mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

『実りの秋の こくご講座』を行います。ぜひ参加ください。

 『夏休みこくご講座』に続いて、秋の『こくご講座』を開催します。

 前半は、全体会として「読みの力をつけるために ~文と単語のことを中心に~」と題し、研究センター・前所長の春さんこと、春日辰夫さんから作品の読みを深めるために大切にしたいことを話してもらいます。

 後半は、2つの分散会に分かれて授業づくりの話し合いをします。今回は、3年生教材の『モチモチの木』と、5,6年生教材にある『日本語のしらべ 短歌・俳句』を扱います。短歌と俳句を取り上げるのは初の試みとなります。

 事前申し込みなどは必要ありません。どなたでも参加できる会です。みなさんのご参加をお待ちしています。
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『実りの秋の こくご講座』 

  ◆全体会(13:30~14:20)
   読みの力をつけるために
    ~文と単語のことを中心に~

  提案  春日 辰夫さん(研究センター  前・所長)

◆分散会(14:30~16:30)
 ~豊かな学びの授業を創るために~

 ・物語文『モチモチの木』(3年生)
 ・『日本語のしらべ 短歌・俳句』秋冬編(5,6年生)

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地域に学びの場を!~ 学び処しおがま(マナシオ) ~

 前のdiaryで、春さんは「読み応えのある本(子ども)とどのように向き合っているか」が、私たちに問われていると記していた。
 センターをずっと支えてくれている元教師の清水仁さんが、この4月から仲間たちと塩釜で学習支援の取り組みを始めた。読み応えのある子どもとどう向き合うかの、まさに試みの一つ。その活動を紹介したいと話していたら、丁寧な原稿を書いてくれました。ぜひお読みください。そして応援・協力もよろしくお願いします!

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 今年4月に,塩竈地域で,無料の学び処「学び処しおがま」(「マナシオ」)を立ち上げました。 

 ★勉強が分からない
 ★ひとりでなく,友だちと勉強したい
 ★学校に通うことができなかった,できないので勉強したい
 ★戦争などで,中学校を卒業していないので学びたい

 これらの人たちにより添って,一緒に考えて,学びたい学び直したい気持ちを応援したいと思っています。

 以前から,「子どもたちの貧困を考えたい」「今の学校の学習状況を,何とかしなくては」「高額な塾に行けない子はいないのかしら」「子ども食堂や介護までも取り組みたい」との声があちこちで聞かれていました。昨年冬に数人で集まったときに,「できるところからやろう,とりあえず,学習面で。」と,場所探しと生徒・学習ボラ募集を始めました。
 幸い,時間的に制限はありますが、無償で場所を提供して下さる方が見つかり,即,決めました。

 活動は,毎週土曜日午前に,多賀城市下馬にあるビルの1室で,宿題やテスト直し・自主勉強・課題を一緒に考えています。 

 現在,通ってきている生徒は,小学生男子3人,女子7人の10人です。スタッフの知人の子だったり,ポスターやチラシを見て連絡してくれたり,保護者からの繋がりで広がったりしています。中学生の参加は,時間的に難しいようです。
 学習支援ボランティアの登録数は,10名以上で,小学校や高校の元教員,医療関係従事者の他,大学生や高校生もいます。みんな無理のないところでと思っているので、それぞれの都合で,常時平均3~4名で支援しています。 

 今のところ、学習の前には,1分間スピーチをし合って,最近の出来事や思っていることなどをみんなで共有し合っています。また新聞記事の読み合わせもしています。
 それから学習です。それぞれ学年や課題によって違うので,個別にみるようにしています。生徒によって違いますが,30~40分したら休憩です。休憩時間には,向かい側の病院の図書室に行って本を借りてきます。本は,翌週に返します。
 休憩後は自由です。帰宅しても構いません。お迎えの子は,折り紙やお絵かき,借りてきた本の読書,オセロや将棋等で,時間まで過ごします。部屋の中で鬼ごっこもしています。勿論,学習の続きをやってもいいのです。

