mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

子どもの仕事、子どもの時間を考えるために

 1月のdiaryで春さんが、NHKの冬点描を取り上げました。地域の新聞配達をする中学生の姿と成長、それを暖かく見守り交流する地域の大人たちや親たちの様子です。春さんは、最後に「どこかでこれを自分の地域でもまねてみようなどと言ったらどうなるだろう。 ・・・こういう試みがなされる世の中に戻ることは、もう無理なのだろうか・・・」と述懐していました。正直、難しいんだろうなあ。今では隣に住んでいる人すら知らない、わからない世界があるのだから・・・。

 そんなことを思っていたら、今年の『教育』1月号で、「子どもが子どもである時間」という特集を組み、哲学者の内山節さんの論文『子どもたちの時間と現代社会―何が課題になっているのか』を掲載しました。テーマは「時間」ですが、文章の書き出しを「仕事を持つ子どもたち」という小見出しで始め、フランスのピレネーの子どもたちはみな、家庭で鶏の世話であったり薪割りであったり何らかの仕事を持っていて、そのことを誇りにしていると書いています。また人が成長するということは、家族や友人との関係、地域や自然との関係、さらには社会や文化との関係など「自分がかかわっていく関係の世界が広がること。・・・あるいは関係の多様性を獲得していくこと」であり、それは多様で豊かな時間を子どもが生き・創造することだと言います。内山さんの論は、では今の日本の子どもたちはどのような関係の世界を生き、時間を生きているのか?・・・へと進んでいきます。とてもおもしろく、考えさせられることがたくさんありました。ぜひ内山さんの文章そのものに当たって、お読みいただければと思います。

 関連で付記しますが、今ではキャリア教育(自分づくり教育)として多くの中学校が職業(場)体験を実施していますが、2015年の『教育』7月号に、フィンランド在住の藤井ニエメラみどりさんが、15歳の息子さんの職業体験について書いています。受け入れてくれる職場を自ら探し、交渉し、契約して2週間の職場体験をするという、日本と比べるとかなりハードな内容に感じますが、その分得るものもずいぶん違うだろうなと思ったりもしました。2ページという短いものですが、ぜひこちらも(キヨ)

   f:id:mkbkc:20170306113943j:plain  f:id:mkbkc:20170306114042j:plain

2月28日 学ぶことと生きること

 Aさんが亡くなったと聞き驚くと同時にすぐT君が浮かんだ。私の記憶の中では母親であるAさんと子どものT君はいつも一緒なのだ。
 ある時、Aさんから、おおよそ次のような電話をもらった。

 「Tは養護学校に行っている。でも、学校では毎日体の機能訓練だけ。一人で何もできないのだから、それが今もっとも大事だとは思う。そう思いながらも、それ以外のことだってTに必要なことがあるのではないかと教育のことは何も知らないくせに考え始めた。話すことはできなくても、自分を伝えたいのではないか。それができたらうれしいのではないか。そんなことを考えて、学校を週の半分を休んで、家で勉強をさせ始めた。「かな文字盤」を造ってそれを指さしで伝えさせるのだが、こんなことはどうなのか、いつか見てほしい。」

 私はさっそくAさん宅を訪ねた。
 ゴロンと横なっていたT君は、「T君、お勉強をはじめますよ」と声をかけられると、どこから力が湧いたのか、きちんと座ったのだ。Aさんからの文字盤を膝の上におく。文字盤は手製で、文字全体に手が届く大きさにつくられている。濁音、半濁音はなし。「”」「゜」の欄があり、「が」は「か」を指し「”」を指す約束。

 Aさんが「T君、昨日はどこに行ったの?」と問いかけると、T君は、「か」「”」「つ」「こ」「う」「に」「い」「き」「ま」「し」「た」と文字盤の文字を指でさしていく。それをAさんはノートに書き留めていく。

 そのようなことが30分近くつづいた後、Aさんが「T君、今日の勉強はおしまいにしようね」と言うと、それまできちんと座りつづけていたT君は、急に力が抜けたようにコロンと横になったのだ。

 私は、この最後のT君の様子には特に驚かされ、「学ぶ」ということは体の諸機能と全く別ではないのだと思ったことが、今も少しも薄れることなく残っている。この日、一番勉強させてもらったのは私だった。

