mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより28 ヒメシャガ

ガクも雌しべも花びらにして、雄しべを隠す花の知恵 

 5月後半に入って、若葉の緑がしだいに濃くなってきました。尾根筋に続く遊歩道を歩くと、木立の中を抜ける風が爽やかです。その風に運ばれてどこからか樹の花の香りがしてきます。足元には、四方に広がる細長い葉を伸ばして、薄紫色のほっそりとした花が咲き出しました。ヒメシャガの花です。
 ヒメシャガはアヤメ科の花で、カキツバタ、アヤメなどと同じ仲間です。仙台地方では、この花の咲く頃にカッコウが鳴き出すので、「カッコウバナ」ともよばれています。

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       山里の道の端に咲くヒメシャガの花

 ヒメシャガは、北海道南西部から本州、四国、九州北部までの、山地や湿り気のある林の中、岩の斜面などに群生します。県内では、里山の林縁や山道の端に咲いていて普通に見られる花です。点在する岩の上などに、好んで乗りたがるところもあって、根が岩の上に露出し、その先のわずかの根が岩の隙間に入り込んでいるのを見ることもあります。

 ヒメシャガの「ヒメ」には、「小さくて愛らしい」(広辞苑)という意味があって、シャガの花に似ていて、それより小さいのでこの名があります。
 シャガは漢字で「射干、著莪」と書きます。アヤメ科のヒオウギの根茎から得られる生薬を「射干(やかん)」といい、「射干」はヒオウギを指していました。
 ところが、シャガが、ヒオウギの扇形の葉のつきかたとよく似ていて、いつの間にか、シャガに「射干」の字をあて音読みし「シャガ」とよぶようになってしまったようです。「著莪」はシャガの発音をそのままあてたものと思われます。

 ヒメシャガやシャガのようなアヤメ科の花は、6枚の花びら(花被片)があって華やかに見えます。でも、内側の花びら(内花被片)3枚が本来の花びらで、外側の花びら(外花被片)3枚はガク片にあたるものです。ガク片を花びらのように変えることで、花全体を華やかに見せて虫たちをよんでいるのです。

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      ヒメシャガの花        シャガの花          アヤメの花

 外側の花びらは横向きに垂れ下がっています。これは、やってきた虫たちが止まる足場として最適です。内側の花びらが上を向いているのは、水平方向から飛んでくる虫に、花を目立たせ大きく見せる効果があります。特にアヤメの花はその姿がはっきりと分かります。どの花も、外側の花びらには青紫や橙、白色の模様や斑点がついています。これは、虫たちに蜜のありかを知らせる大切な道しるべになっています。

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   ヒメシャガの花。外側の花びらに青紫と黄色の模様がみられます。

 ある日のこと、教室にヒメシャガの花を持ってきた子がいました。その子に「雄しべと雌しべはどこにあるの?」と訪ねられ、困りました。花をよく見ても、雄しべも雌しべも見当たりません。花びらを1枚1枚めくってみたら、雄しべが花の中にかくれていました。でも、雌しべが見当たりません。あわてて、植物図鑑で調べたら、実は、中央にそそり立って、先端がひげ状になっているものが、雌しべだったのです。

 普通,雌しべの先には少しふくらんでべとべとした柱頭がついているのに、ヒメシャガにはそれがありません。子房から細い花柱が伸びて、その先が3つに分かれています。その先がさらに細かく避けて花びらのようになっています。柱頭はその細かに裂けた花びらの付け根にありました。ヒメシャガは、ガク片だけでなく雌しべも花びらのように姿を変えて、花をいっそう鮮やかに見せていたのでした。

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先端が裂けて花びらのようなものが、ヒメシャガの雌しべです。

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花びらをとると、雌しべの下の花柱の陰に隠れた雄しべが見えます。

 雄しべは3つに分かれた花柱の陰にそれぞれ一本ずつ隠れるようについています。蜜を求めてやって来たハチが花の中にもぐりこむと、花びらと花柱に挟まれ毛深い背中に効率的に花粉がなすりつけられるしくみになっています。
 それに、梅雨の時期に花を咲かせるアヤメ科の花にとって、雨は大敵です。雄しべが花柱の陰にあると、ちょうど屋根をかけられたようになります。これは、花粉が雨で流されないための知恵と考えられないでしょうか。改めて自然のしくみの周到さに驚かされます。