 七夕の前には,折り紙でミニ笹かざりを作ったり,誕生日が近い生徒がいれば,みんなで歌ってお祝いしたりします。
 夏休みは,特別教室として図書ボランティアの方による絵本の読み聞かせや紙芝居・腹話術,浦戸諸島散策,アイロンビーズ作りの3日間を過ごしました。この日だけ参加という子もいました。
 英語が得意な学習支援ボラが来てくれたので,秋には,「英語のワンポイントレッスン」も短時間でやってみようかということになりました。 

 運営は,運営スタッフ(現在5名)で定例的に話し合い,活動を振り返って課題を確認し,方針を出していきます。スタッフ会議の他に,学習支援ボラ会議ももち,学習支援の進め方について意見交換をします。
 運営資金は,個人・団体の賛助会員制を作ったので,その賛助金で賄っています。紙代や印刷費等の活動に使っていますが、まだまだ十分とは言えません。ぜひ応援ください。スタッフが,みな高齢なので,若い人たちの積極的な参加も大いに期待しています。 

 「学び処しおがま」(「マナシオ」) で学びたい、学習支援ボランティアなど協力したいという方は、ぜひご連絡ください。お待ちしています。

   【連絡先】090-3753-4386(清水) まで。

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  それでいいよ、ゆっくりね       本を借りに来た子どもたち

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  夏休み、アイロンビーズ作成中     ここは、どうしたらいいかな?  

子どもは一冊の本である ~河北新報・持論時論より~

 8月のある日、センターに来た春さんから、河北の持論時論に原稿を書いて送ったと聞いていた。どんな内容なのかとか、そういう具体的なことは、その時は何も聞かなかった。その後、掲載されるのはいつだろう? はたして掲載されるのだろうか?と思っていたが、9月4日の河北新報をみて、ああこれだ、と思った。

 記事タイトルは味気ないけど、中身は濃いと思います。以下に掲載します。

  教育行政 第一の仕事   子と向き合う環境大切

 

 教職にあった時、私は子どもたちに対して数々の失敗をしている。そのつど思い出したのが、教育実習で中学3年のY子からもらった「・・・それでも先生になるんですか」という抗議の手紙だった。クラスの実情も知らずに説教した私を許せなかったのだ。

 Y子にこう言われても、私は教師になった。いや、この手紙が教師になる決意を固くさせた。以来30数年、失敗のたびにその言葉を思い浮かべながらも、同じことを繰り返すどうしようもない教師だった。そんな自分を振り返りながら、私ほどではなくても、似たような失敗を多くの教師もしているのではないかと思う。

 問題は、その時、そのままにして終えてしまうか、それとも、何か自分なりに気付いて、子ども(たち)に向き合い直すかである。それによって、その後の仕事が随分違ってくるのではないかと、このごろ頻発する学校の「事件」を耳にするたびに考える。

     ◆   ◇   ◆    ◇

 オーストリアの詩人ペーター・ローゼッカーに、〈子どもは1冊の本である/その本から/われわれは何かを読み取り/その本に/われわれは何かを書き込んで/いかねばならぬ〉という詩がある。

 詩人は教師だけに向けて書いたのではなく、子どもに関わる全ての大人に向けて書いたはずだ。仙台市郡和子新市長は「教育に力を入れる」と述べており、私はもろ手を挙げて賛成する。問題は、どう具現化していくかだ。ローゼッカーは、子どもから何を読み取り何を書き込んでいくかと、私たちに問い掛けている。

 「読み取り」に関しては、「子どもはどんな本より読み応えのある本だ」と言った人もいた。私たちが問われるのは、この読み応えのある本とどのように向き合っているかだ。教師も親も「他の仕事が忙しくて」と言い訳をするようでは、丁寧に「読み取っている」とはとても思えない。学校でいえば、教師が何より優先すべきことは、ゆっくり時間をかけて子どもを読み取ることであり、教育行政のすべき仕事の第一は、そういう読み取りのできる学校・教師の環境の保障であろう。

