠実さを感じる一日となりました。みなさん、ありがとうございました。

 そして、これからもこれまで以上に、私たち研究センターも一緒になって創造的な仕事ができるといいなあと思いました。(キヨ)

PISA学力テストの真のねらいは? 新自由主義とどう関係するのか。

 『2018みやぎ教育のつどい』の記念講演は四国は高知から、鈴木大裕さんを迎えて行われました。大裕さんの著書「崩壊するアメリカの公教育 ~日本への警告~」を読み、認識を新たにしたことがあります。それはPISAのテストについてです。以下、少し長い引用になります。 

  PISAというテストの質を批判するつもりはない。PISAは「知識を実生活に適用する能力」の評価を打ち出し、受験を前提とした机上の詰め込み教育とは一線を画してきた。PISAに対する十分な批判が展開されてこなかったのはこのあたりが理由だろう。
 しかし、真の問題はPISAが助長する新自由主義の流れであり、PISAを通してOECDが世界中の公教育システムを遠隔評価し、監視、競争させ、政策誘導し、世界教育市場の拡大と活性化を促進している現在の新自由主義的な構図そのものにある。(中略)その意味で、OECDが前提とする、世界市場における経済的競争力の増強を目的とする、狭く偏った学力観は、人間の教育の経済的課題に対する服従といっても過言ではなく、そのOECDが世界の公教育を評価し、各国の教育政策に多大な影響を与えていることを私たちが当然のように受け入れている事実は、新自由主義が私たちの心の奥底まで浸透していることを物語っている。
 「数値による統治」なしに、地域の多様性を越えた国際学力到達度調査は存在し得ない。「数値を集め、操作するための規則は広く共有されているので、それらは簡単に海や大陸を越えて、活動を組織したり論争を解決したりするのに用いることができる。」PISAはこの『距離のテクノロジー』を駆使し、教育という本来極めて主観的で環境に左右されやすい人間的な営みを、環境の多様性を削ぎ落とし、ペーパーテストで客観的に測定・比較することができる「パフォーマンス」数値へと抽象化することによって、教育の遠隔操作を可能にした。(中略)教育が数値化され、世界規模で標準化されることによって出来上がるのは、テストの点数を「通貨」としたグローバルスケールの教育市場だ。
 数値化と標準化に伴う教育の商品化のもう一つの例は、教えるという行為のテクニック化だ。ただ点数を上げることだけが求められるのだから、学校は進学塾化し、教えるということはもはや点数を上げるためのテクニックでしかなくなってしまう。 

 教育出版社であるピアソン社。ピアソンはPISAの運営を委託されたことで世界最大の学習到達度調査のオフィシャルブランドになっている。PISA関連の出版、模擬テスト、データシステム提供など、その利益は計り知れない。OECDの教育次長、かつPISAのディレクターであるシュライヒャー氏はピアソン社の顧問だそうだ。
 PISAの国際比較から始まった学力テスト体制を考える意味でも、大裕さんのこのような指摘は頭に入れておかなければならない。  <仁>

季節のたより14 ゲンノショウコ

すぐれた薬草のミコシグサ(神輿草)

 ゲンノショウコの花を散歩道で見かけたのは8月初めでした。花の期間は長く、10月中頃まで、じっくりと花を咲かせていました。

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   ゲンノショウコの花。ルーペでのぞくと、色合いが豊かです。

 ゲンノショウコは開けた日あたりの良い土地で、ちょっと半ひかげになる所が好みのようです。以前は、年に何回か草刈りが行われる田畑の土手や野原に数多く見られました。都市化された公園や緑地帯では見られないのは、暑さや乾燥が激しく、そうした環境には耐えられないのでしょう。数はしだいに少なくなっているようです。

 私が出会ったゲンノショウコは、日あたりがよく、程よく湿り気のある場所に小さな群落を作っていました。群落の中に背丈の高い草が生え日かげにならないよう、すきまなく密集し自分の陣地を必死に守っているようです。花の先にある茎をたぐり寄せてみると、草丈は30cmから1mほど、意外に長く驚きました。茎は横になって地面を這いよく分枝しています。分岐して立ち上がった先端にかわいい花を咲かせています。