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   ヒメシャガの群落。花は、朝に開花し夕方にしぼむ一日花です。

 福島県郡山市を訪れたとき、このヒメシャガの花が、「あさか山」で芭蕉が尋ね歩いた「花かつみ」の花ということにして、市の花として制定し、大切に守られていることを知りました。

 「はなかつみ」とは万葉集古今和歌集などに登場する大変優美な花です。古くから和歌などに多く詠まれた花でした。奥の細道の旅に立つ前、芭蕉が門人に送った手紙には、「塩竈の桜、松島の朧月、あさかのぬまのかつみ」の名を挙げてみちのくへの思いが綴られています。芭蕉の花かつみへの深い思いと憧れが感じられます。

・・・・・・此のあたり沼多し、かつみ刈比もやゝ近うなれば、いづれの草を花かつみとは云うぞと、人々に尋侍れども、更知る人なし。沼を尋ね、人にとひ、「かつみかつみ」と尋ねありきて、日は山の端にかゝりぬ。
              芭蕉 おくのほそ道・あさか山 岩波文庫

 芭蕉が尋ねど探せど、花かつみを知る人もいなくて、発見もできなかったようです。和歌の世界であまりにも有名な花かつみですが、その花がどんな花なのか、本当は誰も知らなかったのでした。この花については、「マコモ」「ハナショウブ」「デンジソウ」、そして「ヒメシャガ」などの説があげられ、今も謎に包まれたままです。花かつみは、いにしえの詩歌の世界で花ひらく幻の花なのかもしれません。

 ところで、植物の葉には表と裏がありますが、ネギの葉は表か裏のどちらでしょうか。植物の葉の表裏は学問的には決められていて、茎の方を向いている側、つまり、新芽の葉が開くときの内側の部分で、葉が開き切ると上を向いている方を表といい、その反対側を裏というのだそうです。
 ネギの葉を調べてみると、見えている部分は全て裏側でした。ヒメシャガ、シャガなどのアヤメ科の葉も、ネギの葉をちょうど平たく押しつぶしたような感じで、見えている部分は全て裏側でした。全く表がないわけではなく、葉の元の方に、折りたたまれるようにして茎を抱いている内側の、表になる部分が少し見えます。この様に一面だけしか見えない葉を植物学では「単面葉」といっています。単面葉であることが、植物にとってどんな意味があるのかはまだ不明で、とても興味がわいてきます。

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   筒状のネギの葉は全て裏の葉      平たいヒメシャガの葉も全て裏の葉

 可憐に野に咲くヒメシャガの花ですが、雌しべや雄しべ、そして細長い葉の姿も、独特の形をしながらその役目をはたしていて、常識的な眼でものを見てはいけないことを気づかせてくれる貴重な植物でもあるようです。(千)

いっしょに『特別の教科 道徳』について考えませんか?

 昨年度からすでに小学校では『特別の教科 道徳』の授業が行われていますが、この4月からは中学校でも始まりました。

 小学校での導入が始まった時に聞かれたように中学校現場からもどう取り組んだらいいのだろうとの戸惑いの声が聞こえてきます。
 一方、小学校の先生からは「道徳なやんでるた~る」はやらないの? 今年もぜひやってほしいなどの声も・・・

 それらの声にどれだけ応えられるかはわかりませんが、大事なのは、まずはみんなで悩みや疑問・課題を共有し、考えていく場を持つことだと思います。そこで、以下のような学習会を企画しました。
 ぜひご参加ください。みんなで考え合いましょう。

◇道徳と教育を考える会
 新年度に入って1回目の会となります。今回から宮城・仙台で使用されている東京書籍の中学校 道徳教科書の検討を、各学年ごとに行っていく予定でいます。
 また宮城・仙台でその取り組みが広まってきていると聞く、P4Cについても扱う予定です。

日 時 5月26日(日)10時~12時
会 場 みやぎ教育文化研究センター案内地図
内 容 ・東京書籍『新しい道徳1』の教科書検討
    ・P4Cについて


◇道徳なやんでるた~る
 先ず小学校からは、この1年間、道徳の授業をどんなふうに取り組み感じてきたのか、中学校からはこの4月から授業が始まってどんな現状や悩みを抱えているのかなどの情報交換・交流を行いたいと思っています。

