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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

3月3日

2015年3月3日

連日報道されている川崎の中学生刺殺事件、しだいに事件の全容が明かされてきているが、見るたび聞くたび胸が痛くなり言葉を失う。少年事件の件数は統計上増えていないということだが、これからを生きる少年たちの問題だけに事件のもつ重みはあまりに大きい。

 なぜこのような事件が起こるのか、この歳になってもまったくわからないどころか、考えれば考えるほど自分自身がぐしゃぐしゃになってつぶれてしまいそうなのだ。

 このようなことがあると“専門家”と言われる人が登場し、とてもメイカイにコメントをしているが、そのメイカイさまでが気になってくる。それぞれの子や家族、学校を語ることで済むこととはどうしても思えない。

 私だけであるはずはないが、(人間に生まれてよかった)と思うことが数えきれないほどある。そう思う時は必ず他者との関係のなかでと言っていい。その逆の思いをもつのもまた他者との関係になる。でも、それが必ずしもまるまるマイナスにだけなるわけでもないように思うが・・・。

私たちが他者なしに生きることが難しいことを考えれば、人間であるために大事にしなければならないものは何か、それがわたしたちのなかで大事にされ、子どもたちもそのようななかで育まれているかどうか、今度の事件を通しても深く考えさせられる。

いつものことだが、このような出来事があると、卒業を前にして私のクラスから去って行ったKを思い出す。彼女は陰でのいじめに耐えられなかったのだ。情けないことに私は引きとめるほどの手立てをとれず、今でも何かがあると思い出し、キリキリと痛む傷になっている。

職員間では互いに子どもを語り合おうと呼びかけていながら、自分でKを同僚に語れるような事実をもつことができない教師だったのだ。今もKを思い出すたびに幸せにくらしていることをのみ祈っている。

そんな私でもあるから、なぜこんな世の中になってしまったのだろうと思いつつ、どの子も安心して生き生きと過ごせる世の中をなんとか取り戻したいと強く願っているひとりのつもりだ。