mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

急遽開催! 特別編だよ「道徳なやんでるたーる」

 やっぱり学校の先生たちは、道徳の授業どうしよう? 評価はどんなふうに書けばいいかな?と、みなさんナヤンデルタールのようです。

 夏休みが終わり、これからの学習会をどうしよう? 今度はどの教科で行おうかと思案していたところ、「道徳なやんでるたーる」の学習会に毎回参加してくださっていた先生との話から、改めて1年生教材「それって おかしいよ」の授業づくりの学習会を持つことにしました。9月以降も、多くの学校の校内研究で道徳の授業が行われるようです。ぜひ参加して一緒に道徳の授業づくりについて考えませんか。お待ちしています。 開催は、9月8日(土)10時~12時です。

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戦争と平和をどう記録し伝えるか

 この夏も、8月の広島・長崎への原爆投下の日、そして終戦(敗戦)の日を中心に、様々な戦争と平和について考える特集番組が組まれました。
 戦争体験者が高齢になっていくなかで、新たな資料などの掘り起こしとともに、その体験と声をどう記録(記憶)し、どう伝えるのか。近年、そのような模索も含めた番組制作がなされてきているように感じます。
 その一つに、NHKスペシャル「“駅の子”の闘い ~語り始めた戦争孤児~」がありました。戦争で肉親や住むところを失い戦争孤児(駅の子)となった子どもたちの過酷な生活とつらい思いが語られていました。戦争孤児たちが終戦後どのような人生を送ったのか、これまで知らないできたことに改めて気づかされました。彼らにとって戦争は、終戦でおしまいになったのではありませんでした。終戦後も生きるための過酷で悲しい戦いが続いたのでした。改めて戦争の理不尽さに怒りを感じます。

 それから、昨年末にお亡くなりになった早坂暁さんと血のつながらない妹・春子さんとの人生をドラマにした『花へんろ特別編 春子の人形』もとてもよかったです。最愛の妹・春子さんを広島の原爆でなくされた痛切な体験が、早坂さんの『夢千代日記』をはじめとする原爆と戦争を見据えた作品や活動の原点になっているといいます。その妹さんと早坂さんの物語です。お二人の心に秘めた思いとともに、平和への思いを強くしました。
 ちなみに、『花へんろ特別編 春子の人形』は、9月1日(土)15時~ NHKBSプレミアムで再放送されるそうです。よかったらご覧下さい。

 最後に、このことを書き忘れてはいけませんでした。8月15日の朝日新聞宮城版に当研究センターの前代表・中森孜郎のことが、「死を美化した愛国少年 きけわだつみのこえに衝撃『天皇信仰』から解放」と題し掲載されました。『「憂憤録」の頃の私』に込めた思いも含め、天皇のため命を捧げて生きた忠君愛国少年時代のことを語りました。今回の『「憂憤録」の頃の私』出版は、戦争と平和への思いをどう記録し、どう伝えるかのセンターとしての試みの一つです。
 なお8月15日の朝日新聞掲載以降、多くの方から『憂憤録』についてのお問い合わせがありました。まだ在庫はありますので、ほしい方は研究センターまでご連絡下さい。(キヨ)

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『算数授業づくり講座』第2弾は、今週土曜日(9/1)!

 県内のほとんどの学校が、週明け月曜日から始まりました。夏休みを終えて登校してきた子どもたちとどんな授業や取り組みをしようかと、そのことで先生たちの頭の中は、もうフル回転かもしれませんね。

 すでに8月初めにこのDiaryで紹介していますが、第2弾の『算数授業づくり講座』の開催が今週末に迫ってきました。算数の授業をより楽しく充実させるためのヒントや話がいっぱい聞けます。学校が忙しくてついつい申し込みを忘れていたという方はいませんか。まだ人数的には余裕があります。ぜひこれからでも申し込みください。お待ちしております。

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猛暑の夏に、「作文と教育」分科会に参加して

 8月10日から行われた東北民教研・茂庭集会には、門外漢ながら「作文と教育」分科会に参加しました。次号「センターつうしん」の特集を何にするかの打ち合わせで、表現がテーマに挙がり、生活綴り方などが話題になったからです。恥を顧みず大胆に、そして謙虚に、それを受け入れてくれる分科会のみなさんに囲まれて、楽しい学習会でした。
 そんな経緯での参加でしたが、多くの刺激を受けました。その辺りをとりとめなく・・・と思います。