 また後半は、少し具体的に小学校3年生の教科書教材をみんなで読み合いながら、この教材だったらこんな授業ができるのでは・・・という授業づくりについても考えていきたいと思います。

 なお話題提供者に、昨年「道徳なやんでるた~る」の学習会で中心的に授業づくりを担ってくださった佐々木久美さんをお願いしています。

日 時 6月4日(火)18:30~
会 場 みやぎ教育文化研究センター案内地図

内 容 情報交換・交流
     小学校・・・1年間取り組んでの状況や感じたこと・悩み、評価など
     中学校・・・取り組むにあたっての学校の現状と悩みなど

     小3の教科書教材をもとにした教材検討

   〈話題提供〉佐々木久美さん

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西からの風11 ~教室から6~

 黒澤作品『生きる』と学生たち

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 私はこの「教室にて」のコーナーに、昨年度の大学での自分の授業体験をとおして感じ考えたことを書き綴ってきた。その締めくくりにぜひ取り上げようと思った事が一つあった。ところが、忙しさにかまけてできないでいた。それを書き残しておきたい。

 「社会倫理学」の授業で私は次の課題を締めくくりのレポート課題として出した。黒澤明の傑作『生きる』をレンタルして家で観て、その感想をレポートせよ、との。書いておきたいのは、その提出されたレポート群の束を読んで、あらためて痛感した事についてだ。

 この授業の教科書には、拙著『創造の生へ——小さいけれど別な空間を創る』(はるか書房)を使った。その第Ⅱ部「応答の倫理学」の最終章(第6章)は、かの『夜と霧』の著者として名高い実存的精神分析の思想家フランクルを取り上げたもので、そのタイトルは「《生きる意味》についての問いのコペルニクス的転回」である。その章の最後に私は補注を一つ付けている。まさに黒澤の『生きる』についての注である。私はこう書きだしている。——「そこに波打っている思想は、僕には、人生の意味を問う際に問いの立て方の『コペルニクス的転換』を主張したフランクルの思想と驚くほど重なってくる」と。そしてこの作品の簡単な紹介をおこなっている。
 ここでいう「コペルニクス的転回」とは、フランクルの次の問題提起を指す。私はそれをまるまる引いて、そこに私なりの解説をほどこし、この章としたのだ。

 私たちが『生きる意味があるか』と問うのは、はじめから誤っているのです。つ
 まり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し
 私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私
 たちは、人生がたえずそのときそのとき出す問い、『人生の問い』に答えなけれ
 ばならない、答を出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われ
 ていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなり
 ません。そしてそれは、生きていることに責任を担うことです」。
            (『それでも人生にイエスと言う』春秋社、27~28頁)

 そして、こう繫げた。——「或る市役所のうらぶれた定年間近の課長渡辺(志村喬の驚くべき演技!)は偶然自分が癌の末期にあり余命が半年に過ぎないことを知る。彼は自分の人生を顧みて自分がまだ一度も『生きる』という実感を味わったことがないという絶望に打ちのめされ、一度でもいいからそれを味わってみたいと焦燥する。その渦中で、或る時、彼はかつて市役所の部下であり今はおもちゃ工場に働く一人の若い女性の一言に、突然目が覚めるような衝撃を受け、今までの焦燥を振り切った別な感情と意識のなかへと没入してゆく。彼は、人生の意味をめぐるこれまでの煩悶を突破する或る種の回心を遂げるのだ。フランクルのいわんとするところを理解するうえで、この黒澤作品の鑑賞を僕は強く奨めたい。」

 学生のレポートの束には紹介したい言葉が溢れている。彼らはこの補注を真正面から受け止めてくれたのである! 紙面の関係でそれができないことが残念だ。ほんのそのごく一部だけだが、紹介したい。

