mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

手紙、そして待つこと

 しばらく前に買ったまま積ん読状態になっていた吉野弘さんのエッセイ集『詩の一歩手前で』を手に取る。目次の中にあった「手紙」というタイトルが目に留まった。そうそう何かの本でだったか? 吉野さんは送られてきた手紙を大事に保管されていたということを読んだ記憶がある(違ったらごめんなさい)。実は我が家のよっちゃん、吉野さんに手紙を書いたことがある。そして、丁寧な返事の手紙をもらった。とても印象に残っているのは、返事の内容よりも吉野さんの味があって温かみのある大きな字だ。その手紙は、今やうちの家宝になっている。そんな吉野さんが、どんなことを書かれているのか気になってページをめくった。
 冒頭で吉野さんは、言葉への関心と想像への飛翔の翼を広げ、 

 朝鮮語で「馬」のことを「マル」というが、これが「マール」となると「言葉」の意味になる(ハングル文字の綴りは二つとも同じであり、発音が前者は短母韻、後者は長母韻)。このことを初めて知ったとき、私はマールをマルの運動態のように感じ、「馬が走ると言葉になる」と、とっさに思った。

 火急の知らせを遠隔の人に伝える時、昔は「早馬」を仕立てた。その「早馬」が、朝鮮語の「馬」と「言葉」との関係から鮮かに浮かび出たわけで、言葉は「早い」ほど活きがいいことを語っているような気がした。

 他人に送り届ける言葉が手紙であるとすれば、手紙もまた「早く」相手に届くことが値打ちなのではあるまいか。いつ届いてもいいというような手紙は、もはや手紙ともいえないだろうと思う。

 だから、手紙はタイミングによって、生きもし、死にもする。 

と書き起こし、さまざまな手紙のやり取りをしてきた経験の中からいくつかの出来事を引いて、手紙のタイミングと、そのことによって織りなされる人と人との関係や思いが描き出されている。確かに思いを伝えるタイミングはとても大事。

 でも、早ければいいかというと必ずしもそうとはいえないかもしれない。というのもアーノルド・ローベルの『お手紙』という、がまくんとかえるくんのユーモラスで楽しい物語を思い出したからだ。おおよそ次のようなお話だ。

 がまくんは誰からも手紙をもらったことがありません。毎日、郵便受けに手紙がないのを見てはがっかりしていました。悲しそうにしているがまくんのわけを知ったかえるくんは、大急ぎで家に帰って、がまくんに手紙を書き、知り合いのかたつむり君に届けるように頼みます。かたつむり君は、「まかせてくれよ」「すぐやるぜ」と威勢よく請け負うのですが、なかなか来ません。手紙なんか来ないよとむくれているがまくんに、かえるくんはとうとう自分が手紙を書いて出したことを話してしまいます。かえるくんの手紙に託した思いを知ったがまくんは、とても幸せな気持ちになるのでした。そして最後は、次のような場面で締めくくられます。

 それから、二人は、げんかんに 出て、お手紙の 来るのを まって いました。
 ふたりとも、とても しあわせな 気もちで、そこに すわって いました。
 長い こと まって いました。
 四日 たって、かたつむりくんが、がまくんの 家に つきました。そして、かえるくんからの お手紙を、がまくんに わたしました。

 お手紙を もらって、がまくんは とても よろこびました。

 ここには、がまくんとかえるくんにとって、手紙が来るのをまだかまだかと待ち焦がれながら待つ時間そのものが、とても幸せな時間として描かれている。手紙で愛を告白するのが一般的だった時代には、恋い焦がれる思いを手紙に託し、その返事を待ち焦がれ、そのあいだの揺れ動く気持ちそのものが幸せなときであった、そんな時代もあったのに・・・。現代は携帯、スマホの普及で即レスが当たり前となり、人を待たせることは許されない時代となってしまったかのようだ。