 「何を書き込んでいく」かについて言えば、「読み取り」によってどんなことが見えてくるかによる。子どもたち全体を一つにして相手にすることが可能とは言えない場合もあり、ある時の書きこみは、面倒でも子ども一人一人を相手にせざるを得ないこともあるだろう。教室ゆえに全員で一緒に学び合いたいと願うとしても。

     ◆   ◇   ◆    ◇

 また、今の現場の様子から、教師が子ども(たち)に書き込んでいくものは「教科書そのものだ」と頭から思いこんでしまってはいないか、ということも気になる。

 教育行政の仕事は、ローゼッカーの「子どもは1冊の本である」がいかに現場で生かされていくように計らうか、に尽きると思う。学校が変われば、子どもたちの姿もおのずから変わってくるはずだ。それは学校だけではなく、家庭も含めて子どもの居場所全てに言えることであろう。

 春さんの持論時論のなかにある「保障」を、パソコンのキーボードでhosyouと打ち込み変換したら「保証」が出てきた。そう言えばいつ頃からか、学校からの便りなどで、学力にかかわってやたらと「保証」という文字が踊るようになった気がする・・・。それは、思い違いだろうか。 「保障」と「保証」同じホショウだけど、中身はずいぶん違うよね。学校や子どもから読み取る、読み取られるものが、いつの間にか変わってしまったからなのだろうか。そんなことを春さんの持論時論と重ねながら、ふと考えた。(キヨ) 

灘中学校 社会科歴史教科書採択の記事を読んで

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 8月19日付け朝日新聞に『慰安婦記述の教科書  採択中学へ抗議波紋/「圧力感じた」灘中校長の文 ネット拡散』との見出しで記事が掲載された。記事は、進学校として全国的にも有名な私立灘中学校が、学び舎発行の社会科歴史教科書を採択して以降、学校に県議や国会議員から「なぜあの教科書を採択したのか」という問い合わせを受けたり、同一の文面による抗議はがきが届くようになり、校長は、政治的圧力を感じたと伝えている。事の発端は、採択した学び舎発行の歴史教科書に、この間中学校歴史教科書から消えていた慰安婦についての記述があったことによる。新聞記事の伝えるところによると、学び舎発行の教科書を採択した他の中学校などにも同様の抗議などがあったらしい。なお新聞記事冒頭にある灘中校長が書いた文章「謂(いわ)れのない圧力の中で」は、後日知り合いから見せてもらった。 

 この記事を読みながら、まっさきに思ったのは灘中の校長をはじめ教職員は、特に社会科教師は大変だったろうということ。きっと議員からの問い合わせ、さらには記名・無記名による多くの誹謗中傷の類いの抗議のはがきや手紙、なかには電話によるものもあったかもしれない。まさにこれらの青天の霹靂的出来事にどう対処すればよいのかに苦心し、またその対応に辟易したことだろう。さらに言うなら、私立学校にとって社会的評判は、ときに学校経営の死活的問題にすらなるのだから。なんとも気の毒な話だ。しかしこれらを逆手にとって難関進学校・お受験校として一般に知られる灘中が、どのような教育方針や姿勢で日々教育活動を行おうとしているのか、行っているのかを広く一般社会に知ってもらうよい機会にするのもよいかも。

 実際、灘中校長の書いた文章を読めば、採択に際しての考えや歴史学習に対する考えはきちんと記されている。さらに校長がすごいのは、このような状況にありながらも保阪正康さんの『日本史のかたち』(岩波新書)を引用しつつ、「現憲法下において戦前のような軍国主義ファシズムが復活するとは考えられないが、多様性を否定し一つの考え方しか許さないような閉塞感の強い社会という意味での『正方形』は間もなく完成する、いやひょっとすると既に完成しているのかもしれない。」と現代日本社会について分析し結んでいることだ(ちなみに正方形とは、ファシズムの権力構造のこと)。文面からは、いろいろ大変だが心配ご無用という余裕すら感じさせる。野球解説者の張本(ハリ)さんなら、ここであっぱれを出すだろうか? その意味からすれば、朝日新聞の取材に対して「静観してほしい」というのもわかる気がする。

 ところで、今日のさまざまな社会的状況を勘案すると、灘中のような青天の霹靂的出来事を、まさかの出来事として片付けてはいけない気がする。だって灘中は、現にその「まさか!」を経験したのだから。では、そういう状況に遭遇、陥ったらどうすればよいだろうか?