 まず私事から。思い出すのは作文が大嫌いだったということ。そして、使う接続詞は決まって「そして」だったということ。そして、そして、そして、そうやって作文を書いていました。また、総じて作文の時間は、何かの学校行事などの取り組みに合わせて行われていたことを思い出します。特にその行事が自分の中に書くべきものを感じさせなくても、作文は書くものとして「強要」されました。子どもにとって(子どもだけじゃないね)書くものがない、あるいは書くことの必要性を感じないのに書くというのは、ある意味「拷問」のように思うけど、それでも書いていたのです。子どもは与えられた世界をまずは生きざるを得ないから。先の「そして」で書く作法は、そういう中で自分なりに見出した苦肉の策なのです。

 どうしてこんなことを言い出したかというと、「作文と教育」分科会の先生たちの取り組みは普段の学校生活の中で日常的に行われていて、自分が受けてきた作文とはずいぶん違うなあと感じたからなのです。同時に、普段から作文を書くとなると、特別(非日常的)なことでもなかなか書けなかった自分を思い、拷問どころか地獄でしょ!とも思ってしまうのでした。きっと作文を書くことが楽しいと子どもたちが思うように誘う(指導する)ことが教師としての腕の見せどころというか、教師の力量ということになるのでしょう。

 ところで私は、作文指導や作文教育、そんなものを果たして受けただろうか? 思い出せない。いや、実は指導なんてなかったんじゃないか。それとも、忘れっぽい私が忘れているだけなのか…。そんなことを思う自分がいるのでした。なぜなら、たいてい作文の時間は、作文のテーマと400字詰め原稿用紙が配られておしまいだったからです。併せて、つぎの一文がよみがえってきます。その文章は、手紙を書かなくなった私たちの日常と、手紙という存在をめぐって書かれたものなのですが・・・。

 もし現在のぼくたちの生活のなかで〈書く〉という活動の場面が・・・ノート筆記、試験、書類、報告書といったものばかりで埋め尽くされているとしたら、そもそもあの作文教育は何のためにあるのか、それはほんの添え物的なもので、けっして真剣なものではなかったのではないかと思われてきます。
 もし、それが真剣なものであったなら、いいかえれば、〈自分の人生を表現する〉〈自分の人生の証人となる〉という問題に関わって〈書く〉ということがもつ意義や働きについて、ぼくたちが自覚する機会やその面白さを享受する機会が十分に与えられ、ひとりひとりが〈書く〉ことにむけて励まされていたら、そしてまたそのメダルの裏表の関係で自分の親しき隣人(友人、親、兄弟、他)が書くものを〈読む〉ことの楽しさや、〈書く―読む〉の人間関係をそのようなものとして生き生きと維持する〈術〉(「生きる」ことの〈わざ〉・技術としての)を身につけることができていたなら、もっと生活のなかに〈書く〉という営みが生き生きと溢れていて、ぼくたちはそれを楽しんでいるはずだからです。(清眞人著『空想哲学スクール』より)

 著者のいう「添え物」という言葉が、そして「ひとりひとりが〈書く〉ことにむけて励まされていたら」という一節が、私の受けてきた貧しい作文の時間の記憶と、そこに欠けているものが何なのかを心の鈍い痛みとともに射貫いていきます。あの孤独で退屈な時間を過ごす私が、今も教室にひとり取り残されて座っています。

 こう書いてきて、やっと自分が何を言いたいのか、言いたかったのかが見えてきます。つまり私が「励まされる」ためには、「励ます」人がいなくてはならないということが。私に向けて、お前の人生を教えてくれ、俺はお前を知りたいのだという相手が、そこにいなくてはならないということがです。そして、その「励ます人」のひとりに、教師もならなくていけないのだということが・・・。ちなみに、「励ます人」としての教師と子どものことについては、このdiaryのまさひろくんの『ばいばい』に想うに書きました。よかったらそちらもご覧ください。

 「作文と教育」分科会は、今年の猛暑にふさわしく? このようなアツい熱い妄想を私に抱かせたのでした。これ以上の熱中症になるといけないので、今日はこのあたりで終わりにします。(キヨ)

