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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

2月5日

2015年2月5日

Kさんからの今年の賀状に「俺達の時代はいったいなんだったろう、組合活動はひとつのあがきだったのか、それだけなのだろうか。」と書き添えてあり、以来時々、Kさんの言う「俺達の時代」のいろいろを反芻している。

ざっくりと言ってしまえば、「俺達の時代」は私にはよかったと今でも思っている。

私の教師1年目は、教育史上「学習指導要領が拘束力をもつようになる」「道徳が特設に」「勤務評定の実施」とたいへんな時にスタートしている。

それでも、何も知らないゆえにたいへんさが実感できなかっただけでなく、子どものことを仕事のことを嬉々として語るすばらしい教育実践家Kさんたちに囲まれて、教師にとって何が大事かを少しずつ感じることができ仕事がしだいに見えてきた。その人たちとの一緒の語り合いがつづくかぎり何も怖いものはなかった。組合活動もその延長上だったので、「あがき」なんてまったく思わないどころか、私にとって組合は自分の仕事をまっとうするために欠かせない大事な組織であった。

私の教師成りたてのころは管理職を含めて組合員であり、私が青年部長を務めたときの支部長は校長で、教育文化部長はO校長だった。O校長とはしばらく後に私設の教育研究所でご一緒し、亡くなるまでお世話になった。

もちろん、私のような凡人がすんなりと仕事の方向が見えたわけではなく、ぎくしゃくしつづけたことは言うまでもない。

たとえば、ある指導主事訪問のとき、隣の学校の教頭だったHさんが、指導主事と入れ替えに私の教室に現れたことがあった。ナマイキな私は、指導主事訪問だからと、つまらない教科書教材で授業をしていたのだった。授業が終わるやHさんに「どうしてあのような授業をしたか」と問われ、つづいて「指導主事訪問であろうと何であろうと生徒にとっては貴重な1時間ではないか」と静かなもの言いだったが、一突き浴びたのだった。

私は今でも、組合で多くの人に学ぶことがなかったならば、ろくでもないことをして退職していたかもしれないと思うことがある。ただ、組合も人がつくるものであるから「組合と名がつけばいい」などとは少しも思わない。

Kさんは「組合活動はひとつのあがきだったのか、それだけなのだろうか。」と言っているが、少なくとも私にとってはまちがいなく「あがき」などではなかった。