 私は打たれた。文字通り学生全員がこのモノクロの、ほぼ70年前の、音声も悪い、「昔の映画」に即座に見入ってしまったこと、そのことに驚いているのだ。例えば、こうある。「まず、白黒映画ということで、正直見ずらいし、あんまりおもしろくないだろうなぁと思った。しかし、白黒映画なのにそれを忘れるぐらいの没入感がそこにはあった」。
 この「没入感」をなにより物語るのは、彼らが、この映画に出て来るいわば「決め台詞」を実によく記憶し、それをレポートに書き記していることだ。それらは彼らの脳裏に刻まれた言葉となったのだ。
 主人公の渡辺を語る最初のナレーションがたちまち学生の心を捕らえる。「それって、俺のこと、私のことじゃん!」という小さな叫びが彼らの心から立ち上がるのだ。こうある。「冒頭の『彼は時間をつぶしているだけだ。彼には生きた時間がない。つまり彼は生きているとは言えないからである』『だめだ!これでは死骸も同然だ』というナレーションが、私にはかなり衝撃的なものであった」。「グサリと来た。自分のことを言われてるなと思ったからである」。「主人公が飲み屋で知り合った男に『いや人間は軽薄なもんですな。生命がどんなにか美しいものかということを死に直面した時、初めて知る。しかし、それだけの人間がなかなかいません。ひどいやつは死ぬまで人生の何たるかを知りません』といわれるシーンは特に胸に響いた」。「とても響いたセリフがある。『わしは人をにくんでなんかいられない。そんな暇はない』というセリフだ」。「『おもちゃを作っていると、日本中の赤ん坊と仲良くなった気がするの、課長さんも何か作ってみたら・・・』という女性の一言も、主人公が目を覚ましたように私自身もハッとさせられた」。

 また目立ったのは、この映画の二段構成(癌宣告を受けた渡辺の苦悩と変貌を描く前半と、彼の葬式の場面に急転し、そこで職場の同僚が彼らの目に映った変貌した渡辺の様子を回想する後半部との)の斬新さ・現代性に驚嘆し、高く評価する学生たちの声であった。
 「中盤まさか主人公がここで死んでしまうとは考えてもいなかったので驚いたが、その後回想で進んでいくというこの映画の構成があまりに新鮮で、黒澤明の技術に圧倒された」。「後半の、特に主人公の葬式がとりおこなわれながら、役所の人たちが回想するシーンが圧巻で、映画のタイトル『生きる』が題名にふさわしいと思わせるほどの名シーンであった」。「葬式内で市役所の職員たちが後日談のように渡辺の行っていったことを語りだす手法のほうが見応えがあったように思う」。
 映画の方法論の問題まで感じとり、かつ論じる、そこまでこの映画につきあってくれたことが私には嬉しかった。また、そこまで彼らにつきあわせる力をこの映画が今彼らにもっているという事実に、私は目を見張った。

 中にこういうレポートもあった。彼はこの映画を観るのは二度目だと書いている。3年前にたまたま或る映画祭で偶然に観た。だが、そのときは「非常に退屈だった」。今度課題に出され二度目に観たわけだが、「前回観たときとはまるで別物のように思えた。・・・〔略〕・・・前回退屈と感じられたシーンが非常に見ごたえのあるシーンに思えた」。彼は、今回はこの映画の幾つものシーンを自分に引きつけ重ね合わせ自問自答の波間を泳ぎながら観ることができたと書いている。渡辺は僕になった、と。そのことを、彼は「今回は、心に余裕を持ちながら観ることができたので、様々なことを考えながら観ることができた」と振り返っている。そして次の言葉でレポートを結んでいる。「言ってしまえば、この映画は難しすぎる。私が考えすぎなのかもしれないが、これほど心身を疲労しながら観る映画を、私は知らない」と。私は笑ってしまった。なぜ、余裕が疲労なんだ!?と。だが、思い直した。はたと気づいた。彼には「余裕」と「考えすぎる」ことがもたらす「疲労」とは一つのものなのであり、そういう「余裕」=「疲労」こそがかけがえのない青春の証なのだ。かつての自分の青春を顧みてもそうであったではないか、と。
 私は、私の授業が、第6章が、補注が、この彼の「余裕」=「疲労」に貢献できたと考え、秘かに自己満足に浸る。

