mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

サッカーへのVAR導入は何をもたらすか?

  f:id:mkbkc:20200108091809p:plain

 サッカーのレフェリングがこの2〜3年で大きく変化している。ご存知の方もいるだろう、VARの導入である。VARとはビデオ・アシスタント・レフェリーの3つの単語の頭文字から来ている。要するにビデオ判定のことだ。VARでより公正・公平なサッカーへ。そんな考え、理想から始まったVARだが実際は上手く行っていない。いや、より公平・公正という部分に関しては理想が現実になっている側面もある。しかし、その一方で根本であるサッカーそのものの魅力を大きく損ねる結果になっている。

 サッカーの魅力とは簡単に言うならば得点が入った時の盛り上がりだろう。「いやいや、サッカー以外のスポーツでも得点が入ったときは盛り上がる」という方もいるだろう。しかし、サッカーの得点時の盛り上がり、感情の爆発は他のスポーツとは少し違う。というのもオフサイドという簡単に言うと待ち伏せ禁止のルールやボールを足で扱うという不正確さから得点が著しく入りにくいスポーツなのである。5点、6点入るのが当たり前のスポーツの1点と、3点入れば大量得点の部類に入るサッカーの1点とどちらがより貴重で重いものかは一目瞭然だろう。我慢は最高のスパイスと言われることもあるがサッカーの得点はまさにそれで、入りそうなのに入らない中でやっとゴールが入ったときの感情の爆発はとんでもないもので、恥も外聞もなく、近くにいる見ず知らずのサポーターとハイタッチしたり、抱き合ったりして皆でゴールを喜ぶ。

 しかし、最近のVARを導入した国ではこのゴール時のこの感情の爆発が、サッカーの一番の魅力が失われつつあるのだ。というのも、ゴールをした「瞬間」が失われたからである。今まではボールがゴールネットを揺らせばその「瞬間」ゴールだった。しかしVARが入ってからはゴールの後にVARとファウルが無かったかやり取りをするためゴールネットを揺らした「瞬間」はまだゴールが認められない。感情の「爆発」は文字通り一気に弾ける、「瞬間」に弾けるのである。しかし、その感情を爆発させる「瞬間」はVARの判定を待つ「時間」になってしまった。これでは感情の爆発は起こらなくて当然である。結局VARチェックが終わりゴールが認められても、あの瞬間の、あの感情の爆発は戻ってこない。そんな中ではどんなに公平・公正でもVARが受け入れられないのも無理はない。

 このVARが来シーズンからJリーグにも導入される。公平・公正には厳格にこだわる気質を持つ日本という国でこのVARは果たして好意的に受け入れられるのか、それとも他国と同様にゴールの瞬間が、サッカーの魅力が失われることで拒否反応が起こるのか、これも来シーズンのJリーグの楽しみの1つだ。(アズール)