(追伸)そう書き終えたのにも関わらず、少し前に手にした本の中に次の一文を見つけてどうしても書いておきたくなってしまいました。お許しを。それは鷲田清一さんの『死なないでいる理由』のなかで、日野啓三さんの『書くことの秘儀』の引用として記されているものです。

 「書く」ことによって「ほんとうのこと」が呼び出され呼び寄せられ、息を吹き
 かけられ血を注ぎ込まれ、影のように亡霊のように、近く遠く明るく暗く立ち現
 れるのであって、「書く」前にホントもウソもない。顔も水脈も陰影もなく混沌
 (カオス)さえもない。「書き方」だけが「ほんとうのこと」と「ほんとうに成
 り切れない」あるいは「ウソでさえもない」こととを分ける。

季節のたより10 ツユクサ

 澄んだ青色の美しさ 昔は染料に

 草むらのなかに、ツユクサの花がぽっぽっと青い光をともすように咲いています。
 ツユクサツユクサ科の一年生植物で、夏至の頃から初秋まで、畑の隅や道端で花を咲かせます。よく見られるのは、夏の終わりから秋に向かう頃、この時期は、「朝露が降りる」現象がもっともよく見られるので、花と露のイメージを重ねて「露草」と呼ぶようになったようです。

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 ツユクサの大きな特徴は何といっても花の色です。これだけ澄んだ青色の花はあまり見られません。
童謡『ぞうさん』の詩人まど・みちおツユクサを詠った詩があります。

   はねのように かるかったのか

   あの はるかな ところから
   おちてきて
   よくも つぶれなかった
   あおぞらの しずく

   いまも ここから
   たえまなく
   ひろがっていく

   なみの わが みえます

   あの そらへの
   とめどない
   おもいなのでしょうか   (ツユクサの花 まど・みちお

 また、明治大正期の小説家である徳富蘆花は、竜胆、矢車草、千鳥草などの好きな碧色の花をいろいろあげたあと、最後にツユクサをとりあげて、

「・・・惜気もなく咲き出でた花の透き徹る様な鮮やかな純碧色は、何ものも比ぶべきものがないかと思うまでに美しい。 つゆ草を花と思うは誤りである。 花では無い、あれは色に出た露の精である。」
           (徳富蘆花 『みみずのたはごと』 岩波文庫

とたたえています。

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 万葉集の歌には「月草」の名で登場します。「つきくさ」とは、「色のつく草」、つまり、「着き草」という意味で、古くから花びらを集めて、染料として使われてきました。
 古典落語の傑作に「出来心」という演目があります。空き巣に入られた男が、何もとられていないのに、遅れた店賃を待ってもらう言い訳に、大家さんに布団をやられたと嘘をつく場面。大家さんと男の会話です。

「どんな布団だ。表の布地は何だ」「大家さんとこに よく干してあるやつで」
「おれんところは 唐草だ。」「あっしのところも 唐草で」
「裏は?」「行きどまりで」
「おまえんとこの裏じゃない。布団の裏だよ」「大家さんのとこでは?」
「家は、丈夫であったけえから、花色木綿だ」「家でもそれなんで」

そして、羽二重も帯も、蚊帳も先祖伝来の刀もみんなとられたと並べたて、どれも裏が花色木綿というので、それを縁の下で聞いていた泥棒は、もう我慢できずに這い出てきます。その顛末は落語で聞いてもらうことにして、この話に出てくる「花色木綿」とは、ツユクサで染めた木綿のことをいいます。その色は 縹色(はなだいろ)という言葉で現代にも引き継がれています。

 ツユクサの青の染料は水や光に弱くすぐに褪せてしまうので、やがて藍染めにとって変わられますが、逆にその特色を生かして、友禅染の下絵に利用されようになります。今はツユクサが突然変異した花びらの大きいオオボウシバナが栽培されて、その花びらで作られた「青花」という染料が使われています。

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 生活科教科書「どうしてそうなの」(現代美術社)は、このツユクサをとりあげて、