 そんな待つことのできなくなった今の時代の有り様を静かに見つめたのが、鷲田清一さんの『「待つ」ということ』だ。鷲田さんは言う。 

 みみっちいほど、せっかちになったのだろうか・・・・・・。

 せっかちは、息せききって現在を駆り、未来に向けて深い前傾姿勢をとっているように見えて、じつは未来を視野に入れていない。未来というものの訪れを待ち受けるということがなく、いったん決めたものの枠内で一刻も早くその決着を見ようとする。待つというより迎えにゆくのだが、迎えようとしているのは未来ではない。ちょっと前に決めたことの結末である。決めたときに視野になかったものは、最後まで視野に入らない。頑なであり、不寛容でもある。やりなおしとか修正を頑として認めない。結果が出なければ、すぐに別の人、別のやり方で、というわけだ。待つことは法外にむずかしくなった。

 「待たない社会」、そして「待てない社会」。

 意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性を私たちはいつか無くしたのだろうか。偶然を待つ、自分を超えたものにつきしたがうという心根をいつか喪ったのだろうか。時が満ちる、機が熟すのを待つ、それはもうわたしたちにはあたわぬことなのか・・・・・・。

  私たちの生活のなかに、待つことはどのような表情をして佇んでいるだろうか。待つことは、どこに潜んでいるのだろうか。東北で生活をはじめて最初に見つけた待つこと、それはめぐる季節を待つということだった。それから、この仕事をするようになってからは、人と人との出会いも待つことに通じると感じるようになった。人と人との出会いは、求めるだけでは成立しない。時が満ちる、そういうことを様々な場面で感じてきた。

 吉野さんの「手紙」に始まって「待つ」ことまで、ずいぶん思いつくまま勝手気ままに書いてきたような気もするのですが、お許し下さい。「手紙」と「待つ」ことは決して無関係ではないし、そもそもみなさんのうちにも郵便受けがあるでしょ?それは、誰かからの手紙を「待つ」こと、そのものなのですから。( キヨ )

今年最後の 第3回こくご講座

 ずいぶんと寒さが厳しくなってきました。みなさん、風邪などひいてませんか。
 10月の第2回に引き続き、第3回のこくご講座を行います。

 教科書に載っている物語教材をもとに、作品をどう読み、どうしたら子どもたちと楽しい授業をつくれるのか? 話題提供者の話をきっかけに、みんなでワイワイ話し合います。

 今回は、3年生教材の「モチモチの木」と、6年生教材の「ヒロシマのうた」を取り上げます。ぜひ、ご参加ください。

   楽しく読む こくご講座

・と   き   12 月10日(土)13:30~16:30  

・ところ   フォレスト仙台ビル 会議室

                      ※参加費 200円

 

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11月20日 武者小路実篤の「人生論」に想う

 今になっても「死んだ子の歳を数えている」と思われそうだから口に出すことは押さえているが、何年経っても、「~そして、人が どんなに しぜんに ささえられて いるかを おしえられて、みんなで どう 生きるかを かんがえながら 生きて いく。」を結びの文とした生活科の教科書づくりを思い出し、あまりに短命であったことを悔やみつづけている。誕生時から酸素吸入器を要するような教科書だったから短命はやむをえなかったのだが・・・。

 編集者の太田弘と、何年間「教育」を語り合ったか。そして、教科書づくりに取り組んでの3年間,どれほど「教科書にかける夢」を語り合ったことか。

 「他者の理解と循環を教科書の柱にするのは・・・」「違う人がいるからいいのだと思うようになるにはどういう内容にすればいいだろう」「子どもが、自分で次のページを開きたくなるような教科書をつくりたい」「次の学年になっても、この教科書だけは机上に置いておきたいと思うようなものにしたい」「最初から最後までひとつづきの詩のような文でつづれたら」「そのためには単元名が大きく掲げるのはじゃまではないか」などなど。

 それを編集会議にかける。太田の話はいつも編集委員を驚かし、ユメをふくらます。

 検定結果について文部省で調査官に「他社はすべて合格ですが、あなたたちのだけ不合格でした」と言われても不思議に少しも驚かなかった。1・2年生で100箇所を超える修正指摘の理由には内心呆れはしたが。

 文部省から帰っても、すぐ「修正する気があるなら75日以内に」を受けて、どうするかを話し合った。2度目の文部省からの呼び出しでも30数カ所の修正箇所。結果は再び不合格。その後もショゲズに夢を語りつづけた。