 私は、今、二つの事を考える。
 「温故知新」という古い言葉がある。古いが、文化の営みの本質を端的に指摘する言葉である。文化の営みとは、一言でいえば「温故知新」である。しかしながら、この「温故知新」の絆が今日の日本ほどに脅かされだしている場所も無いのではないかという不安がよぎる。
 教育者の若者に対する重大な責務の一つは、若者を導いて彼ら自身に「温故知新」の感動を体験させることである。いったん、一つでも、「温故知新」という絆が存在するということを経験させ感動させるなら、あとは彼ら自身が勝手に探し出す。「温故知新」の絆を。あのかけがえのない感動を何度も味わいたくなる。

 このことが一つ。もう一つは、実はもう言ったことだ。
 教師の重大な責務の一つは、「出会い」を若者に贈ることである。もちろん、なかにはその教師そのものが生徒・学生にとって「出会い」そのものとなる、優れた教師もいるに違いない。だが、それは稀有な運命のプレゼントと考えるべきだろう。教師の誰もがそんな教師になれるわけもない。しかし、どんな教師も担うべき、また担うことのできる責務が一つある。それは何かに、あるいは誰かに、若者を「出会わせる」機会を自分の授業のなかで作ることである。
 今回、少なくとも一回、授業のなかで私は教師としてこの責務を果たした。黒澤の『生きる』に私の「社会倫理学」の受講生を「出会わせる」ことができた。私の秘かな誇りであり自己満足である。

「私は今、21才であり、今までの人生を振り返った時に必死になったり、時間に対して真剣に向き合ったことがない。それは自分の人生に対して失礼なのではないか」。「この映画は戦後すぐに公開されたのだが、半世紀たったいまでも変わらずに観た人に活気を与え続け、これからもずっと『生きる』というメッセージをどの時代の人にもどの世代の人にも届けることができる映画だと思った」。「昔の映画を観ることに抵抗があった私は正直なところ観るのが億劫であった。しかし観終わったときにはこの映画を若い間に観る機会があって心の底から良かったと感じた」。(清眞人)

岩川直樹さん講演会・報告

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 11日に行われた岩川直樹さんの講演会「30㎝の向こう側へ」は、とてもよい講演会になりました。残念だったのは、参加者が思っていたより少なかったことです。学校によっては、この日が運動会というところもあったようですし、その他にもいろんな催し物もあったようです。それらの影響もあったかもしれませんが、とてもよい内容だっただけに、もっと多くのみなさんに聞いていただきたかったなあと思いました。

 ただ参加して下さったみなさんは、日ごろの自分と子どもとの関係、あるいは保護者や職場の関係などを思い起こしながら岩川さんの話に引き込まれ、聞き入っている姿が見られました。感想からもみなさんそれぞれに満足してくださった様子が伺えました。
 センターの企画としては終わりましたが、岩川さんの話を聞く機会が、さらにそれぞれの参加者から広がっていくのもいいなあと勝手に思ったりしました。

 講演の前半は、教育という営み全体を「他者への関心」という視点から考えようということで「ケアの三角形」と「モノサシの三角形」という話をされました。今日の学校だけでなく、社会全体も含めた人と人との関係の有り様を考えるうえでとてもよい話でした。後半は、具体的な教育実践の話をとおして教育とは何か、いま教育・子育てで何を大切にしていかなければいけないのかをそれぞれに考え・問いなおす話となりました。
 講演内容は、今後のセンターつうしんで報告する予定です。

(参加者の感想より)

 講師の人選がすばらしいと思います。岩川先生の話を聞いて、子どもにもう一歩近づき、向かい合っていきたいという勇気をもらいました。また、ケアしケアされる職場づくりもしていきたいと改めて思いました。(AH)

 「30㎝の向こう側へ」~子どもに応える教育~というこの演題に心をひかれて参加しました。演題のとおり、人と人との関係性を築くことの大切さ、その築き方について考え、感じることのできたよい時間でした。学校の中だけではなく、社会の中で生きていく中で、不可欠なことであり、“ケアの三角形”のよいサイクルをイメージしながら仕事をし、生活していきたいと思います。(TI)

 30㎝を超えることで見えてくる本当の子どもの姿。全くちがった教室が創造される。二人の子どもの話から、それが事実として受け止めることができた。
「されど30㎝」とおっしゃった。モノサシがそれを許さない。モノサシを捨てさせる、あるいは忘れさせるものは何だろう。それぞれの教師が、モノサシを忘れるきっかけと出会えることを強く願います。(MS)