 ちょうど同じころ、授業行脚をつづけられた林竹二先生に、須賀川養護学校に入ってのことをいろいろ伺ったことがある。先生は、「通俗的な教育観の持ち主であったら、こうはできなかったろう」と須賀川の仕事を語り、「生命への畏敬」ということを言われたことがあった。林先生は、それ以降、普通学校での授業は止められた。私は、(先生は田中正造になった)と思ったのだった。

 Aさんとはしばらく会うことがなかった。だからT君にもだ。
 いまT君はどうしているだろう。                                                        ( 春 )

 

お待たせしました。中村桂子さんのブックレット完成。

 昨年1月に行った中村桂子さん講演会には、100名を超えるみなさんにおいでいただきました。ぜひ書籍化をという要望もあり、中村さんにもご協力をいただいて、このたび講演をもとにしたブックレットを発行する運びとなりました。

 震災から6年を迎えようとしています。震災当初は、自然と人間のありよう、あるいは科学のありようが様々に議論されたように思います。そして、それは私たちの生活の仕方、生き方を問うものでもあったはずです。でも、それで私たちの生活や社会は変わったでしょうか。残念ながら、それ以前と何ら変わらない風景が私たちの前には依然として広がっているような気がします。自然と人間、そして科学のありようを考える一冊として、改めて今、お読みいただければと思います。

 お読みになりたい方は、以下の 注文フォーム をご利用ください。

            中村桂子さんブックレット 注文フォーム

       f:id:mkbkc:20170214115714j:plain

今年も「震災のつどい」を開催します

 3月11日が近づいてきました。今年も「震災のつどい」を行います。

 昨年は、震災後の子どもたちの暮らしや思いに耳を傾け取り組まれた中学校の実践を中心に、震災を通じて見えてきた教育の課題について考え合う機会を持ちました。

 今回は、多くの子どもたちと教師を亡くし、その責任が問われた大川小訴訟の仙台地裁判決を踏まえ、改めて教育や学校は何を大切にしていかなければならないのかを考え合いたいと思います。 

  震災から6年
 いのち・子どもと学校を考えるつどい
               ~ 大川小問題と学校防災の現状 ~ 

 日 時: 2017年2月25日(土) 13:30~16:30

 会 場: フォレスト仙台2F 第2フォレストホール

 参加費: 無料

【第1部】(13:40~15:00)

  講演「大川小訴訟が問いかけるもの」
     山形孝夫さん(宗教人類学者、宮城学院女子大元学長)

【第2部】(15:10~16:25)

  学校防災の現状について
  (1)学校現場からの報告
  (2)震災アンケートから見えること

      f:id:mkbkc:20170220104820j:plain

 

アーサー・ビナードさんが、仙台にやってくる

 アーサー・ビナードさんには、2009年に最初の講演会「日本語の海にもぐった私」をお願いして以来、大好きな詩人・菅原克己さんを語った「『ブラザー軒』のある街で、詩人・菅原克己を語る」、さらに震災後には高校生公開授業で「言の葉食堂へようこそ」と題し授業を行っていただくなど、たいへん懇意にしていただいてきました。

 今でも覚えているのは、最初の講演の終わりでのこと。突然、演題について《今日のタイトルなんだけど、僕だったらこういうタイトルはつけないよね。「私」という体言止めじゃなくて、例えばもぐってみたら~とか、もぐってみれば~とか、そういうタイトルがいいと思うんだけど・・・》と、最後の最後でさらりとダメ出しをしたのでした。こまって頭を抱えたのは、タイトルを付けた当時の所長の(春)さん。頭を掻きながら、なぜこのようなタイトルにしたのかをまじめに、かつ一生懸命に説明を始めて・・・。その二人のやり取りの可笑しさに、会場はあたたかな笑いに包まれ、その後の質疑応答が、大変なごやかで楽しいものになったことを記憶しています。

 そのアーサーが、2月19日に仙台にやってきます。震災後の政治や社会のさまざまな出来事を、彼一流の言葉のセンスと視点からユーモアを交えながら縦横無尽に語ってくれると思います。ぜひご参加ください。(キヨ)

 

      f:id:mkbkc:20170216111046j:plain

2月14日 金子兜太さんと父と、トラック諸島

 私は、今になっても「トラック諸島」という文字を目にするとドキッとする。
 12日の朝日新聞の3面「武器という魔性への一閃」のなかに「トラック諸島」を見つけた。それは、こうだ。 