 やっと合格にたどりついた時には、柱は堅持できたが、悲しいことに、ひとつづきの詩のような文はどこかにふっとんでしまっていた。

 それでもまだまだ生きていると思い込んでいたが、その我々までをも酸素吸入器を要するほど落ち込ませたのは無慚な採択の結果だった。以後立ち上がることはできなかった。

 「人はどんなに自然に支えられているかを考えながら生きる」ことを授業で子どもたちと考え合うことを積極的に提案したことを私は今でも誇りに思っているが、現実には勝てなかった(その現実とは何か今もよくわからないが)。この直後、太田まで失い、私には二重の大きな打撃を食らうことになった。

 口に出さないと言いながら、なんでこんなことを書いてしまったかの言い訳を添えなければならない。

 何十年ぶりになるだろう、書棚から武者小路実篤の「人生論」を引き出してみたら、その人生論の随所に「自然」が出てくるのにすっかり驚いたことによる。1箇所ぬいてみる。 

 君は自然を不思議と思わないか。

 僕がここで一番言いたいのは,自然のその不思議さなのだが、しかしあまりに人間はその不思議さになれていて、どのくらい不思議かということを感じさせることができない。

 僕はすぐれた人間や、美しい人間をいくらでも平気でつくり、平気で齢をとらせ、平気で死なせていく自然に驚く,しかしそれ以上に微妙な生物をつくり得た、その原動力に驚き、その結果に驚く。・・・

 彼は,道德について述べている項でも、繰り返し「自然」を登場させている。初版は1934年だ。

 私は,久しぶりに、私たちの教科書をゆっくりと読んでみた。

 今さらどうにもならないのだと思いつつも、武者小路に少しはれやかな気分にさせてもらい、4半世紀も前のことを、つい書いてしまった。( 春 )

映画『リトル・ボーイ』 愛と勇気の物語のために吠えろ!

 以前に「つうしん」の原稿をお願いしていたこともある清眞人さん(元 近畿大学教授)が、教育科学研究会の機関誌『教育』12月号(特集は、「反知性」社会と教育)に、「学生の世界認識と歴史を生きる苦痛と希望」と題した論稿を寄せている。

 その冒頭で、少し前に私も観た映画『リトル・ボーイ』について触れている。そこで述べられていることは、先の木村草太さんの「おやじのせなか」にも相通じるものとも感じた。みなさんにも読んでいただければと思い、以下にその部分を掲載します。(キヨ)

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 映画『リトル・ボーイ』を見て

 この9月に私は映画『リトル・ボーイ 小さなボクと戦争』を見た。2014年製作。みずから脚本を書き、監督も務めるアレハンドロ・モンテヴェルデはまだ若い。40歳になるかならないかのメキシコ移民のアメリカ人。彼はこの映画のパンフレットの冒頭にこう書いている。この映画の脚本を書き始めたとき自分は「負け犬の話を書きたい」と思ったと。「10代の頃、下手な英語を話し、ハリウッドで映画を作ることを夢見るメキシコ移民だった僕にとって、この題材はずっと身近なものでした。僕は、小さな子どもの話を思いつきました。第2次大戦によって相棒 ー 正確にはたった1人の友だちである彼の父親 ー から引離された子どもの話です。小さな子どもの敵は、第2次大戦。まさに負け犬の話です」と。

 民衆は体制と歴史と運命の凶暴な力を前にしてつねに「負け犬」である。勝ちようがない。しかし、「負け犬」は吠えることを捨てないし、「負け犬」にはつねに切ない愛と勇気の物語が隠されている。「負け犬」が吠えることを捨てられないのはそれゆえだ。