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GW我が家のよもやま話 ~ よっちゃんの睡眠大作戦 ~

 新年度の仕事の疲れをゴールデンウィーク(GW)で癒したパートナーのよっちゃんは、先週からまた元気に仕事に励んでいる。そんなよっちゃんのたくさんたくさんある悩みのうちの一つが睡眠だ。入眠はとてもよいのだが、少しの物音ですぐに目が覚めてしまう。前世はきっとくノ一忍者に違いない。つまりは眠りが浅く、よく言うところの深いよい眠りを得られないのだ。ところが、このGWに彼女のその悩みに一筋の光明がさした。

 GW中のとある晩のことだった。すでに夕食の片付けも済ませ居間で横になりながらテレビを見ていたよっちゃんは、うとうとと眠り込んでしまった。よっぽど疲れているのだろうとしばらく寝かせていたが、もう夜も更けてそろそろ私も眠くなってきたので声をかけてそのまま2Fに上がった。そのまま私は寝てしまったが、よっちゃんは疲れた体に鞭打ちお風呂に入って寝たという。

 翌朝起きて居間に降りていくと、私より遅く寝たはずのよっちゃんはすでに新聞に目を通し、私の姿を認めるやいなやてきぱきと台所に立って朝食の用意を始めた。休みの日はいつも疲れが出てゆっくりしていることが多いのにどうしたことかと声をかけると、「昨日、寝る前にネルノダを飲んだの。それが効いたみたい。昨日はぐっすり眠れて今朝は気持ちよく起きれた」と、上機嫌で話してくれた。ネルノダなる飲み物を知ったのは、この時がはじめて。ちなみに私が知っていたのは、ネルノダではなくチリの詩人パブロ・ネルーダだ。

 ネルノダは、GABAという成分が含まれ、「GABAには睡眠の質(眠りの深さ、すっきりした目覚め)の向上の機能がある」と説明されている。まさによっちゃんの今朝の様子は、ネルノダの説明そのものではないか? うれしそうに話をするよっちゃんをほほえましく見ていた私の横から、「お母さん、ネルノダ飲む前からぐっすり寝てたけど・・・」とグサリと息子のひと言。

 今朝、寝起きが快適だったのはネルノダのせいなのか、それともたんなる思い過ごしか。いやいやそれ以前にネルノダ飲む前のひと眠りがあったからなのか。
 その真相は分かりませんが、なにはともあれ、みなさんも体調にはくれぐれも気をつけましょう。( キヨ )

新企画!『 1年生めんこいゼミ』 みんな来てけろ

 小学1年生の子どもたちにとっては、毎日が初めてのことだらけです。担任にとっても、そんな1年生にどう向き合い関わっていったらいいのか、日々試されることになります。

 10連休が終わった月曜日は、休み疲れで体調がすぐれなかったり学校に行きたかったりした子もいたのではないでしょうか。久しぶりの学校でそわそわふわふわ落ち着かなかったりする姿も見られたかもしれません。(テレビには大人たちの体調不良、行きたくない病の姿もずいぶん映ってましたよね。)

 一方でGWが終わると、運動会の練習やさまざまな学習活動が本格的に始まります。「めんこいゼミ」を通して、悩みを出し合いながら子どもたちとの向き合い方や学習の進め方などについて考え合いませんか。参加者みんなでつくる学習の場です。ぜひ、ご参加下さい。

 それから今週末の5月11日(土)は、岩川直樹さんの教育講演会が行われます。
 ぜひ、みなさんご参加ください。お待ちしてます。(詳細はこちらを)

日時:5月22日(水)18:30~20:00
会場:みやぎ教育文化研究センター
内容:「ひらがな指導」を中心に

               ※参加費は、無料です。

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西からの風10(葦のそよぎ・裸形と境界)

