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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

11月15日

 教育のつどい課題別分科会に参加するとき、毎年、頭が痛くなることがある。 「今の学校がたいへんだ」「あまりに忙しく研究会どころではない」・・・など、事あるたびに耳にすることから、むかし、好き勝手なことをしていた自分がしゃべることは(そんなこと昔のことだろう、今はそんなことはできっこないよ)と歯牙にもかけられていないだろうか、とすれば、私がそこに座ることの意味はあるのだろうかということなのだ。(私自身は内心無関係、今も昔もそう楽な仕事ではないと思いこんでいるのだが)。  つどい参加もそろそろ終わりになるだろうという思いと、レポートも出さずにしゃべる気重を少しでも軽くしたいという思いから、今年は、むかしのクラスの子どもの日記と手紙をプリントして出した。  その中のひとり、5年6年と担任したS子の日記は卒業間近の3月13日のもの。長い日記だがまとめる と次のような内容になる。   

   中学校での学習帳を使ってみないかとセールスが来た。これを使うと短時間で要点などを頭に入れられる、とてもわかりやすく問題が書いてあるとかと言う。自分は、じゅくや家庭教師なんかは好きではない。中学校では、部活と勉強をうまく両立させて自分の力でがんばってみるということを考えている。

   セールスは、「もし教科書だけで勉強して1時間かかったとすると、この学習帳では20分ていどで終わる」と。つまり、1時間で辞書やいろいろな資料を見て自分なりにおぼえるとすると、この学習帳はわからないところの要点をくわしく書いてあるから、その方が楽だよという。

   自分は、これを聞いて頭にきた。これじゃ、自分のために勉強しているのじゃない。その学習帳の力にたよってしまうばかりだ。早く終わってしまえば自由時間も多くなる、これは本当に楽で好きなことができるからいい。でも、それにたよってばかりで自分のための知識がつくか。自分自身の人間をつくるために何時間もかけて辞書をひいてめんどうする方を自分は選ぶ。それでなければ、辞書をひく楽しさをおぼえないし、本当の勉強というものはつかめないと思う。

   自分の考えとしてはこうだが、他の人がどうしようと口出しすることではないし、大口をたたくことができないのをひどく残念に思う。       

 私は2年間S子と一緒に暮らせたことをうれしく思った。そして、これからも、こんな思いをもつ子どもたちを頑張って育てる仕事を創りつづけたいと思わされた日記だった。   どう読んでもらえただろうか・・・。  こんな人間は、今の競争時代には勝てないと一笑に付されてしまうとすれば、やっぱり悲しいな。こんな時代でも、「何時間もかけて辞書をひいてめんどうする方を自分は選ぶ」と言い切るS子のような子を支え、生きられるような教育の場にしてほしい。