 この映画のタイトルが「リトル・ボーイ」というのは、この主人公の子どもが成長ホルモン異常で身体の成長が停止した子どもだからだ。彼は周囲のあらゆる子どもから「こびと」と馬鹿にされ、彼にとっての唯一の友だちは、彼にあらゆることを可能にする魔術師ベン・イーグルのおとぎ話をしてくれ、暇をみてはたくさんの新鮮な風景のなかへ2人して遊びに行ってくれる「相棒」の父親だけだった。しかし、このタイトルには実は広島に投下された原爆に米軍がつけた「愛称」が「リトル・ボーイ」だったことが隠されている。父は徴兵されフィリピン戦線に投入される。実はこの映画の副主人公は、敵性外国人としての収容所送りは免れたにしろ、町中のほとんどのアメリカ人たちから「ジャップ」と罵られ、交際から排除されている日系アメリカ人ハシモトである。真珠湾で日本の戦闘機によって息子を失った登場人物の一人はハシモトを「敵」として憎む。だが、「負け犬」である孤独な少年は同じように孤独な「負け犬」であるハシモトとの友情をとおして自分のなかの切ない希望(=フィリピン戦線からの父親の生還)を、守り続けようとする。

 この映画には、このリトル・ボーイの「戦争」という「敵」への憎しみは、あのリトル・ボーイ(原爆)にすり替えられてはならない、というはっきりしたメッセージがある。彼も、彼の父も、ハシモトも、あの広島の日本人たちも、フィリピン戦線での日本兵も、すべての民衆は「第2次世界大戦」という巨大な真の「敵」に対しては「負け犬」であること、だが、その歴史を真に「負け犬」らしく生きよう! 吠え続けることを捨てるな! このメッセージがこもったメキシコ移民が創った映画、それがこの『リトル・ボーイ』である。 

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おやじのせなか、おやじの存在

 土曜の朝、新聞を読んでた我が家のよっちゃんが「これ、面白いよ」と切り抜きを寄こした。憲法学者の木村草太さんが「おやじのせなか」欄(11月11日付・朝日)に「ドン・ガバチョの歌『大事だ』」と題して、今は亡きお父さんのことを書いている。

 木村さんの父親は、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」が大好きで、番組の中で流れる「今日がダメなら明日(あした)にしまちょ 明日がダメなら明後日(あさって)にしまちょ」という「ドン・ガバチョの未来を信ずる歌」がお気に入りだったそうだ。ある時、一緒に見ているとその歌が流れ、「これはお前にとって大事だから覚えておけ」と言ったという。木村さんは、何を言いたいのかわからなかったが、昨年の安全保障関連法が成立するなか、偶然お子さんと見ていたテレビ番組でこの歌が流れて、その意味がわかったと記している。

 思い出せば、私にも同じようなことがあった。小さいころ刑事ドラマ「太陽にほえろ」をみながら「刑事ってかっこいいなあ、大きくなったら刑事になろうかな」となんとはなしに言ったら、「刑事になんかなるものじゃない」と、ぼそっと父に言われたことがあった。私の父もすでに他界しているが、木村さんと違うのは、未だに父親がなぜそんなことを突然口走ったのか、その真意はわからないままだということ。真意を知りたい気もしないではないのだが、どんな事が飛び出してくるか想像するに恐ろしく、わからないままでもいいか、と・・・。

 そんなことを思っていたら、よっちゃんが「これも読みな」と、切り抜きをひょいと持ってきた。何??と思いながら新聞を開くと、JA共済の全面広告に朝井リョウさんの「『おばあちゃんち』で叶う夢」と題する短いエッセイが載っていた。年老いていくおばあちゃんと朝井さんとのかかわりの移り変わりを通して、彼のおばあちゃんへの思いが綴られている。よっちゃんは、これを読んで切なくなったそうだ。

 ところが私の意識は、内容以前にタイトルの「おばあちゃんち」を見た途端、やっぱり「おじいちゃんち」ではないんだなあと、そちらに行ってしまった。是枝監督の映画『歩いても歩いても』のなかに、次のような場面がある。遊びに来た孫たちが「おばあちゃんち」「おばあちゃんち」と事あるごとに言うのを聞いて、おじいちゃんが(孫の親である)実の娘に「この家は俺が働いて建てたんだぞ。なのにお前、何でおばあちゃんちなんだ」と拗ねて言うのだ。浅井リョウさんも「おばあちゃんち」、私も「おばあちゃんち」。みなさんのところは、どうでしたか?