 このことに一つの示唆を与えてくれのが『オリーブの森で語りあう』(同時代ライブラリー 岩波書店)である。同書は、『モモ』や『はてしない物語』で著名な作家ミヒャエル・エンデとその妻(ホフマン)、政治家のエアハルト・エプラー、演劇人であるハンネ・テヒルらが語りあった内容をまとめたもので、政治から文化・芸術に至るまで、さまざまなことが自由に語られている。その中に、ナチス政権下でどのような抵抗ができるかについて語られた、次のようなやり取りがある。

(ホフマン)-前半・略- ナチス政権の末期に、どうやったら独裁制に対抗できるかを、友だちと話しあったことがあるのよ。たどりついた解決法は、厳密にいうと、たったひとつだけで、残念ながらそれはすぐさま実行には移せなかった。「こわがらない」ということなんだけど、それは子どものときから学んでおく必要があるのよ。「こわがらない」ということは、恐怖とおなじように、伝染性のものよ。

(エプラー)そう。どうやらぼくたちにも似たような経験がある。時代も状況も、ずいぶんちがうけどね。権力の、すべてとはいかないが、かなりの部分は、その権力にたいするほかの人たちの不安にもとづいている。だから、それに不安をもたない人たちが登場すれば、かならず権力の一角はくずれる。規律とか、微妙な買収-たとえば出世ということだけど-とか、侮辱とかにみられる何重にもなっているメカニズムをこわがらない。そういう態度は、ぼくたちのシステムでは予測されてはいない。にもかかわらず、そういうことが起これば、なにもかも混乱する。

 恐怖や不安は伝染する。怖いと感じ、心が支配されてしまうと、その恐れや不安は周囲にもあっという間に伝染し、その場と人びとを支配してしまうことがある。灘中の先生たちに限らず、私たちはすでに様々な恐怖や不安に囲まれているのかもしれない?? つい最近も隣国のミサイルに国中が不安を感じさせられた?ではないか。いやミサイルだけではない。今や学校の日常風景になっている「いじめ」しかりである。
 「こわがらないこと」、それは私たちを恐怖や不安に陥れる根本をまなざし、精神の自由を保つために求められる一つの道徳的資質と態度と言えるのではないだろうか。今日9月1日は防災の日、そして94年前のこの日は関東大震災が起きた日だ。(キヨ)

毎日新聞「宿題さよなら革命」を読んで

 Kさんから送られてくる「宮城の会ニュース」に載っていた毎日新聞の「ウラから目線 宿題さよなら革命」をおもしろく読んだ。

  執筆者は外国の事例を紹介しながら、最後を「政府は『人づくり革命』なるふしぎ政策を始めるようだけど、『宿題なし』を第1弾としては?  不安なら、まず宿題の功罪について自由研究をしてみるといい。」と結んでいた。

 塾に行くのが当たり前になっている昨今、何寝言をと叱られそうだが、私は「宿題なし」に大賛成である。これも今とは違う時の話じゃないかと言われそうだが、在職中に1年間しか宿題を出したことがなかった。夏休みの作品は、全校での作品展があるうちは出していたが。
 ある年の休み明け、自作の木工の車にランドセルを積み、胸を張ってガラガラと引っ張ってきたY君の姿は今でも覚えている。Y君も木の車もピカピカと見えた。後でY君に製作記を書いてもらったら、その苦労が手に取るようにわかったことも印象を強くしたのだろう。

