澄んだ青色の美しさ 昔は染料に
草むらのなかに、ツユクサの花がぽっぽっと青い光をともすように咲いています。
ツユクサはツユクサ科の一年生植物で、夏至の頃から初秋まで、畑の隅や道端で花を咲かせます。よく見られるのは、夏の終わりから秋に向かう頃、この時期は、「朝露が降りる」現象がもっともよく見られるので、花と露のイメージを重ねて「露草」と呼ぶようになったようです。
ツユクサの大きな特徴は何といっても花の色です。これだけ澄んだ青色の花はあまり見られません。
童謡『ぞうさん』の詩人まど・みちおにツユクサを詠った詩があります。
はねのように かるかったのか
あの はるかな ところから
おちてきて
よくも つぶれなかった
あおぞらの しずく
いまも ここから
たえまなく
ひろがっていく
なみの わが みえます
あの そらへの
とめどない
おもいなのでしょうか (ツユクサの花 まど・みちお)
また、明治大正期の小説家である徳富蘆花は、竜胆、矢車草、千鳥草などの好きな碧色の花をいろいろあげたあと、最後にツユクサをとりあげて、
「・・・惜気もなく咲き出でた花の透き徹る様な鮮やかな純碧色は、何ものも比ぶべきものがないかと思うまでに美しい。 つゆ草を花と思うは誤りである。 花では無い、あれは色に出た露の精である。」
(徳富蘆花 『みみずのたはごと』 岩波文庫)
とたたえています。
万葉集の歌には「月草」の名で登場します。「つきくさ」とは、「色のつく草」、つまり、「着き草」という意味で、古くから花びらを集めて、染料として使われてきました。
古典落語の傑作に「出来心」という演目があります。空き巣に入られた男が、何もとられていないのに、遅れた店賃を待ってもらう言い訳に、大家さんに布団をやられたと嘘をつく場面。大家さんと男の会話です。
「どんな布団だ。表の布地は何だ」「大家さんとこに よく干してあるやつで」
「おれんところは 唐草だ。」「あっしのところも 唐草で」
「裏は?」「行きどまりで」
「おまえんとこの裏じゃない。布団の裏だよ」「大家さんのとこでは?」
「家は、丈夫であったけえから、花色木綿だ」「家でもそれなんで」
そして、羽二重も帯も、蚊帳も先祖伝来の刀もみんなとられたと並べたて、どれも裏が花色木綿というので、それを縁の下で聞いていた泥棒は、もう我慢できずに這い出てきます。その顛末は落語で聞いてもらうことにして、この話に出てくる「花色木綿」とは、ツユクサで染めた木綿のことをいいます。その色は 縹色(はなだいろ)という言葉で現代にも引き継がれています。
ツユクサの青の染料は水や光に弱くすぐに褪せてしまうので、やがて藍染めにとって変わられますが、逆にその特色を生かして、友禅染の下絵に利用されようになります。今はツユクサが突然変異した花びらの大きいオオボウシバナが栽培されて、その花びらで作られた「青花」という染料が使われています。
生活科教科書「どうしてそうなの」(現代美術社)は、このツユクサをとりあげて、
あきちで あそんだ。
いろいろな くさを、みんなで みつけた。
つゆくさの はなを
しろい はんかちに のせ、
ゆびで おさえた。
はんかちに あおい もようが できた。
と、子どもたちの興味を誘っています。
青い花びらを和紙の上にならべ、その上から指でおすと青色が移るので、これを白い木綿のハンカチに利用すると、かわいいツユクサ染めのハンカチができます。ツユクサの花びらを集めて透明のビニル袋に入れ、水を少し加えて強く振ると青色の透明な色水がつくれて楽しめます。たくさんの花びらを集めることができれば、皿に入れて水を少し加え、割り箸などですりつぶすと、濃い色水になって、絵筆で紙に文字や絵がかけます。それを太陽の光にあたると不思議、手品あそびのように消えてしまいます。水に入れても同様です。ツユクサを染料に考えた古代の人も同じような体験を重ねていたような気がします。
ツユクサの色あそびの後は、藍や紅花、桜などの草木染で作られたハンカチや帯、シャツなどを見せて、昔の人はいろいろな草木を染料にして暮らしに生かしていたことを話してみてはどうでしょう。子どもたちの興味がぐんと広がっていくはずです。(千)