mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

憲法学の第一人者・樋口陽一さんが高校生と授業!

  受講高校生を大募集! 皆さん参加ください

 昨年は、樋口さんとの日程調整がつかず実現できなかった高校生公開授業。2年越しのラブコールに応えていただき、年明け1月28日(土)に、東北大学を会場に「憲法という人類の知恵」と題して授業をしてもらえることになりました。

 樋口さんは、日本の憲法学、比較憲法学の第一人者として学会をリードするとともに、国際的にも活躍されています。また宮城県仙台市出身で、同級の井上ひさしさんや一つ先輩の菅原文太さんとは、仙台一高で青春時代をともにすごし、晩年まで親交がありました。

 11月はじめ、仙台に仕事で来られた際に、お忙しいなか簡単な打ち合わせを行いました。樋口さん曰く、高校生に授業をするのは初めてとのこと。どのように授業をしたらいいものかと、ご自身も思案されている様子でした。

 この日の打ち合わせでは、2時間授業で、1時間目はおもに樋口さんが高校生たちに話をして感想や意見をもらい、2時間目はその意見や感想をもとに授業をする、そんな感じになりそうです。

 東北大に会場を借りに行ったおり、知り合いの先生からは「樋口先生の授業なら、ぜひ大学生にも聞かせたい、学生はダメだろうか?」との話もいただきました。

 またとない企画です。ぜひ多くの高校生に参加してほしいと思います。申し込みは、以下の「参加申し込みフォーム」からできます。ぜひご参加下さい。待ってます。 

    高校生公開授業 参加申し込みフォーム

     ※一般の方は、まわりから授業を参観いただけます。(申し込み不要)

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12月18日 重い言葉「日本に抵抗の文化ない」

 このごろテレビを見る時間が長くなった。韓国の大統領問題が何日もつづき、なんだかよくわからないうちにカジノ法案が国会を通過し、つづいて日ロ首脳会談関係に番組はうつる。日ロ会談はだれがどれだけのことを知っているのかわからないが、なんかいいことがありそうに騒ぐが、何も知らない私は、世界の情勢から言って、あのプーチンさんが自分たちに利のないところにわざわざ足を運ぶだろうか、とテレビを冷ややかに眺める。複雑な世界の関係のなかで、安倍首相が相手をファーストネームで呼ぶぐらいで何かが動くと本気で思っていたのだろうか。この後の他国との関係は考えていたのだろうか、無知の私もちょっと心配になる。とこうしているうちに、このカイダンもすぐ過去になる。

 この間の私の最大の収穫(?)は、16日の朝日新聞の学芸欄に載った去年のノーベル賞作家・ベラルーシのアレクシエービッチさんのインタビュー記事。

 この作家の話は私(たち)の今とこれからにたいへん重い話をしてくれたからだ。
 記事には、白抜きの縦見出しが2本置かれる。ドキッとさせる見出しだ。

   「必要なのは模索 『誰かが解決する』は幻想」
   「福島原発事故 日本に抵抗の文化ないのでは」

 見事に私たちのかかえている問題点をついていると思う。
 後者についてだけ、自分自身に刻みつけるため、話の一部を書き抜いてみる。 

  •  原発事故について「どの国の権力も混乱を恐れ、『事態はコントロールできている』と言いますが、フランスやスウェーデンでは国への提訴が幾つも起きました。するべきは抵抗です。 
  •  日本には抵抗の文化がないのだと思います。ある女性は、祖父を死に至らしめたと国を訴えたそうです。それが何千件もあったら、国の対応もかわったかもしれません。国は軍事ではなく代替エネルギーを見つけることに投資すべきです。 

 「日本には抵抗の文化ない」。このような言葉にして自分の国を私は考えていなかった。この頃のことで言っても、隣の韓国の騒ぎもテレビ画面をただ驚いて見ているだけだったし、「福島」もいまだ心は穏やかでないのだが、やっぱりただ見ているだけだ。

 さまざまな沖縄問題についても、口では国の対応を非難しても、アレクシエービッチさんの言う「抵抗の文化がない」自分を肯定せざるを得ない。こんな体たらくでただ死を待っていいはずはない。