 葦のそよぎ ー裸形と境界ー 

ここではあらゆる習慣的カテゴリーが混乱しているが、それゆえにこの境界状況とは、既成の一切の構造的確言にたいするラディカルな否定であると同時にまたあらたな観念やあらたな社会関係が誕生してくる元になる純粋可能性の領域だという。修練者たちは、ここでは一切の身分差、年齢差、性差、財産所有を否定されて、完全な平等性、等質性、匿名性の状態に置かれる。彼らはすべての社会的に制度化された役柄から解放されて裸形にもどることによって、「真に自分自身である」ことができるようになるとみなされるが、また同時に、そのように真に自己自身となることによって真に社会的共生をとりもどし、「各人は万人のために、万人は各人のために」という、いわば共産主義の理想が実現化するとされる。この境界状況が・・・〈構造〉を批判し破壊する〈反=構造〉の契機であると同時に、また構造を産みだし更新してゆく創造的原点でもあるのだ。
                 (竹内芳郎『文化の理論のために』)

 歴史には時として或る類まれな特権的な瞬間が、サルトルが好んでアポカリプス(「黙示録的瞬間」)とよんだ〈原始的自由の時〉と名づけられる瞬間が訪れる。それに出会い、それを生きることができた者は、そのことによってその後たとえどのような苦痛を味わうことになるにせよ、結局は幸せである。それはまさに瞬間としてたちまちに過ぎゆく現実であるが、しかし、その瞬間こそは精神の原理としては強固な持続を生みだすものなのである。というのも、精神の原理が〈自由〉にあるとすれば、この瞬間こそが精神がその原理たる自由を全身全霊をもって生き、身に刻印する比類無き時だからだ。

 こんなことを言い出したのは他でもない。「戦後」という言葉が完全に博物館入りした今日の時点にたって我が身を振り返るとき、同時に僕たちは自分たちが「父母」という存在に分類される仕儀にあいなっているのを見出すのであるが、その想いが僕たちに僕たちの「父母」への或る想いをかきたてるのだ。僕たちの「父母」、それはあの、世に言う「焼け跡闇市」の時空をその青春において生きた僕たちの歴史的「父母」のことだ。あるいは精神の原理としての。

 藤田省三は「戦後」という経験の核心についてこう指摘したことがある。「戦後経験の第一は国家の没落が不思議にも明るさを含んでいるということの発見であった」と。そしてさらにこの「明るさ」をこう説明している。「住ま居が焼き払われた惨状の中にどこかアッケラカンとした原始的ながらんどうの自由が感じられたように、すべての面で悲惨が或る前向きの広がりを含み、欠乏が却て空想のリアリティーを促進し、不安定な混沌が逆にコスモス(秩序)の想像力を内に含んでいたのであった。かくて戦後の経験の第二の核心はすべてのものが両義性をふくらみを持っていることの自覚であった」と。

 今僕は、冒頭に掲げた竹内の「境界状況」を論じる言葉を振り返って、藤田と竹内の生きる精神世界の相貌の見事な一致に改めて心を打たれる。藤田の言う戦後の経験の構造的特質としての「両義性」とは竹内の言う「境界状況」の構造そのものではないだろうか。この両者の一致はたまたまの個人的な偶然的一致ではない。それは世代の共有する原世界の構造的同質性に由来する一致なのだ。

 ということは、いかなることを意味するのか。一言にして言えば、いわゆる「戦後民主主義」の最も真正な意味における主体とは、決していわゆる西欧市民社会の秩序を信奉し、模範と仰ぐ主体ではなく、竹内の言葉を借りれば「アッケラカンとした原始的自由」を生きる無国家的個人ということだ。いいかえれば、「戦後」とはその経験の真正な意味においては、この日本においてはなおさらのこと、精神の原理としての〈無政府主義〉の類まれな経験の時であったのだ。

 藤田の言うあの「明るさ」とは何であったのか。それは創造的自由の明るさであり、またそれ故にそれは〈普遍〉に連なることの明るさではなかったか。我は人類に連なるものであるという明るさ、人類の悲惨さの認識の果てに沸き起こるこの連帯意志、それこそがその明るさの保証ではなかったのか。そこに捉えられるべきは、真の普遍の立場に達するためには、人間はいったん自己が組み込まれてあった社会体のなかで、あるいはそこからの放逐のなかで、その孤独において自己をその裸形の個別性において見出さねばならないという逆説である。