 人を殺める兵器や武器はおよそ俳句の趣向に合いそうもない。しかしそれらを詠んだ名句もあって、金子兜太さんの破調の一句はよく知られている。

 〈魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ〉

 金子さんは先の戦争中、海軍主計中尉として南太平洋のトラック諸島に派遣された。米軍の執拗な爆撃に叩かれ、修羅場となった島のヤシ林の奥に、攻撃機に抱かせる魚雷が隠して積んであった。
 あるとき、その丸みのある鉄の肌の上を、トカゲがちょろちょろ走って消えるのを見た。戦場でありながら冷たいものが背筋を上ってきたそうだ。~~ 

 この金子さんの句の作られた「トラック諸島」に私の父親もいた。未だに「トラック諸島」の名にふれると心が騒ぐのはそのためだ。

 アメリカ側の記録ではトラックを太平洋戦争の要地として位置づけ、初めから攻撃対象の地としていたようだ。他の島々と同様死者が続出しているが飢餓死が多かったように言われる。ある本では死人が出ると口数が減るので内心喜んだとの証言もあった。

 このようななかで父は、1946年2月、奇跡的に戦後帰ってくることができた。アメーバー赤痢に罹患していたことが逆に幸いして死なずに帰国できたのではないかと思っている。しかし、結局、復職までできたのだが短期間で再発して他界した。
 「自分は今トラックにいる」と書いてきたことは一度もなかったが、帰ってからも、死ぬまでトラックのことはやはり一度も話すことはなかった。

 トラック島に行ってみたいと長い間思い続けていたが、もうその機会を作ることは無理と今は諦めている。

 安保法制反対運動で私も持ったことのある「アベ政治を許さない」の、あの筆字が金子さんの書かれた文字ということは知っていたが、金子さんも父と同じトラックにいたことを知って、金子さんの句は私にとって特別意味あるものになった。

( 春 )

えっ! 何て言ったの? 高校生公開授業

 先月28日の高校生公開授業が終わって一息ついたところですが、実は授業の最後で思わぬハプニングが・・・。参観していた方なら「あぁ、あれのことかな?」と。

 当初、参観は高校生たちのまわりからしていただく予定でいましたが、高校生とリラックスしたなかで授業をしたいとの樋口さんからの意向もあり、当日は別室での映像による参観となりました。ただ、その場合に難点が・・・。授業のやり取りの音声は、すべてマイクを通してでないと聞こえないということです。そのため急遽、高校生たちにも卓上マイクを用意するなど大慌て、まるで国際会議のような授業風景となりました。

 これらの課題をクリアして、当日の授業は順調に進んでいましたが・・・。最後の最後で、高校生の発言がマイクの充電が切れてしまって聞こえず・・・、でも高校生はそのまま発言。その発言を聞いた樋口さんは「まったく100%その通りです。どうでしょう?一番いい締めになったんじゃないですか」と応えて、授業を終えたのでした。

 別室の参観会場には、樋口さんの声だけがスピーカーを通して響いたのでした。《まったく100%その通りって、何が100%で、どういう通りなの?》《一番いい締めになったって、どういう締めだったの???》と、参観者の皆さんは思われたことでしょう。テレビドラマの最終回、一番のクライマックスの場面でバチンとスイッチを切られたようなものですから。参観者のみなさんからは多くのご批判を受けるだろうと覚悟したのですが、何人かの方から「高校生は何と言っていたの?」と聞かれたものの、特に厳しいご批判や苦情を受けることなく、みなさん家路につかれたのでした。

 でも主催者としては、やはりずっと申し訳なかったなあという思いと、聞こえなかった高校生の発言をどうにか皆さんにお伝えできないかという思いが残ったのでした。そこで、このdiaryでその発言部分の記録を起こして掲載することにしました。これで十分ということにはなりませんが、お許しください。 

(高校生)

 僕は具体的なことはよくわからないですけど、例えば民主主義であったり権力であったり、暴走するのを防止してみんなでいい方向に持っていこうとするものが、いろんな歴史の中で作られてきた憲法だと考えて、それで、例えば無味乾燥な人名と特徴だったりを結びつけるような勉強も、今の憲法が持っている権力とか民主主義とか暴走する仕組みを防ぐための、それこそセイフティーネットだという感覚を持って勉強に取り組んでいけばいいのかなと思いました。そういうことでいいんでしょうか。

(樋口さん)

 まったく100%その通りです。どうでしょう、一番いい締めになったんじゃないですか。

 これからも微力ながら高校生たちに出会いの場をつくって行きたいと思います。みなさん、どうぞよろしくお願いたします。( キヨ )