 手元の辞典(新明解国語辞典)には、「抵抗」の意味を「①外からの力に対し、負けまいとはりあうこと。②権力者や旧道德にしたがうまいと、はむあうこと。」と書いてあった。

 それにしても自分には重い言葉だ。( 春 ) 

今年最後の『楽しく読む こくご講座』 報告

 3回目となるこくご講座が、12月10日(土)に行われました。最初の45分は、国語の授業づくりで押さえておきたい大切なことのミニ講座をもち、その後、小学3年生の教材「モチモチの木」と、6年生教材「ヒロシマのうた」の授業づくりを行いました。

 どちらの教材も、これから授業を行うものなので、それぞれの教材そのものの読みをみんなで深め合いながら、また授業の中での子どもたちの様子やつまずきなどを出し合いながら授業の面白さやむずかしさ、醍醐味についてそれぞれ話し合いました。


【参加者の感想】

  • T先生の言葉の中で、“ ことばを自分のものにして育つことが大切 ”を心に、国語の授業をまじめにやりたいと思いつつ、なかなか日常やれていません。作品の読みを深める学びの場は貴重です。授業づくりを学校での仕事の中心にしたい。A先生の作品分析は大変ありがたく思いました。(Mさん)
  • 小学校で教えるのは初めてで、国語は特に難しいと感じていました。教材文を深く「読む」ということは一人ではなかなか難しく、みなさんの意見をいろいろ聞きながら、新しい発見があり、とても楽しく読むことができました。
    いろいろな情報も共有でき、とてもよかったです。(Aさん)

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手紙を、書くということ ~ 映画 セントラル・ステーション に寄せて ~

 11月28日付けdiaryの最後に、「みなさんのうちにも郵便受けがあるでしょ?」と書いたものの、手紙らしい手紙はひさしくもらっていない。もらっていないというその事実に、今の私の生活と人と人との関係の有様がみえるともいえる。届くものといえば、毎日の新聞と水道代や電気代の請求書と、あとはダイレクトメールや広告の類がほとんどだ。12月に入り喪中を知らせる幾つかのはがきが届いた。身内を亡くした悲しみや辛さを思うと気持ちは複雑だが、知らせをくれたことにうれしさを感じたりもする。そして、誰かからの手紙を待つ心性が私の中にあることを、ふと気づかせてくれる。 

 「手紙というものを滅多に書かなくなったぼくたちです。手紙を心待ちにしながら、自分では書こうとしないぼくたちです。そこにはぼくたちの一つの矛盾があり、また一つの貧しさがあると、そう感じられます」(『空想哲学スクール』 「手紙を書きたいという欲望」より)このように今を生きる私たちと手紙とのあり方を指摘したのは、diaryで映画『リトル・ボーイ』を紹介してくれた清眞人さんだ。 

 手紙を書く、そのことで思い出す映画がある。『セントラル・ステーション』というブラジル映画だ。母親を交通事故で失い孤児(ストリート・チルドレン)となった少年ジョズエが、まだ見ぬ父親を探すロードムービーだ。そして、この旅に同行するのが、もう一人の主人公である代筆屋のドーラ。二人の出会いは、ジョズエの母親が夫への手紙の代筆をドーラに頼んだことからはじまる。当初は、反目しているジョズエとドーラだが、ともに旅をするなかで二人の間にかけがえのない絆が生まれ、それぞれ新たな人生の道を歩みだすことになる。

 手紙は、この物語の始まりと終わりに置かれ、映画全体を前と後ろでがっちり挟み込んで支え、特にドーラの生き方を象徴するものとして描かれている。映画のオープニングは、代筆屋のドーラに向かい、恋人や遠く離れた故郷の両親などへ思いを語る人びとのアップではじまる。その中の一人にジョズエの母親も登場し、離れて暮らす飲んだくれの夫に向けての思いを、ドーラが手紙に書き留める。