 通常、私はよほどでないと宿題を出さなかったが、ある年、持ち上がりの6年生が「宿題を出してくれ」と言う。なぜか今でもわからない。一人二人が言うのではない。「それでは毎日出す!」と宣言した。私の中では、(彼らが思い描いていない宿題を出そう)と決めたのだ。
 1年間、そのタネ探しがたいへんだった。図書室をのぞいたり、書店に走ったりもした。その時の宿題メモが見つからないので、子どもたちの日記から、2つ3つ紹介する。

 「今日の宿題は、一人あたりの国民所得が高い国のベストファイブを先生が黒板
 に書き、その国の形を地図帳を見て書きうつし、その中に首都を書くというもの
 でした。~~」

 「今日の宿題は、6枚のタタミの敷き方は何種類あるかでした。~~」

 「今日の宿題は、分数を小数に直すことでした。前の授業参観と同じように何か
 きまりがあるんだなと思いました。1/13~5/13です。~~」

 「宿題は、1,4,6,9で1~20までの答えを出す式をつくるのでした。お
 母さんはもうつかれたみたいです。お父さんはいみがわからなくてお母さんに教
 えてもらいました。~~」

というような宿題の1年間。「家の全員でやってもできないのがあって、次の日、お父さんが会社にもっていってもダメでした」ということもあった。

 この年の私は出題疲れだった。とは言いながら、子どもの日記のタネに宿題がとりあげられた年でもあった。
 とにかく、子どもの世界をより広げることを考えると、宿題には賛成する気にはなれない。( 春 )

 ※ なお、毎日新聞の記事「ウラから目線 宿題さよなら革命」は、以下の通りです。

 夏休みも残りわずか。片や宿題は山のように。厄介なのは自由研究だ。子ども以上に親が悩む。

 でも心配ご無用。例えば、ネット通販のアマゾンを使えば、翌日には、「自由研究」が自宅に届く。
 親切なことに、学年別、制作日数別に選ぶことができる。切羽詰まっているこの時期、生き物を育てて観察する2週間コースなど論外だ。
 「1日でできる」「ベストセラー1位」指定の、色の研究ができる実験キットを注文してみた。なぜか「男の子向き」とあるが無視。1500円で翌日には自宅に。色とは何だろう?という解説文や、絵の具、スポイト、試験管など全部そろっていてとっても便利だし、きれいだ。
 でも……。ふと、事故で絶望的事態に陥りながら、見事地球に生還したアポロ13号を思い出す。楽に課題を処理する習慣がついた人間からは、宇宙船内の物で利用できそうな物は全部、靴下まで使って次々とトラブルを克服したチームのあの工夫とねばりは、まず生まれないだろう。
 それにしても、なぜ夏休みに宿題か。学校のドリル、塾のドリル、読書感想文に絵日記、自由研究。家庭内で休む権利を侵食し過ぎだ。これなら授業を続けた方がましでは?
 欧米など多くの国は夏の時期に学年が変わることもあり、夏休みの宿題そのものがない。さらに、フィンランドみたいに、学校のある時期も宿題がほとんど出ない国もある。
 米フロリダ州のマリオン郡は、域内の全公立小学校に宿題禁止令を出した。代わりに子どもたちは、毎日20分本を読むか、親に読んでもらう。
 子どもの学力低下が心配? それでは、宿題がほとんどない国の子は学力が低いのかというと、少なくともフィンランドは国際ランキングでトップクラスだ。
 そしてこの日本はというと--。文部科学省がまとめた「科学技術指標2017」というのがある。子どもが成長した後の話だけど、それによると、日本の研究開発費や研究者数は主要国中3位、論文の総数は4位なのに、「注目度の高い論文」は9位で年々低下しているという。
 政府は「人づくり革命」なるふしぎ政策を始めるようだけど、「宿題なし」を第1弾としては? 不安なら、まず宿題の功罪について自由研究をしてみるといい。(論説委員 福本容子)

