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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

11月20日 武者小路実篤の「人生論」に想う

 今になっても「死んだ子の歳を数えている」と思われそうだから口に出すことは押さえているが、何年経っても、「~そして、人が どんなに しぜんに ささえられて いるかを おしえられて、みんなで どう 生きるかを かんがえながら 生きて いく。」を結びの文とした生活科の教科書づくりを思い出し、あまりに短命であったことを悔やみつづけている。誕生時から酸素吸入器を要するような教科書だったから短命はやむをえなかったのだが・・・。

 編集者の太田弘と、何年間「教育」を語り合ったか。そして、教科書づくりに取り組んでの3年間,どれほど「教科書にかける夢」を語り合ったことか。

 「他者の理解と循環を教科書の柱にするのは・・・」「違う人がいるからいいのだと思うようになるにはどういう内容にすればいいだろう」「子どもが、自分で次のページを開きたくなるような教科書をつくりたい」「次の学年になっても、この教科書だけは机上に置いておきたいと思うようなものにしたい」「最初から最後までひとつづきの詩のような文でつづれたら」「そのためには単元名が大きく掲げるのはじゃまではないか」などなど。

 それを編集会議にかける。太田の話はいつも編集委員を驚かし、ユメをふくらます。

 検定結果について文部省で調査官に「他社はすべて合格ですが、あなたたちのだけ不合格でした」と言われても不思議に少しも驚かなかった。1・2年生で100箇所を超える修正指摘の理由には内心呆れはしたが。

 文部省から帰っても、すぐ「修正する気があるなら75日以内に」を受けて、どうするかを話し合った。2度目の文部省からの呼び出しでも30数カ所の修正箇所。結果は再び不合格。その後もショゲズに夢を語りつづけた。

 やっと合格にたどりついた時には、柱は堅持できたが、悲しいことに、ひとつづきの詩のような文はどこかにふっとんでしまっていた。

 それでもまだまだ生きていると思い込んでいたが、その我々までをも酸素吸入器を要するほど落ち込ませたのは無慚な採択の結果だった。以後立ち上がることはできなかった。

 「人はどんなに自然に支えられているかを考えながら生きる」ことを授業で子どもたちと考え合うことを積極的に提案したことを私は今でも誇りに思っているが、現実には勝てなかった(その現実とは何か今もよくわからないが)。この直後、太田まで失い、私には二重の大きな打撃を食らうことになった。

 口に出さないと言いながら、なんでこんなことを書いてしまったかの言い訳を添えなければならない。

 何十年ぶりになるだろう、書棚から武者小路実篤の「人生論」を引き出してみたら、その人生論の随所に「自然」が出てくるのにすっかり驚いたことによる。1箇所ぬいてみる。 

 君は自然を不思議と思わないか。

 僕がここで一番言いたいのは,自然のその不思議さなのだが、しかしあまりに人間はその不思議さになれていて、どのくらい不思議かということを感じさせることができない。

 僕はすぐれた人間や、美しい人間をいくらでも平気でつくり、平気で齢をとらせ、平気で死なせていく自然に驚く,しかしそれ以上に微妙な生物をつくり得た、その原動力に驚き、その結果に驚く。・・・

 彼は,道德について述べている項でも、繰り返し「自然」を登場させている。初版は1934年だ。

 私は,久しぶりに、私たちの教科書をゆっくりと読んでみた。

 今さらどうにもならないのだと思いつつも、武者小路に少しはれやかな気分にさせてもらい、4半世紀も前のことを、つい書いてしまった。( 春 )