 ジャズース へ

あなたは最低の夫よ。
手紙を書くのは
息子のジョズエがせがむから。
アル中の父親でも、
ジョズエは会いたがっているのよ。

 一方エンディングは、ドーラがジョズエへ手紙を書いて終わる。

 ジョズエ

手紙を書かない私が、あなたには書きます。
あなたの言う通り父さんはきっと帰る。

偉い父さんだもの。
機関車の運転士だった私の父は、よく私を運転席に乗せた。
ドーラ、汽笛を鳴らせと。
いつか大きなトラックを運転する時、思い出して。
私がハンドルを握らせたこと。

あなたは私と暮らすより、
兄さんと暮らす方が、ずっとしあわせになるわ。
私に会いたい時は、2人で撮ったあの写真を見てね。
いつかあなたが私のことを忘れるのが恐い。
父に会いたいわ。
やり直したいのよ。     ドーラより

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 代筆とはいえ、毎日手紙をしたためているドーラが、エンディングで「手紙を書かない私が、あなたには手紙を書きます」と告白するあたりに、手紙が私たちにとってどのようなものとしてあるのか、あり得るのかを暗示しているように思える。と同時に、ジョズエとドーラのこの旅路が、どのような旅であったのかも記されていると言えるだろう。

 ちなみに、清さんは、「手紙を書きたいという欲望」の最後で、その欲望の向かうところを次のように言う。 

 〈書く〉試みは、本質的に、他者に対して「自分が経験することを伝え(意味づけし)よう」という関係に入ることをとおして、私を私に対して存在させようとし、私を私自身に到達させようとする試みなのです。そしてまた、そうした自分自身との緊張関係を生きる試みだからこそ、私は〈書く〉という試みのなかで「証人」たるにふさわしい人間へと自分をつくり変え、他者に向かって送り出すのです。 

 あっという間に今年も12月。もうすぐ冬休みにクリスマス、そしてお正月と、子どもたちにとってはとても楽しいときを迎える。この年末年始は、「セントラル・ステーション」を観ながら、新年の挨拶を書いてみようかと思う。( キヨ )

話題沸騰の映画 『この世界の片隅に』

 先週末あたりから、次号センターつうしんの原稿が送られて集まってきています。「おすすめ映画」欄の執筆をお願いしたKさんからもメールで原稿が届けられました。メールには、800字では書きたいことも十分に書けなくて少し残念という主旨のことが書かれていました。それなら、いっそのこと書けなかったことも加えてdiaryに載せるのは? と提案。改めての執筆となるにもかかわらず、快く承諾してくれました。

 ということで、以下にその映画紹介を載せます。

  現在、チネ・ラヴィータ、109シネマズ富谷で上映中

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 ヒロシマのその後を描いた「夕凪の街・桜の国」のこうの史代(ともよ)が原作ですから、さっそく駅裏のチネ・ラヴィータに出かけました。ちっこい画面でガッカリなんですけど、そんなマイナスの気持ちは、フォークル(フォーク・クルセイダーズ)の「悲しくて悲しくて」が流れる青空の絵に「のん(能年玲奈改め)」の字が表れるとどっかに消えてしまいました。

 家に帰って、さっそく離れて住む長女にSNS通信です。「君の名は。」「殸の形」に続くアニメの傑作だよって。

 では映画の話を。

 製作費をクラウドファンディング(アイデアやプロジェクトを持つ起案者が、専用のインターネットサイトを通じて、世の中に呼びかけ共感した人から広く資金を集める方法)で集めたからでしょう。東京では上映後拍手が起きたそうです。映画への手応えがあったでしょう。この映画に参加できたという喜びの拍手だったんでしょうね。たった全国63館で始まった上映が、話題を呼んで180館にも増えるなんて、そうありません。

 絵の美しさと現実感は宮崎映画のそれです。目を凝らして見るところがたくさんあります。現地を実地調査して当時の呉、広島の町並みを作画したというからでしょうか。呉の町は直接知らなくても、そのころの人々の生活ぶりが伝わってきます。ああ、こんなんだったんだろうなって眺めました。原爆ドームとなる広島産業奨励館が画面に生きて現れると胸がドキッとしました。片渕須直監督以下制作者の志を感じます。ただ格好いいだろうなぁと期待していた戦艦大和は、なぜか悲し気に見えました。これは意外でした。頭の中に軍艦マーチは流れてきませんでした。