武器なき平和の島 沖縄  ~淮陰生「一月一言」から~

 先に、淮陰生の「一月一言」から引いたことがあるが、今日も同書から別の話を紹介する。

 この話は「武器なき平和の島沖縄という一事が、晩年のナポレオンを驚倒させたいう話がある。」と始まる。
 1817年8月というから、場所は、ナポレオンの最後の地セント・ヘレナになる。朝鮮半島西岸・琉球諸島への調査航海の帰途だったイギリス軍艦が寄港し、物好きな艦長がナポレオンに会見を求めたらしい。ナポレオンも暇だったろうからすぐ実現したのだろう。
 著者淮陰生は、その会談での沖縄についての話をおおよそ次のように書く。
 まず艦長が、沖縄という島には武器というものが一切ないということを話すと、これにはナポレオンが、まったく理解に苦しんだ。そこで、ふたりのやりとり。 

 「武器といっても、それは大砲のことだろうね。小銃ぐらいはあるだろうが」
 「いや、それもありません」
 「じゃ、投槍といったようなものは?」
 「それもありません」
 「じゃ、弓矢はどうだね。まさか小刀くらいはあるだろう」
 「いや、それもありません」
 すると、ナポレオンはワナワナと拳をふるわせながら、大声で叫んだ。
 「武器がなくて、いったい何で戦争をするのだ?」
 「いえ、戦争というものをまったく知らないのです。内外ともに憂患というよう
 なものは、ほとんどみられませんでした」

とたんにナポレオンは、さも冷笑するかのように眉をひそめた。そして、「太陽の下、そんな戦争をやらぬ民族などというものがあるはずがない」と答えたという。

 ナポレオンと艦長のやりとりはいろいろなことを考えさせてくれそうに思ったが、「私はこんなことを考えた」などとつまらないことを付けないことにする。ただ、沖縄は、武器なき島だったことをいつまでも忘れないようにしようと思う。

 淮陰生は、「それにしても、500年に及ぶ武器なき平和の島だったのである。それが沖縄戦以来、大軍事基地群の島、そしてまた自衛隊の島になるとは、変わったといえば変わった。ずいぶんひどい話ではある。」と結んでいる。

 これが書かれたのは1972年7月。2か月前が「沖縄本土復帰」になる。( 春 )

ブラボー高校生  ~安田菜津紀さんの東北スタディーツアーに参加~

今日は8月11日。3.11東日本大震災の、所謂、月命日である。
少し前の7月のことになるが、とてもうれしい話があった。
フォトジャーナリストの安田菜津紀さんから知らせが入った。
 8月5日から8日までの4日間の日程で行われる3.11の被災地、福島・宮城・岩手の3県を回る今回で4回目となる東北スタディーツアー。テーマは、被災地の今を知り、これからの復興について考えよう。その参加者を募集したところ、全国からたくさんの申し込みの中に、5月にセンターが主催した安田菜津紀講演会に参加していた宮城の高校生が申し込んでくれたというのである。
 センターが高校生公開授業や各種講演会を開催する大きな目的の一つに、『学びと出会い』がある。少なくとも、スタディーツアーに参加することを決めたこの高校生には、センターの願いが届いたのだろうと思うと、とてもとてもうれしいことである。 

安田菜津紀さんの8月9日のブログには、次のような文が書かれていた。


長崎市山王神社。樹齢600年と言われる、被爆したクスノキ。熱線にされてもなお緑を取り戻した、その生命力に圧倒される。「話さない語り部なんです」と宮司さんが教えてくれた。宮司さんご自身も、当時三歳。そんな残された過去の手がかりが、きっと私たちのこれからを照らしてくれる。
 私たちが72年間の歴史をさかのぼることはできない。けれども苦痛を伴いながらなお人々が残しきた言葉を灯に、想像し続けることはできる。思考する勇気を、手放さないこと。私たちに課せられた、大きな宿題。

 

 そしてもう一話。今日(11日)夕方のNHKニュースを見ていると、全国の高校生が呼びかけて集めた核兵器廃絶署名が過去最高の21万筆集まり、代表が高校生平和大使として国連に届けるという。

 私たちも高校生のように『学び、想像し続け、思考する勇気を手放さない』ようにしなければと。<仁>