 詩人の吉野弘さんが『父』という題で、次のような詩を書いている。

    何故 生まれねばならなかったか。

    子供が それを父に問うことをせず
              ひとり耐えつづけている間
    父は きびしく無視されるだろう。
    そうして 父は
              耐えねばならないだろう。

              子供が 彼の生を引受けようと
              決意するときも なお
              父は やさしく避けられているだろう。
              父は そうして
              やさしさにも耐えねばならないだろう。

 

 父親という存在は案外やっかいで、ときに難しくときに理解されにくい存在なのかもしれません。でも冒頭の木村さんのみならず世の多くの息子・娘たちは、良くも悪くも父親の後ろ姿から何らかの生のかたちを、我にもあらず引き受けているのでは・・・ と思うのでした。(キヨ)

11月5日 子どもとどんな作品で向きあうか

 「ぼくには、鼓の音が聞こえない!」

 と言ったSさんの言葉と、その場の様子は何年経っても忘れない。

 たくさんのことを教えていただいたKさんの卒業授業検討会は学校からそれほど離れていない小さい温泉宿でもたれた。

 Kさんが授業で中学1年生に取りあげた作品は山本周五郎の「鼓くらべ」。

 Sさんの言葉は、「『鼓くらべ』は教材としてどうだったか」の話し合いの中で言われたもの。私なりに説明すれば、(この作品がよい作品であれば読む者に鼓の音が聞こえてこなければならないだろうに私には聞こえてこない。Kさん、あなたには聞こえたのだろうか。あなたはなぜこの作品を卒業授業の作品としてとりあげたのか。)ということになるのだろうか。

 私は、それまでSさんの話や文章に絶えず刺激を受けていたのだが、先の一言はこれまでになく衝撃だった。Kさんが言われているにもかかわらず自分に向けられた言葉のように思い、Sさんは用事があると間もなく中座したのだが、その後も話し合いはつづいたのだが言葉を発することができなかった。

 私は話し合いの中に座っていたのだが、なぜか、「読む」ということについてひとり考えつづけ、Sさんの「鼓の音が聞こえない」だけが響きつづけていたのだった。

 最近になって、辻井喬の読書日記の中に、「・・・登場人物が皆なんとなく顔付きと表情と肌の匂いをもっている。皆が肉体をひっさげて蠢いている有様は彼女の(著者の)文学的達成を示していると思われた。」という一文があり、Sさんの「鼓の音」と同じ意になると思った。

 Sさんは数十年間、私たちに教科書外の読みの授業のための具体的な作品を提案しつづけた。その根に「鼓の音が聞こえない」があるように思ったし、Sさんが提案した作品が多くの教室の授業でいつまでも生かされてほしいと子どもたちのために願いつづけている。

 SさんもKさんも今は遠い地に行ってしまい会うことはできない。( 春)

熱戦の日本シリーズの裏側に

 プロ野球日本シリーズは、野球好きの私にとっては、連日のゲームの展開にテレビに釘付けの状態となった。優勝が決まった翌日の全国紙A新聞に、優勝に導いた監督やチームの育成方針に関する記事が掲載され、勝敗以上に興味深く読んだ。読まれた方も大勢いると思うが、簡単に紹介したい。
 優勝チームの若手の育成方針の一つは、2軍選手全員が入る選手寮での決まりがある。それは、休日には書店に本を買いにいくこと。そして朝食後の読書タイムがある。さらに年4回は、外部講師の講義を受ける。そこでは「その道のプロの話を聞くことで、意識が高まる」のを狙っているという。そのために球団は寮の教官に元高校の教師を選んだ。
 また、その記事の隣りには少し小さく勝利監督のことが記されていた。彼は自宅から球場まで車で1時間を、論語菜根譚十八史略など古典のCDを繰り返し聞きながら移動するのだそうだ。「人間は歴史、過去からしか学ぶことができない」と、野球以外から野球を探っているとのこと。
 東京学芸大を卒業し、一時は教師の道を探った監督らしいなぁと感嘆し、同時に今の教育現場の様子を垣間見るに、このような学び方をどれほどしているのだろうと、寂しくさえ感じてしまうのであった。
 私たちのセンターが高校生の公開授業や講演会など開催で考えてきたのは、まさに人との出会いを重視してきたからに他ならない。
 まもなく中村桂子さんの講演のブックレットが完成するし、年明けには樋口陽一さんによる高校生の公開授業も予定されている。             (仁)