 抜群の描写力で、軍港呉の海軍工廠に勤める一家、北条家に嫁いだ浦野すずの生活が描かれていきます。嫁いだその日からすずは一家の切り盛りをすることに。義母は足が悪く、出戻りの姉はきつい。とんとん隣組の集まりにも出なきゃない。でも、すずには嫌がる素振りが見えません。配給所からもらった二匹の小イワシを切って数を増やし、道ばたの野草をまな板にのせて食卓に色と味わいの一工夫を心がけます。畑仕事にだって勤しむすずです。収穫した大根が軒に吊された北條家は平和だったのです。

 そんなちっちゃな家族の平和にピッタリな、垢抜けない、今風に言えばトロいすずが映画を楽しませてもくれます。少女すずの宝物は二本のチビたエンピツで、だけどそのエンピツからくり出される絵は奇想天外。好意を寄せる先輩に描いてあげた海の絵には、沢山のイナバの白ウサギが飛び跳ねていました。空襲警報に脅かされる毎日となっても、すずはいつものすずです。そのたんびに家族は防空壕へ急ぐのですが。すずは立ち止まって、まるで寝る前にやるときと同じ調子で竈の火を指さし点検しています。停泊中の軍艦への激しい爆撃があった次の日。何で海にたくさん魚が浮いたんですか?と満面笑顔で魚の煮付けを皿に盛る無邪気なすずにいたっては、ナントモカトモです。買い出しを頼まれて呉の街に出かけ、色町に迷い込んでしまったり、グラマンの機銃掃射にも身軽に逃げられません。楽しみながらもハラハラの連続です。

 そして後半も過ぎると、すずにも悲しい出来事が起こります。ここからは山場に近づいていきますから書きません。

 話は、焼け野原のすずの生家広島を訪れ、夜北條家へ帰ったところで終わります。感心させられました。タイトル通りのhumanisumです(これは今、映画を振り返って思った言葉です)。

 定番的に戦争の悲劇を感動の対象に祭り上げなかった点が、これまでのこの手の映画と違っています。今週始まる戦中戦後を突破した「海賊とよばれた男」なんかと一緒にされたくないなぁ、ボクは。

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12月2日 「渋面」の 渋い思い出

 私は山本周五郎の作品を好んで読む。描かれる人間がだれもかれも好きなのだ。
 先日、行きつけの古本屋でまだ読んでいない全集未収録作品集1冊を買ってきて読んでいる。短編集だ。
 その中の1編の中に、「ひどく渋面してるでねが、腹こでも痛めるだら薬でものむべき、それとも江戸を追出されて途方にくれてるだか」という会話の1文があり、「渋面」に「しぶづら」とルビがふってあった。津軽藩が舞台の「いっぱだ者物語」。

 この1文の中の「渋面」(しぶづら)が私を60年前にもどした。20代後半で、中学に勤めていた時になる。
 そのあるときの国語の授業。作品名はすっかり忘れてしまったが、単語「渋面」だけは今も忘れていない。上記の短編の「渋面」ひとつが急に飛び込んだのもそのためだ。
 その作品の授業の1時間目、文中に出てきた「渋面」を私は「しぶづら」と読んだ。小さいとき、母親に「そんなシブヅラをするんでない!」と何度か叱られたことがあったので、迷うことなくそう読んだのだった。

 その後の休み時間、教室にもどってきたS子たちが、「先生! 先生が『シブヅラ』と読んだ漢字、3組の人がね、O先生は『ジュウメンと読んだ』と言っていたよ。どっちなの?」と言ってきた。幸いなことに、なんでも話しかけてくる子どもたちだった。
 そう言われて、私はすぐハッとした。あの文は会話文ではなく説明の文だ、母親の話し方ではいけない、音読みが正しいのだ、と。
 すぐS子たちに、「オレの読み方がまちがいで、O先生の読み方が正しい。ありがとう、みんなにも『じゅうめん』と直してもらうよう、すぐ言う」と言い、次の時間に訂正したうえで、教えてくれたS子たちに全員の前で礼を言った。