 ゲンノショウコの花は、白花と赤花が見られます。図鑑では白色は東日本、赤色は西日本に多いと記載されていますが、私の散歩道(仙台市太白山付近)ではどちらも咲いています。地域によっては、花色も必ずしも赤と白でなく、淡紅色、紅紫色と変化に富んでいるようです。

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  白い花。花びらに紅い筋が美しい。     赤い花。花びらの紅色が鮮やか。

 花を良く見ると、花びらは5枚、雌しべ1本、花柱がきれいに5つに分かれています。雄しべは10本あるのですが、雄しべは雌しべよりも先に成熟して、雌しべが成熟する頃には雄しべが落ちてしまいます。これは自家受粉のマイナス面を避けるための知恵なのでしょう。
 花びらには紅い筋がありどこかお洒落で気品を感じさせる花ですが、なんといっても興味深いのはその実と種子です。
 花が受粉の役目を終わると、中央のめしべがそのまま伸びて果実になります。果実の形は小さな灯台のようです。

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   花のあとの果実。緑色から黄緑色に変化、種子が熟すと黒くなります。

 実の根元には黒い種子ができています。これが熟すと果皮が5つに裂けて、種子をくるりと巻き上げ、ピッチングマシーンのごとく、放射状に弾き飛ばします。種子は5個、できるだけ違う方向に遠くまでとばそうとしています。自然はなんと巧妙なしくみを考えだすものでしょう。
 多くの種子はそのまま飛んでいきますが、中には未成熟なのか、乾燥が不十分なのか、果皮の先に残るものもあります。その種子はその地にこぼれ落ちますが、親が成育している場所は、もっとも生育の環境に適した土地ですから、その地で育つ可能性は十分あります。弱い子は親元に残し、元気な種子は遠くへ跳ばし新たな生育環境に挑戦させようとしている。どこか人間の親にも似ていますね。

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  果実の根もとの種子   はね上がる果皮     飛ばずに残った種子

 種子を跳ばしたあとの姿もユニークで、西洋の宮廷を飾るシャンデリアのよう。日本では祭りに担ぐ神輿の飾り屋根を連想させました。秋から冬の野は色彩が消える季節、花のがくの赤い縁取りに乗った神輿飾りはとても映えます。それでゲンノショウコは「ミコシグサ」(神輿草)という名でも親しまれてきました。

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  ミコシグサと呼ばれるゲンノショウコ。種子を飛ばした後の姿は華やかです。

 ミコシグサという呼び名もぴったりですが、それにもまして、ふるっているのはその本名でしょう。
「さあさ、お立会い、煎じて飲めば、あら不思議。下痢に、便秘に、食あたり、たちまち効能、あらたかなり」と、ガマの油売りもどきの能書きを、そのまま名づけて、ゲンノショウコ(現の証拠)なのですから。
 この名前、比較的新しいのではと思ったら、江戸後期の草本研究書「本草綱目啓蒙」に、「根苗ともに粉末にして一味用いて痢疾(りしつ)を療するに効あり、故にゲンノショウコと言う」と記載があり、古くからドクダミ、センブリとともに民間の3大民間薬草として庶民にたよりにされてきたのでした。

 ゲンノショウコの薬効の主な成分はタンニン。タンニンはお茶や渋柿の苦味成分としても知られています。この成分はそれぞれの植物が虫の食害から身を守るためにつくりだしたものです。
 タンニンといえば、苦味より「渋い」というイメージが一般に定着、薬効があるとか健康にいいとかいっても相手にされません。そこで食品メーカーが一計を案じて考え出したのが、カテキンとかポリフェノールという言葉の言い換えでした。この名称なら健康に不安な現代人に効果的と考えたわけです。
 うまく当たって、今では健康効果に美容効果も加えられ、食品業界をにぎわしています。

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    これからの季節、野原を歩くと、神輿の風景が多く多く見られます。

 かつて朝日新聞で連載の「花おりおり」(湯浅浩史・文)で、ゲンノショウコの花にふれて紹介されていた一句。

 げんのしょうこ 二十株ばかり 植ゑたらば 吾が一年は 飲みたりぬべし
                              土屋文明

 昔のように薬草を煎じて飲む暮らしはもうなくなりました。忙しい日々の暮らしで健康も食生活もすべて薬品や食品メーカーにあずけてしまいがち、でも、自分の体と対話しながら食の知識、健康の知識を身につけて自立した暮らしだけは失わないようにしたいものです。(千)