   あきちで あそんだ。
   いろいろな くさを、みんなで みつけた。

   つゆくさの はなを
   しろい はんかちに のせ、
   ゆびで おさえた。

   はんかちに あおい もようが できた。

と、子どもたちの興味を誘っています。

 青い花びらを和紙の上にならべ、その上から指でおすと青色が移るので、これを白い木綿のハンカチに利用すると、かわいいツユクサ染めのハンカチができます。ツユクサの花びらを集めて透明のビニル袋に入れ、水を少し加えて強く振ると青色の透明な色水がつくれて楽しめます。たくさんの花びらを集めることができれば、皿に入れて水を少し加え、割り箸などですりつぶすと、濃い色水になって、絵筆で紙に文字や絵がかけます。それを太陽の光にあたると不思議、手品あそびのように消えてしまいます。水に入れても同様です。ツユクサを染料に考えた古代の人も同じような体験を重ねていたような気がします。
 ツユクサの色あそびの後は、藍や紅花、桜などの草木染で作られたハンカチや帯、シャツなどを見せて、昔の人はいろいろな草木を染料にして暮らしに生かしていたことを話してみてはどうでしょう。子どもたちの興味がぐんと広がっていくはずです。(千)

『東北の教育的遺産』発行を喜ぶ

 研究センターから、かつて小機関誌「よみかた東北」にほそぼそと連載しつづけられたものを1冊にまとめた「東北の教育的遺産」が発刊された。
「よみかた東北」発行にかかわったひとりとしてたいへんうれしい。
 この連載に力を尽くした宮崎典男さん・加藤光三さん・吉田六太郎さんは既に故人になられた。現物を見ていただくことのできないのが残念だが、30年近く前から10年ほど書き継がれたものが1冊にまとまったことを喜んでくださっているにちがいない。
 なにしろ、こうした取り組みがなければ「東北の旗手たち」の姿と仕事はバラバラのままで、各県内で知られるぐらいで終わったのだから・・・。
 しかも、戦中の厳しい中で、少しでもよい仕事をしようと連絡をとりあい励まし合った先輩たちが多くいたことに驚かされる。

 40年ほど前、鈴木道太さんのお話を数回にわたって伺ったことがある。鈴木さんは「東北の機関車」と言われた人だ。話は尽きなかった。
 たとえば、「20代の頃、仲間と『土曜会』というサークルを作って集まった。仙台駅前の食堂がたまり。時間で出されると、今度は外でまたしゃべりつづけた。そして夜中に解散。仙台荒浜まで歩いて帰った。」とか、「あるとき、われわれのところに『赤い鳥』の鈴木三重吉が来ることになった。駅に迎えに出ることになったのはオレだ。オレが一番先に会えたのだ。真夏だったので、会場である女子師範の講堂に氷柱を用意し、それで、おしぼりも冷やした。そのおしぼり係がオレだった。時々、持っていく。オレはその仕事がうれしかった。」と、何十年前のことを本当にうれしそうに話してくれるのだった。子どもたちのことを話す様子も、心から楽しそうだった。
 何のトガもないのに、土曜会の仲間は次々と鉄窓の中に入れられた。3年間の拘禁生活を強いられた道太さんは教室に戻らなかったが、戦後の民間教育運動では積極的に支えつづけた。

 宮城の道太さんだけでなく、東北各県に、子どものために創造的な動きをした方がいた。それらの人々は、苦しいなかで結び合っていた。なんと、宮城の広瀬小学校での国語研究会に、かの国分一太郎さんは山形の東根から自転車で参加したと聞いたことがある。
 どんな時代でも、子どものためによい仕事をしようとすれば、人の結びつきが生まれ、仕事は創られていくということを「東北の教育的遺産」は教えてくれる。多くの人に読んでほしいと願う。( 春 )

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第2弾『算数授業づくり講座』を開催します!  

 6月に開催して好評いただいた「算数授業づくり講座」。第2回講座を行います。まだ先になりますが、夏休み明け9月1日の実施となります。今から予定に入れておいてください。
 2年生は夏休み明けからいよいよかけ算の学習がはじまります。かけ算の授業風景で最も多いのが、九九を暗記させるスタイル。九九を唱えられれば合格? これでは本当のかけ算を学んだことにはなりません。2種類の教具「くるくるボックス」と「かけ算マシーン」を作って、子どもたちとかけ算の仕組みそのものを学ぶ授業づくりについて学びませんか。ふるって参加申し込みください。お待ちしてます。

日 時:9月1日(土)13:30~16:30

ところ:フォレスト仙台 2F会議室

 教材費:200円

【持ち物】
 はさみ、定規、カッター、カッターマット

【参加申し込み】材料準備のため、必ず事前に申し込みください。
 みやぎ教育文化研究センター 022‐301‐2403
           mkbkc@forestsendai.jp  まで

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