 私は私で、学年4クラスの国語を2人で担当していてよかったと思った。そうでないと誤読のままになってしまっただろう。また、なんでも話してくる子どもたちと一緒だったので助けられたとも思った。とくに、(この仕事は、なんでも言い合える子どもたちとの関係を何よりも大事につくりあげていくように心がけないといけない)と強く思ったのもこのときだった。
 教師としての仕事での、このような失敗は数え切れないほどある。「A男に会ったらあのことを」「B子に会ったらあのことを」・・・と詫びなければいけないことが体のそちこちに張り付いている。(詫びてから遠出をしたいものだ)と思うが残り時間が少なくなっているのに、その機会はなかなかつかめていない・・・。

 山本周五郎によると「いっぱだ者」の意は「奇妙な人間」のことのようだ。不特定の方が目にする場に、こんな恥ずかしいことを書くのは私が“いっぱだ者”ということか、それとも歳のせいか。( 春 )

師走に思う

   今年のカレンダーも最後の1枚12月になってしまった。先月だけを振り返ってみても豊洲市場問題から始まって、アメリカの大統領選挙、福岡の道路の陥没、韓国の大統領問題、オリンピック会場問題と、テレビのニュースやワイドショーは、週毎にめまぐるしく動き回った。よくもこれほど次々にと、開いた口がふさがらない。
 アメリカの大統領選挙報道をみながら、書架にある「アメリカ」に関する本の中から、永井荷風の「あめりか物語」(岩波文庫)を改めて読み直した。100年以上も前に書かれたものだが、シカゴの街の早朝、出勤時間の地下鉄の風景を記した部分がある。

 車中には殆ど空椅子もないほど、男や女が乗り込んでいる。彼らはいずれも鋭い眼で、最短時間の中に、最多の事件の要領を知ろうという恐ろしい眼で、新聞を読みあさっている。(中略)国民は皆一刻も早く、一事でも多く、世界の事件を知ろうとするのだと・・・。ああ、しかし、世界の事件というものは、何の珍しい事、変わった事もなく、いつでも同じ紛紜(ごたごた)を繰り返してばかりではないか。外交問題といえばつまりは甲乙利益の衝突、戦争といえば、強いものの勝利、銀行の破産、選挙の魂胆、汽車の転覆、盗賊、人殺し、毎日毎日人生の出来事は何の変化もない単調極まるものである。 

 これを読み、つくづく100年後の今も、世界も日本も同じ風景なのに驚く。とは言っても、今では新聞にとって代わってスマホではあるが。荷風はまた別のところで人種問題にも触れている。

 一体黒奴(ニグロ)というものは、何故、白人種から軽侮、また嫌悪されるのであろう。その容貌が醜いから、黒いからであろうか。単に、50年前は奴隷であったというのに過ぬのであろうか。人種なるものは、一個の政治団体を作らぬ限りは、どうしても迫害を免れないのであろうか。永久に国家や軍隊の存在が必要なのであろうか・・・・・・。

 話は変わって、センターで毎月1回開いている哲学講座。11月はドイツ古典期における教育思想。そのテクストの中にあったヘーゲルの「ミネルヴァの梟(フクロウ)」が飛び込んできた。「ミネルヴァの梟は黄昏時に飛び立つ」ということなのだが、哲学に疎い私には難しいことだらけだが、その意味するところはヘーゲルは以下のように説明している。

「哲学はもともと、いつも来方が遅すぎるのである。哲学は・・・現実がその形成過程を完了して、おのれを仕上げたあとで初めて、哲学は時間のなかに現れる」「存在するところのものを概念において把握するのが哲学の課題である。・・・個人にかんしていえば、誰でももともとその時代の息子であるが、哲学もまた、その時代を思想のうちにとらえたものである」として、哲学は時代精神を、人が見ることが出来ないものを、過ぎ去ってから目に見えるように取りまとめたものだといっています。

 そこで再び最近の出来事を重ね読みをした。イギリスのEU離脱もアメリカのトランプ当選も、いずれは「ミネルヴァの梟」で、新しい運動が起こり、私たちの前に見えてくるのだろうか。ちょっと飛躍しすぎた文末になってしまったかも・・・。<仁>