mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

子どもは 走る

 新年度を迎えた。我が家のよっちゃんの職場も、人事異動でずいぶん入れ替えがあり、それに伴って若い人たちがどっと入ってきて大変なようだ。家に帰ると、「今日は疲れたから外食でもいい? 買いたいものもあるし」という。久しぶりに近くのショッピングセンターのフードコートに出かけた。

 すでに夜の8時を過ぎていたこともあって、フードコートで食事をしている人はまばらだ。広い飲食スペースの奥には、小学校低学年から、まだ小学校にあがらないだろう子どもたちとその親たちが談笑している。

 しばらくすると、子どもたちは親たちに付き合うのも飽きたのだろう。大きな笑い声をあげながら広いフードコートを走り出した。鬼ごっこでも始まったのだろうか。こちらは何が始まったのだろうと気になるも、親たちはまったく気に止めていない。相変わらず、おしゃべりに興じている。子どもたちの走り回る足音と奇声が、閑散としたフードコートに鳴り響く。

 「食事中は席を立って歩いたり走るものじゃない。ほこりが立つでしょ」などと親に叱られたことをふっと思い出した。近ごろの親たちは・・・、子どもがこっちに走ってきたらひと声かけようか、とも思った。その一方で、子どもたちの楽しそうな笑い声を聞くのも久しぶりだなあという軽い感慨が心にふっとわく。そう言えば、家の近くの公園でも、最近は子どもたちが鬼ごっこやかくれんぼなどに興じて歓声を上げている姿を見ない。寒いからだけだろうか・・・。

 親や子どもに何か言おうかと思っていた気持ちは徐々におさまって、それと入れ替わるように心にふんわり落ちてきて納得したのは、子どもは走るものだということ。理由など特になくてよい。おとなは、そうはいかない。おとなは基本走らない。走っている姿をみれば、あの人誰かとの待ち合わせ時間に間に合わないのだろうかとか、もしかして誰かに追いかけられているのだろうかとか、何らか走っている理由を思うものだろう。

 子どもが走るのは、今も昔も変わらない。でも、走る場所と機会がずいぶん変わってしまったのかも知れない。どうしてだろうと考え出すと、今の子どもたちが少しばかりかわいそうにさえ思えてくる。そんなことを思ったらフードコートを走る子どもたちが愛おしく思えてきた。( キヨ )