 藤田は吉田松陰における最大の価値をなすものとしての彼の「孤独」を論じてかくいう。「その孤独はただの感傷的な孤独とは全く逆に、全社会の崩壊を宿したものであった・・・・・・その崩壊の状況において、社会関係の分解を彼自らの諸関係(君臣・上下)の分解として経験し、観念形態や意識形態の骨片化を彼自らの思想的形態の瓦解としての経験しながら生きて来た者の孤独は、他人からの孤独といった単純なそれではなくて、社会的な自己からも自分の意識形態からも孤独であるところの、深く痛烈なものであった」と。だが、藤田によれば、この孤独にしてはじめて松陰は歴史の劇的な転回を誘発するあらゆる意味での「越境的」行動者になりえたのである。そしてその松陰は、決して門人を門人とみなさず、常に若い友人として対したのであり、「そこに彼の『餓鬼大将』としての真めん目があった」。

 自由・平等・友愛、これを西欧ブルジョア社会の出自のものとみなすのは根本的に誤っている。それは歴史の或る特権的な瞬間が凝集し爆発させる、人間における根源的な無政府主義的な夢にその根底をおいているのだ。僕たちの歴史的「父母」が垣間見たもの、それはこの夢であり精神だったのだ。そして僕たちは彼らの息子たちであり、また我々の子どもたちの「父母」なのである。(清眞人)

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 Diaryに「西からの風」を寄せていただいている清さんを知ったのは学生時代だった。寮の上級生に「おもしろいから読んでみろ」と『喫茶店ソクラテス』を紹介された。清さんが論じたのは「友愛主義宣言―自由と悪の名において友愛を論ず」だ。読み終えて「どんな人なんだろう?」という関心が湧いた。それからは続編の『公園通りのソクラテス』『言葉さえ見つけることができれば』など、清さんの書いたものを一気に読んだ。書かれている内容に魅せられたのはもちろんだが、それだけではなかった。それ以上にぼくを捉えて離さなかったのは、その独特のリズムと文体だ。そのリズムと文体が僕に憑依して離さないのだ。そして、その背後につねに清さんという一人の人間の存在を感じてきた。それは変わらない。

 今でも事あるごとに開いて読む一冊に、『言葉さえ見つけることができれば』がある。清さんの単著としては最初の本となる。その「あとがき」に次のように書かれている。
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 ここに一冊の本として編まれるに至ったわたしの文章、それは1981年5月から書き始められ、毎月、実生出版という小さな出版社の発行する小雑誌『私教育』に「葦のそよぎ」と題して連載されてきたものである。この連載は今も続いているが、これまで発表したもののなかからわたしは53編を選び、9つの章に配置しなおして、このような形の本とした。
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 本書は言葉に対するわたしのひとつの信仰告白なのだといえば、あまりにも臆面なく気恥ずかしいが、そのことをご理解いただけたらと思う。わたしは、わたしのなかで他者の言葉がわたしによって生きられるその瞬間を、わたしの言葉で定着できたならと思った。深く真実な言葉は自立する。それは、他者がそれを自らのものとして生きることを許す寛大さに溢れている。わたしはそう確信している。それは他者に自由な参入の空間を開くものであって、その空間のなかで参入した人間はその起源からすれば他者の言葉を自己のものとして生きる権利を得るのだ。その時、そこには触発という契機が、いいかえれば解放と自由、豊饒化という契機が宿りくる。「わたしが考えるのではなく、言葉がわたしに考えさせるのだ」という言葉があるが、私はそのことの真正な意味を右の意味において了解したい。

 「あとがき」で述べた清さんの思いと企ては、少なくともぼくをとらえ、生きさせた。しかし掲載したのは「葦のそよぎ」すべてではない。その一部だ。清さんの手元には出版の時点で掲載しなかったものを含め、その後に書いたものも多数あるという。今回、それらのコピーを送ってもらった。ぼくひとりが楽しむのもよいが、一方でそれはもったいないことだとも思った。

 そこで清さんにその旨を伝え、その時々に応じてdiaryに紹介させていただくことにした。もちろん、これまでどおり清さんが日々の生活のなかで感じたこと考えたこと、また取り組んでいることなども自由に書いていただく予定だ。今回がその1回目となる。(キヨ)